足利事件の冤罪の要因に、マスコミの自覚無し
『まるこ姫の独り言 菅家さん無罪確定で、東京新聞佐藤社会部長の手記』に書き込んだコメントを記事にし、エントリーします
菅谷さんの冤罪が晴れて、17年半経って、ようやく無罪となりました。
司法が自ら認めての無罪ではなく、支援者の弛まない努力の結果、司法は仕方なく認めたものです。
菅谷さんは、お上の威厳のために、17年半も監獄に閉じ込められ、自由を奪われました。
警察・検察は、足利近辺でおきた少女殺人事件で何ら実績を上げなかったため、事件から時間が経って、気の弱そうな菅谷さんを見つけ、犯人に仕立て上げ、科警研はDNA鑑定という新たな技術で自らの存在を主張するため、未熟な技術で犯人に仕立て上げ、一旦犯人にすると、無罪の証拠にも目もくれず、有罪に向けて一目散に走り出しました。
裁判所は、菅谷さんが無罪の主張を無視し、ひたすら同じ官僚仲間である検察しか信用せず、握りつぶしました。
DBA鑑定の精度が上がって、再鑑定の申請にも、自らの権威を守るため、裁判所は門前払いを喰らわせました。
当時のDBA鑑定は1000人に1人と言い訳をしているようですが、専門家によれば、当時の技術でも菅谷さんとは違うことが分かったはずで、科警研の読み取る技術が劣っていたと言います。
密室で閉じ込め、精神的に洗脳する、弁護士という援軍無しの孤独の闘い、長時間長日数の取り調べ、留置所という24時間監視体制等々、自白最優先主義による自白の強要・誘導が繰り広げられてきました。
何も、菅谷さんが迎合する性格だったからではなく、鹿児島志布志事件のように、10数人もが気の弱い人だったわけもなく、取り調べられるという弱者の環境を、強者である警察・検察が徹底的に利用し、精神的に締め上げられれば、よほどの悪人か意志の固い人でない限りは堪えきれません。
こういう取り調べ=犯人という、権的なやり方そのものが冤罪を生む原因です。
取り調べの全面可視化だけでなく、弁護士の立ち会い、留置所でなく拘置所に、拘束期間を短くすることなど、容疑者の人権への配慮が絶対、必要です。
軽微な犯罪で犯行を否定すれば、認めるまでは出さんぞと言うばかりの3週間も拘束されるなんて、警察・検察(お上)の権限は異常です。
裁判所は中立でなければならないのに、常に検察の側に立つ、お互いにお上という同じ立場を守ろうという意識が働くため、弁護側の言うことを信用しません。
裁判所の検察よりの立ち位置が冤罪の要因です。
ともに、お上の一員であり、お上=お神で、絶対正義であることから、過ちは絶対に認めません。
また、お上の価値観は民を指導するという価値観であり、一般国民と遊離する考えが基本になっており、国民感覚と大きなズレがあります。
ことの事実の正確性よりも、世を安定させたいという意識が働きがちになり、上から目線で判断する傾向も問題と思います。
重罰犯罪しか取り扱わない裁判員制度だけでは、お上意識を排除することには限界があると言えます。
裁判所では、仕事に追われて、膨大な調書を読むこともママならず、つい検察の調書を吟味する次官がなくて検察を信じてしまうことも冤罪が生まれる一因にもなっていると言われます。
法曹人口を増やしすぎて、弁護士が余っており、一方、裁判所では人が足りない、弁護士任官制度があるものの、ほとんど採用していないことから、もっと弁護士出身の裁判官を増やせば、お上でなく在野の視点でも裁判が増え、冤罪も減るのではないかと思います。
菅谷さんが無罪となっても言い続けているのは、菅谷さんを陥れた警察官、科警研の技官、検察官、裁判官が直接、誤って欲しいという言葉です。
現役の検察官、裁判官は謝りましたが、当事者であった警察官、科学警察研究所の検査官、検察官、裁判官の誰一人謝っていません。
ここに、冤罪を生む本質が隠されていると思います。
こういうお上体質だから、検察、警察、裁判所で今後冤罪を行わないとする対策は、絶対、お手盛りのものとなってザル同然になるでしょう。
第三者機関が調査し、対策を練ると言いますが、それに期待するしかないと言えるでしょう。
“過ち”と向き合う
メディアは、過ちを繰り返す可能性がある存在なのだということを、この事件の反省としてもう一度、肝に銘じたいと思います。その危うさを知り、立ち止まって考える記者を育てること、そして、昨春に始めた事件報道の見直しの中で、読者に約束した「逮捕された容疑者を、犯人と決め付ける報道の排除」を徹底すること。ささやかな決意であっても、私たちはまずそこから始めようと思っています。
冤罪を生んだ要因の一つに、マスコミの犯人報道も少なからず責任があると思います。
菅谷さんの場合でも、逮捕以後、警察や検察のハッキリしない情報を流して、菅谷さんを犯人かのような報道をせず、起訴後、菅谷さんの主張が聞けるようになってから、中立の立場で、菅谷さんの主張、検察の証拠をチェックし、特に、菅谷さんが無罪を主張したときに、無視するのではなく、証拠を洗い直しできたはずで、科警研のDNA鑑定技術の未熟さを指摘できたかもしれないし、世論が変わったかも知れません。
警察や検察のすることを鵜呑みにせず、中立の立場で見ていて、自分たちでいろいろ調べていたなら、相当変わっていたでしょう。
検察・検察とのマスコミの馴れ合い、持ちつ持たれつの関係が、検察・検察情報を鵜呑みにしてしまうのだろうと思います。
馴れ合いの元凶が、記者クラブ制度です。
記者クラブは無料で部屋と光熱費等を検察・検察に与えて貰い、検察・検察の所属するメディアだけが情報を得るというメディアの特権階級なのです。
冤罪を防ぐために、記者クラブは解散すべきなのです。
メディアは自らの責任を言及しているかどうかを足利事件の社説を調べてみました。
・東京新聞 「報道する者も、捜査側だけでなく、被告側の主張にも十分に耳を傾けねばならない。」
・毎日新聞 「報道機関の責任も免れない。菅家さんの逮捕時、犯人視報道があった。もっと早く菅家さんの声に耳・を傾けてほしかったとの批判もある。今後に生かしたい。」
・産経新聞 「また捜査段階でのメディアの報道についても行き過ぎがなかったか、再検討する必要がある。」
・朝日新聞、読売新聞、日経新聞はメディアの責任に言及無し。
どの新聞も、冤罪の原因は検察と裁判所にあると指摘し、マスコミついての責任は付加的に記しています。
毎日と東京はまだまともですが、産経は責任を先送りし、朝日、読売、日経は責任から逃げています。
裁判で白黒を付けるまでは推定無罪であること、被告と検察が対等に事実を争える裁判になってからが事件報道の中心であること、これらの原則を守って中立的に報道すれば、マスコミが起こす報道被害は勿論、警察の自白に頼る捜査や不十分な証拠を指摘したりして、冤罪事件は減ると思います。
マスコミは人権意識を高め、ルールを守って報道しないと、マスコミ離れはどんどん進むでしょう。
批判だけのマスコミの無責任な部外者的な姿勢が、社会を構成する当事者であるはずの視聴者の部外者的姿勢を作りだし、誰もが無責任な社会を作っていると言えます。
大手新聞の社説を以下に掲載しておきます。
毎日新聞 社説:足利事件無罪 次は第三者で検証を
3人の裁判官が法壇上で菅家利和さんに頭を下げた光景が、この裁判のすべてを物語る。
足利事件の再審公判で菅家さんに無罪が言い渡され確定した。いわれのない罪で逮捕され、17年半も自由を奪われた菅家さんにやっと春がきたことを心から喜びたい。
昨年10月に再審公判が始まった際、検察側は最小限の審理で早く判決を言い渡すべきだと主張した。一方、弁護側は誤判の理由を法廷で明らかにするよう求めた。
宇都宮地裁は、弁護側の主張通り、「当初のDNA鑑定は未熟」とする鑑定人を尋問し、検事の取り調べテープも法廷で再生した。一定の検証がされたと評価できよう。
無罪確定が遅れた責任は裁判所にある。弁護側が拘置中の菅家さんの毛髪を鑑定に出し、被害者の着衣に残っていたDNA型と一致しないとの結果が出たのは97年だった。
だが、最高裁は00年、鑑定に言及せず上告を棄却して無期懲役が確定した。宇都宮地裁が再審請求を棄却するのはさらに8年後である。この間、05年に公訴時効が成立した。釈放が遅れただけでなく、真犯人を逮捕する機会も失ったのである。
佐藤正信裁判長は「裁判官として誠に申し訳なく思います」と謝罪した。裁判官の謝罪は異例だが、やはりけじめは必要だった。
ただし、これで冤罪(えんざい)の全容解明にはなるまい。警察はどう自白を迫ったのか。菅家さんと型が一致したと結論づけた当初のDNA鑑定の証拠能力はどう検討されたのか。裁判所の再鑑定決定の判断が遅れたのはなぜか。いくつもの疑問が残る。
各機関の内部調査では限界がある。日本弁護士連合会は今月、「誤判原因を究明する調査委員会」の設置を求める意見書をまとめた。第三者の目で検証しようとの提言だ。実際に海外では行われている。政府はぜひ設置に動いてほしい。
最新のDNA鑑定により米国では昨年6月時点で240人の冤罪が晴らされ、うち17人が死刑囚だという。一方で、神奈川県警がDNAの誤登録が原因で別人の逮捕状を取る事態が最近発覚した。精度が上がっても、扱うのは人であり過信は禁物だ。
DNA鑑定に携わってきた科学者や科学警察研究所の技官は、事件を検証してほしい。それが最先端の技術を今後に生かす道だ。
教訓は多岐にわたる。自白偏重の捜査へ警鐘を鳴らした。テープ再生は、取り調べの全面可視化の必要性を改めて示した。報道機関の責任も免れない。菅家さんの逮捕時、犯人視報道があった。もっと早く菅家さんの声に耳を傾けてほしかったとの批判もある。今後に生かしたい。
産経新聞 【主張】足利事件 冤罪なくす教訓にしたい
2010.3.27 04:17
足利事件の菅家利和さんの無罪が確定した。法曹界全体をはじめ事件の関係者が猛省し、冤罪(えんざい)防止に向けて最大の努力を行わねばならない。
菅家さんは栃木県足利市で平成2年に4歳女児が殺害された事件でいったん無期懲役が確定した。昨年6月、17年半ぶりに釈放され、宇都宮地裁は無罪を言い渡した。今回は、それを法的に決着させるための再審判決だった。
従来の再審は、被告の名誉を早期回復することが目的とされた。しかし足利事件では、菅家さんと弁護側が冤罪となった原因の究明を主張し、同時に、誤った判断を下した裁判官の謝罪なども求める異例のケースとなった。
担当した同地裁の佐藤正信裁判長は、菅家さんの心情に最大限に配慮したといえる。取り調べ検事の証人尋問や、取り調べの模様を録音したテープを再生し、法廷で証拠調べする措置をとったのも、その表れだった。
この日の判決で、捜査段階の有力な証拠とされたDNA型鑑定の科学的信頼性が否定され、証拠能力も認められなかった。菅家さんの自白も、この旧鑑定の結果を告げられたことによるものであり、信用性は皆無であると結論づけた。当然の判断だろう。
判決文を朗読した佐藤裁判長は菅家さんに、「17年半もの長きにわたり自由を奪う結果となり、誠に申し訳ない」などと謝罪し、深々と頭を下げた。裁判官として、精いっぱいの反省の気持ちを伝えたものと理解したい。
取り調べを担当した警察・検察当局ばかりでなく、DNA型鑑定に何ら不信を抱かなかった裁判所の責任も大きい。最高裁は平成12年の上告審で、「DNA型鑑定は科学的に信頼される方法で行われた」として、菅家さんの上告を棄却する決定を下した。
この段階でもう少し慎重に審理し、鑑定結果に疑問を持てば、もっと早く菅家さんを救済できたかもしれない。
また捜査段階でのメディアの報道についても行き過ぎがなかったか、再検討する必要がある。
菅家さんは無罪が確定したが、事件は真犯人が不明のまま時効になった。足利市周辺では昭和54年以降、女児計4人が殺害され、いずれも未解決のままだ。
捜査当局は、冤罪防止に細心の注意を払いつつ、凶悪事件の解決に全力を傾けてもらいたい。
読売新聞 「足利」再審無罪 菅家さんの無念を冤罪防止に(3月27日付・読売社説)
3人の裁判官が立ち上がり、「誠に申し訳なく思います」と謝罪した。この極めて異例の光景を教訓に、司法界全体が冤(えん)罪(ざい)の再発防止に努めねばならない。
1990年に4歳の女児が殺害された足利事件の再審で、宇都宮地裁は菅家利和さんに無罪を言い渡した。検察側が上訴する権利の放棄を地裁に申し立て、受理されたため、菅家さんの無罪がようやく確定した。
無罪になったとはいえ、いったんは無期懲役が確定した菅家さんは17年半もの間、拘置・服役を強いられた。事件の時効が既に成立しているため、仮に真犯人が分かっても、立件はできない。
こうした事態を招いたことは、司法界の大きな汚点である。
女児のシャツから検出されたDNA型と菅家さんの型が一致するという鑑定結果と、菅家さんの自白が立証の両輪だった。
これに対し、判決は、DNA鑑定の結果について、「証拠能力が認められない」と判断した。自白についても、「信用性が皆無であり、虚偽であることは明らか」と結論付けた。
当時のDNA鑑定は、現在よりも格段に精度が劣っていたが、捜査現場では犯人を割り出す新兵器として期待されていた。
DNA鑑定への過信と、鑑定結果を示して自白に追い込む捜査手法が招いた冤罪といえる。
警察庁、最高検は足利事件の捜査の検証結果を近くまとめるが、求められているのは、自白偏重の捜査からの脱却である。取り調べを録音・録画する可視化のあり方についても、議論を深めていく必要があろう。
菅家さんは、当初の公判の途中で否認に転じた。最高裁に至るまで、自白の信用性に疑問を抱かなかった裁判所の責任も極めて重いことは言うまでもない。この日、裁判長も「真実の声に耳を傾けなかった」と語った。
自白は、捜査当局の誘導や強要によるものではないのか。裁判員裁判が始まった現在、裁判員もこうした視点を忘れずに事実認定に臨む必要があるだろう。
今回の再審では、検察側が争う姿勢をみせなかったにもかかわらず、地裁はかつて菅家さんを取り調べた検事らの証人尋問を実施した。取り調べを録音したテープを法廷で再生することも認めた。
こうした地裁の姿勢は、冤罪を引き起こした原因の究明に一定の役割を果たしたといえよう。今後のモデルケースとしたい。
(2010年3月27日02時28分 読売新聞)
日経新聞 冤罪を繰り返さないために
2010/3/27付
女児が誘拐され殺された足利事件で冤罪(えんざい)を被り、17年半も服役させられた菅家利和さんに再審無罪の判決があった。
無期懲役刑を確定させた最高裁まで3回の裁判と、最初の再審請求裁判とで、誤判は計4度続いた。ようやく真実に光が当てられたのは再審請求の抗告審(東京高裁)で、元の裁判の有力証拠だったDNA鑑定をやり直した結果だ。
しかし、誤判の最大の原因は、精度が低いうえに判定手法にも疑問のあった、当時のDNA鑑定を過信したことではない。「自白は証拠の王」とする古い発想から抜けきれない捜査と裁判のあり方が、無実の人に罪を着せたのである。
捜査官は、精度の貧弱なDNA鑑定を菅家さんに突きつけて虚偽の自白をとった。法廷で自白を翻すと、検察官が拘置中の菅家さんを取り調べ自白を維持するよう迫った。この取り調べは、今回の無罪判決で違法と断じられている。
裁判官は、自白を翻した法廷での言葉よりも捜査官が作った自白調書を信用し、DNA鑑定を、精度が低いのを承知のうえで、自白の信用性を支える証拠として評価した。
再審の裁判では、取り調べを録音したテープが証拠になり法廷で再生された。それにより「明らかとなった、当時の取り調べの状況」を、無罪判決は、自白調書の信用性を減殺するものと認めた。
この事件は現在なら、裁判員裁判の対象だ。取り調べの実情など知らない裁判員に、捜査官への自白と法廷での否認のどちらを信じるかを決めてもらう場合、自白を得た取り調べの様子が分かる資料は不可欠の判断材料だ。取り調べを録音録画する「可視化」は、裁判員に誤判の重荷を背負わせないよう、早く実現させなければならない。
最近、警察庁の管理するDNA型記録システムに誤情報が登録された失態があった。警察がDNA検体を取り違えたのが原因だった。そんな雑な物証の扱いをしていては、自白に頼らない犯罪捜査など望めない。
冤罪を繰り返さないために、捜査当局には「可視化」を受け入れる意識変革と、捜査手法の改革が要るのではないか。
朝日新聞 菅家さん無罪―誤判防ぐ仕組み作りを
「足利事件」の再審裁判で、宇都宮地裁は菅家利和さん(63)に無罪判決を言い渡した。当時4歳の女児を殺害したなどとして逮捕されてから、菅家さんは17年半、自由を奪われた。裁判長は異例の謝罪を行ったが、償うことのできない重い年月だ。
菅家さんが「犯人」とされたために、結果的に真犯人はわからないまま、事件は時効を迎えた。殺害された女児や家族らの無念も計り知れない。
なぜ、こんな誤判が起きたのか。徹底した検証が必要である。
菅家さんが有罪とされたのは、いったん自白したこと、犯人のものとされるDNA型と菅家さんの型が「一致」したことが根拠だった。再審ではこのDNA型鑑定に証拠能力がなく、自白も信用性が認められないとした。
冤罪の原因は自白偏重と証拠の不十分な吟味に尽きる。足利事件はその典型だ。
自白について、菅家さんは長時間の調べに「疲れ果てて認めてしまった」と言っている。取り調べのつらさに耐えられず、捜査員に迎合してしまったのだろう。DNA型は、当時は「1千人に1.2人」を特定できる程度の精度だったが、間違っていると、多くの人が考えなかった。
捜査当局には自白に引きずられず、客観的証拠と付き合わせる基本を徹底してほしい。いま、DNA型鑑定の精度は極めて高くなった。しかし過信してはならない。標本採取には細心の注意が必要だし、将来の再鑑定に備えて厳重な管理も欠かせない。殺人罪などの時効が廃止される見通しの状況下では、なおさらのことだ。
そのうえで、取り調べを録音・録画する可視化を法制化することが一刻も早く必要だ。取り調べに弁護人が同席することも検討すべきだ。
冤罪事件は後を絶たない。再発防止のため、警察庁、最高検は検証作業をしている。足利事件についても近く公表される。それ自体は評価できるが、内部の調査だ。裁判所も捜査の誤りを見過ごした。その問題点を「再審」の枠組みだけで検証するのは難しい。
日本弁護士連合会は今回の判決を前に、調査委員会の設置を求める意見書を出した。誤判の原因究明とともに、防止のための方策を提言するための第三者による独立した公的機関として提案している。法務省、最高裁はきちんと受け止め、法曹三者で検討を始めるべきである。国会や政党も設置に向け動き出してほしい。
刑事裁判には裁判員制度が導入された。市民の新鮮な感覚で冤罪を防止しようという期待もこもる。それでも裁判員が間違わない保証はない。冤罪防止のための新たな仕組みづくりは急務である。それは菅家さんと、すべての冤罪被害者への最大の償いでもある。
『まるこ姫の独り言 菅家さん無罪確定で、東京新聞佐藤社会部長の手記』に書き込んだコメントを記事にし、エントリーします
菅谷さんの冤罪が晴れて、17年半経って、ようやく無罪となりました。
司法が自ら認めての無罪ではなく、支援者の弛まない努力の結果、司法は仕方なく認めたものです。
菅谷さんは、お上の威厳のために、17年半も監獄に閉じ込められ、自由を奪われました。
警察・検察は、足利近辺でおきた少女殺人事件で何ら実績を上げなかったため、事件から時間が経って、気の弱そうな菅谷さんを見つけ、犯人に仕立て上げ、科警研はDNA鑑定という新たな技術で自らの存在を主張するため、未熟な技術で犯人に仕立て上げ、一旦犯人にすると、無罪の証拠にも目もくれず、有罪に向けて一目散に走り出しました。
裁判所は、菅谷さんが無罪の主張を無視し、ひたすら同じ官僚仲間である検察しか信用せず、握りつぶしました。
DBA鑑定の精度が上がって、再鑑定の申請にも、自らの権威を守るため、裁判所は門前払いを喰らわせました。
当時のDBA鑑定は1000人に1人と言い訳をしているようですが、専門家によれば、当時の技術でも菅谷さんとは違うことが分かったはずで、科警研の読み取る技術が劣っていたと言います。
密室で閉じ込め、精神的に洗脳する、弁護士という援軍無しの孤独の闘い、長時間長日数の取り調べ、留置所という24時間監視体制等々、自白最優先主義による自白の強要・誘導が繰り広げられてきました。
何も、菅谷さんが迎合する性格だったからではなく、鹿児島志布志事件のように、10数人もが気の弱い人だったわけもなく、取り調べられるという弱者の環境を、強者である警察・検察が徹底的に利用し、精神的に締め上げられれば、よほどの悪人か意志の固い人でない限りは堪えきれません。
こういう取り調べ=犯人という、権的なやり方そのものが冤罪を生む原因です。
取り調べの全面可視化だけでなく、弁護士の立ち会い、留置所でなく拘置所に、拘束期間を短くすることなど、容疑者の人権への配慮が絶対、必要です。
軽微な犯罪で犯行を否定すれば、認めるまでは出さんぞと言うばかりの3週間も拘束されるなんて、警察・検察(お上)の権限は異常です。
裁判所は中立でなければならないのに、常に検察の側に立つ、お互いにお上という同じ立場を守ろうという意識が働くため、弁護側の言うことを信用しません。
裁判所の検察よりの立ち位置が冤罪の要因です。
ともに、お上の一員であり、お上=お神で、絶対正義であることから、過ちは絶対に認めません。
また、お上の価値観は民を指導するという価値観であり、一般国民と遊離する考えが基本になっており、国民感覚と大きなズレがあります。
ことの事実の正確性よりも、世を安定させたいという意識が働きがちになり、上から目線で判断する傾向も問題と思います。
重罰犯罪しか取り扱わない裁判員制度だけでは、お上意識を排除することには限界があると言えます。
裁判所では、仕事に追われて、膨大な調書を読むこともママならず、つい検察の調書を吟味する次官がなくて検察を信じてしまうことも冤罪が生まれる一因にもなっていると言われます。
法曹人口を増やしすぎて、弁護士が余っており、一方、裁判所では人が足りない、弁護士任官制度があるものの、ほとんど採用していないことから、もっと弁護士出身の裁判官を増やせば、お上でなく在野の視点でも裁判が増え、冤罪も減るのではないかと思います。
菅谷さんが無罪となっても言い続けているのは、菅谷さんを陥れた警察官、科警研の技官、検察官、裁判官が直接、誤って欲しいという言葉です。
現役の検察官、裁判官は謝りましたが、当事者であった警察官、科学警察研究所の検査官、検察官、裁判官の誰一人謝っていません。
ここに、冤罪を生む本質が隠されていると思います。
こういうお上体質だから、検察、警察、裁判所で今後冤罪を行わないとする対策は、絶対、お手盛りのものとなってザル同然になるでしょう。
第三者機関が調査し、対策を練ると言いますが、それに期待するしかないと言えるでしょう。
“過ち”と向き合う
メディアは、過ちを繰り返す可能性がある存在なのだということを、この事件の反省としてもう一度、肝に銘じたいと思います。その危うさを知り、立ち止まって考える記者を育てること、そして、昨春に始めた事件報道の見直しの中で、読者に約束した「逮捕された容疑者を、犯人と決め付ける報道の排除」を徹底すること。ささやかな決意であっても、私たちはまずそこから始めようと思っています。
冤罪を生んだ要因の一つに、マスコミの犯人報道も少なからず責任があると思います。
菅谷さんの場合でも、逮捕以後、警察や検察のハッキリしない情報を流して、菅谷さんを犯人かのような報道をせず、起訴後、菅谷さんの主張が聞けるようになってから、中立の立場で、菅谷さんの主張、検察の証拠をチェックし、特に、菅谷さんが無罪を主張したときに、無視するのではなく、証拠を洗い直しできたはずで、科警研のDNA鑑定技術の未熟さを指摘できたかもしれないし、世論が変わったかも知れません。
警察や検察のすることを鵜呑みにせず、中立の立場で見ていて、自分たちでいろいろ調べていたなら、相当変わっていたでしょう。
検察・検察とのマスコミの馴れ合い、持ちつ持たれつの関係が、検察・検察情報を鵜呑みにしてしまうのだろうと思います。
馴れ合いの元凶が、記者クラブ制度です。
記者クラブは無料で部屋と光熱費等を検察・検察に与えて貰い、検察・検察の所属するメディアだけが情報を得るというメディアの特権階級なのです。
冤罪を防ぐために、記者クラブは解散すべきなのです。
メディアは自らの責任を言及しているかどうかを足利事件の社説を調べてみました。
・東京新聞 「報道する者も、捜査側だけでなく、被告側の主張にも十分に耳を傾けねばならない。」
・毎日新聞 「報道機関の責任も免れない。菅家さんの逮捕時、犯人視報道があった。もっと早く菅家さんの声に耳・を傾けてほしかったとの批判もある。今後に生かしたい。」
・産経新聞 「また捜査段階でのメディアの報道についても行き過ぎがなかったか、再検討する必要がある。」
・朝日新聞、読売新聞、日経新聞はメディアの責任に言及無し。
どの新聞も、冤罪の原因は検察と裁判所にあると指摘し、マスコミついての責任は付加的に記しています。
毎日と東京はまだまともですが、産経は責任を先送りし、朝日、読売、日経は責任から逃げています。
裁判で白黒を付けるまでは推定無罪であること、被告と検察が対等に事実を争える裁判になってからが事件報道の中心であること、これらの原則を守って中立的に報道すれば、マスコミが起こす報道被害は勿論、警察の自白に頼る捜査や不十分な証拠を指摘したりして、冤罪事件は減ると思います。
マスコミは人権意識を高め、ルールを守って報道しないと、マスコミ離れはどんどん進むでしょう。
批判だけのマスコミの無責任な部外者的な姿勢が、社会を構成する当事者であるはずの視聴者の部外者的姿勢を作りだし、誰もが無責任な社会を作っていると言えます。
大手新聞の社説を以下に掲載しておきます。
毎日新聞 社説:足利事件無罪 次は第三者で検証を
3人の裁判官が法壇上で菅家利和さんに頭を下げた光景が、この裁判のすべてを物語る。
足利事件の再審公判で菅家さんに無罪が言い渡され確定した。いわれのない罪で逮捕され、17年半も自由を奪われた菅家さんにやっと春がきたことを心から喜びたい。
昨年10月に再審公判が始まった際、検察側は最小限の審理で早く判決を言い渡すべきだと主張した。一方、弁護側は誤判の理由を法廷で明らかにするよう求めた。
宇都宮地裁は、弁護側の主張通り、「当初のDNA鑑定は未熟」とする鑑定人を尋問し、検事の取り調べテープも法廷で再生した。一定の検証がされたと評価できよう。
無罪確定が遅れた責任は裁判所にある。弁護側が拘置中の菅家さんの毛髪を鑑定に出し、被害者の着衣に残っていたDNA型と一致しないとの結果が出たのは97年だった。
だが、最高裁は00年、鑑定に言及せず上告を棄却して無期懲役が確定した。宇都宮地裁が再審請求を棄却するのはさらに8年後である。この間、05年に公訴時効が成立した。釈放が遅れただけでなく、真犯人を逮捕する機会も失ったのである。
佐藤正信裁判長は「裁判官として誠に申し訳なく思います」と謝罪した。裁判官の謝罪は異例だが、やはりけじめは必要だった。
ただし、これで冤罪(えんざい)の全容解明にはなるまい。警察はどう自白を迫ったのか。菅家さんと型が一致したと結論づけた当初のDNA鑑定の証拠能力はどう検討されたのか。裁判所の再鑑定決定の判断が遅れたのはなぜか。いくつもの疑問が残る。
各機関の内部調査では限界がある。日本弁護士連合会は今月、「誤判原因を究明する調査委員会」の設置を求める意見書をまとめた。第三者の目で検証しようとの提言だ。実際に海外では行われている。政府はぜひ設置に動いてほしい。
最新のDNA鑑定により米国では昨年6月時点で240人の冤罪が晴らされ、うち17人が死刑囚だという。一方で、神奈川県警がDNAの誤登録が原因で別人の逮捕状を取る事態が最近発覚した。精度が上がっても、扱うのは人であり過信は禁物だ。
DNA鑑定に携わってきた科学者や科学警察研究所の技官は、事件を検証してほしい。それが最先端の技術を今後に生かす道だ。
教訓は多岐にわたる。自白偏重の捜査へ警鐘を鳴らした。テープ再生は、取り調べの全面可視化の必要性を改めて示した。報道機関の責任も免れない。菅家さんの逮捕時、犯人視報道があった。もっと早く菅家さんの声に耳を傾けてほしかったとの批判もある。今後に生かしたい。
産経新聞 【主張】足利事件 冤罪なくす教訓にしたい
2010.3.27 04:17
足利事件の菅家利和さんの無罪が確定した。法曹界全体をはじめ事件の関係者が猛省し、冤罪(えんざい)防止に向けて最大の努力を行わねばならない。
菅家さんは栃木県足利市で平成2年に4歳女児が殺害された事件でいったん無期懲役が確定した。昨年6月、17年半ぶりに釈放され、宇都宮地裁は無罪を言い渡した。今回は、それを法的に決着させるための再審判決だった。
従来の再審は、被告の名誉を早期回復することが目的とされた。しかし足利事件では、菅家さんと弁護側が冤罪となった原因の究明を主張し、同時に、誤った判断を下した裁判官の謝罪なども求める異例のケースとなった。
担当した同地裁の佐藤正信裁判長は、菅家さんの心情に最大限に配慮したといえる。取り調べ検事の証人尋問や、取り調べの模様を録音したテープを再生し、法廷で証拠調べする措置をとったのも、その表れだった。
この日の判決で、捜査段階の有力な証拠とされたDNA型鑑定の科学的信頼性が否定され、証拠能力も認められなかった。菅家さんの自白も、この旧鑑定の結果を告げられたことによるものであり、信用性は皆無であると結論づけた。当然の判断だろう。
判決文を朗読した佐藤裁判長は菅家さんに、「17年半もの長きにわたり自由を奪う結果となり、誠に申し訳ない」などと謝罪し、深々と頭を下げた。裁判官として、精いっぱいの反省の気持ちを伝えたものと理解したい。
取り調べを担当した警察・検察当局ばかりでなく、DNA型鑑定に何ら不信を抱かなかった裁判所の責任も大きい。最高裁は平成12年の上告審で、「DNA型鑑定は科学的に信頼される方法で行われた」として、菅家さんの上告を棄却する決定を下した。
この段階でもう少し慎重に審理し、鑑定結果に疑問を持てば、もっと早く菅家さんを救済できたかもしれない。
また捜査段階でのメディアの報道についても行き過ぎがなかったか、再検討する必要がある。
菅家さんは無罪が確定したが、事件は真犯人が不明のまま時効になった。足利市周辺では昭和54年以降、女児計4人が殺害され、いずれも未解決のままだ。
捜査当局は、冤罪防止に細心の注意を払いつつ、凶悪事件の解決に全力を傾けてもらいたい。
読売新聞 「足利」再審無罪 菅家さんの無念を冤罪防止に(3月27日付・読売社説)
3人の裁判官が立ち上がり、「誠に申し訳なく思います」と謝罪した。この極めて異例の光景を教訓に、司法界全体が冤(えん)罪(ざい)の再発防止に努めねばならない。
1990年に4歳の女児が殺害された足利事件の再審で、宇都宮地裁は菅家利和さんに無罪を言い渡した。検察側が上訴する権利の放棄を地裁に申し立て、受理されたため、菅家さんの無罪がようやく確定した。
無罪になったとはいえ、いったんは無期懲役が確定した菅家さんは17年半もの間、拘置・服役を強いられた。事件の時効が既に成立しているため、仮に真犯人が分かっても、立件はできない。
こうした事態を招いたことは、司法界の大きな汚点である。
女児のシャツから検出されたDNA型と菅家さんの型が一致するという鑑定結果と、菅家さんの自白が立証の両輪だった。
これに対し、判決は、DNA鑑定の結果について、「証拠能力が認められない」と判断した。自白についても、「信用性が皆無であり、虚偽であることは明らか」と結論付けた。
当時のDNA鑑定は、現在よりも格段に精度が劣っていたが、捜査現場では犯人を割り出す新兵器として期待されていた。
DNA鑑定への過信と、鑑定結果を示して自白に追い込む捜査手法が招いた冤罪といえる。
警察庁、最高検は足利事件の捜査の検証結果を近くまとめるが、求められているのは、自白偏重の捜査からの脱却である。取り調べを録音・録画する可視化のあり方についても、議論を深めていく必要があろう。
菅家さんは、当初の公判の途中で否認に転じた。最高裁に至るまで、自白の信用性に疑問を抱かなかった裁判所の責任も極めて重いことは言うまでもない。この日、裁判長も「真実の声に耳を傾けなかった」と語った。
自白は、捜査当局の誘導や強要によるものではないのか。裁判員裁判が始まった現在、裁判員もこうした視点を忘れずに事実認定に臨む必要があるだろう。
今回の再審では、検察側が争う姿勢をみせなかったにもかかわらず、地裁はかつて菅家さんを取り調べた検事らの証人尋問を実施した。取り調べを録音したテープを法廷で再生することも認めた。
こうした地裁の姿勢は、冤罪を引き起こした原因の究明に一定の役割を果たしたといえよう。今後のモデルケースとしたい。
(2010年3月27日02時28分 読売新聞)
日経新聞 冤罪を繰り返さないために
2010/3/27付
女児が誘拐され殺された足利事件で冤罪(えんざい)を被り、17年半も服役させられた菅家利和さんに再審無罪の判決があった。
無期懲役刑を確定させた最高裁まで3回の裁判と、最初の再審請求裁判とで、誤判は計4度続いた。ようやく真実に光が当てられたのは再審請求の抗告審(東京高裁)で、元の裁判の有力証拠だったDNA鑑定をやり直した結果だ。
しかし、誤判の最大の原因は、精度が低いうえに判定手法にも疑問のあった、当時のDNA鑑定を過信したことではない。「自白は証拠の王」とする古い発想から抜けきれない捜査と裁判のあり方が、無実の人に罪を着せたのである。
捜査官は、精度の貧弱なDNA鑑定を菅家さんに突きつけて虚偽の自白をとった。法廷で自白を翻すと、検察官が拘置中の菅家さんを取り調べ自白を維持するよう迫った。この取り調べは、今回の無罪判決で違法と断じられている。
裁判官は、自白を翻した法廷での言葉よりも捜査官が作った自白調書を信用し、DNA鑑定を、精度が低いのを承知のうえで、自白の信用性を支える証拠として評価した。
再審の裁判では、取り調べを録音したテープが証拠になり法廷で再生された。それにより「明らかとなった、当時の取り調べの状況」を、無罪判決は、自白調書の信用性を減殺するものと認めた。
この事件は現在なら、裁判員裁判の対象だ。取り調べの実情など知らない裁判員に、捜査官への自白と法廷での否認のどちらを信じるかを決めてもらう場合、自白を得た取り調べの様子が分かる資料は不可欠の判断材料だ。取り調べを録音録画する「可視化」は、裁判員に誤判の重荷を背負わせないよう、早く実現させなければならない。
最近、警察庁の管理するDNA型記録システムに誤情報が登録された失態があった。警察がDNA検体を取り違えたのが原因だった。そんな雑な物証の扱いをしていては、自白に頼らない犯罪捜査など望めない。
冤罪を繰り返さないために、捜査当局には「可視化」を受け入れる意識変革と、捜査手法の改革が要るのではないか。
朝日新聞 菅家さん無罪―誤判防ぐ仕組み作りを
「足利事件」の再審裁判で、宇都宮地裁は菅家利和さん(63)に無罪判決を言い渡した。当時4歳の女児を殺害したなどとして逮捕されてから、菅家さんは17年半、自由を奪われた。裁判長は異例の謝罪を行ったが、償うことのできない重い年月だ。
菅家さんが「犯人」とされたために、結果的に真犯人はわからないまま、事件は時効を迎えた。殺害された女児や家族らの無念も計り知れない。
なぜ、こんな誤判が起きたのか。徹底した検証が必要である。
菅家さんが有罪とされたのは、いったん自白したこと、犯人のものとされるDNA型と菅家さんの型が「一致」したことが根拠だった。再審ではこのDNA型鑑定に証拠能力がなく、自白も信用性が認められないとした。
冤罪の原因は自白偏重と証拠の不十分な吟味に尽きる。足利事件はその典型だ。
自白について、菅家さんは長時間の調べに「疲れ果てて認めてしまった」と言っている。取り調べのつらさに耐えられず、捜査員に迎合してしまったのだろう。DNA型は、当時は「1千人に1.2人」を特定できる程度の精度だったが、間違っていると、多くの人が考えなかった。
捜査当局には自白に引きずられず、客観的証拠と付き合わせる基本を徹底してほしい。いま、DNA型鑑定の精度は極めて高くなった。しかし過信してはならない。標本採取には細心の注意が必要だし、将来の再鑑定に備えて厳重な管理も欠かせない。殺人罪などの時効が廃止される見通しの状況下では、なおさらのことだ。
そのうえで、取り調べを録音・録画する可視化を法制化することが一刻も早く必要だ。取り調べに弁護人が同席することも検討すべきだ。
冤罪事件は後を絶たない。再発防止のため、警察庁、最高検は検証作業をしている。足利事件についても近く公表される。それ自体は評価できるが、内部の調査だ。裁判所も捜査の誤りを見過ごした。その問題点を「再審」の枠組みだけで検証するのは難しい。
日本弁護士連合会は今回の判決を前に、調査委員会の設置を求める意見書を出した。誤判の原因究明とともに、防止のための方策を提言するための第三者による独立した公的機関として提案している。法務省、最高裁はきちんと受け止め、法曹三者で検討を始めるべきである。国会や政党も設置に向け動き出してほしい。
刑事裁判には裁判員制度が導入された。市民の新鮮な感覚で冤罪を防止しようという期待もこもる。それでも裁判員が間違わない保証はない。冤罪防止のための新たな仕組みづくりは急務である。それは菅家さんと、すべての冤罪被害者への最大の償いでもある。