今夏の帰省中は山へ海へと毎日のように出掛けましたが、休みが空けてその後遺症に悩まされています。酷く日焼けした首筋、四肢に発疹が出て痒くて仕方がありません。紫外線ケアをしなかったツケが回ってきました。
【閑話休題】
さて、山や海の他にも今回は大館まで足を伸ばして、嘗ての小坂鉄道の遺構を見てきました。
大館市街より樹海ラインを通り、山に囲まれた小坂町へ。樹海ライン沿いに線路が走り、随所で往時の姿を彷彿させるような鉄橋や踏切跡を目にすることが出来ます。線路は殆ど撤去されずに残されているようで、途中の2キロ弱の区間ではレールバイクで線路上を走る体験が出来るようになっています。
山を越え、右手に東北道小坂インターを見つつ、坂を下ると小坂町です。町内を暫く進み、踏切跡を渡ったところの旧小坂駅の遺構が小坂鉄道レールパークとして整備されています。

踏切跡から駅構内を臨む

駅舎は綺麗に整備されており、ここで入場券を買います。入場券は切符の硬券を模したもので、入場時に鋏を入れてもらいます。

旧ホーム上に出ると、嘗て濃硫酸輸送で活躍していたDD130形が止まっていました。恐らく、この1輌のみが稼働車で予約すれば運転体験が出来るとのこと。

小坂鉄道との関連は薄いですが、JRから譲渡を受けた24系客車もあけぼの幕で保存されています。4輌のうち、先頭の1輌が一般公開されています(他の車輌はブルートレインホテルあけぼのとして宿泊者のみ乗車可能)

公開のオハネフ車内。息子にモデルとなってもらいました。

雨が振りだしたので、機関車庫へ。

機関車庫にもDD130が2輌保存されており、運転台にも上がれるようになっています。

貨物輸送終了から10年近く経ち、機関車の塗装はひび割れていました。

機関車庫の更に奥には、およそ20年前に廃止となった旅客輸送で使われていたキハ2100形も保存されていました。この車輌も塗装がひび割れ、幽霊列車のようです。

機関車庫の片隅にあった行き先票。3月まで勤めていた前職場の近くまで行っていたことは感慨深いものがあります。
機関車庫には資料室もあり、小坂鉄道の歴史に触れることができます。

一通り見学し、雨も止んだところで、今回の鉄道遺構の探訪もお仕舞いです。
ここで一日過ごすのは、なかなか厳しい気がしますが、貴重な鉄道遺構として末長く残してもらいたいところです。
【閑話休題】
さて、山や海の他にも今回は大館まで足を伸ばして、嘗ての小坂鉄道の遺構を見てきました。
大館市街より樹海ラインを通り、山に囲まれた小坂町へ。樹海ライン沿いに線路が走り、随所で往時の姿を彷彿させるような鉄橋や踏切跡を目にすることが出来ます。線路は殆ど撤去されずに残されているようで、途中の2キロ弱の区間ではレールバイクで線路上を走る体験が出来るようになっています。
山を越え、右手に東北道小坂インターを見つつ、坂を下ると小坂町です。町内を暫く進み、踏切跡を渡ったところの旧小坂駅の遺構が小坂鉄道レールパークとして整備されています。

踏切跡から駅構内を臨む

駅舎は綺麗に整備されており、ここで入場券を買います。入場券は切符の硬券を模したもので、入場時に鋏を入れてもらいます。

旧ホーム上に出ると、嘗て濃硫酸輸送で活躍していたDD130形が止まっていました。恐らく、この1輌のみが稼働車で予約すれば運転体験が出来るとのこと。

小坂鉄道との関連は薄いですが、JRから譲渡を受けた24系客車もあけぼの幕で保存されています。4輌のうち、先頭の1輌が一般公開されています(他の車輌はブルートレインホテルあけぼのとして宿泊者のみ乗車可能)

公開のオハネフ車内。息子にモデルとなってもらいました。

雨が振りだしたので、機関車庫へ。

機関車庫にもDD130が2輌保存されており、運転台にも上がれるようになっています。

貨物輸送終了から10年近く経ち、機関車の塗装はひび割れていました。

機関車庫の更に奥には、およそ20年前に廃止となった旅客輸送で使われていたキハ2100形も保存されていました。この車輌も塗装がひび割れ、幽霊列車のようです。

機関車庫の片隅にあった行き先票。3月まで勤めていた前職場の近くまで行っていたことは感慨深いものがあります。
機関車庫には資料室もあり、小坂鉄道の歴史に触れることができます。

一通り見学し、雨も止んだところで、今回の鉄道遺構の探訪もお仕舞いです。
ここで一日過ごすのは、なかなか厳しい気がしますが、貴重な鉄道遺構として末長く残してもらいたいところです。