昨夜、録画していた「震災の証言記録」を一人で見ていまして
涙が止まりませんでした。
震災に遭った地域の人は、それぞれ辛い目に遭っています。
しかしながら、その「辛い目」にも「格差」が有る事を
痛切に感じてしまいました。
戸倉集落は、山に囲まれた扇状地、目の前は海の地形です。
3/11の津波は、扇状地ゆえの「駆け上り」状況にあったと思われ
3階建の小学校は屋上まで。
高台の中学校にも津波が押し寄せました。
人々はまず中学校を目指し、中学の教諭は人々を誘導していましたが
何名かは津波にのまれ、九死に一生を得た人
不幸にも亡くなった人…おられました。
涙したのはこの事ではなく
中学生が必死で人々を助けようと動いたことに!です。
中でも、溺れた人を必死に人工呼吸した…との体験です。
お腹は海水でたぷたふに膨れ
顔は真っ白、目はむき出していた…と、中学生は涙目をこらえて証言していました。
彼は、うろ覚えの人工呼吸を必死で続けましたが
「もういいよ、やめて」との先生の言葉で、手を置いたそうですが
本心はもっともっと続けたかった…と。
何とか「人のために役立ちたい!」
「自分が出来る事をしたい!」
そんな中学生の心が伝わって来たからです。
残念ながら彼の意思は伝わらず、亡くなってしまった遺体を前に
生かせなかった残念な気持ちがひしひしと感じました。
その後遺体を、数人の生徒が先生の命で雑木林の片隅に運んだ…
と証言する中学生たち。
「頭は真っ白で、意思より命により動いて居た感じでした…」と
振り返って語る子供たち。
わずか15歳に満たない子供たちが
目の前で人の死を看取る…
平常時には考えられないことを、体験して
「この集落を復興させる!」と言い切る姿。
一方、同僚を失い、自分はろっ骨を折ってしまった教諭は
何も出来なくなった己の姿を前に「虚無感」にさいなまれる。
大人と子供では、こうも違うものか…と思う。
教諭は、無力感の中から立ち上がるきっかけは
やはり子供たちだったという。
「虚無感」「無力感」は、当時私にもあった。
あの頃の大人たちは、皆そうだったかもしれない…。
1歩を踏み出すきっかけを作るのは「子供たち」の
普段と変わらない「元気な姿」で、それが少しずつ「大人」へ伝搬し
「動き始めた」様な気が、今、しています。
それにしても…
私は20歳過ぎるまで、「子供に遺体は見せるものではない!」と
ずっと死に顔や、骨を拾う事はしてきませんでした。
とっても仲良しだった「叔母」が無くなった高校生の時も
「叔父」が「子供達には見せるな!」と言いまして
「叔母」の死に顔は見ていません。
そのお蔭で「元気な姿」だけを覚えています。
それなのに、あの壮絶な中で沢山の遺体を見た子供たち…
本当に可哀想でたまりませんが、
この経験を何とか乗り越えて、将来に生かして欲しいと思うばかりでした。
証言の中に、かつての仕事仲間がいました…。
戸倉で頑張っていたのですが、新しい家も仕事場も無くしてしまいまして…
電話で「元気」は、知ってましたが、思いもかけず
映像を通して頑張ってる様子も垣間見えてホッとしています。
皆、災害を乗り越えるため必死なんですね…。
早く生活の立て直しの目途が付けば!と祈るばかりです。
子供たちが、溺れていた消防士の「体温」を上げるために
Tシャツ一枚になり、体を抱いて温め
もう一人は、ずっと足をさすっていた…と言います。
数時間後、消防士は「体が痛い」「ありがとう」と
声に出した…と子供達は証言していますが…
その後、その消防士がどうなったのか?は語られていません・・・。
志津川の町中から、戸倉まで津波にのまれ
流されたわけですが…
子供たちの努力が報われていると思いたいです。
天気 : 雨
気温 : 4~11℃位
涙が止まりませんでした。
震災に遭った地域の人は、それぞれ辛い目に遭っています。
しかしながら、その「辛い目」にも「格差」が有る事を
痛切に感じてしまいました。
戸倉集落は、山に囲まれた扇状地、目の前は海の地形です。
3/11の津波は、扇状地ゆえの「駆け上り」状況にあったと思われ
3階建の小学校は屋上まで。
高台の中学校にも津波が押し寄せました。
人々はまず中学校を目指し、中学の教諭は人々を誘導していましたが
何名かは津波にのまれ、九死に一生を得た人
不幸にも亡くなった人…おられました。
涙したのはこの事ではなく
中学生が必死で人々を助けようと動いたことに!です。
中でも、溺れた人を必死に人工呼吸した…との体験です。
お腹は海水でたぷたふに膨れ
顔は真っ白、目はむき出していた…と、中学生は涙目をこらえて証言していました。
彼は、うろ覚えの人工呼吸を必死で続けましたが
「もういいよ、やめて」との先生の言葉で、手を置いたそうですが
本心はもっともっと続けたかった…と。
何とか「人のために役立ちたい!」
「自分が出来る事をしたい!」
そんな中学生の心が伝わって来たからです。
残念ながら彼の意思は伝わらず、亡くなってしまった遺体を前に
生かせなかった残念な気持ちがひしひしと感じました。
その後遺体を、数人の生徒が先生の命で雑木林の片隅に運んだ…
と証言する中学生たち。
「頭は真っ白で、意思より命により動いて居た感じでした…」と
振り返って語る子供たち。
わずか15歳に満たない子供たちが
目の前で人の死を看取る…
平常時には考えられないことを、体験して
「この集落を復興させる!」と言い切る姿。
一方、同僚を失い、自分はろっ骨を折ってしまった教諭は
何も出来なくなった己の姿を前に「虚無感」にさいなまれる。
大人と子供では、こうも違うものか…と思う。
教諭は、無力感の中から立ち上がるきっかけは
やはり子供たちだったという。
「虚無感」「無力感」は、当時私にもあった。
あの頃の大人たちは、皆そうだったかもしれない…。
1歩を踏み出すきっかけを作るのは「子供たち」の
普段と変わらない「元気な姿」で、それが少しずつ「大人」へ伝搬し
「動き始めた」様な気が、今、しています。
それにしても…
私は20歳過ぎるまで、「子供に遺体は見せるものではない!」と
ずっと死に顔や、骨を拾う事はしてきませんでした。
とっても仲良しだった「叔母」が無くなった高校生の時も
「叔父」が「子供達には見せるな!」と言いまして
「叔母」の死に顔は見ていません。
そのお蔭で「元気な姿」だけを覚えています。
それなのに、あの壮絶な中で沢山の遺体を見た子供たち…
本当に可哀想でたまりませんが、
この経験を何とか乗り越えて、将来に生かして欲しいと思うばかりでした。
証言の中に、かつての仕事仲間がいました…。
戸倉で頑張っていたのですが、新しい家も仕事場も無くしてしまいまして…
電話で「元気」は、知ってましたが、思いもかけず
映像を通して頑張ってる様子も垣間見えてホッとしています。
皆、災害を乗り越えるため必死なんですね…。
早く生活の立て直しの目途が付けば!と祈るばかりです。
子供たちが、溺れていた消防士の「体温」を上げるために
Tシャツ一枚になり、体を抱いて温め
もう一人は、ずっと足をさすっていた…と言います。
数時間後、消防士は「体が痛い」「ありがとう」と
声に出した…と子供達は証言していますが…
その後、その消防士がどうなったのか?は語られていません・・・。
志津川の町中から、戸倉まで津波にのまれ
流されたわけですが…
子供たちの努力が報われていると思いたいです。
天気 : 雨
気温 : 4~11℃位