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なっつのおうち

中国に単身赴任することになっちゃいました。。。
メキシコに続いて中国
行くからには頑張ってきますよ~

ようやく退院が決まりました

2006年09月01日 12時02分30秒 | 母のこと・・・
6/1にバイクを運転中に交通事故に遭った僕の母。

2日ほど生死の境を彷徨い、総合病院に2ヶ月入院し、

7/28にリハビリテーション専門の病院に転院。

そこから1ヶ月の過酷なリハビリに耐え、ようやく今日退院することが決まった。

本当に長かった。

3ヶ月の入院。

その間、ほぼ毎日見舞いに寄った、僕と父。

妹(のらねこ)も自分の体が本調子で無い中、小中学校が夏休みになるまでの間、

毎日母のところに通った。

慣れない家事を3ヶ月間こなしてきた父と妹。

そして、それをサポートしてきた僕のかみさん。

そんな生活もようやく今日で終わる。

本当にお疲れ様。

みんな嫌な顔一つせずに懸命に母の代わりを務めてきた。

そして病院で社会復帰を目指し、懸命にリハビリを続けてきた母を

サポートし続けた。

我が家に突然やってきた不幸な事故。

だが、家族の結束が一段と強まった3ヶ月間だった。

今日、母が家に帰ってくる。

本人が一番心待ちにしていた帰宅。

当面は家事も一部のことしかできない。

洗濯、掃除、食事の支度・・・

包丁を持つのはまだ怖いと言っていたし・・・

当分はまだまだ家族がサポートしてやる必要があるが、

離れているのとは全然違う。

家に、そこにいるのだから。

そんな今日、僕は労組の研修会で泊まり・・・

明日は精一杯の笑顔で、

「おかえり」

と言ってやろう・・・











週末外泊開始

2006年08月07日 16時20分02秒 | 母のこと・・・
母が事故に遭ってから2ヶ月が過ぎた。

先週からリハビリ専門の病院に転院し、午前午後とみっちりリハビリメニューを
こなしている。

すでに歩行器は使わずに、杖のみで歩行訓練中。
階段の上り下りの訓練も先週から始めたようだ。

そんな先週末、主治医の先生よりこんなお話が・・・

「週末は病院にいてもリハビリはお休みだし、帰ってみたら?」

えっ帰る??

家に帰ってみて、階段のリハビリや家事を少しづつやってみて、
今のレベルがどんな感じかをトライしてみるのも今後のリハビリメニューの
参考になるからってことらしい。

というわけで、土日の一時帰宅が決定した。

金曜日の夕方帰ってきて、日曜日の夜病院に戻る一時帰宅。
金曜日の夕飯は、のらねこも丁度仕事が休みだったので、親父と
3人で外食したらしい。
おかんが一番好きな「魚あら」の上えび天丼。
大喜びで食べたらしい。

僕は知り合いの子の家庭教師に行ったので、母が家に帰ってから合流。
少し興奮気味の母がそこにいた。
元気だった。
久しぶりに一緒にビールを飲んだ。
腕も足も細くなっちゃった母。でも僕がついでやったビールをうまそうに
一口飲んだ。

本当にほっとした。

一時はどうなっちゃうんだろうと思った。

ここまで回復するとは正直思っていなかった。

うちの子供達も、
「ばっちゃんが帰ってきた!」
と嬉しそうだった。

ちょっと照れちゃったが、ハイポーズ!!



今日のリハビリはどうだっただろう。
会社帰りに寄って行こうかな。








還暦

2006年07月13日 18時07分20秒 | 母のこと・・・
昨日は、母の還暦の誕生日。

本当なら、盛大に還暦のお祝いをしてやるはずだった。

しかし、母は病院のベッド。

ま、これも天の定めさって思い、病室で家族各々がお祝いをした。

僕は昨日は忙しく(17時から会議が入っちゃって・・・)病院に着いたのは

面会終了15分前。

いつものように病室に行くと、嬉しそうにのらねこと話をしている母の姿が。

テーブルの上を見ると、大きなケーキがひとつ、たくさんのプレゼントの数々。

今日はなっつと小僧も学校、幼稚園が終わってから来たらしい。

なかでも母が喜んでいたのは、なっつのお手紙。

もちろん直筆。最近めっきり字が上手になり、文章も人らしくなってきた。

しっかり「ですます」ができた文章だった。

「ばっちゃんへ。はやくあるけるようになってください。なっつもはやく

あるいているばっちゃんがみたいです。」

なーんて書いてあった。ウルウル・・・

なっつもしっかりしてきたなぁ・・・

ぼくとかみさんからのプレゼントは、前あきの介護用のパジャマと、

手のリハビリグッズ詰め合わせ。

ふにゃふにゃのリハビリボールはとても喜んでいた。

今週の月曜日から、歩行訓練も開始したらしい。

昨日も、のらねこが仕事がお休みだった為、リハビリルームに一緒に行ったらしい。

のらねこが見守る中、歩行器を上手に使い、しばらく歩くことができたようだ。

多少、日によって気分にムラがあり、へこんでいる日もあるが、徐々にではあるが

よくなってきている。

還暦を迎え、本来なら隠居の身、ゆっくり平穏な日々を送るはずだった母。

人生始まって以来の試練と懸命に立ち向かっている。

精一杯の親孝行をしてやろうと思う。

やっぱり僕からBLOGを取ったら・・・

2006年06月19日 12時36分47秒 | 母のこと・・・
みなさん、お久しぶりです。

もうしばらく休むつもりでしたが、僕からBLOGを取ってしまったら・・・
毎日がつまらなく、味気なく・・・
ゆっくりではありますが、リハビリを兼ねて、再会していくことにしました。
お付き合いくださいね。

と、挨拶はこの辺にして・・・

BLOGお休みの理由を公開することにしました。
僕からのメッセージでもあります。

実は、僕の母が交通事故に遭った。
BLOGお休みの連絡をしたあの日、6月1日木曜日の11時15分頃のこと。

親父から会社にいる僕の携帯に連絡があったのが、12時丁度頃。
その時の親父の話では、意識が無いようだとのこと。
ビックリして、会社を飛び出た。
すぐに現場に向かうが、40分ほど掛かる。
ドキドキしながらの運転。正直、怖かった。

現場に到着したのが、12時45分頃。
母は既に救急車で運ばれたあとだった。
事故の状況は、母が原付バイク(カブ)で優先道路を走行中、小さな交差点で
右方向から出てきた直進の軽自動車と衝突。
母が走っていた道路が、丁度交差点で若干右にカーブをしており、
右方向からの自動車からだと、見通しが悪い交差点ではある。
ただ、母が走っていた側が完全な優先道路。センターラインがある交差点だった。
状況からして、完全なもらい事故であった。

相手は30代の若いお母さん。しかもこの日は小学校がお休みで、
娘さん(小6、年中)も同乗していた。

現場の状況、相手の車の損傷、乗っていたバイクの損傷を見る限り、
それほどひどい状況ではなかった。
お巡りさんや、目撃していて、親父に連絡をしてくれた近くの花屋さんの
おばさんの話でも、意識はしっかりあって、話はできていたし、そんなに・・・
と言う話だった。

親父はお巡りさんともう少し話をしていくと言うことだったので、僕は一足先に
病院へ向かった。

救命救急センターに入っているとのこと。
大急ぎで向かって、受付で聞くとすぐに中に案内された。

ベットに横たわり、大声で「痛い、痛い」と叫ぶ母親の姿が。
僕が話し掛けても、「ごめん、ごめん」と繰り返す母。
すぐに、主治医の先生から話があった。

状況は非常に深刻だった。
肋骨骨折(多発)、骨盤骨折、肺挫傷、肝損傷、頚椎損傷
と言う診断だった。
肺損傷による呼吸機能低下、骨盤骨折と肝損傷による腹腔内の出血により、
血圧が100を切っている状態。
いわゆる外傷性ショック状態だった。
お腹の出血が止まらないと輸血や手術もありうるとのことで、
様々な同意書を書かされた。

とにかく、しばらくは集中治療室で治療を続けるとのこと。
今日から二晩位が山だと言われた。

次の日に病院に行くと、お腹の出血は大丈夫そうであると言う。
血圧も回復をしてきて、大きな山は越えた様だった。
本当にほっとした。
命さえ助かっていれば、何だってできる。多少の不自由があっても、みんなの
頑張りで何でも克服できる。本当にそう思った。

ただ、頚椎の損傷から来る麻痺が、手に出ていた。
足は動くのだが、手が一向に動かない。
かなり痺れもあって、痛いようだ。

今後のリハビリが大変ではあるが、現状日に日に回復の方向に来ている。

ICUも4日で出て、HCUは1晩、現在は一般病棟に移っている。
今も仕事帰りに毎日通っている。
夜の歯磨きをしてやるのが、僕の日課である。
看護師さんや親父、のらねこにやってももらったが、僕がやるのが一番気持ちが
良いと言う。現在進行形で子育て中の僕。子供の歯磨きを散々しているので、
上手だと誉められた。
なんだか、おかんに誉められたのって何年ぶりだろう・・・
そう言われるとうれしくなって、毎日行ってしまう僕。

あの、気丈で元気な母が、見る影も無いほど弱気になっている。
本当に歩けるようになるのかなぁ、とか、手は動くようになるのかなぁ・・・
今は心配するな、リハビリを続けていくしか道は無い。
周りの家族のサポートも大変ではあるが、本人が一番不条理な出来事に
苦しんでいる。
とにかく励まして、精一杯サポートしてやろうと思う。

最後に、交通事故って本当に突然やってくる。
昨日まで元気だったのに、今日はベットで寝たきり。
今回のケースでは、まだ元気なので救いもあるが、亡くなっていたら・・・
と思うと、本当に心苦しくなる。
相手のお母さんもまだ子育て真っ最中の若いお母さん。
先方の娘さんたちも事故の瞬間を見てしまっている。
そっちも心配である。幸いにして近所の方で、誠意ある対応をされているので、
今のところは心配ないが、事故の加害者、被害者なんて紙一重であると思う。

ここに来てくれている皆さんも、車やバイクを運転されるだろう。
本当に突然やってくる悲しい交通事故。
いつかは我が身であると、肝に銘じて安全運転に心がけてくれたらと願いたい。

ちなみに、昨日現在の母の状況。
ご飯はまだソフトメニューでお粥だが、だいぶ味わって食べられるようになってきた。
足の方は順調に回復し、自分の足で立つリハビリも始まった。
手の方は未だ握力がほとんど無い状態。
右手は、グーパーの動きはだいぶできるようになってきたレベル。
左手はほとんど動かない状況。
手のひじより先に強い痛みを伴う、痺れがある様子。

と、そんなところ。右手が使えるようになって、自分でご飯が食べられるようになれば
良いが・・・
リハビリ頑張れ!!