わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

「新薬の狩人たち」より~ 薬が治すのは五パーセント!?

2018年10月31日 | 薬害、医療資料集
 
2018/06/05 - NHKにて、2000年から2005年にかけて放送されたドキュメンタリー番組「プロジェクトX~挑戦者たち~」をご記憶の方は多いだろう。さまざまな困難に立ち向かい、苦闘のうちにそれを克服して、ついに成功を収める「挑戦者たち」の姿を描いた ...

 新薬開発のためにどんだけ奮闘努力していたか君たち一般労働者諸君にはわかるかい(フー店の寅さん)

スカス、意外や意外そこには「なんらの科学性も無かった」という衝撃的な本。

 (ボクにとっては当たり前だのクラッカーですが)

ips細胞もSTAP細胞もなんであんなに話題になるのかな~?

と想ってみたが。

ま、イイッカ♪    わからないで・・・・

いやいやイヤん

 あれって、臓器移植に繋がっているんでしょ?

とか、

いや創薬に役立つんだゾ~~~

とか。

 まず、臓器移植って、薬で病気が治れば必要ないじゃ~~ン♪

次に創薬って何?

 新しい薬を創るんだよ¥

え? いままで何万種類にあるってのに~?

だって、効かなくなって来たんでしょ、新しい薬が必要ってことの意味は・・

 

そうか、効かなくなって来た・・・・ん、もしかしたら、効くけど病は治せないのじゃ?

 

おいおい、そんな本当の事言ったらおまわりさんが・・・

ということで、本当のことは他人様のふんどしにしましょうという責任逃れを

 

 


以下は 「 」で本文紹介記事です。

 

  医者が薬を用いて患者を治す・・・という「信仰」が病を治す。

 これを読んで、疑問詞?を幾つか並べるのが普通の人の思考でしょうか?


ところで、医者は薬の専門家ではない。専門家は薬学者と言われる薬の薬理学を学んでいる人たちですね。

その薬理学の専門家が裏話をしているのは時々聞くところです。
何度も紹介している日本の薬理学者の本では「残念ながらお薬には病を治す力を持ち合わせておりません」というひと言で分かります。

しかし、これを聞いても見ても「信じられない人たち」が圧倒的に多いのが現実です。(今のところ)

そのことについて同様なことを言っている海外の薬理学者がいました。


本より。

私に薬理学を教えてくれた教授は、医師でもあった。教授からこんな話を聞いたことがある。患者が医師を受診する機会の九五パーセントで、患者は実際には医師に助けてもらうわけではない。ほとんどの場合は、医師が介入する必要もなく患者の体がひとりでに治るか、病気が治療不可能で医師にはなすすべもないかのどちらかだというのだ。




教授の見方では、医師は患者の訪問を受けた機会の

わずか五パーセントでしか、有意義な変化をもたらせない。

この数値は低いように思われるが、ドラッグハンターが直面する数値に比べれば夢のように高い。」


 このことは赤髭診療たん(山本周五郎作)の中で同じ意味の台詞を言わせているので、一度小説や映画などを見て戴けるとして、

医者が患者を治すという、これを「信仰」とする意味は、ひとは自分が固く信じたことを現実化する能力がある・・・とするのですが、これはプラシーボ効果と言われる人の思念が病を治癒する力のことですね。

いわゆるニセ薬が実際に効果を現していることは医学でもよく知られていますし、ホンモノの薬(毒物なのだが)よりも、偽物の薬(無害なもの)の方がよく効いたという実験があります。

それほど、人の治癒には人の思考が大きな影響を与えているということです。

しかし、本物の薬には多かれ少なかれ、その薬の本質である「毒の作用」が幾つもあるわけでして、その幾つかの作用の一つを「主作用」と呼び、使用の目的にしています。その他の幾つかの作用は「副作用」(害作用)と呼んでいるだけのことで、あらゆる薬の本質が毒の作用(いわゆる人体にとっては不自然な物質だから当然ですが)を利用しているということですね。

その毒の作用のひとつを選んで使用目的にしているのですが、主作用だけを利用できるわけでもなく、他の作用も同時に効果をもたらしているということです。

しかし、主作用によって病気が治ればよいではないかという考えも都合のよい考え方であって、上記の引用文のように、実は「薬で病気を治しているのは、わずか五パーセントに過ぎない」というのが薬理学者の話でした。

もともと、医者が患者を治すという意味は「処方する薬」が主人公であって、医者が何かをするわけでもなく、実際には薬が病を治していることは単純に考えれば分かることです。

その薬の専門家が「薬で病を治す力はほとんど無い、治す力はひとの持っている治癒力なのだ」と言うのです。

すると、今までこれほど世界中に薬が出回って、それをたくさん飲んだり打ったりしてきた事はどういう意味があったのか? というなんだか思考停止になりそうな話ですね。


この事については岡田茂吉氏の医学論が参考になるのですが、いかんせん、氏は宗教とくっつけてしまったわけで、いま思えば余計なものまで付いていると言っては言いすぎでしょうか?

本質的に薬の効果とは「対症療法」の代表的なもので、治癒ではなく、顕れた症状を軽減したりする作用のことであって、元々治す力はないということは薬理学者が気づいていたという話です。

しかも、使った薬は本質は毒ですから、その毒の作用によって他の病気を引き起こしたり、目的とする症状停止そのものが病を悪化させることも起こるわけです。

その人の治癒力が大きいのなら、その害作用も排して本当に治癒するのでしょうが、多くの人が薬を飲み続けるということそのものが病が治っていないという証拠です。


現在の何万以上か知りませんが薬の大半が不要だということは薬理学の専門家も言われる時代になりました。

9割だとか、8割だとかは不要だというのです。

今後の世界の薬はどうなっていくのでしょうか?

それについてはこの本はかなり本質を突いているのでは無いかと思われます。


 実は大手製薬会社はすでに創薬(新しく薬を開発する研究)事業を捨て始めているというのですから、普通の人にとっては驚きの話ですね。

でも、それが薬の最終的宿命だと思うのです。

  「薬で病気は治らない」という現代の薬理学者の弁が将来を決定しているような気がします。

 「薬で病気は治らない」のなら、こんご新しい薬を創ってみてもなんだかなあ・・

でも、夢から覚めない内は続くでしょうね。

  

「薬で病気が治る」という夢

   

 だいぶ極端論でしょうか?

まあ、せいぜい9割不要だということでしょうか(それでも極端論?)

 

 ところで、冒頭に紹介したリンク先から

ーーーーーーーーーーーー転載ーーーー

 

興味深いことに──といっていいかどうかわからないが、これら古くからの「医薬」のほとんどには、現代の目から見て「効果あり」といえるものはほとんどない。真に効果があるかどうかの判定は、 我々が思うよりはるかに難しいのだ。患者がある植物を試しにかじってみたら、その時たまたま体調 がよくなった、あるいはプラセボ効果によって症状が軽快した──といったケースは数多くあり、これらが薬効の有無の判定を妨げる。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー

ということで、少なくとも昔の数多の薬は効果なしと現代になって判定されるようです。

ということは・・・

 

この先何十年かそれ以上か分かりませんが

同じ事が・・・

これら古くからの「医薬」のほとんどには、現代の目から見て「効果あり」といえるものはほとんどない。

 

そう、今は最新でも先に行くと、古いやつになってしまうですよね。

 そして、現代(未来の現代ですが)の目から見て「効果あり」といえるものはほとんど無い

などとなったらどないしよう。  (あ、もう逝っているか)

 

  しかたないでしょうね。だって創薬に必要なのは「繰り返して行う試行錯誤」であって、理論性や科学性じゃないんだから。 「下手な鉄砲数打ちゃ当たる方式」だって。

本を購入してください。

づつく、

あ、

つづく

 

 追記。

そうなると・・・昔の映画や小説で治療に使っている薬って

なんだ~~~無駄な抵抗だったわけか~~

すると、あの時代に医師が処方していた薬ってほとんど効かなかったわけね。

 これは夢ですよ、夢。 きっと・・・

 

 

 

 

 

 

 

 







 

 

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