あまねこブログ

あなたの守護天使からのメッセージをお手紙で伝えています✽あまねこ占✼心里遇ころりの見えない世界スピリチュアルな日常ブログ

4月イベント出展のお知らせ

2024-04-25 00:53:28 | お知らせ
4月29日(月)
スマイルヒーリングラボさんの
イベントに出展します☆
詳細は下記の通りです。
入場は無料
たくさんのブースが出展します。
会場全体が和やかな癒し空間です。
GW前半!お時間のある方
ぜひ遊びに来てください☆



開催 4月29日(月)
時間 11:00 〜 17:00
場所 あすと長町ゼビオアリーナ仙台
ゼビオアリーナ仙台 ·〒982-0007
仙台市太白区あすと長町1丁目4−10


詳しくはスマイルヒーリングラボさんのインスタグラムをご覧下さい☆
スマラボさんのインスタはこちら
スマイルヒーリングラボInstagram

https://www.instagram.com/smilehealinglabo?igsh=bmltZ3UybGM2bTZv




あまねこ占☆当日のメニュー

チャネリング天使からの手紙は、
イベント限定価格で3000円で
鑑定が受けられます。
この機会をお見逃しなく☆


ご予約ご希望の方は
インスタグラムDMまでご連絡ください。





光の射すほうへ⑧

2024-04-24 08:49:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

「祈りの欠片」

この世に生まれて未だ
ほんの5、6年しか
生きていないのにもかかわらず、
既にハードな学びを経験していた。

その最初のステップは、
「孤独感」「不安」「恐怖」の
3大ネガティブ要素だった。
これらをクリアして、
次のステージへ行くことなど
小学校へ上がる前の幼児には
無理な話しだった。

「神様なんていない」
(少なくとも私には)
何度もそう思った

父は優しい人だった
厳しかったが愛情もあった。

でも、「この人」にされたことを
父に話すことは無かった。
今思えば何故、言わなかったのだろう。
助けを求めることもしなかった。

言わない代わりに態度に表した。
いつも元気がなく、浮かない表情で
ため息をついていた。
「何かあったか?」
そう声をかけてくれるのを
心密かに待っていた。
親の愛を求める最大限のアピールだった。

なんというか、
父も「この人」側の人間なのか?
それとも家庭内秩序を保つために
私には関心を向けないことに
敢えてそうしているのか…?
そのようにして私は、
親の愛情を推し量っていた。
或いは、敵か味方か推し量っていた。
父に対して、何とも醜い心の内である。

この家庭環境下で、世間一般的な
「親子の愛」を求めること自体
浅はかな夢だった。

「この人」にされたことを
父に話さなかった、
もう一つの理由は
「この人」の言う通り、
自分が悪い人間だから、
怒られても仕方ないんだ
と、信じ込んでいたためだ。

父は出張が多かった。
「痛み」を体験するのは
大抵、父の居ないときだった。
父は本当のことを知らないと思った。

幼い頭でグルグル思考が巡る。

父の留守中の「痛み」
を告白することは、イコール
自分の悪い子ぶりを報告して
しまうことになる。
父は家族で唯一人、皆んなと
平等に接してくれる人だった。
もし、父にまで嫌われたら
いよいよ家庭内に居場所が
無くなるのではないか。
そんな不安と恐れを抱いていた。

(この時点で、100%の「安心感」が得られなければ、例え親と云えども心を許すことができなくなっていた。)

そんなふうにして
いつも最悪の事態から
シナリオを考え、
家庭内の秩序が保たれるであろう
結論を導き出す癖が付いていった。
秩序を保つ一番の秘訣は
自ら余計な事は話さないこと。
「黙っていること」
同時にそれが、
自分の身を守るための
方法となっていた。
 
既に、日常の中に
心休まることはなくなっていた。
念の為、まだ
10歳にならない頃だった。

光の射すほうへ⑦

2024-04-09 03:21:00 | 見えない世界
自己紹介は「ごあいさつ」
の記事に書いております。
ご一読の上お読みいただけますと
お話しが解りやすいと思います。
☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆…☆

私にとって「見える世界」は
子どもながらに
楽しさなど微塵も感じられない
ため息ばかりが出て来る日々の
連続だった。

大人になった今の自分が、このように
ため息ばかりついている子どもを見たら、
なんだか中身がお年寄りみたいな
アンバランスさを滑稽に感じただろう。

幼稚園には通わなかった。
「この人」の意向で。
女の子は最低限の義務教育だけで良い
という古い時代の考えがあった。

※「この人」については前記事を
ご一読の上、本記事をお読みいただくと
お話がつながります。

小学校へ上がると、
家の外で過ごす時間が増えたためか
自分の視界が少し広がり、同時に
自我も芽生えはじめたせいで
他人と自分の「違い」を
感じるようになった。
家庭の中における
自分の存在感と
家庭から一歩外の世界へ
出た時の自分の存在感が
まるで2パターンあるような
間隔が有ったが、果たして
どちらが本当の自分なのか
分からなかった。

外で過ごす時間は
自分らしさを少しずつ
引き出していった感はあるが、
この時点で既に
「この人」の下で過ごすことによる
「抑圧」が、染み込みつつあった。

10歳にも満たない子どもの自分は
家の内と外を、器用に
切り替えて過ごすことが
出来ていなかったのだが
外にいるときは少しずつ、
自分らしく居られる瞬間が
増えていった

友だちもでき始めるが、
おかしな「抑圧」に
囚われつつあったため
人との距離感に苦慮した。
周りからは
「恥ずかしがりや」
「人見知りが激しい子」
というふうに映っていただろう。

人に声をかけたくても、
最初の一言を出すのに
ものすごく…勇気が要るのだ。
最初の一言が、なかなか…
振り絞らないと出てこない

こちらから一言投げかけて、
相手がそれに応えてくれると
そこからは、スラスラと
会話が始まり楽しい時間を
共有できる。そして、
「あぁ、取り越し苦労だった」
と、安堵する。
大抵の場合は、そのようになる
パターンだと理解しつつあった。
が、家庭の中では
このパターンは通用しなかったため、
気軽に人とコミュニケーションを
とるための最初の一言を
発することができなくなっていたのだ。

これも、よくわからない
自分との闘いのひとつだった。

家庭の中では、
最初の一言を発すると、
大声で怒鳴り返されるか
真っ向否定され
タイミングが悪ければ
罵倒されるか…
どちらにしても自分の一言のせいで
怒号が飛び交う結果になることを
この時点で経験していたので
他者と楽しくコミュニケーションを
とるということなど、この頃には
「諦め」ていた


…そんな「諦め」の境地が
私を、ため息ばかりついている
謎めいた年寄りのような子ども
にしていたのだ。

胸の内に抱え込むのが
苦しくなることもあったが
子どもながらに思っていた。
このことを、お友だちの誰かに
話してみても理解できることではない。
寧ろ、話したことで
その子が親に話し、小さな町に
我が家の悪評が広まりでもしたら
「この人」は噂の出処を突き止め
その出処が私だとバレれば
体罰の日々がはじまり
悪循環を招くだけである
と、現実的な結論に至るのは
容易かった。

こうして絶えず
よくわからない自分との闘いを
繰り広げ、いつしか
人に頼らない
人を頼ることができない
自分が造られていった。

もう一つの側面では、
結局のところ「自分との闘い」に
落とし込むことによって、
「この人」の悪業が世間に
漏れ出ないように守っていた
ということでもある。

それは、ずっとずっと後に
スピリチュアルに目覚めてから
気付いたことだったが、
肉体は子どもでも、常に
全体の状況が悪化しないよう
(この場合家庭のこと)
ディフェンスにエネルギーを
費やしていた。
知らぬ間に周りのために
エネルギーを使う仕事が
習慣付いていた。