☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
1774年2月16日に生まれたのは、ピエール・ロード(1774-1830)です。
(名前の綴りがRodeであることから、日本ではローデとも呼ばれています。)
フランスのボルドー出身で、6歳から地元のヴァイオリニストからヴァイオリンを教わります。
1787年パリでヴィオッティの弟子になり、90年にヴァイオリニストとしてデビューしました。
演奏会で師ヴィオッティの協奏曲の初演の際に独奏を担当したり、ヴィオッティが設立した管弦楽団に参加したり、95年にはパリ音楽院で教授の職につきます。
ロードのヴァイオリニストとしての頂点は1803年頃と言われており、それ以降は以前のような成功は得られなかったようです。
1812年にウィーンを訪れ、ベートーヴェンと出会い彼のヴァイオリンソナタ作品96の初演を担当しましたが、ロードの演奏に作曲家は失望したというエピソードが残っています。
ロードが公の場で最後に演奏したのは1828年パリでのことでしたが、この試みは完全に失敗してしまったそうです。
腕が落ちる前のロードは類まれなヴァイオリニストとして評価されていましたし、教育者として作曲した《24のカプリス》は今もなお多くのヴァイオリン学習者に親しまれています。
同じヴィオッティ門下のバイヨー、クライスラーとの共著《ヴァイオリン演奏の方法論》(1802)を執筆したことでも知られています。
♬2月16日生まれの作曲家♬
=====
▼本の林の管理人ハヤシさんがお送りしています。
☆ツイッター https://twitter.com/honnohayashi
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1774年2月16日に生まれたのは、ピエール・ロード(1774-1830)です。
(名前の綴りがRodeであることから、日本ではローデとも呼ばれています。)
フランスのボルドー出身で、6歳から地元のヴァイオリニストからヴァイオリンを教わります。
1787年パリでヴィオッティの弟子になり、90年にヴァイオリニストとしてデビューしました。
演奏会で師ヴィオッティの協奏曲の初演の際に独奏を担当したり、ヴィオッティが設立した管弦楽団に参加したり、95年にはパリ音楽院で教授の職につきます。
ロードのヴァイオリニストとしての頂点は1803年頃と言われており、それ以降は以前のような成功は得られなかったようです。
1812年にウィーンを訪れ、ベートーヴェンと出会い彼のヴァイオリンソナタ作品96の初演を担当しましたが、ロードの演奏に作曲家は失望したというエピソードが残っています。
ロードが公の場で最後に演奏したのは1828年パリでのことでしたが、この試みは完全に失敗してしまったそうです。
腕が落ちる前のロードは類まれなヴァイオリニストとして評価されていましたし、教育者として作曲した《24のカプリス》は今もなお多くのヴァイオリン学習者に親しまれています。
同じヴィオッティ門下のバイヨー、クライスラーとの共著《ヴァイオリン演奏の方法論》(1802)を執筆したことでも知られています。
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