§アミーユライフ§

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アミーユ福山城東より、「皆さんなら、どうお考えになりますか?」

2014年04月24日 | アミーユ福山城東_福山市

お世話になります。

今回、ブログを担当させていただく、アミーユ福山城東 宮原と申します。
前回ブログの「アミーユ福山城東」で大きく変更があった点を申し上げますと森田ケアアドバイザーが異動(転勤)となりました。

森田ケアアドバイザーの後を引き継ぎ、後藤担当マネジャーが「ケアアドバイザー(施設管理者)」としてアミーユ福山城東のご入居者様、ご家族様、職員、地域の方々と連携し、絆を太く、長くしていきます。

私、宮原も共に進んで参りますので、今後とも、アミーユ福山城東へ変わらぬご愛顧賜りますようよろしくお願いいたします。

今回の福山城東のブログは、いつもと「趣向」を変えさせて頂き、「皆さんなら、どうお考えになりますか?」と題して記載して参ります。

 テーマは、「もし、介護という言葉が使えなくなった場合(ケアなどの英語も禁止)、皆さんなら、どんな『言葉』をお考えになりますでしょうか?」


......そんなことはありえない、そんなことを考える必要があるの?...と懐疑的にならずに、少し考えてみませんか?

介護」という言葉自体を検索すると、「介」も「護」もどちらの字も、「助ける」という意味があるそうです。「助ける」という言葉も、とらえ方によっては「上から目線」と思う方もおられるかもしれません。

介護、ケアという言葉で、教えられてきた事から、一歩進んで、「自分の考え」「自分の言葉」で新たな言葉をつくりだそうとしたときに、一体どんな「言葉」が生まれるのでしょうか?

きっとそれは、それを考えた人の数だけ「違いがあり」、また「その人の価値観、考え方」を反映しているものかもしれません。


まさに「介護」という言葉の「守・破・離」と考えます。

さて、人に問うからには、自らの考えも示さないといけませんね。


私の考えた「介護」に変わる言葉は、「心支(しんし:心を支える)」、「活支(かっし:生活の質を支える)」、「共生(きょうせい:共に生きる)」 という3つになりました。
介護」に代わる「まとめた言葉」ではなく、それぞれに分けて使う言葉が頭に浮かびました。ちなみに、「共生」以外は、多分、私の「造語」です。

どんなに豪華なお部屋で、至れり尽せりの生活でも、心が『笑顔』にならなければ、それは決して良い生活とは言えないのではないでしょうか?

だからこそ、医療は「生支(せいし:生命を支える)」、介護は「心支」であると考えます。

また別の方は、この問いに、「キャディー」という言葉が浮かんだそうです。ゴルフのキャディーのように、その方の目標(ピン)までの距離や風、芝目など「環境」を理解し、助言し、そして適切なクラブ(目標到達のための手段)を本人の能力に合わせて選択を補助する。介護=「キャディー」のような「行動」と考え至ったそうです

※ソーシャル・ロール・キャディー理論(社会的役割の価値を高めるために、キャディーとしての役割:本人様、環境に対して、本人様要望と社会的希望の摺合せを行う)・・・・なんて考えまで発展しました。

「考えてみませんか?」・・・というのは私の「祈り」です。介護に携わる者であれば「祈り」と聞くと「ニーバーの祈り」を連想される方もおられるかもしれません。
ご存じでない方は「検索」して調べて頂くこととして...。個人的には、これがニーバーの「宣言」でも「言葉」、「命令」でもなく、「祈り」となっている点を評価しています。

祈ったところで、何も変わらない。今を変えるのは、戦う覚悟だ」なんて、某人気アニメの歌詞にもありましたが、それでも「祈る」ことに意味はあるのではないか、あってほしいと思っています。

自らの考えを持つこと。そこから生まれる意欲、意識は、自分自身を大きく動かす力(ちから)となると信じて、『祈り』ます。

また、人に「善いことを為し、笑顔」になっていただくことは、「値千金」以上の「価値」があると思います。

そして「介護」ほどその価値を感じられる職場も稀有と思います。

「自分の考えを押し付ける」、「こうすべき!とその目的と根拠も示さない」、「人を自分の思う通りにコントロールしようとすること」は、介護の場では、あまり「似合わない」と考える次第です。


今回いつもとは、趣向をガラッと変えたブログに、違和感を感じられる方もおられるかもしれません。わかりにくい点は、この場にて謝罪致します。申し訳ございませんでした。

なぜ?」という行為には、必ず「理由」があります。人間は、半自動的(深く思慮しなくても、ある程度の行動や思考が可能)と思います。

自動車運転に例えるなら、教習所ではギアチェンジに苦労して、一つ一つにも確認が必要だったことが、慣れてしまうとほぼ自動的に体の方が動いている。

無意識に行動できる=「慣れること」によって思考も行動も「半自動化」していくのが人間かもしれません。

もし「こういう形式のブログを記載したのは、なぜ?知りたい」と「知的好奇心」を持たれた方がおられましたら幸いでございます。



『もし、「心」がお粗末であれば、良い「心支」はできない』...のではないでしょうか?

そして失敗を繰り返して、傷つきながら、年を重ね、人との関わりの中で自から学び、知識と経験を獲得していくことで「」は育つのではないかと考えます。

某高名なお坊さん曰く、「もし自分の言うことが、嘘いつわりだと、思うならば、自ら修して知れ」...とてもここまでは...私の口からは申し上げられません。

私自身もまた、数多くの失敗や苦い思いを繰り返し、叱責されながら、学んで参りました。その学びは終わることがありません。

また機会がございましたら、皆様の「お考え」も傾聴できればと思います。(コメント記入はなしで、お会いしたときなど個別でお話しを伺えれば、『望外の喜び』です)

以上、文章のみ、および煩雑な内容であり、お恥ずかしい限りではございますが、今後とも、アミーユブログおよびアミーユ福山城東をよろしくお願い申し上げます。


次回の更新は5/1(木)の予定です★



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