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選抜高校野球  名勝負 40年史  その2

2012年02月11日 | 高校野球名勝負

選抜高校野球40年史 名勝負の第2回です。


≪センバツ名勝負40年史≫ その2

第7位     第45回(S48)  準決勝     広島商 2-1 作新学院   

第7位は、広島商が【ザ・広商野球】で怪物・江川の無失点記録を止めて、破った試合です。
この年の春の甲子園は、いつもと違った異様な熱気に包まれていました。
その中心にいたのが、ご存じ甲子園が生んだ最大の怪物・江川卓でした。
140イニング無失点の記録を引っ提げて甲子園に初登場。

初戦で優勝候補の北陽を4安打16三振で一蹴した後、小倉南、今治西の両校に対しては2試合でわずか2安打しか与えない怪腕ぶり。
江川の投球は、
まさに怪物と呼ぶにふさわしかったと思います。

対する広商。
戦前からの名門中の名門で、足とバントで揺さぶりをかける広商野球は、
高校野球の代名詞みたいなものでした。

準決勝の第2試合は横浜vs鳴門工の対戦と決まっていましたので、
広島商が江川を崩せなければ江川の優勝は決まったも同然という空気の中、
試合は始まりました。

先攻の作新が5回に先制し、
試合は動き始めました。
『江川には1点あれば十分』と思われたすぐその裏、
広島商は反撃して1点を返しすぐさま同点に。

江川はヒットこそ許さないものの、
広島商の執拗な粘りに大苦戦。
合計8四球を与えるという、
およそ江川らしからぬ投球に終始しました。

蛇のようにしつこい広島野球の面目躍如。
そして舞台は8回へ。
この回2死2塁からの意表を突く3塁スチールに、
江川の女房役・小倉が焦って3塁へ暴投。
その間にランナーは勇躍ホームイン。
あの江川からなんと2点を奪った広島商が、
”難攻不落”の怪物を破った瞬間でした。

江川にとっても作新にとっても、
この春の選抜は『通常モード』で試合ができた最後の大会だったと思います。
この後江川はチームメートから完全に浮き上がり、
ナインも春から夏にかけてまるで打つ気をなくしたかのような貧打線になっていくのです。

作新学院にとって、
江川卓という存在は、
その後30年以上も低迷が続いた時代と相まって、
なんとなく斜のかかった存在に見えてしまいます。

あれだけの才能を持ちながら甲子園ではわずかに4勝しか挙げられなかった江川という存在は、
伝説の中に押し込められ、
それでもなお光を放ち続けるのです。



第6位     第76回(H16)  準々決勝   済美 7×-6 東北 

第6位には、まさかの大逆転3ランで決着した、
平成16年の済美-東北戦をあげました。

エースダルビッシュを軸に”東北勢初”の優勝に突き進む東北の前に敵はないと思われていました。
ダルビッシュの安定感は抜群。
特に2回戦で対戦した優勝候補の大阪桐蔭戦で、
ダルビッシュはその持っているポテンシャルを存分に発揮。
この難敵を乗り越えて、もはや東北のビクトリーロードに立ちはだかるものはいないと思われました。

そして準々決勝で対戦することになったのは済美。
打線好調とは言いながら、創立3年になるかならないかの初出場校。
とても東北にかなう相手ではない、というのが戦前の予想。

そしてその試合で、
東北のマウンドを任されたのは2番手の真壁。
このピッチャーも横手から鋭いボールを投げ分け、
大会の好投手の一人に上がるほどの存在でした。
東北の2枚看板の一人といってもよかったでしょう。

試合は終始東北ペース。
回が深まるにつれ、済美の勝つ可能性はほとんどないだろうと思われました。
しかしそこに落とし穴が待っていました。
6-2と東北4点リードで試合は最終回。
誰もが東北の楽勝と思われた試合の最終回で、
ドラマは待っていたのです。

まずは田所の3塁打などで2点を返した済美は、
2死で2人のランナーを置いて主砲・高橋に打席が回ってきました。

ワタシはその中継を見ながら、
『真壁は限界。ダルビッシュにかえろ』と思っていましたが、
最後まで若生監督は動かず。

そして魅入られたように真ん中に入ってきた速球を主砲・高橋が打ち返した打球は、
東北の高校野球ファンの悲鳴を乗せて、
風に乗ってレフトスタンドに飛び込むまさかの逆転サヨナラ3ランとなり、
勝負は大どんでん返しの末、決着したのでした。

まさかの結末で、
東北勢初の優勝旗は、
またしても白河の関を超えることはありませんでした。


         

第5位     第54回(S57)  2回戦     箕島 4×-3 明徳 (延長14回)   

昭和50年代の半ば。
和歌山の箕島高校という名前は、すでにその存在が和歌山県にとどまることはないほど、
天下にとどろきわたっていました。

昭和52年春に2度目の春全国制覇を成し遂げると、
翌53年に春夏連続出場。
その主力をごっそりとのこした54年は、
史上3校目の春夏連覇を達成しました。

そしてその年には、
あの延長18回を戦った星稜vs箕島戦で何度も奇跡を起こし、
『高校野球の代名詞』として箕島高校の野球、ユニフォーム、尾藤監督の名前は、
天下にとどろきわたっていました。
【箕島なくして高校野球は語れない】状況でした。

その箕島をして『部史上最強』と言わしめたのが、
この昭和57年のチーム。

とにかくすべてにおいてスキのない、
箕島野球の集大成のようなチームでした。

安定感抜群の2人の投手陣に破壊力抜群の4割打線。
守備の精度の高さも折り紙つきの上、
得意のバント、走塁で揺さぶることもできる。
おまけに采配を振るうのが、
甲子園の勝率が8割近い”天下の名将”尾藤監督。

これだけすべてにおいて揃っていたチーム、
過去に類を見ませんでしたね。

そして満を持して臨んだこの選抜。
箕島は初戦で『東西横綱対決』と言われた上尾との一戦に完勝すると、
2回戦では初出場の明徳と対戦することになりました。

この野球王国・高知代表の初陣・明徳。
全寮制で素晴らしい素材の選手が集まっているとの評判通り、
1回戦は完勝で2回戦にコマを進めてきました。

率いるのは高知商で数々の栄光を手にした老将・松田監督。
この70代中盤の監督が手塩にかけたチームが、
甲子園狭しと暴れまわる姿には、
『さすが野球王国・高知』の声しきりでした。

果たして試合は予想通りの大激戦へ。
箕島・上野山、明徳・弘田の好投で試合は12回まで両軍ゼロ行進。

両投手は、
特別速い球を持っているわけではありませんでしたが、
その制球力と変化球のキレは素晴らしく、
殆ど両チームの強打線が球をしっかりとらえることが出来ませんでした。

しかし延長13回を迎えてから、
試合の様相はがらりと変わっていきます。

まずは明徳の破壊力抜群の打線がついに上野山を捕らえ2点を先取。
しかし『奇跡のチーム』箕島が黙って引き下がるはずもありません。
すかさず2点を返して同点へ。
この反発力はどこから来るのだろうかと、
不思議になってしまうほど”追い詰められてからの箕島”は勝負強いものがあります。

14回に入り明徳が再び1点を勝ち越すと、
箕島もまた反撃。
3塁線を抜く最後のサヨナラヒット、
見事にとらえた一撃でした。

老将・松田監督は試合後のインタビューで、
『武蔵が小次郎に敗れた』
と、含蓄のある言葉を残して甲子園を去り、
その年の秋にユニフォームを着たまま倒れ、
この世を去りました。

名将・松田監督の最期の甲子園でした。

この試合で敗れた明徳はこの後、
紆余曲折を経て今なお甲子園の強豪として名をはせています。

反対にこの勝負には勝った箕島。
しかしこの後準々決勝でPLに敗れると、
夏の予選でもまさかの敗戦で”史上最強のチーム”で甲子園に戻ってくることはできませんでした。

そしてこの年をピークに徐々に力を落としていき、
昭和60年代に入るとパタリとその足音が甲子園で聞こえなくなってしまいました。

昭和60年代から現在までの30年弱の間、
箕島はわずかに春の選抜に2回出場があるだけ。
今和歌山は、
毎年出場しては活躍するオレンジ軍団・智弁和歌山の天下となっています。

『いつ箕島が巻き返すのか』
ずっと和歌山はおろか、全国のファンはまっていると思います。
しかしその姿を見せることなく、
昨年尾藤監督が亡くなったのは、
記憶に新しいところです。

この試合は、
箕島が最後に輝いた試合と言えるかもしれませんね。




第4位     第60回(S63)  3回戦     宇部商 2-1 中京    

この試合ほど”悲劇”が似合う試合もないでしょう。
そして”普通の県立校”である宇部商業というチームが、
なぜこうも甲子園によく出場して活躍できるのか、
そのヒントがぎっしり詰まった試合だと思います。

中京のエースは木村(元巨人)。
前年の夏、2年生ながらエースで甲子園のマウンドを踏んだ彼は、
小気味のいい速球と変化球を駆使してチームをベスト8まで導きました。

その彼がマウンドに仁王立ちする新チームは、
中京にとって久しぶりに【全国制覇】を視野に入れることが出来るチームだったような気がします。
戦前の予想でも、
中京は優勝候補の一角にがっちりとその名前を刻んでいました。

一方の宇部商。
3年前の夏、記憶に新しい桑田・清原の”最強PL"を向こうに回して一歩も引かない戦いを繰り広げたのが、
人々の脳裏にくっきりと鮮やかに残っているころでした。

試合は中京・木村が素晴らしいピッチングを展開。
まったく宇部商に付け入るすきを与えず、試合は終盤へ。

宇部商の左腕・木村も負けず劣らずの好投を見せていたものの8回についに中京打線につかまり、
先制点を奪われてしまいます。

9回を迎えて1-0と中京リード。

しかしそれ以上に、
観衆はザワザワが止まりませんでした。

なんと中京の木村投手。
ここまで一人のランナーも許していない。
すなわち、
完全試合のペースで来ていたからです。

大記録を前に、
観衆のザワザワがピークに達し、
9回の宇部商の攻撃は始まりました。

木村は淡々と、
表情を変えずにまずは1アウト。
しかしそこで8番打者にライト前に運ばれついに完全試合はならず。

そしてそのあと、
悲劇が彼を襲います。

2死1塁となった後、
トップに戻った坂本が渾身の力を込めた打球はレフトラッキーゾーンへ。

木村投手は、
完全試合寸前から大逆転負けという悲劇を背負わされてしまったのでした。

しかしその勝った宇部商も、
次の準々決勝では波に乗る宇和島東に最終回まさかの逆転サヨナラ負け。

その悔しさを持って乗り込んだその年の夏、
今度は東海大甲府相手に、
9回1年生宮内が代打逆転3ランをたたき込み、
試合をひっくり返しました。

そして準々決勝では延長11回、
『さわやか』の形容詞のついた浦和市立にまさかの敗退。

この頃の宇部商は、
まあ何かドラマを残さないと甲子園を去らない、
素晴らしくドラマチックなチームでしたね。

その伝統は脈々と受け継がれているようなので、
また近いうちに甲子園で彼らの試合を見たいものです。

 

<第2回 了> 


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