日記の下書き

思いついたことを断片的に書いています。日記の下書きだと思ってください。

カルガモの親子がきた

2020-06-15 11:33:56 | 日記

家の庭にカルガモの親子がやってきた。どういうことなのかわからないが、やってきてしまったものは仕方がない。ガーガー鳴いている。

かわいいけどどうしたらいいのかわからず、近所のLINEグループに呼びかけたところ、みんな出てきてどうしようこうしよう、しばらく外で蚊に刺されながら議論した。

というのも、みんなが出てくる前に子どもが1羽カラスにさらわれてしまったのだ。上を見るとまだ電線にさっきのカラスが止まって機会を探っていやがる。人がいなくなったらあっという間に全員やられてしまうだろう。

市役所に電話だ、いや消防だ、おれアメリカのポリスが助けてる動画見たことがある、など、いろいろな意見が出たが、日曜の夕方である。市役所は業務時間外だし消防だって他に困っている人を助けているかもしれないだろう。みんな忙しいのだ。

そもそもこの家族はどこからきたのか。うちの近くに水辺はない。グーグルマップで航空写真を確認すると、近所のゴルフ場に池があるのが見えたので、なんとかおれたちでそこまで誘導しようということになった。このへんの人たちはみんな日曜の夕方なんて暇で仕方がないのだ。

方針は決まった。しかし鳥の親子である。説明して素直に従ってくれるわけはない。暇な大人たちをほんろうするかのように途中の草むらで遊んだりガレージに隠れたりとやりたい放題である。上空ではカラスが目を光らせているのに、もっとちゃんと危険と向き合うべきだ。

話は変わるが2日くらい前のどうしようもなく蒸し暑かった夜に、部屋にアリが出た。窓からきれいに列をなしてアリたちはやってくる。アリに恨みはないが、家の中はちょっと勘弁してほしかったので薬局でアリの巣ころり的な商品を買ってきて、通り道を邪魔するように置いたら翌日には半減していた。半減期が1日とするとあと数日で全員いなくなるだろう。

カモを誘導しながらそれを思い出したのは、アリだと列をなしていても鬱陶しがって駆除!駆除!という発想にしかならないのに、カモだと近所総出でカラスに食べられないよう池まで逃がしに行くのはどうしてなのか。命の重さは同じではないのか(カラスに対してもしかり)。

その話を帰ってから子どもにしたところ、希少性と種としての弱さではないか、と。つまり守られるべき弱いものは自然と守られるように可愛く進化したのだ、と。おまえはダーウィンか、いいとこの出か、と思ったけどそれも一理あるなと思った。

カモの親子は池まで誘導する途中、庭の広いおうちの草むらに入って行ったきり見失いました。


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