わたしんちの医学革命と雑多な情報

「医学革命」とは薬からの解放への「個人の気づき」の事である。雑多な情報も「取捨選択」&「鵜呑み厳禁」はセルフサービスにて

インフルエンザ(風邪のこと)で始まってインフルエンザで終わる

2009年02月08日 | 岡田茂吉医学論研究会用
風邪の原因を知らない現代医学がたどり着いた結果

が、新型インフルエンザと称するパンデミック、世界的に感染爆発して大量の死者が出るという予言でしょう。

現代医学というのは、その時代においての最高の科学とされ、半世紀前だろうと今2009年であろうと、同じく「現代医学」と呼ぶわけです。

しかし、具体的には西洋医学的対症療法を「現代医学」と言ってもよいでしょう。

要するに、病気を悪化作用として、薬を主とする対症療法を土台にしている医学です。

そして、「病気の源は外にある」「病気の原因は外からやってくる」など、「病気外因説」を土台にしています。

それによると、風邪さえもすべては「原因は外にある」ことになりますから、その対処方法として「風邪から身を守る」という考え方のわけです。

風邪は悪化作用だから、かかると危険、だから防がなくてはならない。


だから、予防に一生懸命になるわけで、マスクやらうがいやら、最近はゴーグルだの言っていますから、そのうち耳栓なども必要になるかも知れませんね。

とにかく、風邪に罹ってはならない、予防しなくてはならない、風邪は恐ろしい者だから、万病に元なんだから・・・そんな風に教え、教えられてきたのが現代医学の「教義」の世界でした。


こんな現代医学の基礎を体系的に確率したのが近代なのでしょうが、その以前の時代でさえも、やはり風邪に限らず「病気は悪化作用」として、初歩的な病気とも言える風邪でさえも忌み嫌ってきたのが世界人類の共通認識だったのでしょう。


その中で一部の人たちは本当の病気の原理を知っていたかも知れませんが、今の時代と同様に少数派だったと思われます。


こうして、病気は悪化作用、初歩的な風邪でさえも悪化作用だから「罹ってはいけない」という考え方が主流になってきたと思います。

これは「病気外因説」が土台になっていたからでしょう。
昔は顕微鏡など無くて、何かの空気のせいにされたかも知れませんが、近代の科学技術の発達で菌が発見され、ついにはウイルス状の微細なものまで発見されると、ますます「病気外因説」が固く信じられる事になりました。

そうなると、「病気は外からやってくる」わけですから、徹底的にそれを防ぐという手段ととることになりますから、ついには予防接種、ワクチンという手段が現れてしまいました。


結局、医学は病気としての一番初歩的な「風邪症候群」を「万病の元」としてしまった結果、それを防止する事で次から次へと「万病を創り出していった」歴史だと思います。

そうして、最後にたどり着いたのが、万病より怖い「世界的感染爆発するだろう新型インフルエンザ恐怖症」というわけで、皮肉にも、医学の初歩的段階の風邪が終局的に迎える「恐怖の風邪症候群」となったわけです。

あまりにの皮肉と見えるのは現代医学信仰者たちが理解するには無理があります。

そんな事は考えもしないし理解もしないし、それこそ「現代医学信仰」に陥ってしまったからですが、それを「信仰」とも気づかないのですから、結局は「行き着くところまで行かなければ」ならない状況に陥っているのでしょう。



その「信仰」を盛んに煽っているのが、WHOを主導として各国の厚生省関連の高官、そして政治家から地方の行政施行者たちへと伝播してしまい、いまやそれ以外には思考能力がないかのごとく、「風邪は怖い、風邪は防がなくてはならない」と烏の大合唱の様に叫んでいる様な状況が今の日本国なのです。


連日、マスコミを通じて流される情報もすべてはそちら側ですから、ついには「感染列島」などという映画まで作られ、その宣伝効果は盤石といってもよいくらいでしょう。


右を向いても左を向いても「病気は外からやってくる」という病気外因説による現代医学の「教え」が一般大衆に染みついているため、それに真っ向から反論してもほとんど効果など無しの状態ですが、最後には「行き着くところまで行き着く」わけですから、異論だろうが非国民的だろうが、そんなのは関係ないのです。


最後は自然の結果がでるという、その大団円を迎えるのが近未来の様な気配でが出てきています。

予防接種が効かない、抗ウイルス治療薬が効かない・・・・から、次は予防接種によってその病に罹った、治療薬によって病気が悪化してしまった・・などと言う話しがチラホラと報道され始めてきました。


感染爆発を創り出してしまったのは「現代医学」だった。


などといううわさ話もチラホラと出始めるかも知れませんが、いまの状況をみていると「感染爆発の源をわざわざ(又はわざと)作り出そうとしている」のがワクチンという予防接種であり、抗ウイルス特効薬とされるタミフルやリレンザでしたか?そういう類の「病気予防の一切の薬剤」だと思っています。


人類は風邪という原理を知らなかったために、その後長い歴史の間に風邪を防止することを良しすることで、結果的に万病を作り出して来た、その集大成が振り出しに戻って、やっぱり「風邪(インフルエンザもその一種)」だったというお粗末話でした。


お後がよろしいようで・・・・・・



え?

自己満足して引っ込むな!!って?




そうですね。いつも言いっぱなし、出しっぱなしのボクとしてはこれが常態なので、ついつい・・・


そこで、その反証として最近ではホメオパシーの論から詳しく解説されているのがここで以前紹介した「予防接種トンデモ論」や「予防接種は本当に有効か?」などを読んで戴くとして、ボクの方としましてはやはり岡田茂吉論文から医学の革命論文集でしょうね。


だたし、岡田論文は宗教家として読むと誤解が生じる点と昭和30年までの時代においての記述となっており、取捨選択が必要になります。

論文中の宗教論的な面は受け取る人によって異なると思いますし、見えない世界の話しは今のボクでさえも取捨選択しているのが現実です。

それは何度も繰り返して起きましたが、論文を読まれる方はその点にご注意をされてあくまで「今必要なことを」自由に選択されて戴けると、それこそ第三者的立場で岡田茂吉の医学の革命論を研究する立場に居られるのですから、「将来、岡田茂吉研究が始まる」との岡田教祖の預言通りになるわけです。


「岡田茂吉研究者」は信者さんにではなく、一般の方達に発せられたメッセージなのです。

「信者」というものは批判精神を持たない、いや持ってはいけないのですから。
批判は単なる非難ではないのです。

そこには「自由な取捨選択」観が必要なのです。

教祖の教義を取捨選択するなどという事は信者さんにはとんでもない冒涜とさえなりかねない、そんな自由が出来たとき、その人は自動的に信者ではあり得なくなって、たとえ外形的に信者を装っていても中身は非信者でしょうから。

(そんな方達は各種の宗教の中にたくさん居られるようですが)


「研究する」という事はトコトン中身を検査するという事です。もちろん、検査官はひとりひとりの技量によって異なりますから、まったく認める事の出来ない人もいるだろうし、全部は無いが一部を認める方もいるでしょう。

まあ、全部が全部認めたら「信者」とは言いませんが・



ということで、この項は改めて「岡田茂吉研究」への誘い水として風邪、インフルエンザを材料にしてみました。

「病源は外から」という病気外因説による現代医学の最終局面を皮肉にも「浄化作用の基礎中の基礎」と言える風邪(インフルエンザ)によって迎えるとは。


やはり大自然という神の法則は振り出しに戻るかの様に、人類の永遠の健康維持の働きである風邪に戻るのでしょうね。


長い長い医学の歴史が風邪に始まって風邪に終わるという最終段階を迎え、その終焉の舞台にいま参加している人類の多数がそれに気づいていないのは不幸なのか、それともそれはそれで幸いなのかはボクには分かりませんが・・・


どうも他人のダンスを黙ってみていられないオセッカイ屋さんなのだな、こりゃ。



ーーーーーーーーーー以下引用ーーーーーーー

音声版
を聴きながらどうぞ

   病気とは何ぞや 

  感冒

 いよいよこれから病気に就いての説明でありますが、現代医学の考え方は人間の体を物質だけと簡単に見まして唯物的な治療を進歩させて来たものですから、どこが大変に間違っているかを次々にかいてみますが、それに就いては先ず実際の病気を取り上げて説明してみる事が最も判り易いことですからそう致します。

 先ず、人間がたいてい誰でも経験する病気は風邪でしょう。ところがこの風邪の原因は医学では今日でも不明とされていまして、近頃やっと発見されましたのがヴィールス(ウイルス)の空気伝染とかアレルギー性によるとか言われています位で、吾々からみますと問題にならない程の説明であります。この説明もその内に意味のないものとなります事は間違いないでしよう。そもそも人間は先天的に種々な毒素を有っています事は医学でも認めています。例えば天然痘、麻疹、百日咳等は元より、まだ知られていない毒素も色々ありましよう。ところでそれらの毒素は自然に生理作用が起きまして体の外へ排泄されようとします。これを吾々の方では 「浄化作用」 と言います。そして毒素は最初は一旦人体の各局部に集まって溜まります。その場合神経を使うところ程多く集まります。人間が最も神経を使うところと言いますと、それは上半身特に頭脳に近いところです。人間が目の醒めている間、手足は休む事はありましても、頭脳をはじめ目、耳、鼻、口等は少しの休みもありません。としましたら毒素の集まり、溜る場所もそれと同じで肩、頸、リンパ腺、耳下腺付近はもちろんのこと頭脳が主となります。この様に各部に集溜した毒素は時間が経つにつれて次第に固まります。そしてこの固結がある限度に達しますと今度は排除作用が起きます。という訳でありますからここに自然の恵みを見る事が出来るのであります。何故ならば固結の為、血液の循環(めぐり)が悪くなって頸、肩が凝り、頭痛、頭重、視力減退、耳の鈍聴、鼻詰まり、嗅覚の鈍化、歯槽膿漏、歯牙の劣弱、息切れ、手足の弛緩、腰痛、浮腫等々によりまして活動力が衰えますから、その結果人間は人間としての使命が行えない事となります。そこで造物主は病気という結構な「浄化作用」 を作られたのであります。右のように毒素の排除作用の苦痛が病気であるとましたなら、病気こそ浄血(血を浄める)作用であり、健康上最も必要なものでありまして、神のお恵み中の最大なものといわなければなりません。
 故にもし人類から病気を取除きましたなら、人間は次第に弱って遂には滅びてしまうかも知れないのであります。ところが私は病気のない世界を造るというのでありますから、ちょっと変なことの様に思われるでしようが、これは意味が根本的に違うのであります。といいますのは、人間は毒素が無くなれば浄化作用の必要もなくなる訳ですから病気も無くなる事になるのであります。この意味で私はこれから出来るだけ解り易く徹底的に説いて見ましょう。
 
 話は戻りますが、固結毒素(固まった毒素)の排除作用を私は「浄化作用」と名付けましたが、先ず初め風邪を引きますと先に熱が出てきます。自然は固結毒素(固まった毒素)の排除を出来るだけ簡単に行えるように熱で溶かして液体化させます。この液体化した毒素は速やかに肺に侵入しますが、この作用は実に神秘でありまして、例えば吾等の 「浄霊」 (これは治療法の名称) によりまして固結毒素を溶解しますと間もなく、液体毒素は肺臓のなかに侵入します。その場合筋肉でも骨でも突貫けてしまうのです。そこで身体の各局部にあります固結毒素 (以下毒結(どっけつ)といいます)が一、二個所位ならば軽い症状で済みますが、局所が増える毎に重くなります。最初軽いと思った風邪が次第に重くなるという事はこういう訳であります。

  右のようにして液毒(えきどくーー溶けた毒のこと)は迅速に肺臓内に侵入して、薄い場合は痰になってすぐに排泄されますが、濃い場合は一時肺臓内に止まっていて咳というポンプ作用を待って間もなく気管を通じて外部へ排泄されます。咳の後には必ず痰が出るということで判ります。嚔(くしゃみ)の後に鼻汁が出るのも同じ原理であります。また頭痛、咽喉(のど)の痛み、中耳炎、リンパ腺炎、手足の関節やソケイ腺等の痛みはどれもその部分にあった毒結が容けて出口を求めて動き始めます。それが神経を刺激するからです。そうして液毒(溶けた毒)には濃い薄いが出来ます。濃いのは喀痰(たん)、鼻汁、下痢等になりますが、極く薄いのは水の様になり盗汗(ねあせ)や尿によって排泄されます。この様にして浄化作用というものは、最も自然に合理的に行われるもので、造物主の素晴しい神技に感心しない訳には参りません。
 一体造物主つまり神様は、人間を造っておきながら病気などという人間を苦しめ活動を邪魔するようなものを与えられる筈はないのです。常に健康でなければならない筈なのに、人間が間違った考えから毒素を作って溜めるので、仕方がないから排除させる事になるのです。それが病気でありますから、風邪の場合も何の治療法も行わずに自然に放任(うっちゃって)おけば完全に浄化作用は行われ順調に治って健康は増すのであります。この原理によりまして、人間は出来るだけ風邪を引くようにしていれば結核などという嫌な病気は無くなるものであります。

ところがどうした訳かいつの頃からか不思議な事にこの浄化作用を反対に解釈してしまいました。そこで発病すると極力浄化を停めようとします。何しろ浄化の苦痛を悪化の苦痛と間違えたのでありますから堪りません。その為に熱を下げようとするのであります。熱が下がれば毒結(毒素の固まり)の溶ける事が停止されますから、咳や痰をはじめあらゆる症状は軽くなったり減ったりします。ちょうど病気が治るように見えるのであります。判り易く言えば、せっかく溶け始めた毒結(毒素の固まり)を元通り固めようとします。その固め方法が医学的治療法であります。水冷、湿布、薬剤の注射等のすべてはそれであります。全部が固まりますと同時に症状が無くなりますのでこれで治ったと喜びますが、実はせっかく掃除をしようとするその手を押えつけるようなもので、これは事実が証明しています。よく風邪がこじれるといいますが、これは人間の体の方は浄化をしようとしますとそれを止めようとする為でありまして、つまり浄化と浄化停止との摩擦となるので長引くのであります。一旦風邪が治りましても暫くすると必ず再発するのを見ても分るでしよう。だから結果から言えば、医学的治療法とは病気を治す方法ではなくて、治さないで延期させる方法であります。従いまして本当に治るという事は、毒素を体の外へ排泄させて体内が清浄化になって(からだがきれいになって)病気の原因がことごとく無くなる事であります。だから本当の医術とは浄化が発った際、固結毒素をより速く溶かしてより多く体外へ排泄させる事であり、それ以外に本当の治療法はありません。
 右の原理に就いて一つのたとえをかいてみましよう。例えば借金をしている場合であります。段々に利息も溜まり、期限が来て返済を迫られますので、一時(いっぺん)に払うのはつらいから外(ほか)から利子の付いた金を借りまして取りあえず返します。するとまた期限が来ましたのでまあ借金をして一時逃れをするという具合で、元金(初め借りた金)のほかに利子も段々に増えて請求も厳しくなり、益々返金が出来なくなります。そこで貸主は承知せず差押えや破産の訴えもしますが、ついには返済が出来ないので破産します。

つまり風邪もこれと同じで最初の返済期が来た時に苦しくても払ってしまえばそれで済むものを、つらいから借金を増やしても一時免れをします。それが薬を主とした治療法であります。従って引延ばす度に薬毒が殖えて、遂に一時に請求される事になります。これが肺炎です。
 ところが貸主も相手の一時に支払う能力のない事を考えて緩慢な請求をします。これが結核だと思えばいいのであります。

ーーーーーーーーーーーー引用終わりーーーーーーーーーー
昭和27,8年前後執筆と思われますが、それを口語体に直した文です。

感冒とは何か

音声版
もどうぞ

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