モラ夫回顧日記

モラ夫から逃げ出し、モラ夫の生活を破綻させ一矢報いました。
しかし彼は逃がした獲物をすんなり諦める男ではなかった。

ありえないトラブル

2006年10月09日 20時06分11秒 | モラハラ

突然エンジンが止まった車の原因はJ○Fの人にはわから
なかった。
J○Fが契約している修理工場にレッカー移動することに
なってあらゆるところをチェックしたにも関わらず原因は
わからなかった。

その夜ホテルから夫に電話して事情を話したが夫は特に
私を責めるようなことは言わなかった。

月曜の朝、夫から連絡が行ったらしくその車はいつもの
修理工場MHモーターズに引き取られた。
ところがその工場でもさっぱり原因はわからなかったのだ。
結局、そのドイツ車を販売しているディーラーの専属工場
へ運ばれて約1週間、やっと原因が判明したのだった。

後日MHモーターズの方から私に電話があってエンジン
が突然止まった際の様子など質問を受けた。
そして彼の口から驚くべき事実を聞かされた。

「今まで販売されたこの車にこんなトラブルはドイツでも
聞いたことが無いそうです」
「人為的にでもやらないとあり得ないトラブルです」

人為的にやらないと・・・とそう言われていたのにその時
の私は夫を疑うことはまったく無かったのでした。
「人為的」の意味を「車を作ったドイツの工員がミスし
ちゃったのね」と解釈していたのです。
この事件を疑惑に感じ始めたのは元夫が私に掛けた
生命保険がかなり高額だったことを知った時でした。

私の運転していた車のエンジンの中に荷造りなどに使う
ビニールヒモが絡み付いていたというのです。
その車の床下には全く隙間は無く道路からそのヒモを
拾うことは絶対に無いとのこと。

その夜、帰ってきたモラ夫は食事の支度をしていた私の
後ろから笑いながら声をかけてきました。

「君ねえ、だめよ、道路でヒモなんか拾ってきちゃーさ」

「そうみたいね」とちょっと引きつって答えた私。
怒られなかったことにホッとして肩の力が抜けた気がした。

「ははは・・・はは・・・・」
モラ夫は乾いた笑い声を上げながら2階へ上がって行った。


命拾い

2006年10月08日 23時32分02秒 | モラハラ
普通の夫婦ならこんな時、真っ先に夫に電話するので
しょうが私は夫には電話できませんでした。

以前に車で30分ほどのショッピングセンターに出かけ
て車に戻るとタイヤがパンクしていたことがありました。
そのとき困った私は夫に電話で助けを求めたのだったが
「そんなの私に言われたって知らんよ」
「あんたがクギでも拾ったんだろ」
とけんもほろろに断られたことがあった。
相手が困っている時にこそこれでもかと意地悪なのが
モラの特徴なのでしょうか。

タイヤのボルトは固まっていて私の力ではなかなか動か
なかった。
ボルトと格闘する私に隣のパーキングスペースに駐車した
夫と同じくらいの年齢の男性が手を貸してくれた。
真新しい軍手をさりげなく渡され「大変だね」と言われた
だけで涙が出そうになった。

モラ夫はきっと今回も「おまえ車壊したのか」と怒るだろう。
私はいつも修理をお願いしている修理工場MHモーターズ
に電話をすることにした。
しかし土曜日だったのであいにくここはお休み。
仕方なくJ○Fに電話して現場まで来てもらうことになった。

私がホテルにまっすぐ向かっていたら間違いなく高速道路
上でこの事故は起こっていたはずであった。
考えるとぞっとした。
週末の高速道路はかなり混んでいたし、どの車も100km
以上のスピードを出している。
大事故になっていたかもしれないのだ。

何て運が良かったのだろうかと思いながらも車が故障
したことをモラ夫にどう説明したら怒られないかを考えて
ながらJ○Fを待った。

7年前の疑惑

2006年10月07日 22時02分18秒 | モラハラ
数ヶ月前の針混入騒動がもしモラ夫側の仕業だとしたら、
私には7年前に起こったこの日の出来事も彼が関わって
いたと思えてなりません。

私が出かける準備をしていると夫がガレージから出てき
ました。
朝からガレージで車をいじっていたようです。
「空気圧見といたからな」
「カーナビも○○ホテルまで設定しといてやったからな」
「すみませんでした。行ってきます」

普通の仲の良い夫婦の会話である。
いつもあんな物分りの良い人なら離婚しなくてもやって
いけるかもしれないなどと考えながら車に乗り込みました。

○○ホテルまでは首都高から常磐道に入り約1時間半
その後一般道を20分くらい走ったところにあります。

その常磐道の一つ手前の出口から30分くらいのところ
に私の実家があります。
ちょっと早目に家を出たこともあって実家に先に寄って
行こうと思い一つ手前の出口に向かってハンドルを切り
ました。
高速の出口はゆるやかな長い下り坂で一般道に合流します。

一般道に入って500メーターくらい走ったところで私の車
は何の前触れも無く突然ストップしてしまったのです。
何度キーを回してもエンジンはピクリともしません。

まわりは田園地帯、かなり先に牛丼屋らしきオレンジの看板
が見えました。
当時はまだ携帯電話を持っていなかったためその牛丼屋まで
歩いて電話を借りることにしました。


束縛と監視

2006年10月07日 15時36分16秒 | モラハラ
元夫は私が一人で彼の知らないところに出かけることが
嫌いでした。
嫌いというより許さなかった。
私が友達の家に遊びに行きたいというと一緒に付いて
来ます。
モラ夫は「彼女を送ってきただけですから」と言いながら
友達の家に上がりこみ前々から自分の友達だったかの
ような態度になって私を連れて帰路につく。

出身校での同窓会があったときも彼は
「私は運転手ですよ」と言いながら付いてきた。
友達の前でにこやかに挨拶する男を誰もが
「いい旦那さまねえ」と言った。
そして時間になると迎えに来て連れ帰られた。
私の囚人のような生活を誰も理解してくれなかったのです。

今から7年ほど前、そのころすでに私には離婚の意思が
固まっていた。
いつも私を監視していた元夫がそんな私の態度に気づか
ないわけは無かったと思います。
「あんた、変わっちゃったよ!」
と一度言われたこともありましたから。
多分、以前ほどに夫に怯えなくなっていたかもしれません。

その冬、私は地元で行われる同窓会に出席したいと
言いました。
もちろんその際一人で行きたいと・・・・
そのときモラ夫は何やら毎回付いて行ったことへの
言い訳をしたように思いますが何を言ったか思い出せ
ません。

同窓会が行われるホテルに前日から入って友達と一泊
する計画になりました。
私の心配をよそにモラ夫はすんなりOKしてくれました。
彼の2台の車のうちコンパクトなドイツ車を使って良いと
まで言ってくれたのです。