ジョージ・フォアマンが亡くなりました。
ボクシングのレジェンドとして、
大きな影響を与えた人物です。
ヘビー級と言えば、
やはりボクシングの代名詞。
80年代のミドル級の凄まじいライバル物語(レナード、ハグラー、ハーンズ、デュラン)が紡がれる前は、
アメリカのボクシングファンも「ヘビー級でなければボクシングにあらず」って感じでしたよね。
そんな中、
フォアマンは73年にジョー・フレージャーをKOで破りヘビー級の世界タイトルを取ると、
アリとの対戦に臨みます。
そうかぁ、
あの試合は74年だったのかぁ。
場所はアフリカのザイールの首都キンシャサ。
アリは長くビッグマッチから離れていたこともあって、
戦前の予想はフォアマン一択。
しかしアリは、
饒舌だったなあ、このファイトの前も。
それだけはなんとなく、
覚えているワタシです。
ワタシはこの試合、
最初に見たのがいつなのかは、
ようとして知れません。
ほぼライブに近い時に見たのか、
それともずっと後になってからなのか?
何せワタシもまだ小学校低学年の頃。
いつ見たのかは覚えちゃいませんが、
その試合内容はホントよく覚えています。
(まあ、何回も見たからね。)
ワタシはアリのような、
口から生まれてきたようなアスリートは、
今も昔もあまり好きではありません。
彼の全盛期のトラッシュトーク、
すごかったですからね。
一方のフォアマンは、
ワタシの好きな泰然自若とした佇まいを持った、
サムライの雰囲気を持ったボクサー。
ワタシは断然この試合、
フォアマン推しでしたね。
そして試合は、
最初から「象をも殺す」と言われたフォアマンの重いパンチが炸裂しまくっているように見えたのですが、
ご承知のようにこれはアリが仕掛けた高等な技術「ロープ・ア・ドープ」。
フォアマンはアリの手の中で転がされていることに気が付けず、
その蟻地獄にどんどん、どんどん引き込まれてしまいました。
気がついたら疲れ切ったところにアリの反撃を受け、
巨象が崩れ落ちるようにマットに崩れ落ちました。
ボクシングの歴史の中で、
最も有名な、
あのシーンですね。
のちにこのアリの戦略については、
いろいろと語られることになるのですが、
ワタシはなんだかそっちにはイマイチ興味は湧かず、
「はい、ヘビー級はこれでおしまい」てな感じで、
もっぱら日本人の軽量級中心のタイトルマッチや、
ものすごく興味をそそられた、
ミドル級の方に興味を向かわせていましたね。
そこらへんから80年代は、
フォアマンのことはその名前すらも忘れていましたが、
次にその名前を再度目にしたのが80年代終わりか90年代頭くらい。
40を前に現役復帰。
しかしその存在は、
まあいわゆるネタのひとつって感じでしたかね。
本気に復帰してチャンピオンを狙うなんて誰も思っていなくて、
フォアマンの言葉にも「わかったわかった、ハイハイ」なんて感じの対応だったように思います。
ワタシも、
「あーあのフォアマンが復帰したのね」
ぐらいの感覚だったなぁ。
しかしその戦いを見ると、
まー本気も本気。
それを見てワタシ、
ちょっぴり考えを変えました。
「フォアマンって、スゲ〜なぁ」って。
それからあとは、
なんかフォアマンのことが気になって、
テレビでやれば見るって感じでしたね。
あの頃はまだ、
ボクシングは金払ってペイパービューで見る・・・
っていう時代の前夜だった気がしてるんですよね、
だってテレビで確かに見られたんだから。
イベンダー・ホリフィールドとの試合とか、
マイケル・タッカーとの試合とか、
確かに見ているんだから、
やってたんだろうなあ、テレビで。
今みたいに手元にスマホとかあって、
自由に映像を手元に手繰り寄せられる時代じゃなかったもんねえ。
はっきりどのチャンネルで見たの?
と言われたら答えられないけどね。
まあ、
あんまりその時代のボクシングには、
熱中していなかったということも、
今思えば言えるんでしょうね、振り返ってみると。
いずれにしても、
ジョージ・フォアマンは稀有なボクサーだったことだけは確かです。
しかしワタシにとっては、
正直その逝去のニュースを聞いた時、
あの“マーベラス“マービン・ハグラーが亡くなった時のようなショックはあまりありませんでした。
あゝ、
一つの時代が終わったなあという、
感慨みたいなものを感じたという思いです。
それでも、
38歳でボクシングに復帰して、
心ゆくまで戦った勇姿は、
忘れられるものではありません。
合掌