合気道は武術という前提で
合気道を端的に表している言葉があります。たとえば、
「気に合する道」
「気に合わせる武術」
「人に(相手)に合わせて動く武術」
「相手の動き(力)を利用して投げたりする武術」
だいたい同じようなものですが、いろいろあります。
しかし分かる人には以上のような表現でも
「あぁ、そういう事だな」って理解してしまいます。
逆に、
そうでない人には、これらの表現では全く雲を掴むようなものであり
かえって合気道って何なんだ! となってしまいがち
「気」と聞いて、「精神」のごとだと思ったり
「気」は「こころ」だと捉えたり
「気」は「意識」だと言い換えている
それ実は
同じような表現をしているだけで、実は「気」(合気道における気、または武術の気)
の中味を理解できていなくて、漠然としか捉えられていません。
直接的な答えはここでは書きませんが、
例えていうなら筋肉と力(パワー)の関係で
ペットボトルを「グシッ」と握りつぶす。
これは
「気の力」です。
「ハンドパワー」です。
「意識」です。
「こころ」です。
どれも100%外れてはいません、間違ってはいません。
がしかし、
学ぶための本質
合気道を理解するための本質
武術を実践する上で"気"を扱う
本質なんかを突いているわけでもありません。
コトバだけが独り歩きして、理解できた気になってはいけないところで、
必ず、言語の裏には実体的な"体験"がプログラムされているものです。
本質は自分に明確に見えてくるように(経験できるように)
実体として捉えないといつまでも迷走してしまいます。
そこが初心者には難しいのです。
そこを求める人に分からせるのは、分かっている先生の言語力にもよります。