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おじいさんとの対話11 結核の経路から新型肺炎SARZまで

2013年04月13日 | おじいさんとの対話シリーズ

 

現代医学解体古書(おじいさんとの対話)より

おじいさんとの対話 11  
  結核の経路から新型肺炎SARZまで


himaari:先回は結核について詳しく解説して戴きました。さらに腑に落ちるため結核の経路というテーマにて再確認という形でお願い致します。


おじいさん:結核初期に到るまでの経路はさきにに述べた通りじゃが、次の段階からが問題である。「すなわち「医師は先ず絶対安静、薬剤使用、栄養食、空気療法等を奨めるが、空気療法以外は何れも浄化停止療法である。 先ず安静法は最も効果ある衰弱法で、その結果、浄化力微弱になるから下熱を始め、他の症状は緩和することになる。 また薬物栄養療法も同様、浄化停止法である以上、軽快に向かうように誤認する。故に、たまたま患者が運動を為す場合、浄化力が発生して発熱する。医師は驚ろいて運動を戒めるという事実は、結核者の常に経験する所であろう。」という事じゃ。


himaari:症状を緩和させるために徹底的に浄化停止方法をとるというわけですね。しかも運動停止や栄養食までが浄化力を微弱にするとは? これについては意外ですね。


おじいさん:ここで注意すべきは、「解熱剤使用は最初はある程度効果を奏するとしても、これを持続する時は漸次反動運動を起しす。そのため、執拗な高熱が持続し、如何なる解熱法も奏効せぬようになるものである。」


himaari:なるほど、最初は効くから解熱剤で高熱を下げてしまえばおさまるるわけですね。しかし、また体の方は高熱を発生させるので、再び解熱剤を投与するのでしょうが、それでもなかなか熱が下がらないという場合があるのですね。


おじいさん:体の方では自然良能力、つまり浄化作用が働くから高熱発生して固結毒を溶かそうとするからじゃ。薬毒の方ではそれを抑えつけようとする。つまり固めようとする。
そのため、「すべて薬物持続は中毒的反動作用を起し逆効果となるのである。彼の下剤持続者が慢性便秘症となる事や、モヒ、コカイン等の中毒者がいつしか放す事が出来なくなるにみてもうなずけるであろう。」
これが反動作用という意味じゃ。


himaari:薬で抑え込むと身体の方では反発を起こすのですね。その人に浄化力がある場合はでしょうが。その浄化力が弱いと固まってしまうので症状は落ち着くのでしょうか。


おじいさん:人体の方では浄化作用、一方薬などで浄化停止をする。この綱引きをしている事になるから、強い方が勝つ。したがって「以上の如き高熱症状が長時日持続する場合、漸次衰弱を増し斃れるのである。」という結果が起こるのじゃ。


himaari:高熱を下げる、高熱が出る。高熱を下げる、高熱が出る。こんなことを繰り返していたのじゃ、身が持たないわけですね。


おじいさん:結核の場合、「また末期の場合の多くは喉頭結核及び腸結核に侵されるものであるが、実は私の研究によれば、喉頭結核とは腐敗せる古き痰の猛烈なる毒素が咽喉を通過する為と喉頭附近の毒素に浄化発生の為とであり、腸結核はさきに説いた如くである。」と記述しておいたじゃろう。


himaari:そうですか。ここまでは昭和二十二年頃の時のお話でしたね。古い時代ですが、研究材料に挙げさせて頂きます。今後の専門家の検証なども必要ですね。
では次に「結核ナンセンス」という論文がありましたが、それについてもお願い致します。

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おじいさん:「その表題とこの論を聞いた専門家もー般人も大いに憤慨する人、軽蔑する人、感心する人とがそれぞれ思いがあるであろう」が、新しい論として検討して貰いたいものじゃ。


himaari:はい、でも正直言って感心する人は少ないと思いますよ。今の時点ではほとんど軽蔑する方の人たちが多いでしょうね。憤慨する人でもそこで止まってしまい、何も検討もしないという事で終わってしまうんでしょうね。


おじいさん:今までの常識を破る異論としてもちろん承知だが、私はただ真理だと思うことをただ伝えるのであって、「その可否は見る(聞く)人の心々に任せる」だけじゃ。


himaari:そうですね。どんな論であっても最初から絶対的なものだとして押しつけるのはいけないですね。先ずは、よくよく検討してみる事が研究としての第一条件ですが、鵜呑みにしない事、最初から拒否しない事が必要だと思いますよ。


おじいさん:まずは白紙になって研究して貰いたいものじゃね。その上で切り捨てられるのは結構じゃが。


himaari:そうですか。今は認められないとしても真偽は別にしても、まずは検討していただきたいものですね。では次にもう少し詳しくお願い致します。


おじいさん:それでは、わしの時代からみてじゃが、「近来結核の早期発見を奨励しており、その唯一の手段として用いるのに、ツベルクリンの注射がある。」


himaari:はい、今は平成の時代になっていますが、まだ実施しているのでしょうかね。ツベルクリンは進歩的な医師の間から疑問が出される様になっています。


おじいさん:このツベルクリンの注射については前にも話したが、「反応のないものを陰性といい、紅く腫れるのを陽性という。それで陽性に対しては先ず半ケ年間は結核発病の危険ありとなし、その間一ケ月に一度の試験注射を行うを可としている。」


himaari:その事については前にご紹介した「危ないぞ予防接種」という本に詳しく書いてありますね。どうやら日本の現状もそれほど違いはない様です。


おじいさん:そこで、「半ケ年を経て異常のないものは一先ず注射を解くが、それでも当分三ケ月に一回の注射を励めるのである。そうして最初半ケ年の要注意期間中はなるべく過激な運動を避けるように注意を与える。」というのが当時の医学的所見じゃった。


himaari:結核に限らず、医学では過激な運動をいましめますね。やはり、運動をすると体が弱るでしょうか、体力消耗を恐れるのでしょうか。


おじいさん:というのは「それを守らないと、発病の危険があるからというのである。以上の様な医学の解釈は果して妥当であるや否やを検討してみよう。」


himaari:過激な運動はやはりまずいのではと思いますが、


おじいさん:「それに先立ち私の研究と、その成果を発表する事にするがそれによって右の可否は一層明らかとなるであろう。 そもそも私の唱える○○医学は、病気とは自然に発生する処の浄化作用の過程としているが結核といえどもその理に漏れる筈はないである。」


himaari:なんだか論文になってきましたね。病気の正体とは「浄化作用の過程だ」と言って来たのですね。その理論からいうと結核もやはり、浄化作用の途中経過の症状というわけか。


おじいさん:論文では「そこで最初ツベルクリンの注射によって陰性であるという事は体力劣弱にして浄化発生の力がないからである。それに引換え紅く腫れるのは浄化力旺盛であるからである。すなわち、紅く腫脹する理由は、体内に注射液という異物が侵入するためその異物を体内深く侵入させないように、いわば防衛手段が発生するのである。」とね。
陰性になるという体力が弱化している者であり、陽性の方は体力旺盛というわけじゃ。


himaari:そうか、陽性の方が元気な証拠と言うわけですか。逆に何の反応も無い陰性は、浄化力、つまり生命力が弱いということですね。反応に対してまるで正反対の見方ですか。
でも、注射液は異物だから、異物毒物の進入を身体の方は防ごうとして反応するわけですか。


おじいさん:本来、人体は異物、毒物に対して防衛しようとするのだからじゃ。そこで、「その防衛手段とは血液が異物侵入局部に集中し、異物との闘争を開始する。その結果、異物の毒分を弱めて侵入の苦から免れようとするのである。」


himaari:進入する異物対身体の浄化防衛機能の闘いというわけですね。体には毒を弱毒化する力が備わっているというわけか。


おじいさん:「この理は、最初陰性であったものが、再三注射するや陰性が陽性に転化する。これを医学では陽転というが、この訳は注射液が少量の場合弱体者は浄化発生の必要が余りないが、多量になる場合はそれを防止するだけの浄化力の発生が必要となるのは当然で、自然は人体擁護の手段を遺憾なく具えているのである。」


himaari:陰性はまだ浄化力が少ないが、再三注射して毒分を増やすとついに反応して陽性となるわけですか。


おじいさん:「そうして如何なる人間といえども、一人も漏れなく先天性及び後天性の種々の毒素を保有している。」とは何度も繰り返して話してあるね。


himaari:それもう何度も聞いて知っています。先祖から受け継いで来た遺伝毒素というものが「先天性毒素」で、産まれてから入れた異物や毒素を「後天性毒素」と呼ぶのでしたね。


おじいさん:その通りじゃ。「
その毒素は平常時は体内あらゆる局所に団結しているが、一度浄化発生するや溶解し始める。
もちろん、その場合、発熱、咳(セキ)、節々の痛み、食慾不振等の初期結核症状が表わる。それによって保有毒素は排泄され健康体となるのである。」
これが結核の基本原理じゃよ。


himaari:なるほど。だから、この浄化発生は本当は大いに喜ぶべき事でしたね。神の恩恵だとね。大自然の恵みとして人体に与えられている基本的能力だというのでしたね。


おじいさん:「ところが医学はこの浄化作用を反対に解釈し、病気を以て、健康上不可なるものとして恐れ、極力鎮圧手段に出るのである。」


himaari:現代西洋医学ほどそうなりますね。
病気は悪化作用だから、「早期発見、早期治療」と言って症状を停止する事が第一になっています。


おじいさん:ところが結果は次のようになる。「すなわち、せっかく毒素排除活動が発ったのを元通り固めようとするのが医学の療法であるから、今日迄の医学が如何に誤っていたかを知り得るのである。」


himaari:医学の基本的考え方に真っ向から反する考えですね。そのことについてもう少し詳しくお願い致します。
医学の浄化停止方法が間違っているというのは、重要な所ですから。


おじいさん:もう少し詳しく言うと、「元来肺臓という機能は前述の如く体内各局部の固結毒素が発熱によって溶解液体化したのを一旦肺臓が吸収する。」これが呼吸以外に関する肺臓の持つ重要な機能じゃ。


himaari:肺が毒素の一時集溜所ということでしたね。


おじいさん:いったん肺臓に集まって来る毒素もそのままでは障害になるのは分かるじゃろう。そのため「その毒素は間もなく喀痰となって、次々体外へ排泄されるのである。
その際の咳嗽(せき)は喀痰(たん)を吸引するポンプ作用であるから、咳嗽の後は必ず喀痰が出るのをみても明らかである。」


himaari:これは先回で納得しました。まず体の各部から肺に毒素が集まる。それが今度は体の外に排泄される。それには、痰を出すために咳が出るという仕組みですね。


おじいさん:体の中の毒素は常にどこかに集められて、次に外に排泄される様になっているからじゃ。肺疾患と言われる病気症状もこの原則によって起こっているのじゃ。それに対して余計な邪魔をしなければ、毒素は排泄される事になっているんじゃ。
「こうして体内の不純物は清掃され、その結果健康は増進されるのであるから、実に自然は人体の健康保持に対しよく出来ているのである。」


himaari:なるほどね。理論上はよく分かりました。


おじいさん:この事を理解できれば本当は肺患などと言うものはないという事も分かるじゃろう。なぜなら、肺とは体内毒素が排泄の際の一時的停留所ともいうべき機能であるからじゃ。


himaari:ただ単に呼吸する機能だけではなかったのですね。まさか、ゴミの一時集溜場所とはね。そう言えば町内のゴミ出し場所を思い出しましたよ。


おじいさん:集めたゴミは今度は処理場に運んで行くだろう。
この理を知らない医学は、この「一時的滞溜の喀痰」を肺自体から作られたものと解釈するのじゃ。しかも排泄させられないように処置するのじゃ。


himaari:ううむ、まさか、他の箇所から来た毒素が原因だとは思わないのですね。ゴミの一時集溜場所だけを見て、そのゴミがどこから出されているなんて調べようも無かったのでしょうね。それに実際にその肺が病んでいるという病気症状が出ているのでしょうからね。


おじいさん:「その原理が分からないが故に、その際の診断の結果ラッセルを認める。ところがラッセルは呼吸による喀痰の響きであり、それを病気と誤り滞溜喀痰を固める手段をとる。」


himaari:ぜいぜい音がしたり、呼吸が苦しそうなら、当然肺が悪いと思ってしまいますね。それで固める手段をとるというのですね。


おじいさん:「その手段とは安静、薬剤使用、湿布、氷冷等である。これを忌憚なく言えば、せっかく清掃のために汚物が肺臓という中途の機関まで来たのを喰止めて排泄されないよう極力固めようとするのである。」


himaari:驚きですね、排毒作用を邪魔するとしたら。毒素の一時集溜場所である肺で抑え込んで、体の外に出さない様にしてしまうのか。それじゃ、毒素はいつまでも残ってるわけだ。


おじいさん:それが濃度化した喀痰がレントゲン写真に雲翳となって写るや、結核と断定するのである。
故に以上の論で考えてみれば、結核は全て医学が作るといっても過言ではあるまい。何と怖るべきではあるまいか。何年経っても結核が減らないばかりか、反って殖える傾向にあるのは前述の如く全く誤れる結核の解釈によるので、医学が結核の大量生産をしている。」という訳になる。


himaari:医学が結核を治さないようにしていたとはね。しかし、おじいさんの警告は結核よりも癌へ移ってしまいましたね。結核は激減してしまい、今や死因のトップが癌ですからね。しかし、その原理から言うと結核は依然として無くならないわけですね。


おじいさん:結核半減のお祝いをしていた次期にわしが書いた論だったからじゃが。しかし、どうやら結核は自然に減少していったようじゃな。


himaari:はい、それは抗生物質などのせいだと思っていたら、どうやらそれに関係なく自然に減少していったようです。それは一部の医学専門家も書いていました。抗生物質が使われる前に減少し始めたとね。でも、それがまた増え始めたのが結核非常事態宣言とか、緊急宣言などが出されて分かりますね。
結核を通り越して現代はガンの時代になってしまいましたので、おじいさんの時代に心血を注がれていた結核論文はあまり注目されないかも知れませんね。


おじいさん:病気の根本原因は体内毒素、血液の汚れだという原則から、病気症状はいくら変化しても原理は同じなのじゃ。わしの時代までは結核が浄化作用の主流になっていたからその時代に合わせて書いたものじゃ。。

 

つづく

 

 

商品の詳細

現代医学解体古書 himaari (2013/4/1)

 

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