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まったりブログ

日記であったり、趣味の小説書いたりしようかなと。。
でも更新頻度は不明だからまったりと♪

ティーチャーズ 1

2021-11-18 21:58:38 | 日記
中学のサッカー部の顧問の先生に誘われ社会人チームに入れることにはなったが、どうやらこのチーム、普段は全く練習がなく毎回市内リーグや大会だけに集まり参加しているらしい。
正直チームに入れてもらえた時はかなり嬉しかったが、練習もやらないようなチームでやれる試合なんてたかがしれてる。
チームのメンバーに会う初めての試合まではそう思っていたし、たいしたことないチームなら早めに見切りをつけて違うチームを探すしかない。
こんな風にも思っていた。
とりあえず主な活動場所は市内リーグで試合は日曜日にしかないし毎週あるわけでもない。
だから試合のない平日はバスケ部の部活に真剣に打ち込むことにした。
もちろん部活から帰った後のサッカーの自主練は欠かすことなく続けていた。
バスケ部は1~3年で20人近くいた。
男の少ない学校でこの人数の多さにはびっくりしたが、更に驚いたのが僕以外は全員、中学でのバスケット経験者だった。
また1人だけ未経験者。
他の1年は早々に先輩達との練習に入れたのに僕だけは1人壁際で腰を落とし膝を曲げドリブルの基本練習をさせられていた。
この初日から1人だけ別の練習をやらされた悔しさから火がつき、部活をやっている間はとにかく真剣に練習をした。
短い距離を早く走る。
バスケットにとって大事なことだが、バスケットは早く走る上、すばやく止まりターンもする。
こういった動きはもちろんサッカーにも共通する部分はあるが、バスケットではとにかく足首の柔らかさもかなり重要だなと感じていた。
そのため風呂上がりに少しでも柔らかくしたいとストレッチもまめにするようになっていた。
ケガをしない体作りにもちょうどよかった。
サッカーとバスケットでは競技がまるで違う。
それなのに共通する部分はある。
そう分かるようになるとバスケットもかなりのめりこみ頑張るようになっていけた。
ちなみにバスケットは必死に頑張った成果もあり自分達の代になった時にはスタメンメンバーに入り試合に出ていた。
この当時のことを考えると同じ時期にバスケットでもサッカーでもスタメンとして頑張っていたため、今でいう二刀流。
今考えても誇っていいと思えるくらい努力していたように思う。

入れてもらったチームのメンバーとの初の試合が行われる日がきた。
市内リーグがこの日行われることになり僕は事前に指定されたグラウンドへと来ていた。
この当時の社会人リーグというものを全く分からないまま入ったが、この社会人チームはこの当時かなりのチーム数があった。
市内だけでも20チームくらいはあり1部、2部と分けられているくらいあった。
うちのチームは1部に所属していた。
初めての試合でチームのメンバーと会った。
そして僕は試合前の練習を見ていてがっかりしていた。
みんな20代後半~30代。なかには40代の人もいたらしい。
チーム名はティーチャーズ。
全員が学校の先生だからこのチーム名にしたらしい。
小、中、高。色々な学校からサッカー好きの先生が集まって出来たチームらしい。
チーム名はユニークで面白いが、試合前のパス交換なんかを見ていると何となく話をしながらダラダラとやっている。
そんな風に見えてしまっていた。
こんな状態で試合をするのか?
勝つつもりはあるんだろうか?
試合になったらこの人達は走れるのか?
何でこのチームが1部にいるんだろう?
色々な疑問もあり正直試合が始まる前までは長くこのチームにいれる気はしなかった。
それでも僕はこの日を境に自分が今まで見てきた、やってきたサッカーとは全然違うサッカーを見ることになった。
僕は今日が初めての参加だから前半はベンチで見て後半から出場してもらうとチームの人に言われた。
もちろん僕も最初から図々しく出れるとは思ってなかったし、むしろ初戦に関してはベンチからで良かった。
チームのメンバーのプレーを把握したかったしどんなサッカーをするのかも気になった。
どんな人がチームの柱になってサッカーをしているのか。
正直不安しかない中での前半戦のベンチからの観戦となった訳だが、顧問の先生からのうちのチームは強いという言葉も気になっていた。
強いから大変。。ほんとに強いチームでやっていくのが大変だとしたら僕にとっては間違いなく大歓迎だった。

絶望と困惑と誘い

2021-11-17 20:48:57 | 日記
「何でサッカー部の部活説明会はないんですか?」
聞かれた先生は明らかに困っていた。
「うちにサッカー部はないですよ」
今も忘れることが出来ないくらいショックだった。
サッカー部がない?中学のサッカー部の顧問の先生は市内の高校ならどこでもサッカー部はあるって言ったのに?
ほんとにあるか確かめたかったからこの学校に通っている友達の姉ちゃんに聞いたら、普通に放課後毎日グラウンドでボール蹴ってるよって聞いたのに?
頭が真っ白になるどころか、先生からこの学校にサッカー部がないと聞いた瞬間からどうしようとかの考えは一切なく頭に真っ先に浮かんだのはこの学校からサッカー部のある高校へ転校しようだった。
その日のうちに親に真剣に転校させてくれと訴えたがもちろんそれは却下された。
転校出来ないなら自分でサッカー部を立ち上げるしかない!
そう思い翌日には学校の先生にも相談したが、昨年男子バスケットボール部が出来たばかりだからこれ以上は増やせないと却下された。
だったらどうしたらいい?どうすればいい?
夢にまで見た高校サッカーはどうやったら始めることが出来る?
入学したらすぐにでも本格的に高校サッカーを出来るようにと冬場の受験シーズン中にも欠かさずランニングと筋トレは行っていた。
特に筋トレには力をいれた。
体格差を埋めるためには当たり負けない体を作るしかない。
体全体にバランス良く筋肉をつける。
自分なりに色々考えながらトレーニングを行った。
それなのに。。何のための準備だったのだろう。
この時の数日間は本気で落ち込んだし学校も辞めたくて仕方なかった。
今みたいにネットが普及している時代でもなかったため解決策を見つけだすことすら難しかった。

そんな時期にも関わらずこの高校には時代遅れのような決まりがあった。
入学したら必ずどこかの部活に入部しなくてはならない。
この当時ですら古くさいルールだと思っていたが、今もそのルールは変わってないらしい。
時代と共に変わることが当たり前の世の中である意味貴重だ。
ただ入部するといっても、一番やりたい競技がない中入部しろと言われても僕としてはほんとに困った。
適当にあまり活動していない文化部に入部することも考えたがそれはやめた。
サッカーは必ずやる!
だからせめて運動部に入部してその部活をトレーニングとして割りきるしかない。
最初はそんな気持ちで運動部への入部を決めた。
選んだ部活は去年から新設されたというバスケットボール部にした。
元々中学の時にバスケ部の友達が多くいたからか学校でバスケットをすることも多かった。
サッカーの次と考えたらバスケット。
これしかないと思った。
そして僕はバスケットボール部に入部したわけだが、まさかこの時ほんとにたまたま入部したバスケットのおかげで今に繋がってくるとは思ってもいなかった。
後から知ったことだったが、毎日のようにグラウンドでサッカーをやっていたのはこのバスケ部だった。
体育館が使えない日に冬場などに体を暖めるためにサッカーをして体を暖めてからバスケットの練習をしていたらしい。
友達の姉ちゃんはそのサッカーを見ていたのだった。
ほんとに紛らわしい。。
こうして入学2日目に絶望を味わい高校サッカーを諦めることになり、これからどうサッカーに関わろうか。
そう途方にくれた日々が少しの間続くこととなった。

「商業にサッカー部がなかった?それはまじで知らんかった。悪かった」
どうしても納得がいかず僕は中学のサッカー部の顧問の先生の元を訪ねた。
ほんとに申し訳なさそうな顔をしていたが、自分からしたら先生からの一言がなければ今ごろは工業高校に行ってサッカー部に入部しサッカーを始めていた。
確かに先生の言うように1年生から試合に出るのは難しかったかもしれないが、それでも高校サッカーじたいは続けていくことは出来るためきっとレギュラーになるために必死に練習していたと思う。
そう考えると悔しくてしかたなかった。

それでもこのサッカー部の顧問の先生は僕がどれだけサッカーを好きでいたかをよく知っていた。
まだまだ素人同然だった中1の頃にも自主練しているところを偶然見られ一人でも出来る練習メニューをアドバイスしてくれたこともあった。
主力として頑張っていた中3の時には毎試合ごとにアイシングを手伝ってくれ膝を労ってもくれた。
だから顧問の先生としては厳しく怖くもあったが、サッカーに打ちこませてくれたことに関しては感謝しかなかった。
先生の元を訪ねたのはもちろんサッカー部がなかったことを伝えたかったからだが、責めるような言い方など最初からするつもりはなく軽い感じでサッカー部がなかったことを伝えたつもりだった。
それでも先生は色々と思うことがあったのか、一度その場を離れどこかにいき少ししてから戻ってきて僕にこう言った。
「うちのチームにくるか?」
どうやら一度その場を離れた時に先生が所属している社会人のサッカーチームのメンバーに連絡をとってくれたらしい。
まさかの誘いに驚いたが、サッカーをやれる環境が全く思い浮かばなかった僕からしたらありがたい誘いで迷う理由すらなかった。
「いいの?」
「全然かまわん。今許可もとったし。」
「じゃあやりたいです!」
「分かった。伝えとく。でもな、うちのチームは強いから大変だぞ?」

先生が社会人チームに所属していることは中学の頃から知っていた。
そのチームが変わったチームであることも知っていた。
噂ではかなり強いという話も聞いていた。
それでもどんなチームでどんな人がいるとかはまるで分からない。
それでも迷うことなく誘ってくれたことに乗ったのは今すぐまたサッカーがしたいから。
それだけだった。
こうして高校サッカーを経験することは出来なかったが、いきなり社会人サッカーでのデビューすることが決まった。


入学と絶望と困惑と

2021-11-13 19:24:05 | 日記
全国高校サッカー選手権大会。
高校サッカーの冬の全国大会。
冬休み時期に行われテレビでもやっている有名な大会だ。
初めてまともにちゃんと試合を見たのは中学生の時だった。
少しだけサッカーが出来るようになっていたこの時期に見た高校生の全国大会。
衝撃的で驚きの連続だった。
最初に驚いたのは選手1人1人の太ももとふくらはぎの太さ。
どうトレーニングしたらみんながみんなこんな太さになるんだろう?
どれだけ厳しい練習をしてきたんだろう?
それが最初の素直な感想だった。
体格の大きさや技術の高さや視野の広さ、全てが異次元に見えた。
この大会に向けて強豪校だけでなくサッカーをやっている高校生は当然大半が出場することを目標に頑張るし努力をしそして夢を見る。
野球での甲子園を目指すことと同じだ。
初めてこの大会を目にした時から毎年必ず見るようになっていた。
当時の高校サッカーの盛り上がりは凄まじくJリーグが間もなく始まる影響からかスタンドからの歓声もテレビを通じても凄さが伝わってきていた。
この場所でサッカーをしてみたい!
中学生の頃からその気持ちは強く、だからこそ全国に一番近い私立の強豪校を受けたかったが、それも早々に諦めた。
でもサッカーをやっている以上はどのチームもどの選手にも可能性はゼロではない。
はずだった。。。
僕の場合は入学して2日目にしてその可能性がゼロになってしまった。
全国の舞台を夢見て、高校サッカーで活躍しそこでも活躍をする。
子供の頃からの将来の夢はサッカー選手。
小学生の時は日本にプロがないことすら知らなかったが、まもなくJリーグ元年を迎えようとする年にまさか早々に自分の夢があっさり破られることになるとは。
自分自身の不甲斐なさときちんと調べておかなかったことに苛立ちが募った。

クラスも決まり入学式も無事に終わった。
やはり商業高校というだけあり男女比がはんぱなかった。
1クラス男10人に対して女30人。
素直な感想は初めてクラスを見渡した時に思ったのはがっかりの一言だった。
予想はしていたことではあったが、余りに男の人数が少ない。
他のクラスももちろん同じ。
この人数でサッカー部員なんてどのくらいいるんだろう?
入学2日目は部活説明会のある日だった。
僕はこの説明会の後から部活に参加するつもりで学校にスパイクなどを持ってきていた。
1日でも早く高校サッカーをスタートしたい!
その気持ちだけだった。

各部活のキャプテンが説明していく部活説明会。
サッカー部のキャプテンはどんな人だろうか?
もしかしたら知っている先輩かも?
そんなことを思いながら順々に説明していく各部活。
野球部。過去には甲子園にも出場している古豪だ。
ハンドボール部。卓球部。珠算部。
こちらは入学してから知ったことだが全国常連の強豪校らしい。
こういう全国常連の部活には当然スポーツ推薦などで入学してくる人がこの当時何人かいた。
同じクラスにも県内からだが、かなり離れたところから来ていたためこの春から1人暮らしをしながら通っている人もいた。
強豪校は学校内でレギュラーをとることが出来ればそこで全国に限りなく近づける。
レギュラー争いはかなり激しいが、そういった争いは正直羨ましくて仕方がない。
色々な部活の説明を聞きながら色々な部活の存在を知り、スポーツだけに限らず文化部も全国常連の部活があることも知り正直驚いた。
そしてサッカー部の部活説明会がないまま部活説明会は終了した。


進路

2021-11-10 21:34:32 | 日記
引退し夏休みが終わると、いよいよ学校からは進路のことばかりを言われるようになる。
僕の場合は親からはそれほど進路のことを言われたこともなかったため幸いだったが、友達の中には親からも進路のことを口酸っぱく言われうんざりしている友達もいた。
2学期は進路先を決め受験に備えなければいけないため、度々担任の先生やサッカー部の顧問の先生に呼び出され進路の話をした。
正直言えば受験勉強に関しては家はもちろん、通っていた塾ですらほとんどやった記憶はない。
家にいる間は自分の部屋に閉じこもっていれば親は何も分からない。
塾に関して言えば他校の生徒と仲良くなって遊んでいた。
そんな感じの受験シーズンを過ごしていた。
それでもこの時期は周りも少し雰囲気が変わりピリピリした感じも伝わってきていたため嫌いな時期だった。
最初に僕が行きたいと思った高校はその当時県内無敵の全国常連のサッカー部がある私立高校だった。
恐らく受験さえしていれば普通に合格は出来たしサッカー部にも入部は出来る。
でもそこは親に反対されてしまいあっさりと諦めることにした。
私立で学費は高いし、サッカー部は全員寮に入寮する決まりもあった。
同じ県内とはいえ自宅からは離れた場所にあったためそこも納得してもらえない理由となった。
本音を言えば親の手前、あっさりと諦めた形はとったが内心はめちゃくちゃ自分を試したかった。
推薦入部でない場合は一般入部となる。
この学校に入学して一般入部からのスタートでスタメンを勝ちとれた人はほとんどいないと聞いていた。
だからこそ挑戦し登りつめたい。
そんな気持ちは強くあったが、親を説得することなくあっさり諦めた理由もあった。
僕は長男で下にもまだまだこれから金がかかる。
もしも説得し僕がその高校に行ってしまえば家計にかなりの負担となる。
それだけは避けたかったから諦めた。
でももしもあの時説得し、その学校に行っていたとしたらどうなっていただろうか?
たら、ればはないが、今もたまにそう思うことはある。

「工業高校に行ってサッカー部に入ります」
サッカー部の顧問の先生に自分の進路希望を伝えた。
「工業でやりたいことがあるのか?」
痛い質問をされた。
サッカー以外にやりたいことなんて考えてもいない。
高校卒業後はどうなりたいとか、どんな仕事につきたいとか、この当時何一つ考えてもいなかった。
「サッカー以外のことは特に考えてないです」
僕は何も思い浮かばなかったため正直にそう伝えた。
すると先生からは思ってもいなかった答えが返ってきた。
「工業でサッカー部に入ったら部員が多いから当分試合にも出れんぞ?特にやりたいことあるわけじゃないなら商業行って1年からスタメンはって試合に出るのはどうや?」
先生の言っていることは確かに的を得ていた。
進路として選ぼうとしている工業高校はこれまで何度も学校へと行き、合同練習や練習試合を行ってきた。
その時に部員の多さに驚いたし、何より1つ上の同じ学校のサッカー部の先輩がまだベンチにすら入れていなかった。
中学の時はスタメンでバリバリやっていたのにだ。
そこを挑戦したほうが絶対に良かったと後になって思ったが、サッカー部の顧問の先生からのある意味誘惑は更に僕の進路を迷わせることになった。
本来、学校の先生であれば高校から先のことも考えて進路を提案したりもするのだろうが、僕の場合はあまりにサッカーの話しかしないためサッカーのことだけを考えて提案してくれたようだ。
「1年からレギュラーとってお前が中心で人数の多い工業倒したら気持ちいいと思わんか?」
商業の回し者?
そう思ってしまうくらい商業を勧めてくる。
それでも自分が入って強いチームに勝つ。
これほど魅力的なことはない。
先生からの言葉に一気に興味を注がれた。
ただ1つどうしても疑問に思うことがあった。
「商業って聞いたことないんですけど、サッカー部なんてあるんですか?」
本当に聞いたことがなかった。
野球は有名で過去に何度か甲子園にもいっている古豪だが、サッカー部のサの字もこれまで耳にしたことはなかった。
「地元の高校はサッカー部はどこでもある」
その言葉に安心させられ一気に気持ちが揺れた。
1年からレギュラー。
同じ1年でも中学1年の時のことを想像し、もしも工業にいき部員が多いから1年は走らされる。
そんなことにならないとは限らない。
さすがにそれはもう嫌だった。
走ることの大切さはしっかりと分かっている。
スタミナのないサッカー選手なんて選手としては使えない。
でもただ走らされるだけの部員には絶対になりたくはない。
出来ることなら入部直後から先輩達とがっつりサッカーをやりたい。
先生からのアドバイスを受けて僕は商業高校を受験することに決めた。


目標。。そして引退

2021-11-08 22:08:30 | 日記
3年生が引退しついに自分達の代になった。
思えば1年前、ようやくただ走らされるだけの地獄から解放された夏休み。
自分自身も少し心に変化があった。
うまくなりたい。誰よりも。
その気持ちに変わりはなかったが、新たに1年生も練習に加わるとやはり経験者はそれなりにみんな出来るしみんなうまい。
もちろんほとんどの同級生は小学生から一緒にやっていたため1年生の実力もよく知っていた。
当然それに負けじと2年生も頑張っている。
自分自身も負けるつもりはなかったし今度こそスタメンに選ばれるつもりでいた。
でも考えてみたら1年前の同じ時期はみんなのうまさにただ焦り、そして一番下手くそだった自分が悔しくて歯痒くて仕方なかった。
それを思えばこの1年で一番成長しているのは僕ではないか?
同級生の中では先輩がいた時にAチームで試合に出たメンバーは数人しかいない。
その内の一人に自分がいた。
確かに最後は外されてしまったが、そこまで登っていたことも事実。
みんなに内緒でやってきた自主練、常に考えながらやってきたサッカー。
これはきっと間違いではなかった。
そうプラスに考えることが出来るようになってきていた。
痛みの低下と共にプラス思考になり、そしてまた上昇思考へと変化していく。
これが2年の夏休みにあった心の変化だった。

2年の夏休み以降から3年の夏までの引退するまでの間、主要な大会では全てスタメンでフル出場をした。
ポジションは左MF。
たまに真ん中のMFのポジションもやることもあったが、主に左でのポジションがほとんどだった。
チームの基本フォーメーションは4-3-3。
当時のフォーメーションとしてはごく一般的だった。
この左MFのポジションには1年の時からうまかった3人の内の1人が先輩達がいた時からやっていたポジションだったが、自分が押しのけた形でそこに定着することとなった。
膝の痛みはたまにあったが、前のような痛みはもうなくテスト週間などで部活が出来ない期間にいつのまにか落ち着いたりもしていたため引退までその繰り返しをすることにはなったが、春のような苦しみはもうなかった。
骨の成長がある程度体の成長に追いついたからだろうか?
今年のチームとしての目標はまずは地区大会を勝ち上がり県大会に出場すること。
そしてそこから先は1つでも多く勝つこと。
チームの目標としてはそれほど高い目標ではなかったが、県内にはサッカー部は数多くあり実際簡単に勝ち上がれるほど甘くはなかった。
ただこの年は飛び抜けて強いチームもなく、どこのチームにもチャンスはある。
僕達の代はそんな代だった。
だからこそ1つの試合を大事にし、1戦1戦勝ち上がる。
チームとしての目標は僕の中ではしっくりきていた。

あっさりとした引退だった。
最後の大会も地区大会を勝ち上がることが出来ずに負けた。
いくつかの大会の中でだいたい1回戦は勝ち上がるが2回戦であっさり負ける。
最後の大会に至っては練習試合では1度も負けたことがなかったチームが相手だったが、結果として1点も取れることなく負けてしまった。
この1年間大会等はそんなになかったが、数多くの練習試合をこなし、実践の場での経験はそれなりに積んできた。
自分自身も考えながら試合に臨み、こういった形を作るために自分がこう動き空いたスペースに味方を走らせてチャンスを作ろう。
考えるプレーを心がけてはいたが、なかなか簡単にはいかない時も多くあった。
時には負けた試合が自分自身のミスからの失点で1-0で負けた。
そんな試合もあった。
ピッチにいる以上1人の責任なんてことはサッカーではあり得ないが、それでも自分のミスのせいでという苦い記憶はなかなか消え去ることはない。
数多くの練習試合を経験し、数多くの勝ち負けを経験し、数多くのプレーをこなしてきた。
それでも目標にすら届かなかった。
分かったことがある。
練習試合はあくまでも練習試合。
試合経験は積めても公式戦とは緊張感や相手のプレッシャーがまるで違う。
この悔しさは高校サッカーで必ず晴らす。
そう誓った中学3年の夏だった。