アメノミミ

降り始めの雨のようにポツポツと言葉が落ちてくるようになった。
時に雨となるその言葉を書きとめるブログ。

自我と魂

2019年04月29日 22時48分54秒 | アメ
自我と魂を混同してはいけない

魂の要請をこの世で実行するために自我がある

自我の計画を実行するために自我があるわけではない

あなたのやりたいことが魂由来なのか自我由来なのか

見分けることは簡単である

透明な心に映るものが魂である

波立った心には決して魂は映らない

自我が理解していなくても魂の要望は現実化する

その時に自分の望んだものではないものが来たと感じる

自我由来の願いは

常に心を揺さぶる

叶っても叶わなくても

そして自我の願いはすぐに変わる

魂の願いは変わらない

ただ近づいていくだけだ

だから迷うことはあり得ない

徐々に近づいていることがハッキリと分かるから

自我は迷う

目的地が変わるからだ

そして永遠にたどり着かない

たどり着けば一時の達成感の後

次の目的地が現れるだけだ

私たちは魂で感じ魂で見て魂で聞いている

しかし魂を自我の膜がすっぽりと覆っている

自我によって魂の光は屈折し

また自我によって歪んだ景色を魂は見る

自我がおさまるまで

正しく伝えることも

正しく受け取ることも出来ない

透明な心になれた時初めて自我は己の役割を果たすことが出来る

この世で活動する身体と感情を養いつつ

魂の要請を遂行するという非常に難しい役目をこなすことが出来る

魂で生きることは楽しいことだ

とてもエキサイティングでスリリングである

そして安らぎ癒される

自我で生きることは苦しいことだ

自我には未来が見えない

無限が理解できない

ゆえに真実が理解できない

究極の安らぎ

すでに助かっていること

何もする必要がないこと

その全てを理解できない

故に常に不安であり

その不安を見ないために

安心という幻想の砦を造り籠ろうとする

そしてそれを守りぬこうとする

しかしその砦は自我が作りだしたもので

真実の心ではないのだ

この砦が壊されたら心が壊れる自分が無くなると信じているが

壊れたら本来の自分に戻るだけなのだ

即ち透明な自我

魂の光がとおる心

真実が見える心

だから自我の砦は壊されるべきであり

守る労力など徒労でしかない

苦しみを長引かせるためだけの労力を積み重ねているのだ

自我は言語と固く結びついているため

巧みではない言語によって思考することで回避することも出来る

音楽を作ってみたり

絵を描くことでも

自我の砦から出ることが出来る

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