カプアン通信

雪の想い出

日曜日のいぬ親会でのしつけ教室で、
印象に残ったお話がありました。

皆さんのわんちゃんは、きっと「オスワリ」ができると思いますが
お座りの状態から数秒で立ち上がってしまうのは
正しい「オスワリ」ではない、と先生はおっしゃるのです。

正しい「オスワリ」は「ヨシ」の解除があるまで、座り続けられるのが
正しい「オスワリ」だそうです。

実はこれができないと、命にかかわることがある。と先生は脅かします。

たとえば散歩中、なにかのはずみで、リードを放してしまい
わんこが車道を渡って、向こうの歩道まで行ってしまったとします。
再度、主人のもとに戻ろうと、車道に出ると轢かれる可能性があります。
離れた場所でも「スワレ」のコマンドで、その場を動かなければ
大事にならずにすみます。

勉強になるお話でした。



さて、昨夜は、関東地方にはかなりの雪が降りました。
東京都心部でも、積雪の恐れがある、と聞き
いつも中庭で、カプアンの足を拭くときに使っている、折畳みテーブルを
かたつけて雪に備えましたが、さいわい、気温が下がらず
都心では、雪は積もりませんでした。

今朝、折畳みテーブルを組み立てようとしたら、足が1本取れました。
可動部の金属部品が腐食していたのです。
カプアやアンジェロを乗せているときでなくて、ほんとうによかったです。



雪には忘れられない想い出があります。
もう何度もお話していますが、カプアとアンジェロと出会う前に
サリーというシェルティー犬と一緒に暮らしていました。



サリーとのはじめての遠出。小金井公園のお花見で


サリーのことは1年前のブログに詳しく書きました。
よろしければ、どうぞご覧ください。



10歳をすぎてから我が家にきたサリーは
食事と散歩の時間以外は、毎日ほとんど寝てばかりでした。


4年前の冬から春になる時期に、老犬サリーは癌にかかり闘病中でした。
乳がんの手術をし、転移の可能性が高いことがわかり
抗がん剤治療もしましたが、激しい副作用が起こり、すぐ中止しました。

西洋医学では回復の見込みがなく
鍼治療や、ホメオパシーによる治療もしましたが
あとすこしで春になる、という時期に、立てなくなり
ある日、獣医さんから今日明日がヤマでは。と言われました。

それまで、朝、動物病院にサリーを運び、夕方まで点滴してもらい
夜は自宅で、徹夜で看病という毎日でしたが
サリーの状態がとても悪くなった日に、大雪の予報があり
私は、翌日の治療の中止を決断しました。
東京の道はすこしの雪でも、大渋滞になったりします。

翌朝、サリーのまわりに家族みんなが集まり
私と妻で、からだの向きを変えてあげた瞬間
サリーは、私の腕の中で息をひきとりました。

外から、朝の光がさしこみ
ちらちらと雪が舞っているのが見えました。


ちょうど4年前の3月4日の朝のことです。

サリーとの別れは辛く悲しいできごとでしたが
あの臨終の瞬間は、とても神々しい光景として
記憶に残っています。



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活くんが横浜市瀬谷区東野付近から迷子になっています。
はやく無事見つかるよう願っています。目撃情報相次いでます。
活くんに似ているわんこを見かけましたら、上記写真をクリックして
捜索ポスターの連絡先まで、どうかご一報ください。

活くん以外にも、迷子になっている犬猫がたくさんいます。
上記写真にリンクしております。どうかご協力をお願いします。

コメント一覧

カプアンパパ
kikuさん
叔父さまのお家のシェルティーちゃん、
よくなるといいですね。
「犬歴」のお話読ませていただきました。
犬は人間の数分の一の時間しか生きることができませんが、その一生は、人間と変わらず崇高なものだと思います。
家族である犬を看取ることは、とても悲しい経験ですが、命の大切さや、家族をどう送ってあげるかなど、いろいろなことを人間に教えてくれると思います。
大切なお話を聞かせていただき、ありがとうございました。
カプアンパパ
べこままさま
コメントありがとうございます。
私も、べこままさんのブログいつも読み逃げしております。
そうですか、先代のわんちゃんは、シェルティーでしたか。
サリーは、家族で看取ることができましたが、それまでの犬たちは、みんな庭で独りで逝ってしまったので、かわいそうなことをしたと思っています。

ラッキーちゃんが急に旅立たれてしまったのは、辛い思い出ですね。
でも、母さまに長年寄り添って暮らすことができて、ラッキーちゃんは幸せな犬生だったことでしょう。

ところで、べこままさんは山形旅行に行かれたのですね。サリーが亡くなってから、傷心旅行ではないですが、銀山温泉に泊まりました。山形はいいところですね。
カプアンパパ
マックははさま
コメントありがとうございます。
ほんと、おっしゃるとおり!サリーがアンジェロやカプアと巡り逢えさせてもらったと思っています。
マックははさんは、ごん太くんを一年半も介護されたのですか、大変な経験をされましたね。ははさまの腕の中で旅立っことができて、ごん太くんも幸せだったのでは。

我が家の近所に、マックくんのキョウダイになる予定だった子ですか!ミッドタウンは散歩コースですから、会えるかもしれませんね。
近所に、保護犬仲間が増えるのはうれしいです。お知らせありがとうございます。
kiku
http://narugamgen.a-thera.jp/
叔父の家にも12歳のシェルティーが居て現在ガンと闘っています。
初めてのワンコで1人息子状態なので長生きしてもらいたいです。
やはり抗がん剤が合わなくなって今はやめたそうです。
高齢の祖母も居るので近々またお見舞いに行きたいと思います。

我が家では1年半前に先代犬を亡くしました。
最期、きちんと看取らせてもらえました。
本当に悲しく辛い出来事でしたし、今思い出しても
涙がこぼれそうですが、最期までうちの子でいてくれて
本当にありがとうという気持ちでいっぱいです。
べこまま
いつも読み逃げでした、ごめんなさい。
サリーちゃんもシェルティーだったんですね。
うちの先代犬もシェルティーのラッキーでした。
サリーちゃんは雪の日にみんなに見守られて虹の橋に行ったんですね、辛いけれどよかったです。
ラッキーは14歳で桜が満開の時にたった1人で突然逝ってしまいました。
私が出かける朝にいつもの通り見送ってくれたのに、
超々マザコン犬だったのに、私の帰りを待たずに
いえ、待ちながら玄関で亡くなっていました。
帰宅したときのあの衝撃は今でも消えません。
傍にいてあげることが出来なかったことは
本当に悔やまれます。
べす・こたに癒されているのに桜が満開になると
いつも悲しくなります。
 
マックはは
皆さん、先代犬の想い出は様々だけど想いは同じなんですね。
サリーちゃんがいたから、サリーちゃんのお陰でアンジェロくんとカプアちゃんにめぐり逢った、そう感じました。
我が家も先代犬ごん太のお陰でマックと出会ったと思っています。
亡くなるまでの一年半は介護でそれはそれは大変でしたけれど、最期はワタシの腕の中で息絶えて・・・
彼にはたくさんの想い出をもらって感謝しています。

ところで、マックそっくりな女の子がお宅の近くにお嫁入りしたんですよ!
“いつ里・・・”で彼女の存在を知り、マックの兄弟にと父さんとも考えていたんですが、我が家の現状を思い、泣く泣くあきらめたんです。
ミッドタウンにお住まいの漫画家さんとご縁があり、まもなくトライアル終了となります。
彼女にとってまさに良縁。
もし、行き会ったら声を掛けてくださいね。
預かりさんのブログは『ママさがし』、可愛い写真が載っていますのでよろしくね♪
カプアンパパ
nao*さん
http://blog.goo.ne.jp/angelopapa/
コメントありがとうございます。
私もサリーからのメッセージだと思ってながめてました。
カプアとアンジェロは、たまに、誰もいない中庭や、部屋の隅を
不思議そうに見つめていることがあり、そんなとき我々は
「サリーおばさんが来たの?」って聞きます。

昔の犬飼いはどこもそうでしたね。実家の犬たちも皆、外飼いでしたから雨戸を閉めるときの悲しげな顔や、ガラス戸をガンガン手で叩く音、いまでも覚えています。
ジミーちゃん、素敵な名前ですね。我が家は、ジュリーに、メリーに、ポピーに、サリーでした。考えてみればみんな洋犬です。
ジュリーとメリーはA.コッカー。ポピーはホワイト・テリア。サリーがシェルティ。
アンジェロとカプアも和犬とは言い難いですね(笑)。

やめぴちゃん、ゆたくんは、きっと25歳くらいまで大丈夫ですよ!
nao*
雪は、天国からのお手紙なんだそうです。
あの日の雪は、きっとサリーちゃんがご家族に充てたお便りだったんでしょうね♪

私が子供の頃に飼っていたのは、柴犬ジミーです。
私と妹がいくらお願いしても、父は部屋にジミーを入れるのを
許してくれませんでした。
いつもリビング前のテラスに繋がれていて、
暑い夏も、寒い冬も、ガラス戸の向こう側から家族を見つめてました。
夜になると、鼻先で雨戸をピシャリと閉められてしまい、
ひとりぼっちで夜を過ごしていたジミーを思うと、
今さらながら、可哀想で、申し訳なくて、
母も、妹も、私も、後悔でいっぱいです。
でも、17歳の大往生でした。
やめぴと寛にも、20歳くらいまで頑張ってほしいです。

あ、なんか、自分のことばっかスミマセン。
つい思い出しちゃって ^^;


カプアンパパ
くぅママ☆さん
http://blog.goo.ne.jp/angelopapa/
いつもコメントありがとうございます。
私の父が犬好きのようで、サリーは4代目の犬でした。最初の犬は私が赤ちゃんだったので、よく覚えていませんが、他の犬たちはみんな思い出があります。
しかし、サリーも含めて皆、実家では外飼いだったので、室内飼いをはじめたときは試行錯誤の連続でした。
でも、そのおかげで、わんこと暮らす楽しさに目覚めることができたと思います。
日本中のわんこが、みんなニンゲンの家族と一緒に暮らせるようになったら、捨て犬なんてもっと減るんじゃないかな、と思います。
カプアンパパ
まろ母さま
http://blog.goo.ne.jp/angelopapa/
いつもありがとうございます。
まろ母さんの愛犬も、癌でしたか。
サリーは、抗がん剤を飲ました直後、なにかを恐れるようになり、穏やかで人を噛んだことがない犬でしたが、触ろうとした妻を噛みました。たぶん脳に転移していたので、副作用が増幅されたのだと思います。抗がん剤をやめたら、すぐによくなり、1週間くらいは、幸せな時間を過ごすことができました。犬の神様からの贈り物だったかもしれません。

先住犬のおかげで、いまの家族とめぐりあえた。という飼い主さんが多いですね。愛犬との別れは辛いですが、人間にとても大切なことを教えてくれると思います。
カプアンパパ
ロンママさん
http://blog.goo.ne.jp/angelopapa/
いつもコメントありがとうございます。
「マテ」がちゃんとできれば、外で、もしものときに助かりますね。
しつけの先生は、「オスワリ」は、解除をかけるまで「オスワリ」なので、「マテ」を号令する必要がないと言われましたが、そんな「オスワリ」を覚えさせるのは大変そうですね。

ロンママさん宅の愛犬も3月4日が命日でしたね。
サリーの最期も、それまで、まったく動けなくなってしまったサリーが、ゆっくり動きました。「元気になったのかな」と一瞬考えましたが、それがお別れの合図でした。
私も、30年前、40年前の飼い犬のことはよく覚えています。
学校の勉強なんて忘れてしまったのに。大事なことは皆、犬に教わったと思います。
くぅママ☆
カプアンパパさんはたくさんのワンコと暮らしてこられた方なんですね。
私は子供の頃からいつもまわりに動物がいましたが
自分で責任を持ってお世話をするのはキャンくぅが初めてです。老犬介護の経験もありませんしワンコの飼い主としては駆け出しです。
サリーちゃんは最後の瞬間まで大好きな家族に見守られ幸せな犬生でしたね。ここのお家の子で良かったと
ずっと思っていた事でしょう。
そしていつまでも忘れずにいてもらえる事を喜んでいるでしょうね。
いつか必ずワンコとのお別れの日は来ますが、その時に悔いなく送ってあげられるよう毎日一生懸命愛しています。。。 
カプアンパパ
幸多父さま
http://blog.goo.ne.jp/angelopapa/
いつもコメントありがとうございます。
私は、零細業者なので貧乏暇なしですが、サリーとの最期の数日間は、不思議と時間ができて、最期のお別れをすることができました。
室内で一緒に暮らしたのはサリーがはじめてでしたから、犬と人間は家族になれるんだと認識でき、アンジェロや、カプアと出会うことができました。サリーにはとても感謝しています。
幸多くんは、訓練を続けられてエライですね。カプアとアンジェロの両親はぐうたらなので、かわいそうです(笑)。
まろ母
我が家もおととしの夏に先代犬ロコを悪性リンパ腫で亡くしました。
それまで病気知らずの元気なオスのコーギーでした。
抗癌剤治療も試みましたが、吐き続け、まったく食べ物を受け付けなくなるという副作用で、腫瘍は小さくなっても体力が持たないのでは…と思うほどでした。
それでも半月ほどすると、少しずつ食べられるようになり、抗癌剤が効いていたことで日々元気を取り戻してくれました。
再度腫瘍ができるまでの1カ月は、うそのように元の元気なロコでした。
私たちにとって、贈り物のような1カ月でした。

今、愛犬まろと暮らしているのも、ロコとの日々があってこそです。
ロコには心から感謝しています。
長くなってすみません…。
サリーちゃんのことを読ませていただき
思い出してしまって…。
虹の橋で一緒に元気に走り回っていてくれたらいいな。。。
ロンママ
そっか~・・・と思わず思ってしまいました。私は今まで「座れ」は後回しになっていました。お散歩の途中で「座れ」の練習をすることが多かったのですが、できたら褒めて終わりでまた歩き始めていました。危険回避にはまず「待て」を教えていました。横断歩道などでは必ず「待て」のコマンドを出しています。
もし飛び出してしまって、遠くから「座れ」で待てることになるにはかなり大変そうです。

3月4日という文字を読んで、実家に電話してしまいました。30年前に愛犬が亡くなった日でした。いわゆる雑種で外飼いでした。フィラリアの予防薬を飲ませていたかもわかりませんし、ご飯も家族の残飯でした。それでも家族全員で可愛がっていました。いよいよ今夜・・・という夜、私はずっと寄り添っていました。ずっと丸くなって寝ていたのですが、ゆっくりと手足を伸ばしました。涙があふれて名前を呼び続けました。静かに静かに逝きました。30年たった今でも実家の仏壇には写真が飾られています。実家ではその子を最後にもう犬は飼っていません。でも犬小屋を処分してほしくなくて5年くらい誰もいない犬小屋がありました。こうしてコメントを書いていても思い出すことは尽きないです。もう30年も前のことなのに・・・。
幸多父
サリーちゃんの話、泣けますね。。犬は何かを感じるんでしょうね。昔飼っていた先代犬も私と姉が独立してから亡くなったのですが、姉と私が実家に行く日を待っていたかのように息を引き取りました。悲しい思い出ですが、先代犬のおかげで今の幸多との楽しい生活があるのかな、と先代犬には感謝しています。
トレーナーさんの話は、「あ、そうか!」と思わされますよね。うちもたまに訓練を受けて飼い主の気を引き締めるようにしてます(汗)
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