モラ夫回顧日記

モラ夫から逃げ出し、モラ夫の生活を破綻させ一矢報いました。
しかし彼は逃がした獲物をすんなり諦める男ではなかった。

ヒモラのため息

2006年06月28日 23時56分31秒 | モラハラ
ハローページが届いてからというもの、ちょっと緊張する毎日が続いています。
英二が私用に最近の小学生がランドセルにぶら下げている警報ブザーを
買ってきてくれました。
通勤用のバッグの内ポケットに忍ばせていつでも取り出せるようにしました。
以前買った催涙スプレーは周りの人にかかって騒ぎになったというニュースを
やっていたので使用しないほうが良いだろうと判断したからです。
またまた増えてしまった私の防犯グッズです。

そんなある日、ナンバーディスプレイが非通知の電話がかかってきました。
非通知電話はだいたい何かのセールスとか投資のお誘いなどの怪しげな電話
が殆どですから「さて何を売り込んできたのかしら」と気楽に受話器を上げ
ました。

しかし、相手は無言。
「もしもし」と言っても相手は黙ったままこちらの音を聞いているような
かすかなため息のような息づかい。
「あ!やつだ」

一緒に暮らしているとき、ヒモラは頻繁にため息をつきました。
彼の”ため息”を聞いてしまうと私は胃袋のあたりをギュッとわしづかみに
されたように苦しくなって彼の次の動きに怯えたものです。

ため息の後は私か息子が彼の部屋に呼ばれて朝まで説教されるとか、怒鳴られる
とか大きな音でドアを閉めるとか壁を蹴破ることもありました。
いづれにしても彼の機嫌が悪く何かが起こる前ぶれでした。

いつもこのため息が出たら私や息子たちは「蜘蛛の子を散らす」状態で彼の居る
部屋から離れました。
私は全神経を使って彼の心の内を感じ取ろうとしてました。
今日何か彼の気に障るようなことしただろうか・・・今月の売り上げの悪いのは
私のせいだと責められたら何て言えば怒られないんだろう・・・・
しかし怯えた態度をすると余計に怒られるので彼に呼ばれたらいつでも彼の部屋
に普通の顔して行けるよう心の準備をしたものです。

あの頃と同じ息苦しい感覚がよみがえってきました。
これは紛れも無くヒモラのため息でした。
こちらが先に電話を切ったのですが、我ながら情けないほどに手が震えてその場
にうずくまってしまいました。

私の異常に気づいたらしい英二が2階から降りてきたとき、再び電話が鳴りました。
ディスプレイは「ヒツウチ」

何も言わずに受話器を取りあげた英二はすぐにその受話器を忌まわしいものでも
捨てるように置いて言いました。
「あいつだ」
その電話もやはり無言のままだったそうです。

草むらに身を隠してじっと野ネズミの心臓の鼓動に耳をそばだてる蛇を思い浮か
べました。
その蛇は「どこに逃げても隠れ場所なら簡単に見つけられるんだからな、いつでも
おまえたちを食ってやるぞ」と言っているようです。


ハローページ

2006年06月23日 23時32分43秒 | モラハラ
引っ越してから3ヶ月が過ぎようとしたころ、会社にNTTが最新版ハローページを持って来ました。

企業版ページをめくっていた息子が「ヤバイ!」と大声をだしました。
「どうしたの?」と聞くと、「あいつハローページ好きだよね」
確かにヒモラはパソコンが大の苦手。
だから何かを探すにもインターネットは使わず、あの黄色いハローページを
取り出す男だった。
「ヤツのところにもこのハローページ届いてるよな」
「うん、そうでしょうね」
「ここ見てみなよ。うちの会社は一番に出ちゃってるよ」と英二が指差した
ページにはあいうえお順で一番目にわが社の新しい電話番号と住所が出て
いるではありませんか。

「あーっ、大変だ!」
「ここが見つかっちゃう!」

仕事をしてるからには住所も電話番号も隠し続けるわけには行きませんから
ある程度は覚悟していたのですが、こんなに早くバレるきっかけが来るとは
予想外でした。

この件があってからは会社のビルを出るときは左右を見て怪しい人物がいない
かを確かめて歩きだすようにしました。

脅しにも、哀れみを誘っても、どんな餌をぶら下げても反応せず、無視を続ける
我々にしびれをきらして押しかけてくることは充分考えられました。



ちょうちんあんこう

2006年06月22日 00時03分00秒 | モラハラ
引っ越しも片付いて2006年がスタートしたある朝、わが社のネットショップの
更新をやっていた英二が大変なものを見つけました。

○○エンジニアリング株式会社がネットショップを立ち上げているではありま
せんか。
しかも、商品のすべては私がデザインしたもの。
過去にやったものもあれば、最近の商品の模倣品もあります。
中には私が意匠権を持っているものまで偽者を作って販売していました。

企画者のこだわりのチェックが無い製品は写真でもわかるほど形は歪んで材料も
安いものを使っていました。
オリジナルを企画した人間としてはこんなものを同じ価格で販売するなんて詐欺
じゃないかと思うくらいのしろものです。
しかも商品名までわが社のものを真似していたのです。
離婚した元妻のものまでまだ自分のものだと思っているのでしょうか。

当然ながら怒った私は「弁護士さんに電話する」と言って受話器を取り上げました。
しかし、そのとき息子英二が私の手を押さえて言いました。

「おいおい、落ち着きなよ母さん」

「あいつの本当の狙いは何だと思うの?彼らが作ったこんなしょぼいホームページ
の売り上げなんてヤツの食費にもならないと思うよ」
「あいつの狙いは僕と母さんが怒ってあいつのところに怒鳴り込むことだよ。それ
をきっかけに自分のペースに取り込もうって魂胆だろうよ」

「あいつはちょうちんあんこうなんだよ。つまり、このネットショップはちょう
ちんあんこうのちょうちんさ」
「オレたちが食らい付くのを暗闇で待ってるのさ」

誕生日

2006年06月21日 00時39分32秒 | モラハラ
誕生日

保証機関の審査を受けたあと、約1週間。
審査の結果を知らせる電話がありました。
ほとんど諦めていた融資が決まったのです。
私と英二の4年間の努力と実績がヒモラの地雷を潰したのです。

いよいよ引っ越しです。
事務所の引っ越しと同時に探し始めた住居マンションも会社まで歩ける距離の
ところに見つかりました。
思い起こせば4年前には来月の家賃が払えなければホームレスかしらなどと本気
で考えたものでした。
それが今、人並みの暮らしが出来る幸せをかみしめています。
「このままヒモラに見つからないで暮らせるかもしれない」という期待も膨らんで
行きました。

そしてこの新しい住居で私は60歳の誕生日を迎えたのです。

無実の証明

2006年06月19日 23時37分57秒 | モラハラ
計画倒産の片棒を担いでるのでは、と言われて黙って引き下がるわけには行き
ません。
A氏が書類を見ている間に私と英二は示し合わせるでも無く、すばやい連携
プレーを開始しました。
部屋のあちこちからヒモラが一切この会社に関与していないという証拠を持ち
寄りました。

会社設立時、またそれ以前の入金がわかる個人の預金通帳、ヒモラが我々に
送りつけてきた「訴えてやるぞ」と書かれた手紙、脅迫とも思える文面のFAX。
そして極めつけはやみ金がヒモラの借金を息子に返せと迫った録音テープ。
親子が絶縁状態であることの証明です。

ヘビーな話には慣れているはずのA氏も最後には「書類的にはまったく問題なく
融資できない理由は何もありません。
しかし感情の問題なんですよね。上司が何と言うかわかりませんが、私としては
できるだけ説明しておきます」と言ってすまなそうに立ち上がりました。
玄関で最後に「頑張ってください」と言ってくれたのが印象的でした。
私も「お風邪、お大事になさってください」と言って深く頭を下げました。

今回の借入れ希望額は小額のものだったが、今後何があるかわからないので
チャンスが訪れたときにはすぐに融資が受けられる体勢を作っておきたかった
のです。
私も息子もがっくりと肩を落として仕事への意欲も失いつつありました。

地雷

2006年06月16日 22時53分50秒 | モラハラ
「捨てる神あれば、拾う神あり」とは良く言ったものです。
数日後、素晴らしい物件を見つけました。
事務所が20ほど入ったこじんまりとしたビルでメゾネットタイプの部屋です。
私が一番気に入ったのはビル正面入り口はカメラ付きオートロックだったこと
です。

しかも、恐れていた保証人の件も「お母様が保証人になればいいでしょう」と
ビルオーナー会社の担当者が笑顔で言ってくれました。
実は、だめもとでこの担当者にこれまでのこと(離婚や30年やってきた会社を
離婚した夫に取られた話)を話したのが良かったのかとも考えます。
今の時代は離婚した女性に対する偏見が少なくなったと実感しました。

「これですべてがうまく行く」と思えたのもほんの数日間だけでした。
何と、ヒモラが仕掛けた地雷が埋まっていたのです。

事務所が決まって数日後、借入れの保証の件で保証機関の担当者が自宅兼
事務所に訪ねてきました。
夏風邪を引いたと言って鼻を拭きながらそのA氏が持ってきた書類を見て私と
英二は顔面蒼白になりました。
金融関係企業はさすがに個人情報の宝庫でした。
当たり前といえば当たり前なのですが、私と息子の情報、そして息子の父親
(ヒモラ)の情報までもしっかりと書類になって用意されておりました。

そしてA氏は口を開きました。
「英二(息子)さんのお父様はご自分の会社が倒産する以前に、息子さんに
は別の会社をやらせていると言っておられたという情報があります」
「つまり、申し上げにくいのですが計画倒産の疑いがあるということです」
A氏はティッシュで鼻を押さえながら言いました。

引っ越しを決意

2006年06月15日 23時41分25秒 | モラハラ
会社兼自宅の現在の住居はヒモラに知られていた。
いつまた彼の回し者がやって来るかもしれませんし、ヒモラ本人が乗り込んで
くるやもしれません。
こうなったら安全のためにもこの部屋から逃げることが最善だと考えました。
しかし、商品製造にお金をつぎ込んでおりましたので先立つものが足りません。
そこでわずかな預金ながら口座を持っていた近くの信用金庫に相談に行きました。
息子が持って行った会社の決算書を見て担当者はすぐに書類を揃えるように言ってくれました。

「これで引っ越せる」
役所の審査を受け、書類を揃えて銀行に提出。
あとは信用保証機関の承認をもらえば良いだけでした。
まず、事務所になる部屋を探し始めました。
仕事を終えたあとや休みの日はいつも物件を見て歩きました。

最初に気に入った事務所は駅から7分ほどのオフィスビル内、15坪ほどの部屋。
築年数も浅く、広さも環境も気に入ったし、予算的にも割安の物件です。
早速申し込みました。

しかし不動産屋さんから提出するように送られてきた書類を見て気が重くなり
ました。
家族以外の保証人はもとよりその人の源泉徴収表までも必要だったのです。
年老いた両親は年金暮らし、兄も定年後アルバイトの身。
他に誰が源泉徴収表など用意してくれるでしょうか。
この時は、頼りになる後ろ盾がいないことの不幸が身にしみました。


黒幕

2006年06月13日 00時06分34秒 | モラハラ
"風邪ひいちゃったおばちゃん"との取引をお断りして一ヶ月ほど経ったある日
海外に暮らす長男英一から父親の情報を知らせる電話がありました。
父親のヒモラは長男には時々電話を入れているらしく、この情報網でしか私と
次男にはヤツの動きはわからなかったのです。

長男の話を聞いてびっくりです。
何と、ヒモラは○○エンジニアリング株式会社という会社と契約して新規事業
アドバイザーとやらをやっているというではありませんか。
その新規事業というのは30年前に私が立ち上げてヒモラを社長にした会社(すで
に倒産)のブランド名を使った事業だったのです。
私はあまりの驚きでへたり込んでしまいました。

自分では製品を考えることも作ることも出来ないヒモラは我々を騙して商品を
巻き上げようとしていたのか。
それとも会社ごと乗っ取ろうなどと企んでいたのだろうか。
そういえばサンプルとしていくつか商品を送ってほしいとか言っていた。
しかし、不覚にも最初の電話のとき依頼された商品カタログ10部をすでに送って
しまった。

これから先、あいつがどんな落とし穴を仕掛けてくるかと考えると悔しさと不安
で眠れない夜が続きました。

取引依頼の電話

2006年06月11日 22時53分55秒 | モラハラ
私と次男とで始めた会社は何とか起動に乗り、人並みの生活が出来るように
なったある日、一本の電話が入りました。
「こちらは○○エンジニアリング株式会社と申しますが、御社の商品をぜひ
取り扱いと思ってます」
あまりビジネスライクではない話し方の中年女性の声です。
私たちにしてみれば一社でも多く取引先を増やしたい矢先、でもこの女性の
話し方に何か引っかかるものを感じました。

工作機械の卸売りをしている会社がなぜ、知識がまるで無い分野のかわいい
商品を扱うのだろう?
アメリカのホテルで販売するというので、私どもの卸価格から考えますと
アメリカでの販売価格はかなり高いものになりますが大丈夫なのでしょうか?
と訊ねましたが彼女には意味がわからない様子でした。

いろいろとつじつまの合わない点が多く、即答を避けると、相手の女性が
来週月曜にまた電話しますとのことになった。
(今考えるとここで内部での作戦会議があったのでしょう)

さてその月曜になっても電話が無い。
「ああ、諦めたな」と思ったが気になるのでその会社の状況を調べてみる
ことにした。
父親にまで騙された経験を持つ次男英二は、まず相手を調べてからでないと
信用しません。
早速調査開始です。

「○○エンジニアリング株式会社」確かに存在しました。
登記簿を見ると社長が2年ごとに代わっているし、業績が最悪。
本業がうまく行かなくなって他業種に手を出そうとしてることが明らかで
あった。

相手の素性がある程度わかったところに1週間ほど経って例の女性から再び
電話があった。
「すぐにうちの会社にいらしてください。うちの社長がお会いします」
こちらの意向も聞かずに高飛車な物言いであった。

「先日お電話くださるとおっしゃったのでお待ちしておりましたが、どう
なさいましたか?」
とたずねるとその中年女性はケラケラと笑いながら答えました。
「ああ、先週?わたしねえ、風邪ひいちゃったのよ」

因果その4 息子よお前もか

2006年06月04日 01時14分44秒 | モラハラ
長男の結婚から1年目、やっとのことで夫が離婚届けにサインしてくれました。
私と次男が家を出て約2年後に、額に汗して働くことを知らないヒモラは、
当然のように破綻をしました。
もちろん離婚したとは言え、私も彼の保証人にさせられていましたので前述の自己破産という結果になりました。

あとで知ったのですがヒモラが"コツコツ貯めたお金だ"と言って出してきた
長男の結婚資金1000万円。実は高利貸しから借りたものだったのです。
このほかにもいろいろあって金融機関の方から聞いた話では彼の負債総額は1億円を超えるものだったそうです。

元夫ヒモラが夢の生活を追い求めるあまり、家計の計算がまるで出来ない人間
(ベターライフ依存症とでも呼ぶべきでしょうか)だったという事は身を以って思い知らされました。
このベターライフ依存症のDNAは息子にもしっかり遺伝していると知って愕然としたのはつい最近のことです。

お嬢様と結婚した長男英一は、海外に住み、2人の子供をもうけ、
アメリカのホームドラマに出てくるような芝生のある家2台のドイツ車を所有し、自分の給料ではとても補えない生活をしていました。

かつて彼の父親(ヒモラ)が自分の親兄弟を見下し、彼らとの交流を絶ったように、
セレブの仲間入りをしたと勘違いしている長男もまた自分の家族との交流を絶とうとしています。
貧乏で年老いても働かなければならない母(私は働けることを誇りに思ってますが)を恥じているようにも見えます。
この部分に父親から息子への恐るべき因果を感じずにはいられません。

ところが、先日珍しくこの息子から電話がありました。
何と、優雅に暮らしていたはずの息子が、
多額のカードの支払いに追われて困っているというのです。
「お母さんに相談したってしょうがないけどね・・・」
それって私に借金したいってこと?

お金に困ったこの感じ、イライラし八つ当たりするかの様なこの感じ、
言葉の中に思いやりも優しさも無く一方的に話す長男は元夫ヒモラとそっくりでした。
膨らむ一方の彼らの生活は、奥さんの実家からの援助ですらもう追いつかなくなったのでしょうか。
私が「お父さんと同じにはならないでね」というとかすかに「うん」と言って電話は切れました。