☆本記事は、Youtubeチャンネル『本の林 honnohayashi』に投稿された動画を紹介するものです。
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
人間社会の中で何らかの力を表す手段の一つに大きさというものがある。
古代から行われてきた巨大建築もその一例であろうが、その中で鳴り響く楽器の音も、
力の誇示に一役買ってきたと言えよう。
『世界楽器入門 好きな音嫌いな音』郡司すみ(1989)朝日新聞社より
私はあまり大きな音が好きではありません。
どちらかというと苦手で、街なかで大声を出して騒いでいる学生の声や、お店などで店員さんを怒鳴りつけている男性の声などを聞くと、心臓がギュッと締め付けられるような辛さを感じます。
また、工事中に聞こえるドンドンとかガンガンという音や、草刈り機のエンジン音、大型ダンプが通り過ぎる時のズシン、ドシンという音も苦手です。
大きな音が好きな人はいるのでしょうか?
例えば、ジャズやポップスのライブ会場や、ディスコのスピーカーから出される大音量が好きという人はいるかもしれません。
(私はちょっと苦手ですが)
現代には、音に限らず「大きな物」が沢山存在します。
ジャンボジェットのような飛行機や、豪華客船といった乗り物、野球場やコンサートホールといった建物、さらに東京スカイツリーなどの電波塔というように、日頃から「大きな物」を目にすることが当然になっていると思います。
しかし、「大きな物」を作る技術が現代ほど発達していなかった時代には巨大な物を作るという行為は人々を驚かせ、怖がらせたはずです。
「大きな物」は相手をビビらせるために作られ、権力者たちはそうすることで人心を掌握し、自らの存在をも畏怖させるように仕向けてきたのだと思います。
しかし、現代では比較的、沢山の人がお金さえあれば「大きな物」が作れるのです。
(表向きは)個人の努力次第で(誰でも)大金を手にすることができる世の中では、「大きな物」の効力や意義は薄れてきているように思えます。
ただ、相手をビビらせたいという要素だけは「大きな物」の本質として消えずに残っていると思います。
乗り物や建造物は、大人数、大容量の輸送という利便性も大いに関係ありますが、楽器の音、例えばバイオリンの音はどうでしょうか。
バロック時代に使用されていたバイオリンと現在のバイオリンでは、だいぶ音量に差があります。
近現代における材料の発明や改良によって、バイオリンだけでなくピアノもより大きな音が出るように改造され続け、一時期は主流だったチェンバロやスピネットなどの鍵盤楽器は、今や一部の愛好家たちが細々とそのささやかな音色を楽しんでいるにすぎないのです。
とはいえ、現代のバイオリンが誰かをビビらせるためにあるとは思いません。
ですが、この楽器が強くしなやかで輝かしい音でなければいけないという印象を持っている人は多いはずです。
テレビなどでは、本来は小さな音しか出せない楽器でも、性能のよいマイクで音を録音して放送するので、その音を聞き慣れている人の中には、実際の演奏会場で聞く楽器の音が思ったよりも小さく、迫力がないと感じる人が少なくないようです。
「大きな物」に慣れている現代人たちは、「驚きたい」「ビビらせてくれ」という要求を既に持ってしまっているのかもしれません。
つまり、昔は作り手の方が誇示していた力を、今では群衆の方がもっと強い力を見せろと求めるという不思議な逆転現象が起きているのです。
これからの権力者たちが、どんな力を誇示してくるのか、「大きな物」に目の肥えた群衆の一人である私は楽しみに待つことにしましょうか。
ヒトコトリのコトノハ vol.43
ご興味を持たれた方は是非、動画の方もチェックしてみて下さいね!
●本日のコトノハ●
人間社会の中で何らかの力を表す手段の一つに大きさというものがある。
古代から行われてきた巨大建築もその一例であろうが、その中で鳴り響く楽器の音も、
力の誇示に一役買ってきたと言えよう。
『世界楽器入門 好きな音嫌いな音』郡司すみ(1989)朝日新聞社より
私はあまり大きな音が好きではありません。
どちらかというと苦手で、街なかで大声を出して騒いでいる学生の声や、お店などで店員さんを怒鳴りつけている男性の声などを聞くと、心臓がギュッと締め付けられるような辛さを感じます。
また、工事中に聞こえるドンドンとかガンガンという音や、草刈り機のエンジン音、大型ダンプが通り過ぎる時のズシン、ドシンという音も苦手です。
大きな音が好きな人はいるのでしょうか?
例えば、ジャズやポップスのライブ会場や、ディスコのスピーカーから出される大音量が好きという人はいるかもしれません。
(私はちょっと苦手ですが)
現代には、音に限らず「大きな物」が沢山存在します。
ジャンボジェットのような飛行機や、豪華客船といった乗り物、野球場やコンサートホールといった建物、さらに東京スカイツリーなどの電波塔というように、日頃から「大きな物」を目にすることが当然になっていると思います。
しかし、「大きな物」を作る技術が現代ほど発達していなかった時代には巨大な物を作るという行為は人々を驚かせ、怖がらせたはずです。
「大きな物」は相手をビビらせるために作られ、権力者たちはそうすることで人心を掌握し、自らの存在をも畏怖させるように仕向けてきたのだと思います。
しかし、現代では比較的、沢山の人がお金さえあれば「大きな物」が作れるのです。
(表向きは)個人の努力次第で(誰でも)大金を手にすることができる世の中では、「大きな物」の効力や意義は薄れてきているように思えます。
ただ、相手をビビらせたいという要素だけは「大きな物」の本質として消えずに残っていると思います。
乗り物や建造物は、大人数、大容量の輸送という利便性も大いに関係ありますが、楽器の音、例えばバイオリンの音はどうでしょうか。
バロック時代に使用されていたバイオリンと現在のバイオリンでは、だいぶ音量に差があります。
近現代における材料の発明や改良によって、バイオリンだけでなくピアノもより大きな音が出るように改造され続け、一時期は主流だったチェンバロやスピネットなどの鍵盤楽器は、今や一部の愛好家たちが細々とそのささやかな音色を楽しんでいるにすぎないのです。
とはいえ、現代のバイオリンが誰かをビビらせるためにあるとは思いません。
ですが、この楽器が強くしなやかで輝かしい音でなければいけないという印象を持っている人は多いはずです。
テレビなどでは、本来は小さな音しか出せない楽器でも、性能のよいマイクで音を録音して放送するので、その音を聞き慣れている人の中には、実際の演奏会場で聞く楽器の音が思ったよりも小さく、迫力がないと感じる人が少なくないようです。
「大きな物」に慣れている現代人たちは、「驚きたい」「ビビらせてくれ」という要求を既に持ってしまっているのかもしれません。
つまり、昔は作り手の方が誇示していた力を、今では群衆の方がもっと強い力を見せろと求めるという不思議な逆転現象が起きているのです。
これからの権力者たちが、どんな力を誇示してくるのか、「大きな物」に目の肥えた群衆の一人である私は楽しみに待つことにしましょうか。
ヒトコトリのコトノハ vol.43
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