大江健三郎さんがすてきな文章を書いている。朝日新聞12/19付けでエッセイ「定義集」の「心に『教育基本法』を 後知恵の少しでも有効な使い方」という表題。
高校時代の「殴られても屈服していない態度を示」していた経験などを語り、結末部分に教育基本法成立について書いている。
まさに冒頭から現教育基本法は格調高い文章だった。
それを、「改正」教育基本法は換骨奪胎してしまった。しかし、その日本国憲法との一体性ゆえに、その精神は憲法のなかに残っている。それが大江氏が言うように、失われてしまっても心の中に持ちうる、現実的な根拠ともなるだろう。
高校時代の「殴られても屈服していない態度を示」していた経験などを語り、結末部分に教育基本法成立について書いている。
衆議院の、政府与党の単独採決に続けて、参議院での、政府に傷の少ない着地が画策されるなか、この文章を書いて来た者の、なお性格に残る後知恵を出します。私は、ついに失われてしまった教育基本法の小冊子を作って、新しく教師になる人、若い母親、父親が、胸ポケットに入れておく、そのようにして、それを記憶し、それを頼りにすることを、提案します。
まさに「作品」と呼ぶに値する文体をそなえた教育基本法には、大きい戦争を経て、誰もが犠牲を払い、貧困を共有して、先の見通しは難しい窮境にいながら、近い未来への期待を子供らに語りかける声が聞こえます。
あの「作品」を積極的に受け止めた日本人には、その文体につながる「気風」があったのです。それを忘れずにいましょう。
そして幼児とともに、目に見える・見えない抵抗に出会う時、若い母親が開いてみる本にしましょう。
まさに冒頭から現教育基本法は格調高い文章だった。
われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。
それを、「改正」教育基本法は換骨奪胎してしまった。しかし、その日本国憲法との一体性ゆえに、その精神は憲法のなかに残っている。それが大江氏が言うように、失われてしまっても心の中に持ちうる、現実的な根拠ともなるだろう。