モラ夫回顧日記

モラ夫から逃げ出し、モラ夫の生活を破綻させ一矢報いました。
しかし彼は逃がした獲物をすんなり諦める男ではなかった。

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長男が帰国

2008年02月02日 12時01分55秒 | モラハラ
アメリカに住んでいる長男英一が出張で帰国することになった。
10日間に東京滞在とのことである。

帰国の数日前にメールが入ってアメリカに買って帰りたいものをネットで購入
したから受取っておいて欲しいとのことだった。
もちろん快くOKした。

その後いろいろ届くは届くは・・・
子供たちのおもちゃ、奥さんのマンガ本、お店の仕入れかと思うほどのレトルト
食品。

びっくりしたのは、何とそれらのほとんどは代金引き換えだったことです。
電話すると「僕の持ってるカードはアメリカのやつだから日本のネットショップ
で取り扱えなかったんだよ」「あとで返すからとりあえず払っておいてね」

息子に言われるとイヤとも言えず毎日貯金を下ろしては支払った。
狭いオフィスに彼の荷物が山のように積まれた。
さて今日は長男英一の帰国日。
1年振りに会える息子からの連絡を待った。





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離婚記念日

2008年01月29日 23時48分26秒 | モラハラ
離婚からまもなく6年になります。
モラ夫もすっかり過去の人。
今、どこでどのように暮らしているか知りませんし、知りたくもありません。

私がこのブログをお休みしてもはや2年数ヶ月。
その間、父の死(享年93才)や母の入院などいろいろありましたが決して
過去の暮らしほど辛いことはありませんでした。
多分この数年は大人になってから一番の幸せと言えるかもしれません。

今の私はモラハラ男に怯える女だったとは誰も信じないことでしょう。
すっかり逞しくなった次男に支えられて仕事も順調に成長しています。
今月はパート従業員を3人雇いました。

10年前は歩くこともままならないほどに悪化した膠原病も不思議なほどに
影を潜めて完治したかと思うほどです。
やはりストレスの無い充実した生活は難病に勝てる力を生むのでしょうか。

2月1日は離婚記念日。
シャンパンで乾杯します。



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ありえないトラブル

2006年10月09日 20時06分11秒 | モラハラ

突然エンジンが止まった車の原因はJ○Fの人にはわから
なかった。
J○Fが契約している修理工場にレッカー移動することに
なってあらゆるところをチェックしたにも関わらず原因は
わからなかった。

その夜ホテルから夫に電話して事情を話したが夫は特に
私を責めるようなことは言わなかった。

月曜の朝、夫から連絡が行ったらしくその車はいつもの
修理工場MHモーターズに引き取られた。
ところがその工場でもさっぱり原因はわからなかったのだ。
結局、そのドイツ車を販売しているディーラーの専属工場
へ運ばれて約1週間、やっと原因が判明したのだった。

後日MHモーターズの方から私に電話があってエンジン
が突然止まった際の様子など質問を受けた。
そして彼の口から驚くべき事実を聞かされた。

「今まで販売されたこの車にこんなトラブルはドイツでも
聞いたことが無いそうです」
「人為的にでもやらないとあり得ないトラブルです」

人為的にやらないと・・・とそう言われていたのにその時
の私は夫を疑うことはまったく無かったのでした。
「人為的」の意味を「車を作ったドイツの工員がミスし
ちゃったのね」と解釈していたのです。
この事件を疑惑に感じ始めたのは元夫が私に掛けた
生命保険がかなり高額だったことを知った時でした。

私の運転していた車のエンジンの中に荷造りなどに使う
ビニールヒモが絡み付いていたというのです。
その車の床下には全く隙間は無く道路からそのヒモを
拾うことは絶対に無いとのこと。

その夜、帰ってきたモラ夫は食事の支度をしていた私の
後ろから笑いながら声をかけてきました。

「君ねえ、だめよ、道路でヒモなんか拾ってきちゃーさ」

「そうみたいね」とちょっと引きつって答えた私。
怒られなかったことにホッとして肩の力が抜けた気がした。

「ははは・・・はは・・・・」
モラ夫は乾いた笑い声を上げながら2階へ上がって行った。

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命拾い

2006年10月08日 23時32分02秒 | モラハラ
普通の夫婦ならこんな時、真っ先に夫に電話するので
しょうが私は夫には電話できませんでした。

以前に車で30分ほどのショッピングセンターに出かけ
て車に戻るとタイヤがパンクしていたことがありました。
そのとき困った私は夫に電話で助けを求めたのだったが
「そんなの私に言われたって知らんよ」
「あんたがクギでも拾ったんだろ」
とけんもほろろに断られたことがあった。
相手が困っている時にこそこれでもかと意地悪なのが
モラの特徴なのでしょうか。

タイヤのボルトは固まっていて私の力ではなかなか動か
なかった。
ボルトと格闘する私に隣のパーキングスペースに駐車した
夫と同じくらいの年齢の男性が手を貸してくれた。
真新しい軍手をさりげなく渡され「大変だね」と言われた
だけで涙が出そうになった。

モラ夫はきっと今回も「おまえ車壊したのか」と怒るだろう。
私はいつも修理をお願いしている修理工場MHモーターズ
に電話をすることにした。
しかし土曜日だったのであいにくここはお休み。
仕方なくJ○Fに電話して現場まで来てもらうことになった。

私がホテルにまっすぐ向かっていたら間違いなく高速道路
上でこの事故は起こっていたはずであった。
考えるとぞっとした。
週末の高速道路はかなり混んでいたし、どの車も100km
以上のスピードを出している。
大事故になっていたかもしれないのだ。

何て運が良かったのだろうかと思いながらも車が故障
したことをモラ夫にどう説明したら怒られないかを考えて
ながらJ○Fを待った。
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7年前の疑惑

2006年10月07日 22時02分18秒 | モラハラ
数ヶ月前の針混入騒動がもしモラ夫側の仕業だとしたら、
私には7年前に起こったこの日の出来事も彼が関わって
いたと思えてなりません。

私が出かける準備をしていると夫がガレージから出てき
ました。
朝からガレージで車をいじっていたようです。
「空気圧見といたからな」
「カーナビも○○ホテルまで設定しといてやったからな」
「すみませんでした。行ってきます」

普通の仲の良い夫婦の会話である。
いつもあんな物分りの良い人なら離婚しなくてもやって
いけるかもしれないなどと考えながら車に乗り込みました。

○○ホテルまでは首都高から常磐道に入り約1時間半
その後一般道を20分くらい走ったところにあります。

その常磐道の一つ手前の出口から30分くらいのところ
に私の実家があります。
ちょっと早目に家を出たこともあって実家に先に寄って
行こうと思い一つ手前の出口に向かってハンドルを切り
ました。
高速の出口はゆるやかな長い下り坂で一般道に合流します。

一般道に入って500メーターくらい走ったところで私の車
は何の前触れも無く突然ストップしてしまったのです。
何度キーを回してもエンジンはピクリともしません。

まわりは田園地帯、かなり先に牛丼屋らしきオレンジの看板
が見えました。
当時はまだ携帯電話を持っていなかったためその牛丼屋まで
歩いて電話を借りることにしました。

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束縛と監視

2006年10月07日 15時36分16秒 | モラハラ
元夫は私が一人で彼の知らないところに出かけることが
嫌いでした。
嫌いというより許さなかった。
私が友達の家に遊びに行きたいというと一緒に付いて
来ます。
モラ夫は「彼女を送ってきただけですから」と言いながら
友達の家に上がりこみ前々から自分の友達だったかの
ような態度になって私を連れて帰路につく。

出身校での同窓会があったときも彼は
「私は運転手ですよ」と言いながら付いてきた。
友達の前でにこやかに挨拶する男を誰もが
「いい旦那さまねえ」と言った。
そして時間になると迎えに来て連れ帰られた。
私の囚人のような生活を誰も理解してくれなかったのです。

今から7年ほど前、そのころすでに私には離婚の意思が
固まっていた。
いつも私を監視していた元夫がそんな私の態度に気づか
ないわけは無かったと思います。
「あんた、変わっちゃったよ!」
と一度言われたこともありましたから。
多分、以前ほどに夫に怯えなくなっていたかもしれません。

その冬、私は地元で行われる同窓会に出席したいと
言いました。
もちろんその際一人で行きたいと・・・・
そのときモラ夫は何やら毎回付いて行ったことへの
言い訳をしたように思いますが何を言ったか思い出せ
ません。

同窓会が行われるホテルに前日から入って友達と一泊
する計画になりました。
私の心配をよそにモラ夫はすんなりOKしてくれました。
彼の2台の車のうちコンパクトなドイツ車を使って良いと
まで言ってくれたのです。

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テレビの取材

2006年09月16日 20時53分58秒 | モラハラ
先日、「モラルハラスメント被害者同盟」の管理人さまの
ご紹介で某テレビ局の取材を受けました。

約2時間のインタビューと撮影でしたが放映時間はたった
8分。
ちょっとの放映でもこれでモラルハラスメントの被害に
遭われている方がその生活の異常さに気づかれたら良い
と思います。

私は30年以上にもおよぶモラ夫との結婚生活から逃れる
べく6年前、夫に離婚を申し出ました。
モラ夫が自分の下僕として飼いならした妻を簡単に逃が
すはずはありません。
私は知り合いの紹介である弁護士さんに相談に行きました

タバコもお酒も飲まず、ギャンブルもせず、女もいない・
何が不満なのかと聞かれて「精神的暴力です」
と答えました。

初老の弁護士さんはちょっとニヤッと笑ったように口を
曲げて「それは難しいねえ・・うーん日記とかつけて
る?」「家計簿の隅に書いたようなやつでもいいんだけ
どね。
そこに旦那さんにこう言われたとか、こんなことされた
とかって毎日書いたものがあれば証拠になりますよ」

言葉にちょっと北関東訛りのある初老の弁護士さんは
無理だと言わんばかりの態度だった。

モラ夫が怒ったときのあの恐ろしい目をどう表現できる
でしょうか。
私が座らされた椅子の後ろに廻った彼が椅子の背もたれ
に手を置いただけなのに激しく脈打つ私の心臓の音を
どうやって文字にしたら理解してもらえるのでしょう。
日記を書いて提出したとしてもモラ夫の饒舌さと演技力
には誰でも彼を信じてしまう。

彼はたった一度でも食事を作って私の帰りを待ったこと
があったらそれが30年間毎日やっていることになって
しまう。
お酒を飲まずギャンブルはせず、妻以外の女に興味は無
く楽しみは家族とのドライブだと外部の人には明るく語
る夫。
特にこの弁護士さんのようなタイプはモラ夫の一番得意
とする相手だった。

「いやはや日本の男は愛情表現が下手ですからねえ」
弁護士さんにも得意不得意があることは理解しましたが
この時は初対面から精神的暴力が否定されてしまいまし
た。

モラルハラスメントを扱う番組や雑誌が増えた今なら
あの時の弁護士さんだって少しは理解できるかもしれ
ない。



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推定無罪

2006年09月14日 22時03分38秒 | モラハラ
この小さな会社は私が離婚後に立ち上げたものでした
が、私の会社がやっと軌道に乗ってきた3年目の冬、
モラ夫の会社が倒産しました。

そしてモラ夫の保証人になっていた私は離婚していた
にもかかわらずその大きな債務を被ってしまいました。

そのときモラ夫は自分と一緒に、離婚した妻をも底なし
沼に落としてやったと内心ほくそ笑んだに違いありま
せん。
そして沼に落ちたヌーが恐ろしいワニにさえ助けを求め
てしまうように、元夫は私が彼に泣きつくことを期待し
たことでしょう。

しかし私は息子に助けられて自己破産という形で生還
しました。
そのため現在は息子英二が社長としての責任を負うこと
になったのです。

この責任は、まだ20代の英二にはとても重いものだった
に違いありません。
彼の口からいつか「この仕事はもう辞めたい」と言われ
るのではないかと私はひそかに恐れていました。

息子の作った報告書にボールペンで赤いアンダーライン
を引きながらF部長は文面を読み進めました。
使用する針の太さが混入していた針とは異なるという
部分にも赤い線が入った。

そして運命を左右するかもしれない次の言葉を聞き
逃すまいと息を呑みました。

「まあ、今回の課題がしっかり改善できたらまた商品
提案してくださいよ」
「でもねえ、もう一度針がでるようなことがあったら
全品回収しますからね」

立ち去るF部長の背中に再び深くおじぎをした。

推定無罪か、いや推定有罪と言うべきか・・・
どちらにしても大変なことになった。
全品回収が無いと言っても、とにかく今月からわが社
の売り上げは半減するのである。
作戦を考えねばなりません。
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社長の責任

2006年09月13日 20時47分50秒 | モラハラ
息子英二と私は再びA株式会社のエレベータフロアに
立っていました。
受付の女性にF部長との約束を告げるとバッジが渡され
ます。
F部長の姿が見えたらすぐ立ち上がれるよう浅く椅子に
座って待ちました。

今回F部長は部下の担当女性を伴わずに一人でラフな
格好で現れた。

「いろいろご迷惑おかけして申し訳ございません」
深々と頭を下げる私と英二。
おじぎの角度は45度で約5秒間。
教えたこともないのに隣の英二はすっかり謝罪モード
おじぎをマスターしていました。

子供は親の背中を見て育つと言われているが、英二は
父親の背中ではなく母親である私の背中を見て育った
らしい。

以前に一度だけ縫製のミスがあってデパートに始末書を
書いたことがあった。
その時、元夫が社長だったのだが・・・

「私の責任じゃないよ。あんた(私のこと)が企画して
○○縫製が作ったんだからな。
3人の名前を書くんだったら私の名前は最後に書けよな」

当時この始末書を作成したのは息子英二だった。
息子は黙ってパソコンのキーボードを叩いていた。
プリンターがうなって出てきた始末書を見てモラ夫が彼の
息子である英二を睨んで叫んだ。
「違うって言ったろ! 聞いてなかったのか。私の名前は
最後だよ!」
「最後だよ」の「よ」という言葉を強めて言いました。

その始末書には一番目に代表者であるモラ夫、
二番目に縫製工業の社長の名前。
私の名前は無かった。

しかし残念ながらモラ夫はパソコンがまったく使えな
かったのでその文書は修正されることなく提出された
のです。

今回の報告書にF部長はどんな判決をくだすのだろうか。
報告書を手に取って読み始めた彼の表情の動きを見逃さ
ないようにじっと見つめました。
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始末書

2006年09月09日 11時36分31秒 | モラハラ
我々はとにかく報告書(始末書)を至急仕上げなければ
なりませんでした。
あのモラっぽいF部長の怒りも収まり納得する始末書です。
昨今事故や不祥事を起こした会社が話題になっています。
すぐに社長が出てきてとにかく謝罪を行えば世論も納得
してそれ以上叩かれることは無いのに、言い訳をして
自分の責任ではないようなことを言った会社はマスコミ
からも叩かれて結局最後には社長が引っ張り出されて
かっこ悪い謝罪会見が行われます。

この際、ちっぽけなわが社だって言い訳は一切通用
しないわけです。
謝るしかありません。
まして別れた夫の嫌がらせかもしれないなんて言える
わけない。

たとえ納得できない結果であっても全面的に認める
報告書を作ることになりました。
もちろん針の太さがわが社のものとは違っていること
の一文を添えて。

これって、何か経験があったような気がした。

別れたモラ夫が怒って手が付けられないときはその日
に謝って、「みんな私が悪いのです」と言って次の日
もう一度「昨日はごめんなさい」と神妙に言うと彼は
大満足で機嫌がすっかり直ったものでした。

2度目の謝罪をするべく私は次の日F部長に電話を入
れました。
「先日は本当に申し訳ございませんでした。このような
ことが2度と起きないようこの度の事故報告書を
作成いたしましたのでお持ちしてよろしいでしょうか」

「いやー、来てもらうことも無いでしょう」
F部長はそっけなく言いましたが引き下がってはいられ
ません。
「部長さまにはいろいろお世話になっておきながら
このような不始末をいたしました。お世話になった
お礼を申し上げたいと思います」

こちらが取引の継続を懇願する電話ではないとわかる
と部長は会ってくれると言った。

息子英二の概算によるともし過去に販売した全部の
商品が回収されて返金となったら送料も含めて600万
以上の賠償金額になると言う。

破綻か借金か・・・・

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