フーリガンとはなにか?
物の本によれば「サッカーの試合を口実に騒ぎを起こす、あるいは扇動する輩」らしい。1980年代にはヨーロッパ各地でサッカーの試合中・試合後に観客が暴徒化し、殊にイングランドでは1985年に起きた暴動事件を機に自国サッカーの冬の時代が訪れることになった。
Jリーグでも一部のクラブではそのような不心得者がいるらしい。外国籍選手、監督への侮蔑によることが多いようだが。
そんな人間が岩手県にいるのか?というが、現実にここにいるのだ。それがオラ、斉藤晃である。
1996年、ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)サポーターとして出発。現在は盛岡ゼブラのサポーターとして孤高の地域サポーターの地位を確立している。
そもそも1995年の段階で岩手県のサッカーというものはさほど盛り上がらなかった気がする。唯一話題に上がっていたのが、当時大船渡高校1年生の小笠原満男だった。
しかしオラがサッカーに目覚めたのは中学3年の頃だった。折りしも1993年、Jリーグブームのときだった。
その中学校のオラの先生というのが大越先生と言って定年間近だった。その大越先生がオラの書いた日本地図を見て、「ベルマーレ平塚」「京都パープルサンガ」なんて言葉が出てきて驚いた。
さらに大越先生はかつて盛岡市の厨川中学校にいたようで、当時の教え子に元ベルマーレ監督の古前田充や盛岡商業・大船渡の監督を務めた齋藤重信がいたと語っていた。もしかして、オラの「サッカーバガ」はこのときに始まったのだろうか。
それを15年、時間をさかのぼって振り返ろうと思う。
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