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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

最も印象に残った球児   9.茨城

2012年07月12日 | 高校野球名勝負

最も印象に残った球児

9.茨城



石田 文樹   投手  取手二    1983年 春   1984年 春 夏


甲子園での戦績

83年春   1回戦    ●  5-6    泉州(大阪)      
84年春   1回戦    〇  8-4    松山商(愛媛) 
         2回戦    〇  4-2    徳島商(徳島)
        準々決勝   ●  3-4    岩倉(東東京)
    夏  2回戦      〇  5-3    箕島(和歌山)
        3回戦     〇  8-1    福岡大大濠(福岡)
        準々決勝   〇  7-5    鹿児島商工(鹿児島)
        準決勝     〇  18-6   鎮西(熊本)
        決勝      〇   8-4    PL学園(大阪) 


『西のPL 東の取手二』
これが84年のセンバツの前の前評判でした。

前年の83年夏に全国制覇した投打の主役、桑田・清原を擁するPL学園は、
その後も甲子園を席巻する『巨大勢力』でしたが、
唯一このPLに対抗する学校として挙がったのが取手2。

ベテラン木内監督は、
この大会まで4回の甲子園でその戦績はわずか1勝4敗。

関東では少しは知られた監督さんでしたが、
全国的にはまだまだ無名の監督でした。

その木内監督が、
『今年のうちは強い』
と豪語していたのがこのチーム。

前年の83年センバツにも出場していましたが、
その時のメンバーがほとんどそっくりと残り、
関東大会を圧倒的な強さで制覇してのセンバツでした。

特にエースの石田は、
その140キロを超える速球と切れのいい変化球で、
桑田と並び称され大会屈指との評判でした。

しかし直前に肩を痛めていた石田は、
このセンバツでは本領を発揮できず。

2試合に先発したものの、
本調子には程遠い内容でその評価を落としました。

選抜帰りの取手二は、
直後の関東大会では初戦敗退。
そして六月の招待試合では、
PLに完膚なきまでに抑え込まれ、
『もはや昔日の面影はない』
とまで評されて夏を迎えました。

特に石田は、
故障によって最後の夏は登板することが難しいとの報道でしたが。
案の定県大会ではほとんど登板がなく、
細かい継投によって勝ち上がるチームとの評で、
夏の本番を迎えます。

対戦相手は強豪・箕島。
長身の二枚の投手を擁する強豪で、
この大会の前は『本命・PL、対抗・箕島』とまでの評価を受けていました。

この箕島に対して、
終盤まで劣勢を強いられた取手二は、
8回にチャンスをつかむと、
一気に箕島の強力投手陣に襲いかかりました。

一気の連打で5点。
逆転でこの試合に勝った取手二は、
今までのすべての呪縛から、
解き放たれたようでした。

その後のノビノビとした試合っぷりは、
『ノビノビ野球』
と言われ木内監督を一躍甲子園の名将の地位まで押し上げました。

そして【絶対王者】PLとの決勝でも、
観客が期待する『予定調和』を破る勢いで桑田を襲い、
サヨナラのピンチでは石田が清原を見事な三振に仕留めました。

この時の石田の晴れやかな表情。

まさに『甲子園を楽しんでいる』とはこのことだと、
なんでだか、深く感銘を受けたのを覚えています。

延長でPLを破った取手二。

木内さんのこれまでの苦労と、
そのノビノビ野球のギャップが素晴らしいコントラストを奏でていました。

一つ心残りなこと。

それは、
ほとんど同じ時期に『甲子園の名将』となった木内監督と池田・蔦監督が、
最後まで甲子園で一戦交えることがなかったということです。

これも神様のいたずらなんでしょうが、
一度はこの【名将対決】見たかったなあ。

石田投手は、
数年前に若くしてこの世を去りました。

無念だったでしょう。

しかし彼のキップのいい投球、
そしてあの笑顔は、
いつまでたっても忘れることが出来ません。


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1 コメント

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ちなみに箕島は (パイプマン提督)
2012-07-16 22:17:31
この敗戦以降、夏の甲子園から姿を消すことに
なるんですよね。
この時はそんな事になるだなんて夢にも思いま
せんでした。
あの突然の雨の中での逆転劇は、今想い出して
も悔しいくらいです。
箕島にとって、あの試合が「ターニングポイント」
だったと言うことでしょう。
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