アメノミミ

降り始めの雨のようにポツポツと言葉が落ちてくるようになった。
時に雨となるその言葉を書きとめるブログ。

2019年04月30日 22時58分35秒 | アメ
あなたの見ている世界が

あなたである

この世界はあなたが思っている通りの世界である

つまりあなたが思っている世界

こうであると想像している世界なのだ

あなたが心の底から信じれば

そのように世界が見える

表面的に信じたふりをしても無駄である

あなたが信じている通りの世界に見える

あなたは信じるものを変えられる

自らの意志で変えることが出来る

あなたは世界を変えることが出来る

あなたの世界には客観などというものはただの一つもない

全てが主観である

あなたが信じているものを見ている

信じられないようなものを目の当たりにしても

信じている世界観に当てはめようとする

それが上手くいかない時

見ているものを排除して世界観を維持するか

信じている世界観を変更するか選択する

私たちは世界を選択することが出来る

世界観を選択することによって

どの世界観が真実であるということはない

全て虚実である

虚実ではあるが実際に感覚に作用するため

それは現実的なことだ

つまり選択している世界観によって

苦しみが多くなることも

喜びが多くなることもあるからだ

より幸福度の高い世界観に更新していくことが

この世界で学ぶべきことである

この考え方は幸せを生んでいるのか?

自分の思考を点検した方が良い

苦しみを生む思考回路が多々あることだろう

それは今ほど意識的に生きていなかった頃に

埋め込まれたものだ

それらは捨ててよい

簡単に捨てられないよう恐怖でロックされていることもある

しかしそれは何の意味も持たない

あなたが恐怖を維持しなければ効果を発揮しないロックだ

その思考を維持することでそのロックが機能する

おかしな話であるが鍵ごと捨ててしまえばいいということなのだ

そこにまつわる恐怖と一緒に捨てるということだ

恐怖を捨ててから思考回路を捨てるのではなく

幸せを生む世界観とはふわふわしたものではない

どんな揺さぶりにもびくともしない世界観こそ

幸せを生む世界観である

世間の言う不幸

それらを全て幸せの一形態であると看破すること

あなたの幸せはあなたの主観に留まらない

それは伝播していき他の人の世界観を変える

意志と想像力と直観力を使って信念を変更する

ただし変更直後の新しい信念は古い信念によって攻撃される

それは歓迎パーティのようなものであり

新しい信念の試金石だ

そこで砕けるようならその信念より古い信念の方が強靭だったということ

より強靭な信念でなければ改善でなく改悪であろう

そのために新しい信念は試されねばならない

私たちは外の世界を見ているつもりでいるが

実は内なる信念を見ているのだ

ある人は犬を見て可愛いという

ある人は同じ犬を見て怖いという

理由を聞くと

噛み付こうとしている

という

なぜ噛み付こうとしたの?と犬に聴くと

怖い目で僕を見たから

と犬は言う

世界は鏡なのだ

鏡は自分を知るために創られたもの

この世界は自分を見たいと願った魂が

自分を見るために創った装置なのだ
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3 コメント

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Unknown (ティアレ)
2019-05-01 13:11:33
いつも拝見させてもらってます。

私はパニック障害を患ってます。
何の理由も無く、恐怖心や悲しみに襲われて
毎日毎日辛いです。

なぜこうなってしまったのか、どうすれば治るのか
いくら考えても治らないのです。

主様の御視点で何かアドバイスいただけたら、
大変有難いです。
返信する
Unknown (アメノミミ)
2019-05-09 00:33:09
ティアレさんいつもお読みくださりありがとうございます。
少々旅に出ておりましたゆえお返事が遅くなりましたことをお詫びいたします。

慢性的な病を覆すことは並大抵のことではありません。
それは存在が確立してしまっているからです。

環になっていると思ってください。
この環は自分自身でありそこに病も組み込まれています。

この環を断ち切り新たな環に移行しなくてはいけませんが、環を壊すとは既存の自我を壊すことを意味します。
当然自我は破壊されたくない故、自分を本当に変革してしまうメッセージから目を背けさせます。

自我はショッキングな出来事が起きたときに壊れることがあります。

自我は壊れても直ぐに復元しますが、一時的に形を失った時再構築に干渉することが出来ます。
干渉するのは自らの魂が最も良いです。
逆に浄化されていない他者がその時に関わると致命的に苦しみを生む自我が形成されます。
これは親や教師が激しく子供を叱るときや虐待やDVなどでも起こります。

自我が受け入れがたいことの一つに、病によって得をしているという事実があります。
これは全ての病に言えることです。
自分はこの症状によってどんな得をしているのか気付くことが出来れば、そしてそれを受け入れることが出来たならば症状は改善します。
しかし大抵はそのような事を考えることすら不快感を伴います。なぜならその症状によって様々な場面で苦しめられてきたからです。

これは人間関係にも言えます。
自分の周りにいる迷惑な人、嫌な人、その人が存在していることで得をしていることがあるのです。それに気付けないうちはその迷惑な人は存在し続けます。それに気付くといなくなるか、関係が改善します。

意識的に病の効用と副作用を認識します。
効用の方が得な効果で副作用が病としての症状です。
病の効用はまず間違いなくネガティブなものです。
人に会いたくない、気乗りしない約束を破棄したい、など、そのようなことの理由に病を使っているのです。
そしてそれらは病に頼らなくても出来ることです。
過去においては病に頼らざるを得なかったのですが、治るべき時には不必要になっています。

今まで私を守ってくれてありがとう、もう役目は終わったよ、と感謝が心から自然にあふれてくるようになったらそれはその病とお別れの時が近い証です。

ただし慢性的な病が何事もなかったように完全に治ることはないと思います。段々軽くはなりますが少し残ってしまう、それは身体についた深い傷と同じです。

どんなことをしても治りたいという「覚悟」を伴って願うと体験を引き寄せます。
しかしその体験はかなりの試練になるでしょう。
基本的にこんな体験をするくらいなら病気のままの方がいいと思わされる体験が来て強制的に気付かされます。それを乗り越えれば改善してゆきます。

もう一つ、
病が治った後同じ病を抱えている人たちを助けるのならその病に罹った意味もあります。
そのように治った後の良き未来と繋がることで治る未来へと牽引されてゆきます。

とりとめもない文章ですが少しでもお役に立てる箇所があれば幸いです。

ティアレさんの毎日が安らぎと幸せに充たされてゆきますようお祈りいたします。
返信する
Unknown (ティアレ)
2019-05-14 01:19:58
お返事ありがとうございます!
こちらこそ、遅くなってしまいすみません。

大変丁寧に、多方面からアドバイスしてくださり、
心より感謝申し上げます。

正直、ショックな部分もありました。
色々考えさせらることもあって、自分と正面から向き合う事から逃げてはいけない事や、これから先の事を考えると不安な事もたくさんあります。

でも、自分には治す力があると信じてます。
きっといつか抜け出せると希望を持って生きて行こうと思います。

厳しいご意見も暖かいメッセージも、どちらも大変有難く受け取らせていただきました。
繰り返し読んで、今の自分に当てはまる事や何が出来るのかを、じっくりじっくり考えてみます。

いつも、本当にありがとうございます。
これからもブログ楽しみに拝見させていただきます。
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