このテーマは昨日書こうと思っていたのだが、沖縄戦での集団自決強制をめぐる教科書検定問題があり、これは書かなければと思ったので、別サイトで書くことにした。結局昨日はこちらのほうは書く時間がなくなり今日になった。したがって記事としては少しさかのぼるのだが、12/25の朝日朝刊の1面には政府の予算案に関する評論記事があり、そのなかで
この間の連続した診療報酬引き下げが地域における医療提供体制の崩壊に拍車をかけていること、都市と地方の格差拡大の要因となっている地方交付税の大幅削減、生産原価を下回る米価などで継続すら危うくなっている農家、高齢者の医療費を抑制するためとしてねらわれている後期高齢者医療制度など、これらの現実と向き合っている人たちにとってはどれも大変な問題だ。これらの問題でこの間政府に予算の復活や増額のための運動をしてきた者にとっては、参議院で野党が逆転したことも生かしてようやく政府を動かして譲歩を勝ち取ったものばかりであり、それを「票の獲得につながる利害関係者へのばらまき」とはなんという言い方だ、と久々に強い怒りがこみ上げてきた。
数日前にも社説で後期高齢者医療の凍結を「ばらまき」と表現していたことも思い出し、これは放っておいてはいけない、と朝日新聞に電話をすることにした。以前NHKに対しては討論番組が公平に運営されていないということで抗議の電話をしたことがあるが、朝日新聞に電話をするのははじめてのことだった。NHKは何度もダイヤルしてやっとつながる状態だったが、朝日新聞の場合、1度でつながった。
この記事の”ばらまき”とはどういう意味か、と話をしたところ、電話にでた人はただただご意見を聞くという人のようで、質問には答えなかった。以前の社説のこともあげ、社説でも同様のことを書いているのだから朝日新聞としての言葉として考えていいんですよね、と確認。必死で運動している人の立場に立てないのかと苦言、また”ばらまき”という言葉はwikipediaにすら載っていないし、論理的にちゃんと説明せずに印象を操作するところがあるので使うべきではない、という意見もしておいた。
このような電話をすることがどれだけ意味があるかはわからないが、同じ意見が多くなればそれを無視することはできないだろう。また最近はいろいろな企業がブログでの評判を気にしているようなので、ブログでのマスコミ批判はこれからも大いにやっていきたいと考えている。
さてこの”ばらまき”という表現が気になって、検索してみたところ、世に倦む日日というブログでもとりあげていた。過去の朝日新聞の論調なども詳しく書いていて、大いに勉強になったが、そこでは消費税増税を朝日新聞が堂々と主張していることが取り上げられていて、なるほどと思った。私も以前のエントリで「朝日新聞はこれまでも消費税増税の必要性から目を背けるなといった主張がされてきたが、この社説は一歩踏み込んだような気がする。」と書いていたのだが、”ばらまき”という表現は、この消費税増税の主張と連動しているのではないかとと思ったのだ。消費税増税の主張に一歩踏み込んだことと、社会保障等の増額が”ばらまき”だという言い方が現れてきたことがほぼ同期している。今、自公政権は国民にとって必要な予算をこれでもかと削り込み、社会保障などの水準を維持するためには消費税率を上げるしかないという世論誘導に躍起になっているが、裏返して言えば”今は財政再建が至上命題であり、消費税増税をするまでは社会保障費は削減するしかない”ということになる。
民主党も以前からの主張である消費税増税を政策に復活させた。このような2大政党の動向を見て、朝日新聞の姿勢も変わってきたのではないか、あるいは以前からの主張をより明確にしたというべきかもしれない。
政府よりが明白な産経、読売だけでなく朝日もこのような消費税導入の布石戦略に与しているのは重大なことだと思う。この戦略がマスコミの大勢となって消費税増税やむなしの世論が作られていく恐れを感じる。”ばらまきと言うな、というなら消費税増税を認めろ”という脅迫にだまされず、堂々と軍事費削減、利益をためこんでいる大企業に応分の負担をさせろ、という声を上げていきたい。
目立つのは、票の獲得につながる利害関係者へのばらまきだ。として、診療報酬本体部分の引き上げ、地方交付税の増額、農家向けの助成制度、高齢者の医療費負担増凍結を挙げていた。
この間の連続した診療報酬引き下げが地域における医療提供体制の崩壊に拍車をかけていること、都市と地方の格差拡大の要因となっている地方交付税の大幅削減、生産原価を下回る米価などで継続すら危うくなっている農家、高齢者の医療費を抑制するためとしてねらわれている後期高齢者医療制度など、これらの現実と向き合っている人たちにとってはどれも大変な問題だ。これらの問題でこの間政府に予算の復活や増額のための運動をしてきた者にとっては、参議院で野党が逆転したことも生かしてようやく政府を動かして譲歩を勝ち取ったものばかりであり、それを「票の獲得につながる利害関係者へのばらまき」とはなんという言い方だ、と久々に強い怒りがこみ上げてきた。
数日前にも社説で後期高齢者医療の凍結を「ばらまき」と表現していたことも思い出し、これは放っておいてはいけない、と朝日新聞に電話をすることにした。以前NHKに対しては討論番組が公平に運営されていないということで抗議の電話をしたことがあるが、朝日新聞に電話をするのははじめてのことだった。NHKは何度もダイヤルしてやっとつながる状態だったが、朝日新聞の場合、1度でつながった。
この記事の”ばらまき”とはどういう意味か、と話をしたところ、電話にでた人はただただご意見を聞くという人のようで、質問には答えなかった。以前の社説のこともあげ、社説でも同様のことを書いているのだから朝日新聞としての言葉として考えていいんですよね、と確認。必死で運動している人の立場に立てないのかと苦言、また”ばらまき”という言葉はwikipediaにすら載っていないし、論理的にちゃんと説明せずに印象を操作するところがあるので使うべきではない、という意見もしておいた。
このような電話をすることがどれだけ意味があるかはわからないが、同じ意見が多くなればそれを無視することはできないだろう。また最近はいろいろな企業がブログでの評判を気にしているようなので、ブログでのマスコミ批判はこれからも大いにやっていきたいと考えている。
さてこの”ばらまき”という表現が気になって、検索してみたところ、世に倦む日日というブログでもとりあげていた。過去の朝日新聞の論調なども詳しく書いていて、大いに勉強になったが、そこでは消費税増税を朝日新聞が堂々と主張していることが取り上げられていて、なるほどと思った。私も以前のエントリで「朝日新聞はこれまでも消費税増税の必要性から目を背けるなといった主張がされてきたが、この社説は一歩踏み込んだような気がする。」と書いていたのだが、”ばらまき”という表現は、この消費税増税の主張と連動しているのではないかとと思ったのだ。消費税増税の主張に一歩踏み込んだことと、社会保障等の増額が”ばらまき”だという言い方が現れてきたことがほぼ同期している。今、自公政権は国民にとって必要な予算をこれでもかと削り込み、社会保障などの水準を維持するためには消費税率を上げるしかないという世論誘導に躍起になっているが、裏返して言えば”今は財政再建が至上命題であり、消費税増税をするまでは社会保障費は削減するしかない”ということになる。
民主党も以前からの主張である消費税増税を政策に復活させた。このような2大政党の動向を見て、朝日新聞の姿勢も変わってきたのではないか、あるいは以前からの主張をより明確にしたというべきかもしれない。
政府よりが明白な産経、読売だけでなく朝日もこのような消費税導入の布石戦略に与しているのは重大なことだと思う。この戦略がマスコミの大勢となって消費税増税やむなしの世論が作られていく恐れを感じる。”ばらまきと言うな、というなら消費税増税を認めろ”という脅迫にだまされず、堂々と軍事費削減、利益をためこんでいる大企業に応分の負担をさせろ、という声を上げていきたい。