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サポーター前史

1993年、この年の世相を語る上でやはり忘れてはいけないのがJリーグ開幕だ。

この少し前、サッカー評論のパイオニア(つまり草分け的存在)である大住良之氏が書いた「Jリーグ大百科」を親が買ってきた。
そこにはヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)在籍で遠野出身の菊池新吉、ジェフユナイテッド市原(現・ジェフ千葉)在籍で盛岡(厳密には紫波町)出身の吉田暢の名前もあり、興味深かった。また、世界のサッカーリーグの情報も感慨深かった。今考えると貴重な資料である。

それに合わせて中学校の行間時間に日本地図を描いては、Jリーグのことを書いてみた。しかしそのときオラは気がついた。
「東は茨城から西は広島…東北は?」
もっとも、当時はジェフが仙台、北上、八戸に支部を持っていた。ただ、やはり東北にもひとつ欲しいな、とも思った。
さらに準会員チームのことを知ると、オラは人より物知りになった気分でいた。それもこの年の空気だったのだろう。

そんな中、1993年10月29日を迎えた。そう、日本代表がイラク戦で最後の一瞬の失点によりアメリカワールドカップ出場を逸した「ドーハの悲劇」の明けた朝だった。
その日は実は日の戸にある施設で炊き出しを手伝う予定だった。その日機嫌の悪かったオラは炊き出しの料理にあろうことか七味唐辛子や胡椒をぶっかけ、参加者に迷惑を掛けてしまった。それくらいあの日は気分が最悪だったのだ。
しかし今考えてみると「なんて無節操なことをしたのだろうか」と思う。それなのにこんなことで暴れるなんて、オラはこの頃から馬鹿ですぐ短気になる人間だったのだなと反省したくなる。多分今日本代表がワールドカップ出られなくなって愕然としても、暴れることはないよな。

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