このように首相やマスコミが言っているのを聞く。
第一に「中国や韓国が批判するから参拝しないほうがいい」などという理由はおかしいに決まっているのに、それが首相の靖国参拝反対の理由とされるのがおかしい。NHKなどがこのような理由を第一にあげたりすると、そのこと自体によって「首相は毅然とすべき」ということで参拝賛成となる人もいるのではないか。
まさか最近の中国・韓国を中心とした「反日」への反発を利用し、その中国・韓国が批判している靖国参拝だから反対するな、というわけでもあるまいが。
第二に、隣の国があれだけ批判しているときに、日本の首相のとるべき行動をまともに考えるなら、その批判の
内容を問題にすべきところだ。それを「一つの問題だけ意見が合わなかったら首脳会談もしないというのはおかしい」(首相)などと一般論にすり替えるのもおかしい。過去の植民地支配や侵略戦争をどう考えるかということは中国・韓国との信頼関係の土台をなす問題だからだ。
また、かなりの論者がこの問題をとりわけ中国の国内問題に関連させ、不満が政府批判にむかうのをさけるためにあおっているなどの言い方があるが、これも批判の内容をそれとして考えずに、一つの背景にすり替えようとするものだ。どのような背景があろうと、あくまでそれらは国内問題だ。問題は日本(の首相の行動)への批判の内容に正当なものがあるかどうかである。
「外交カード」論というのもある。いわば中国、韓国が外交上優位に立つために都合の良いときに出してくるのが過去の歴史問題だと。これは常に日本の行動が引き金になって問題が起こっていることを押し隠すことがねらいなのではないか。このような言葉によっても問題は上滑りしていく。
第三に、問題が戦後の出発点に関わる問題であれば、ことは中国・韓国との関係にとどまらないということだ。東南アジアの国々は日中関係などのことを心配しての靖国参拝に批判的な論調が多いようだが、それらの国と日本との経済的な関係を損なわないための遠慮もあるような気がする。
靖国神社内の遊就館は太平洋戦争の責任はアメリカにあるという主張を掲げている。このことは靖国派?からも指摘されている。
http://www.sankei.co.jp/news/060824/morning/seiron.htm
ここでは反米をただせという主張になっているが、「アジアを開放した」とか「やむにやまれぬ開戦」などの主張を通そうとすれば、これらも必然的な結論とならざるを得ない。アメリカは靖国問題にはコメントしていないというような指摘もあるが、そうでもないようである。
http://www.jcp.or.jp/tokusyu-06/03-yasukuni/hihan_kenen/america.html
私は、中国・韓国での首相の靖国参拝への批判はそこにどんなに雑音が混ざっていようと、その内容は戦後の日本の出発点をあいまいにする動きに対する世界の世論の一部を構成していると考えるべきだと思う。
驚いたのは問題の遊就館の展示において英文訳が日本文と違っているという記事。
遊就館 英文説明の“怪”
さらに中国、韓国にたいしてはどんなに強硬なことを言っていても、米英に対しては批判部分を削除するという追従的な態度をとっているという。
http://blog.goo.ne.jp/e-hori/e/8867a03664586963c6baa96d3f70d4ae
これでは「他国がとやかく言うことではない」といった言葉の欺瞞は明白だ。