号:粟田殿、二条殿、町尻殿
藤原繁子(藤原師輔の娘)・・・尊子(一条天皇女御) 兼隆 兼綱 兼信
摂政関白太政大臣 藤原兼家の三男。生母は、藤原時姫。
摂政関白 道隆は同母兄、摂政太政大臣 道長は同母弟にあたる。
花山天皇の蔵人であったとき、父の兼家と共謀して天皇を出家させ退位に追い込んでいる。
兼家は、花山天皇の皇太子となっていた懐仁(かねひと)親王(円融天皇と、兼家の娘・詮子との間の皇子)の早期即位を願っていた。
花山天皇が寵愛していた女御が身重で亡くなり、途方に暮れていた時、道兼は天皇に対し「自分も一緒に出家するから、女御を弔いましょう」と持ちかけた。
そして天皇を連れ出し、髪を下ろしてしまい、自分は「出家前の姿を今一度父に見せてくる」と言い残して、逃げ帰ってしまった。
天皇が騙された、と気付いた時はすでに手遅れであった。
こうして花山天皇は法皇となり、兼家の野望通り、外孫が即位して一条天皇となったのである。
父のために一肌脱いだという経緯があったため、道兼は自分を父の後継者にしてもらえると期待していたのであるが、期待に反して後継者は嫡男・道隆であったため、道兼は多いに不満であったという。
道隆が43歳で亡くなると、甥の伊周(これちか)を差し置いて関白に就任するも、わずか7日で病没してしまい、世の人は「7日関白」と称したのである。
娘の尊子(そんし)は、あまり父である道兼から愛されていなかったようであるが、その死後、弟の道長の計らいで、一条天皇の後宮に入っているが、さほどの寵愛を受けることもなかったという。
藤原繁子(藤原師輔の娘)・・・尊子(一条天皇女御) 兼隆 兼綱 兼信
摂政関白太政大臣 藤原兼家の三男。生母は、藤原時姫。
摂政関白 道隆は同母兄、摂政太政大臣 道長は同母弟にあたる。
花山天皇の蔵人であったとき、父の兼家と共謀して天皇を出家させ退位に追い込んでいる。
兼家は、花山天皇の皇太子となっていた懐仁(かねひと)親王(円融天皇と、兼家の娘・詮子との間の皇子)の早期即位を願っていた。
花山天皇が寵愛していた女御が身重で亡くなり、途方に暮れていた時、道兼は天皇に対し「自分も一緒に出家するから、女御を弔いましょう」と持ちかけた。
そして天皇を連れ出し、髪を下ろしてしまい、自分は「出家前の姿を今一度父に見せてくる」と言い残して、逃げ帰ってしまった。
天皇が騙された、と気付いた時はすでに手遅れであった。
こうして花山天皇は法皇となり、兼家の野望通り、外孫が即位して一条天皇となったのである。
父のために一肌脱いだという経緯があったため、道兼は自分を父の後継者にしてもらえると期待していたのであるが、期待に反して後継者は嫡男・道隆であったため、道兼は多いに不満であったという。
道隆が43歳で亡くなると、甥の伊周(これちか)を差し置いて関白に就任するも、わずか7日で病没してしまい、世の人は「7日関白」と称したのである。
娘の尊子(そんし)は、あまり父である道兼から愛されていなかったようであるが、その死後、弟の道長の計らいで、一条天皇の後宮に入っているが、さほどの寵愛を受けることもなかったという。