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16年目突入。ビッグイベントに心躍らせながら、草の根のスポーツの面白さにも目覚めている今日この頃です。

すごい男の唄

2018年04月25日 | プロ野球

日本プロ野球の歴史を作った”鉄人”衣笠祥雄氏が亡くなりました。71歳でした。

このニュースを目にしたとき、
本当に「まさか」という言葉が頭の中を駆け巡り、
絶句してしまいました。

まだまだ若いと思っていた衣笠氏。
とにかく体が強い「鉄人」というイメージしかありませんでしたから、
この若さでこの世を去ってしまったことが、
全く頭の中で結び付けられませんでした。

大ショックです。


ワタシの中で、
衣笠氏と言って思い出すのは、
「すごい男の歌」です。

ビールの宣伝で歌われていたこの曲、
♪すっごい男がいたもんだ~
で始まってサビの部分では
♪ビールを回せ~底まで飲もう~
と歌われます。

若いころのワタシのカラオケでの定番ソングだったのですが、
ワタシはこの歌を聴きながらいつも頭の中でイメージしていたのが、
衣笠祥雄さんでした。

本当にすごい!
といえば衣笠さんと王さんしかいない・・・・・
そんなことを思っていた、若い時代でした。


『鉄人』
と評された衣笠さん。

ワタシも彼のことを注目して見始めたのはあの赤ヘル旋風の年、75年ですね。
それまではたまに巨人戦の映像をちらっと見るだけの存在でしたが、
あの年、赤いキャップをかぶった「赤ヘル軍団」にはワタシも魅了され、
にわかファンの一人として熱狂しました。

忘れもしないのは、
なんといってもオールスターでの山本浩二との「2打席連続アベックホームラン」ですね。
すごかったなあ。。。。。

その年好調なカープでしたが、
野球ファンはそれでも「広島が走っているんだから、必ずいつかは落ちてくる」
と思っていたように感じます。

それがこのオールスターでの出来事を境に「今年の広島はホンモノだ」に変わり、
それから優勝へのムードが盛り上がっていったことを記憶しています。

プロ野球が「お父さんや男の子たちの生活の中心」であった時代。
赤ヘル旋風はもうなんというか、
”プロ野球新時代”って感じでしたかね。
さわやかな風でした。

そんな中での衣笠さん。

初優勝のときのホプキンス・山本浩二・シェーンらと組む中軸はすごい迫力でした。
衣笠はイメージとしては、
山本浩二の後を打つ5番か6番に座って、
長打力を発揮している選手という感じでした。

何しろ毎日必ず出続けてくれるの・・・
というか、
ファンとして故障の心配が全くない選手というのは、
本当に心強い選手で、
それだけでもう…大ヒーローでしたね。

79・80年の連覇のときは、
高橋慶・山崎の俊足1・2番を山本浩二・水谷・ライトル・ギャレットらとともに支え、
猛爆打線の一員でした。
今見てもすごい打線です。
どこからでも長打が飛び出すし、足も使える打線。。。。。
プロ野球史に残る打線だと思います。

そしてあの「江夏の21球」の場面では、
ノーアウト満塁の絶体絶命のピンチで、
ブルペンで次の投手を作っているのを見た江夏が「俺を信用できんのか!」と頭に血を登らせていると、
衣笠が1塁からマウンドにやってきて「お前が辞めるんなら俺もやめる。今はとにかく投球に集中しろ」と江夏をクールダウンさせたというのは、
あまりにも有名な話です。

そして2131試合連続出場記録を作り、
それを2215試合まで伸ばし、
球界を去りました。

あのルー・ゲーリックの記録を破り、
あのカル・リプケンJrに破られた衣笠の記録、
すごいです。すごすぎます。

カル・リプケンJrが衣笠の記録を破った時は、
5回に試合が成立した時、
ボルティモアでは試合途中にもかかわらず盛大なセレブレーションを行いました。

ワタシもその中継をじっと見ていましたが、
途中で衣笠が駆けつけて、
ワタシも感慨深かったのを覚えています。

リプケンも衣笠もそしてルー・ゲーリックも、
本当に「紳士」そのもののたたずまいでその現役時代を駆け抜けていった選手で、
「試合に出場し続けるということは、かくも偉大なことなのだ」
ということがワタシの胸にも刻まれました。

それから衣笠といってワタシの記憶り刻み込まれているのは、
なんといっても84年のシーズン。

それまでは好成績を残す中心選手でいながら、
どこか脇役的な立ち位置だった衣笠が、
この年だけは本当に大爆発。
主役の中の主役に躍り出たシーズンでした。
天王山となった中日戦で、
うろ覚えではありますが、
確か決勝のヒットを放ったのが衣笠だったような。。。。。。

次の日のスポーツ紙は、
久しぶりに広島の話題が一面トップを飾ったことを、
昨日のことのように思い出します。

同い年の山本浩二と常に比較され、
やや差のある打撃成績から「ミスターカープ」と言われた山本浩二の、
ともすれば影を踏みながら歩いていたように語られますが、
昨日山本浩二氏が語っていたように、
「衣笠あっての浩二、そして浩二あっての衣笠」
だったのは確かですね。

ONに匹敵する、
「両雄並び立つ」
存在でした。


しかしながら現役引退後、
2度カープの監督を務めた山本浩二とは逆に、
衣笠には一度も監督はおろかコーチの声もかからなかったのは、
残念でなりません。

この衣笠のほかにも、
江夏、張本、江川、桑田ら、
一世を風靡した人たちが必ずしもプロ野球界に残って活躍する場が与えられないことは、
日本球界にとって本当に残念なことだと思いますね。
(野村克也さんも、ヤクルト監督就任まではそんな中の一人でした。今では信じられないけど。。)


それから衣笠を見ていて思い出したのは、
試合前半は3塁を守っていて、
試合後半には1塁に守備位置変更。

それゆえ、
前半は投手の右側からやってきていた衣笠が、
後半には左側からやってきていたことに、
なんだか妙に子供心を奪われていたこと、
思い出しました。

マルチで守備位置を守る選手といえば、
今は西武の外崎選手がそうなのですが、
彼も体が強い選手。
衣笠を継ぐ存在の選手になってほしいなあと思ったりします。

昨日ニュースを見ていて、
なんだか涙が止まらなくなってしまいました。
年取ると涙腺が緩くなって、
いけませんねえ。。。。

はああ。。。。。。

なんだかショックで、
今日は久しぶりに【スポーツ紙全紙お買い上げ】でもしようかと、
思っているところです。

合掌。

どうぞ安らかに、お休みください。
ありがとう、鉄人!!
サヨウナラ。


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