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まったりブログ

日記であったり、趣味の小説書いたりしようかなと。。
でも更新頻度は不明だからまったりと♪

痛みとスランプ 2

2021-11-06 19:55:31 | 日記
部活を見学し毎日みんなが練習をしている姿を目にする。
これまで自分のことで精一杯でこうして周りをじっくり見る余裕など全くなかった。
見ているだけで置いていかれてしまうという気持ちの焦りもありながらも外から見ていると色々なことも見えてきた。
必死にやる奴。
何となくやっている奴。
先輩や同級生の中にはサッカー未経験者として入部した僕が1年も経たない内にAチームとして紅白戦や練習試合に出ていることを面白く思ってない人もいたらしい。
ただその面白く思わないながらも次は自分がと必死に頑張っている人もいれば、逆にどうせ頑張っても自分なんてと思っている人もいる。
成長するかしないかは日頃の練習の成果でしかない。
ただその日頃の練習も何となくこなすだけなら成長はしても成長速度は早くならない。
必死にやりながらしっかり考える。
そして真剣に取り組みながら食らいついていく。
同じ練習をしていても差が出てくるのはこういった部分が占める割合が多いと思う。
本当に天才と呼ばれるサッカー選手はほんとにごく一部だと思う。
ほとんどの人はプロ選手も含めものすごく努力してその場所にいる。
改めて僕は必死に頑張っている人を見習って更に頑張らないといけないなと感じていた。
そしてその必死に頑張っている人の存在が更に焦りを生んでいた。
外から見ていると異様なほどにうまく見えたりもした。
このままでは本当にやばい。
見学は焦りばかりが増していき本当に不安を膨張させていくばかりだった。

毎日部活を見学し、3週間後にまた病院へと行き先生から練習に参加しても良いとの許可が出る。
そうなってからこれまでの遅れを頑張って取り戻していく。
それが一番ベストで今思えば当然そうするべきだった。
サッカーを長くやっていきたいのであればたった3週間くらい。。。
そういう考え方がきちんと出来てさえいれば先々も痛みに悩まされることはなかったのかもしれない。
部活を見学してから4日目。
僕は耐えきれず部活に参加することにした。
最低3週間と言われていたのにたった3日しか休まず復帰。
当然周りや顧問の先生からも色々言われたが
「もう大丈夫です」
何を言われても膝の痛みに関してはこう答えていた。
本人が大丈夫というならということで先輩や先生も渋々な感じではあったが納得はしてくれた。
でも先生はもちろんこのオズグッドのことに関しては詳しく知っていたため内心どう思っていたのかは本当のところは分からない。
とにかく僕はみんなに置いていかれることが怖くて仕方なかった。
1年間で積み上げてきたものが、3週間休むことにより全部失ってしまうのではないか。
そんな気になり焦りしかなかったため半ば強引に復帰した。
復帰してからはしばらくの間は親にも内緒にしていた。
ばれれば怒られるしまた練習を休ませられるかもしれない。
それだけは避けたかった。
何とか練習には復帰出来たものの、本音を言えば膝の痛みは前とほとんど変わりなくただ我慢するしかなかった。

痛みを我慢しながらのプレーで真剣に取り組みながらもなかなか成長出来なかったのか、それとも単に先生の目から見て今の自分じゃまだ早いと思ったのかは分からないが、遠征でたくさんAチームとしてプレーし、その後の練習試合でもAチームのスタメンとして出場したりもしていたが、徐々に出番が減っていった。
そして3年生が引退する最後の大会ではAチームのベンチにすら入ることが出来ず、結局試合観戦するだけという形で終わった。
この時僕の同級生の中から2人がスタメン出場し、1人はベンチにいた。
やっぱりこの3人か。
元々入学当初からこの3人がうまいという話は同級生から聞いていた。
先輩達も小学生の時から一緒にやっていた人がほとんどだったのでその3人の実力もよく理解していたようだった。
実際初めてプレーを見た時も同級生の中で抜けているなと思ったのもこの3人だった。
遠征の段階でこの3人が出ていない試合も僕が出ていたりもした。
錯覚していたのかもしれないが、この3人を追い越していた。
そんな気にすらなっていたのかもしれないが、結果として3年生の最後の公式戦は僕はベンチ外。
自分は今同級生の中でどのくらいの位置にいるんだろう?
新チームになってもスタメンをとれなかったらどうしよう?
後輩から選ばれ自分が外されたら?

これまで必死に食らいついて練習し自主練も欠かさずやってきた。
そして少しずつ力をつけていき実践の場でもかなり慣れてきていたが、ベンチ外となったことで不安を大きくしたのは事実だった。
それでもこの時期痛みが徐々におさまり、全力で走っても急停止してジャンプしても痛みがたまにしか起きなくなっていた。
不安な気持ちは当然あったが、膝の痛みからの多少の解放が考え方そのものをプラスにしていけたきっかけにもなっていった。


痛みとスランプ

2021-11-04 22:49:01 | 日記
「やる気ないんだったらコートから出てろ」
「そこを頑張れないやつは試合じゃあ使えない」

2年生へと進級し気持ちの上では益々サッカーへの熱は増していった。
遠征を経て顧問の先生から飛んでくる檄も厳しくなったように思う。
それでもその檄は期待の表れでもあると自分自身で言い聞かせてはいたが、練習では思うようなプレーが出来なくなってきていた。
膝の痛みの影響でどうしてもかばったプレーをしてしまう。
接触プレーも恐れてしまうようにもなり、顧問の先生はもちろん周りから見てもやる気のないプレーに映っていたかもしれない。
膝の痛みのことは誰にも言わずにいた。
僕にとってのこの時期は本当に大切な時期だった。
少し前までは誰もが「出来ない組」だと思っていたはずだが、今は先輩達と同等のAチームでプレーしている。
スタメンは保証されるまでにはまだなっていなかったが、ようやくここまで上ってこれた。
そしてここからという時期にこの膝の痛み。
誰かに話したいはずもなかった。
それでもこの膝の痛みは何もしていなくても激しく痛むようにもなり先のことを考えると一度ちゃんと診てもらったほうがいいと思い部活が休みの日に病院で検査することにした。
その結果。。
「オズグッドですね」
オズグッドとは体の成長に伴い当然骨も成長してくるのだが、その骨の成長が追い付いてこないために起きる症状らしい。
いわゆる成長痛というものだった。
その話を病院の先生から聞かされすぐに納得するしかなかった。
確かにこの1年で体は急成長をしていたからだ。
元々小学校低学年からずっと小さくなかなか成長の兆しもなかった。
中学入学時は身長は137cmしかなく学年の男子の中でも2番目か3番目くらいの小ささだった。
それがこの1年で一気に身長が伸び、この頃にはすでに160cmを超えていたため骨の成長が追い付かず今回の痛みにつながっていると理解することが出来た。
ちなみに中2の終わりには170cm近くまで伸びたため実際2年間で30cm以上伸びているため後々も膝の痛みには度々苦しめられていた。
「とりあえず最低でも3週間は部活を休みなさい」
病院の先生にそう言われ僕は愕然とした。
3週間?
この大事な時期にそんなに休んだらせっかくAチームにいるのにまたBチームに落ちるかも。。
新しく入ってきた1年生もいるため先々も油断ならない。
こんな時期なのに。
「痛みが軽くなったら3週間待たなくてもいいですか?」
僕は何とかして早くサッカーを出来るようにと先生に聞いたが
「軽く考えないほうがいいよ?この腫れはかなりひどい状態だし無理して歩けなくなってもいいの?」
もちろん自分の痛みは自分自身が一番よく分かる。
軽く考えているつもりもなかった。
ただ最低3週間と言われ気持ちが焦ってしまっただけの自分がいる。
こうして診察を受けた翌日事情を説明し部活を見学することとなった。

家に帰ってからの自主練は膝の痛みが出てからも続けていたが、診察後はしばらくはボールを使ったトレーニングをやめ筋トレだけを行うようにしていた。
学校での部活は見学するしかなく、大好きなサッカーをただ眺めるだけの苦痛の時間だった。
この見学が僕にはあまりよくなかったように思う。
どうしても気持ちが落ち着かず焦ってしまう。
もしも見学という形ではなく、帰宅させてもらえていたらそこまで焦ることもなかったかもしれない。


チャンスと違和感

2021-11-03 11:53:31 | 日記
1年生終わりの春休み。
合宿を兼ねて1泊2日での遠征を行うこととなった。
同じ県内への遠征ではあったが、地元からはバスでおよそ2時間。
普段対戦出来ることがそうそうはない地域での遠征。
しかも僕自身は人生初の合宿で泊まり。
遠征があると聞いてからずっとワクワクしていた。
遠征先での内容はみんな何も知らされておらず詳細は全く分からなかったが、主に行われるのは練習試合で1日目と2日目に分けて数チームが参加して試合をする。
2日間に何試合をこなすのか分からなかったが、僕自身はこれは絶対にチャンスだと思っていた。
これまで新チームになってからの練習試合はいくつかあったが、AチームとしてはもちろんBチームとしてもまだ一度も練習試合に出してもらうことはなかった。
顧問の先生からすれば1年生の中でも大勢いる内の一人。
そして元々は「出来ない組」
多分その程度の存在だったと思う。
かろうじて1年生同士がやる試合には出れたことはあったが、その時もフル出場はなく途中出場。
残りの時間をとりあえず出しておこう。
それくらいの扱いだった。
内心悔しくないわけがない。絶対に周りに認めさせてやる。
負けず嫌いな性格だったが表には決して出さず入部当初からのイメージからしたら今の立ち位置は仕方ない。
ただひたすらチャンスがくるのを待つしかなかった。
だから今回の遠征では試合数も多いため必ず出番はある。そう信じて出場出来たら少しでもアピールしてインパクトを残したい。
そんな気持ちでいっぱいだった。
だからこの遠征が楽しみで仕方なかったし早く当日を迎えないかなとワクワクしていた。
ただそのワクワクした気持ちとは裏腹に自分自身の身に気になることも起きていた。
ここ最近歩いても、走っても座っている時ですら左膝の皿の下辺りがずっとズキズキと痛む。
右に比べると明らかに腫れているようにも見えた。
ただ痛みや腫れは気にはしていたが、この時の痛みじたいはまだ軽いほうだったためすぐに治るだろうと軽く考えていた。

遠征当日。
朝早くに出発し午前9時くらいには初日の遠征先である中学校に着いていた。
バス移動で興奮していたため、バスの中で寝付くことも出来なかったが、現地に着くとゆっくり休める時間などあるはずもなく、すぐにアップをして体を動かすように指示された。
どうやら合宿一発目の試合はBチームでの試合が行われるらしい。
そして早速運が向いてきたのかなぜか分からなかったが、この試合でのスタメンメンバーに選ばれていた。
試合数も多いからチャンスは平等にってことでたまたま選ばれたんだろう。それならそれでしっかりアピールするしかない。最初はそう思っていた。
ところが試合をこなしていく度に最初の考えが間違っていたことに気付いてきていた。そして嬉しさ半分、プレッシャー半分の中、出してもらう試合に集中し一つ一つのプレーを大切にしながら試合をこなしていった。
最初のBチームでの出場に始まり、次のAチームでの試合ではベンチメンバー入りし途中出場。
それからはBチームの試合には出場することなく全てのAチームでの試合に出場することとなった。
2日間での出場試合は9試合。
そして3ゴール。
Aチームの試合に出場した試合で途中出場から練習試合とはいえ自分自身の中での初ゴールをあげ、そこからはAチームにいる先輩達の中でもあまり遠慮したプレーをすることもなくなった。
いい意味でゴールが緊張をほぐしてくれたのかもしれないが、そこからおもいきりの良いプレーがどんどん出来るようになっていた。
そしてBチームよりも当然レベルの高いAチームの中でやり易さも感じていたため試合に出場するということが楽しくて仕方なかった。

どうして突然僕がこんなに試合に出してもらえるようになったのかは自分が一番不思議に感じていたが、ほとんどベンチにも入れずにいた1年生や、2年の先輩達を押し退け自分が試合に出ることが出来た。
これまでの努力が実り始めたことが出れていないメンバーもいるため大きく喜ぶことは出来なかったが、内心かなり嬉しかった。
ただこの遠征でここまで出場することはもちろん想定外だったし、出場した試合では当然無理もしたため膝の痛みは一気に加速していった。


模索と探求

2021-10-31 23:02:14 | 日記
一人で自主練をしている。
そう思われるのが嫌で友達にも部活仲間にも誰にも言わずにいた。
だから部活後に部活のメンバーから誘われれば普通に遊びにも行っていた。
その分家に帰ってきてからは暗くなっていても出来ることをやって、とにかく毎日誰よりも多くボールに触ることを心掛けた。
そして自主練の時にはとにかく考えるように自分自身の中で癖付けた。
今自分がしている練習は何のためにしているのか?
例えば一人でボールを蹴るため蹴る場所は壁などになってくるが、真正面からきちんと真っ直ぐボールを蹴ればボールは必ず真っ直ぐ壁に当たって戻ってくる。
少し斜めの位置から壁に向かって蹴ればボールは当然その角度分、自分とは遠ざかる角度で戻ってくる。
それを利用すればドリブルしながらのパス練習にもなるしスピードを加えることによりノーバウンドで自分の足元にボールを戻すことも可能になる。
ドリブルしてからのリターンパスを胸トラップしたければ高めの速いボールを蹴ればいい。
とにかくこうして一つ一つを考えながら工夫して練習をした。
足の甲のどこにボールを当てればどんな飛び方をするかとか、ドリブルしながら顔を上げ首を振り公園内で練習している時には滑り台の階段の何段目を見るようにするとか、とにかくその場にある全ての物を利用して工夫しながら自主練していた。
自主練の中で常に考えながらプレーするようになると自然と学校の部活動でも考えながらプレーすることが当たり前になっていた。
今みんなでやっている練習はこういった場面なら試合でも使えるけど、使えない場合はこういう別の展開にもっていけばいい。
この練習は試合ではほとんど使えないけど、自分自身の技術を磨いていると思えば必要な練習だとか。
1年の2学期辺りは毎日がこういった形で考えながら練習していて、同じような練習をしていても色々と考えることが出来ていてどの練習も常に楽しかった。

3学期になると僕にも少しずつではあるがチャンスが巡ってくるようになっていた。
1年と2年合わせて30人以上いたためチーム内で紅白戦をやってAチーム、Bチームに分けても「出来ない組」だった僕はその紅白戦にすら出してもらえない状況だったが、この頃からまだBチームではあるが出場メンバーに入るようになり紅白戦に出場出来るようになったのだ。
やっとチャンスがきた。もちろんこのチャンスを掴みたいと必死に頑張ってはいたが、それでも最初の頃は戸惑ってうまくいかない場面もたくさんあった。
遊びでのゲームは小学生の時からたくさんしてきた。
でもその頃は何にも考えずただドリブルで突っ走ったりしていただけだったし周りは僕も含めみんなが素人。
やりたいようにやっていただけのゲームしかしたことがなかった。
そのため紅白戦とはいえ他のメンバーは全員、小学生の時からの経験者ばかりで僕一人が本当の試合での実践経験が全くない。
だから最初の数試合は試合に出場出来ていただけのメンバー合わせのような状態になっていた。
もしもこの数試合を見ただけでまたBチームから外されてしまえば次からのチャンスはすぐには巡ってはこなかったかもしれないが、幸いにもそういったことにはならず役には立っていなかったが紅白戦には出場し続けていた。
そうしていると少しずつ周りも見えてくるようになり、これまで考えながらやってきた練習の成果が少しずつ表れやれなかったことが出来るようになってきていた。
一つのパスを出すにしても、自分の中で誰に出すのがいいのか周りを見て瞬時に判断しパスを送る。
味方の足元にパスを送りたいのにパスがずれてしまった時などは悔しくはあったが、その失敗を次は正確なパスを送れるよう身に付けようとまた帰ってからの自主練に励む。
こうして紅白戦に出るようになってからは反省することや自分自身の課題も増えていきそれがまた次の自主練へと繋がっていく。
この繰り返しを毎日行っていたこの頃は多分自分自身が一番成長を感じていた頃だったように思う。


落胆と努力

2021-10-30 23:17:15 | 日記
夏休み。
7月の終わりにある大会を最後に3年生が引退していった。
その引退と同時にようやく僕達はただひたすら走るだけの地獄から抜け出しまともに練習に参加出来ることとなった。
ワクワクが止まらない。
ようやくみんなとボールが蹴れる。
そう思っていたのもつかの間、いざ練習が始まると先輩達のレベルの高さに衝撃を受けた。
一人一人がみんなうまい。
当たり前のように簡単にプレーしていることが僕には出来ない。あんなにワクワクしながら練習に参加したのに途中からはオドオドしたプレーになっていた。
そして何よりショックだったのが同級生の存在だった。
スポ少でずっとやってきていたメンバーのほとんどが、基本的なことは最初に衝撃を受けた先輩達と変わらないくらい出来ていた。
それを見て先輩達がうまいなと感じることよりも比較にならないくらいショックを受けていた自分がいた。
入部前はあれだけ自分のサッカーに自信をもっていたはずだった。
小学生の時にみんなで集まってやるサッカーでは毎回当たり前のように主役だった。
年上の人が来て一緒にサッカーをやっても問題なく主役だった。
それなのにいざ部活での練習が始まると自分自身の存在は主役どころか脇役にすらさせてもらえない。それくらい他のみんなとの差があった。
みんなが普通に出来ているプレーが僕には出来ない。
誰の目から見ても明らかに「出来ない組」だった。
やっぱりサッカー未経験者だからたいしたことなかったな。
そんな風に思われていたかは分からないが、そんな風に思われてしまったと勝手に決めつけてしまうくらい悔しくそして自信を失った初日の練習だった。

「出来ない組」
実際には誰もそんな区別はつけていないのかもしれない。
でもある程度自信をもって挑んだものがいとも簡単に打ち破られる。
これほど悔しく情けないことはない。
初日の練習後は疲れもあったが、それ以上に悔しさが上回り晩飯も喉を通らなかった。
明らかに僕はサッカー部の中で一番下の存在。
そう考えれば考えるほど悔しさがどんどんこみ上げてくる。
一瞬サッカーなんて向いてないから辞めようかな。。
そんなことも頭をよぎったりもしたが、すぐにそれを頭から打ち消していく自分もいた。
誰も区別はしていないとしても今の自分自身は間違いなく「出来ない組」。
まずはそこを受け入れる。そしてこれから絶対にうまくなる。這い上がる。
初日の夜には頭を切り替え必ず成長することを自分の中で決めていた。

夏休みの部活は地獄だった。
練習中の休憩は全くないし、今の時代だと考えられないが水分補給も全くさせてもらえない。口の中がカラカラな状態でいつ誰が倒れてもおかしくないような状態の中、それでもボールを追い走らされる。
夏休みにある部活は午前練か午後練のどちらかだった。午前練もきついが、午後練は暑さも更に増すため余計にきつい。
その余計にきつい午後練のほうが多かった夏休みの練習は本当に辛かった。
新チームになったばかりのため夏休みは全く練習試合もなかったためひたすら練習の毎日。そんな辛い毎日ではあったが、僕は少しでも早く成長したい。そんな気持ちを忘れることなく練習出来ていたからか、この夏休み期間だけでも少しは成長出来た実感もあった。
同級生や先輩達のプレーにも少しずつ慣れてきていたし、自分の中でも出来るプレーが少しずつ増えている、そんな実感もあったからだ。
このまま練習を続けていけばそのうちみんなと変わらないくらいには引退するまでにはなれているかもしれない。
でもそんなことを考える自分が歯がゆくて悔しかった。その程度で納得していていいのか。納得出来るはずもなかった。
僕は夏休みのきつい部活の練習がある日も部活以外の時間はほとんど全てをボールを蹴る時間にあてた。これまでみんなが練習してきた日々を考えると僕の練習量は圧倒的に足りない。みんなと同じ練習をしているだけでは絶対に追いこせはしない。今思えばプライドが高かっただけかもしれないが、この時の負けず嫌いの気持ちがあったからこそ一人でやる自主練も頑張れていた気がする。

これまでサッカーをする時にきちんと練習メニューを考えて練習をしたことは一度もなかった。
ただこの夏休みからは悔しい思いをしたせいか自然と考えて練習をするようになっていた。
こういったプレーが出来るようになりたい。じゃあそのプレーを出来るようになるにはどんな練習をしたらいいか。きっと無駄な練習もあったと思う。それでも考えながらプレーするという習慣はこの時期から身につき始めたためそこに関しての無駄は一切なかったと思う。
大切なことはまず基本的な技術を身に付けること。
どんなプレーにしても基本が身に付いていなければ実際の試合では通用しない。だからそこを徹底して自主練の中の課題とし必死に練習をした。
この自主練は中学でサッカー部を引退した後も続け卒業するまでやりとげ、自分自身の中での生活の一部のように日課となっていた。
特に一番悔しい気持ちを味わった中一の夏休みは一番長い時間自主練に励んでいた。