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モラ夫回顧日記

モラ夫から逃げ出し、モラ夫の生活を破綻させ一矢報いました。
しかし彼は逃がした獲物をすんなり諦める男ではなかった。

2度目の不渡り

2005年07月21日 00時25分28秒 | モラハラ
モラ夫の会社がとうとう2度目の不渡りを出しました。
いよいよ倒産です。
手形をつかまされた工場の経営者たちは、モラ夫の行方を必死で探していました。
彼は行方をくらまし、携帯も自宅の電話も解約されていたそうです。
もしかして夜逃げ?
「ざまあみろ」と思う自分と「どうしてるんだろう。ごはん食べてるのかしら」と思う自分がいます。
でも、かわいそうなんて思ったら命取り。
そう自分に言い聞かせ、私のところに火の粉が飛んで来てもかわせる様に覚悟を決めました。
その頃の私は、(火の粉が飛んで来ないか)(モラ夫が訪ねて来たらどうしよう)などと考えていたせいで、
毎晩自分がモラ夫に捕まる夢を見ていました。
その後、モラ夫は弁護士をたてて、正式に倒産の手続きと自己破産をしたそうです。
これでモラ夫は会社と共に、自分のプライドの拠りどころであった社長の座も失いました。
彼の周りに協力者はいなくなり、私たちに嫌がらせをする力も大きく削がれたのです。
この話を聞いた日、私と息子は買って来たシャンパンで乾杯しました。

ヤミ金襲来

2005年07月20日 01時08分50秒 | モラハラ
夜8時頃、夕食の後片付けをしていたとき玄関のチャイムが鳴りました。
インターフォン越しに出ると「英二(仮)くんいらっしゃいますか?」
名前を尋ねると「彼の友達の山口です」
息子の友人の名前はだいたい知っているけれど、「山口」は聞いたことのない名前。
息子は部屋にいたけれど何か嫌な予感がして、とっさに言いました「今日は出かけてます」と。
さらに「今日は泊まってくるかと思いますので、今夜は帰ってきませんよ」と言うと男は黙って帰っていきました。
この話を息子にすると、彼も嫌な予感がすると言い、次の日買い物に行きました。
買ったものはテープレコーダー、催涙スプレー、スタンガン。
次の夜、玄関にこれら秘密兵器を揃えて待っていると、思ったとおりあの男がやってきました。
「どちらさまですか?」ドア越しに聞くと「宮坂です」。ん?同じ声なのに名前違うじゃん。
息子がインターフォンに出るとやはり父親(モラ夫)の借金の話。
テープを回し、録音しながら話を聞くと、あなたの父親に100万円貸してるが、
返してもらえないので息子のあなたが代わりに払えという。
これは明らかな違法行為。
尋ねてみても貸金業の登録番号はおろか、会社名すら名乗らない。
これはヤミ金に間違いない・・・。
自分のことしか考えないモラ夫は、お金に困るとヤミ金からお金を借り、その際に息子の名前と住所を渡していたのです。
幸いモラ夫の行動パターンを知っている私たちにとっては、こんな状況も想定内。
息子も負けずに応戦すると男は一旦帰って行ったが、また10分くらいして戻って来ました。
不利な状況になったので上司に指示を仰ぎに行ったんでしょうかね。
始めは穏やかに話してた男の声も、次第に大きくなって脅すようなことも言い始めた。
かねてからの打ち合わせ通り、息子が私に合図。110番です。
「警察です。事件ですか、事故ですか」
「私が借りたお金じゃないのに、ヤミ金が来て代わりに返せと脅してます!」
「すぐ警官行かせます。住所は?」
私が電話する声が聞こえたらしく、その男はあわてて階段を駆け降り、逃げて行きました。

朝日と夕日

2005年07月19日 00時31分06秒 | モラハラ
私たちの会社の売上は順調に伸びてきました。
商品カタログをつくり、見本市にも出店して、モラ夫の会社の顧客にも積極的に売り込みました。
モラ夫の会社の商品と酷似した商品を販売していることで、うさん臭く思っていたところも、
離婚したことなどを説明すると納得して「頑張ってください」などと声をかけてくれます。
この頃になると、ずっとモラ夫の会社と取引をしていた数社も取引きしたいと申し入れてくれる様になりました。
一方、モラ夫の会社では社員さんたちが次々と入れ替わっていましたので、
誰も正しい仕事のやり方がわかりません。
仕事がうまくいかないモラ夫は、別荘を売り、そのお金を先物取引につぎ込み始めました。
まったくの素人が、営業マンの言いなりに投資なんかしてうまく行くわけもなく、
瞬く間にお金は消えていった様です。
いよいよ社員さんのお給料さえ払えなくなったモラ夫は、今度は自分の年金を担保に借金を重ねました。
さらにお金がまわらなくなり、借金の返済も出来なくなった頃、
モラ夫の会社の取引先には、商工ローンから債権譲渡通知というものが届いたそうです。
「モラ夫の会社に貸したお金が返してもらえないので、かわりにあなたがモラ夫の会社に払う予定のお金を私に払ってください」
こんな話が取引先のところに行ったのですから、信用も何もあったものじゃありません。
モラ夫の会社は、まるで秋の夕暮れ様な落日を迎えました。
後日知りましたが、彼は最後まで大切にしていたベンツさえ、
税金の滞納のため差し押さえを受け、持って行かれていました。

自己破産

2005年07月19日 00時20分05秒 | モラハラ
モラ夫の計画通り私に請求が来た保証債務。
これを回避するため、私は自己破産することにしました。
夫から何ももらわなかったことが幸いし、
個人の財産がほとんど無いことから弁護士さんも自己破産を勧めます。
そうと決まればすぐ行動。
まずは会社の代表を次男に代え、生命保険も契約者を息子の名前に変更、
会社に出資した資本金も息子二人に贈与としました。
ただ一つの私の財産と呼べた、商品の意匠権も息子のものとなった会社に売り、
弁護士費用にあてることになると、私個人の財産は一切無い状態になりました。
すべての資料を揃え、後は弁護士さんに一任です。
最後に私は長年使ってきたゴールドカードにハサミを入れました。
(冷静に考えれば、これが最良の選択だ)と考えながら・・・。複雑な思いでした。
そしてこれがモラ夫の会社の倒産の引き金となったのです。
私の自己破産で、モラ夫から回収するしかなくなった各銀行は、
モラ夫に一括返済を要求し始めました。

モラ夫の追撃

2005年07月18日 00時57分41秒 | モラハラ
ついに恐れていたことがやってきました。
6年前、モラ夫は銀行からお金を借りる際に、私のことを連帯保証人にしていました。
連帯保証人にさせられてしまうと、離婚したからといって逃げることはできません。
モラ夫は私を困らせることしか考えてませんでしたから、
私が保証人になっているこの借り入れ分の返済を一番先にストップ。
ある日、突然銀行の担当者が訪ねて来て言います。
「このままでは、あなたに支払義務が発生します」
保証債務には損害金やら延滞金やらが加算されていて、
分割にして支払ったとしても一生かかりそうな金額でした。
しかし私たちはモラ夫がやりそうなあらゆるケースを想定して準備しており、これも想定内です。
すでにお願いする弁護士さんも決めておりましたので、早速相談に行きました。
モラ夫は今度ばかりは私が困って泣きついてくると考えていた様です。
この罠にはまってモラ夫に連絡を取っても、
私が死ぬまでこの支払いに苦しみながら払っていっても、
それは彼を喜ばせるだけです。
私はある計画を実行することにしました。

モラ夫の生い立ち

2005年07月18日 00時45分46秒 | モラハラ
モラ夫と知り合ったとき、私は彼の生い立ちに同情してしまいました。
今となっては彼の話がどこまで本当だったかわかりませんが、
彼の話によると、彼が5才の時母親が亡くなり継母と父親に子供が生まれると、
親戚に預けられて大人に気兼ねしながら育ったという。
小学生のときもお弁当を作ってもらえず、
校庭の片隅で本を読んで昼食時間が終わるのを待っていたことなどを涙を浮かべて話しました。
どちらかというと過保護気味に育った私はこんな話にすっかり同情し、
彼を幸せにしたいなんて馬鹿なこと考えてしまいました。
モラ夫は獲物を探す狼の様に、
モラルハラスメントの被害者になりやすい人物を目ざとく見つけるのです。
まんまと私も次男もモラ夫の餌食となりました。
モラ夫は常に私と次男に対して、
「ろくな大学も出てないくせに・・・」とか
「たいした仕事もしてないくせに・・・」とか、
自分がだめな人間だと思い込ませるような言葉を浴びせかけました。
しかし長男には別の顔で接していました。
長男には惜しみなく教育費を使い、車が欲しいと言えば買い与え、次男とはまるで扱いが違っていました。
確かに長男は成績も要領も良く、ずっと父親のお気に入りでした。
この長男(海外在住)とは今もメールや電話で連絡取り合ってるようで、
モラ夫についての情報は長男を通じても入ってきます。
息子二人に対する扱い方の違いなどを見るとモラ夫自身が幼いころから、
腹違いの弟と差別されて育ったことなどがオーバーラップして見えてきます。
これがモラハラの2次被害でしょうか。

嘘には嘘を

2005年07月17日 01時19分49秒 | モラハラ
モラ夫は関係者に、離婚した妻には田園調布の家をやったとか、
数千万の慰謝料を払ったなど大嘘を並べまくってました。
悔しい思いをしながらも、反論したらこちらの負けです。
嘘には嘘でお返しすることにしました。
私は難病悪化で入退院を繰り返し、再起不能で新会社も立ち行かなくなっていると、
嘘の情報を流したのです。
おあつらえ向きに、モラ夫の会社と私の会社と両方から仕事をもらい、
うまく立ち回りってるつもりの工場経営者がいましたので、
この人を通せば情報がモラ夫の耳に入るはずです。
思惑通りモラ夫の耳に嘘情報が入った様で、
この後は着信拒否をかいくぐってかかってくる非通知の無言電話もなくなりました。
モラ夫は元妻が不幸であれば満足なのです。

爪に火を灯す生活

2005年07月17日 01時13分56秒 | モラハラ
モラ夫の会社に打ち勝つためには、良い商品をできるだけ多く、そして安く作らねばなりません。
幸い私の立場を理解してくれた多くの工場が、快く協力してくれました。
そんな各工場への支払いを遅らすことはできません。
そのためにも、持てるお金の殆どを仕事につぎ込んでいましたので、毎日の生活費には困窮しておりました。
そして私と息子は生活のため、アルバイトを探すことに。
若い息子はすぐに仕事が見つかりましたが、
まもなく60才の私に見つかったのは清掃スタッフという仕事だけでした。
この際贅沢は言ってられません。
ちょっと前までは客としてブランド服なんか買いに行ってたショッピングビルでの清掃です。
大変な仕事でしたが、私には大きな目的がありましたから、それほど苦にはなりませんでした。
踏ん張った甲斐もあり、4ヶ月程すると我が家の経済状態は改善されて来て、
アルバイトと本業かけもちの生活を終えることができました。
生活さえ安定してくれれば、モラ夫のいない生活はストレスもなく、貧乏ながらも快適です。
リラックス出来る様になったためか、食事も(何ておいしいんだろう)なんて思う様になった上、
この食料不足のおかげで息子は理想的ダイエットが出来、
私の過敏性大腸症もぴたりと止まりました。
苦労したおかげで、この頃には私もすっかり強くたくましいおばあちゃんになっていました。

徹底無視

2005年07月17日 01時06分15秒 | モラハラ
モラ夫は反論されることは大好きです。
一言でも反論すればモラ夫にスイッチが入り、ぶっ続けで自分の屁理屈を並べ続け始めます。
こうなるとたいていの人はエネルギー切れでギブアップ。
「あなたが正しいです」と言わされ、納得したことにされてしまいます。
私もよく明け方の3時、4時まで缶詰にされました。まるで拷問の様に。
こんなモラ夫も、相手が反論してこない限りは自分の土俵に引き込めません。
無視されれば成す術がなくなります。
これを知っていたので、私と息子はモラ夫からのアプローチに対して一切無視することにしました。
すると今度は私たちを挑発し、いぶりだそうと、モラ夫は取引先へ私と息子を中傷する電話を入れる様になりました。
しかし所詮は事実無根の誹謗中傷です。
モラ夫から電話を受けたいくつかの会社からは問い合わせがありましたが、
私が皆に正直に事実を話したことで、結局モラ夫はかえって墓穴を掘ったようでした。
こんなことしてくるモラ夫に、もはや同情の余地はありません。
この後、私たちはさらに徹底して彼を無視する様になり、
うちの電話とFAXには、彼のかけてきそうな電話番号のすべてが着信拒否に設定されました。

反撃開始

2005年07月16日 01時00分51秒 | モラハラ
モラ夫の会社を辞めて約1ヶ月後、実家からの支援も得て資本金を集め、
有限会社を設立できました。
いよいよ新会社スタートです。
モラ夫の会社では新商品が何も出てないのを確認し、
私と息子が始めた新会社では、前の会社の取引先に新鮮な企画を持って売り込んで歩きました。
すでに景気が低調になった小売業界は、
今までのなれあいで取引が継続できるほど甘くはありません。
取引先は次々と私たちの会社に乗り換えてくれます。
するとその後まもなく、これを聞きつけたモラ夫はFAXを送って来ました。
私を不正競争防止法違反で訴えると言うのです。
似ている商品を売ってるからとの理由でした。
あちらの商品も私のデザイン、私の会社も私のデザイン、似てるのは当たり前。
念のため弁護士さんに相談もしましたが、私はバカバカしくなり、無視する事に決めました。