31代用明天皇の皇后、聖徳太子の生母。
29代欽明天皇の皇女、生母は蘇我稲目(いなめ)の娘・小姉君(おあねのきみ)
穴穂部皇子、崇峻天皇とは同母の兄弟である。
異母兄にあたる用明天皇の皇后となり、厩戸(うまやど)皇子(後の聖徳太子)、来目(くめ)皇子、殖栗(えぐり)皇子、茨田(まんだ)皇子を産んでいる。
臨月であった穴穂部間人皇女が、馬小屋の厩に手を触れると、何の苦しみも無く聖徳太子を分娩した、とか、口の中に菩薩観音が入る夢を見て身籠ったのが聖徳太子である、という伝説が有名。
用明天皇の没後、用明天皇が若い頃に蘇我稲目の娘・石寸名(いしきな)に産ませた田目(ため)皇子と再婚し、佐富(さとみ)女王を儲けたという異色の経歴の持ち主である。
皇后となった女性に再婚は許されていなかったはずであるから、再婚というよりは密通に近いのであろうか。
さらに同母兄弟である穴穂部皇子と、兄弟以上の関係であった、という異説もある。
29代欽明天皇の皇女、生母は蘇我稲目(いなめ)の娘・小姉君(おあねのきみ)
穴穂部皇子、崇峻天皇とは同母の兄弟である。
異母兄にあたる用明天皇の皇后となり、厩戸(うまやど)皇子(後の聖徳太子)、来目(くめ)皇子、殖栗(えぐり)皇子、茨田(まんだ)皇子を産んでいる。
臨月であった穴穂部間人皇女が、馬小屋の厩に手を触れると、何の苦しみも無く聖徳太子を分娩した、とか、口の中に菩薩観音が入る夢を見て身籠ったのが聖徳太子である、という伝説が有名。
用明天皇の没後、用明天皇が若い頃に蘇我稲目の娘・石寸名(いしきな)に産ませた田目(ため)皇子と再婚し、佐富(さとみ)女王を儲けたという異色の経歴の持ち主である。
皇后となった女性に再婚は許されていなかったはずであるから、再婚というよりは密通に近いのであろうか。
さらに同母兄弟である穴穂部皇子と、兄弟以上の関係であった、という異説もある。