せっちゃんの明るいガン日記

乳ガンで(片パイ→まっ平らになったけど)鬱病だけど人生転んでなんぼ、生きてるだけで丸儲け!せっちゃんのノー天気な日常!!

今日はちょっとお疲れだった(--;)

2008-03-02 22:18:26 | 日常のこと
今日は精神的に疲れが溜まってしまったらしく、頭はぼーーーとしてるし、やる気ナッシングで何もせず過ごしたよ。

電話が自由になった息子ちゃんは、同じ事を何度も電話してくる。言い聞かせて「分かった」って言うんだけどまた30分くらいすると同じ話。。。

1つことで頭の中はいっぱいになっちゃうらしい。

病気のせいだから怒るわけにもいかないし、「ふんふん。。。」と聞いてまた同じ返事をする。その繰り返し・・・今日は午後4、5回電話があったかな?

午後テレビを付けたら途中からだったが、ドキュメンタリーをやっていた。17年前に遭難した17人の山岳部隊の遺体を10年間捜索している人の話。

チベット山脈にある山の頂上を目指し、17年前山岳隊がキャンプを張ってみた12月。でもそこからは頂上を見る事が出来なかった。部隊は頂上が臨める位置に移動。そこに雪崩が起き、史上最悪の遭難事故になった。17人全員死亡。だがただ1人遺体が見つからなかった。

チベットの地元民族はその山を聖地とあがめて一生のうち3回巡礼するという。山は信仰の対象で、よそものが、汚すことをとても嫌がっている。

10年捜索している彼は自分が登山家として生きてきた間そのことを知らなかった。なぜこの土地の人は登山者を嫌うのか?

地元の人は山にのぼり人間が征服することで災いが降りかかると信じていた。故に外国からの登山者を極端に嫌っていた。一生のうち3回というのは、1度は父のため、2度目は母のため、そうして3回目に自分のために。。。神とあがめる山を巡礼で回るのだ。

最初は遺体を遺品を探し回ることも、歓迎されなかった。村の人になじんでいた彼からは口にも顔にも出さない努力が滲め出てとれた気がした。今では村人は彼に協力してくれる。情熱が信念が愛情がかたくなだった村の人を動かすまでになったのだ。

温暖化の影響で氷河の溶けるスピードが速くなってきている。たった1人見つからない同行した医師・・・彼の何かを見つけるために必死に氷の上、谷間を見て歩く。17年目に遺族を連れて彼はベースキャンプにやってきた。その中には息子を亡くした77歳の父親の姿も。持病の腰痛をおして、らばで山道を移動してやってきた。かつて息子が仰いだ山をたたずんで眺める。風を感じる。。。。

それぞれの遺族の心の中にどんな想いが去来したことだろうか。

「来られて良かった」悲しみが癒えると言うことではないかも知れないが、一区切りを付けるという意味はあったように感じた。

最後になるかも知れない捜索で人間の頭蓋骨のかけらが見つかった。ひょっとしたら見つかっていない方の物かも知れない。鑑定に出すことになった。

ほろほろといろんな思いになりながら、泣きつつ見ていた。10年間、仲間を探してきて村人と文化の交流、人としての交流をしてきた彼にはただただ、頭が下がる。

持続していくことは相当の忍耐力と信念が必要になる。それより何より、誰かを思う気持ち、理解しようと思う気持ちそこに感動した。

自分に与えられた役割を果たす。口で言うほど簡単ではない。

自分の役割は何か?ちょっとぼーーとした頭が、動き出した番組だった。

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2 コメント

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生きてるってことは、それだけで、 (Keiko)
2008-03-03 19:59:37
もう何もかもが「ありがとう」という気持ちになるの。
でも、それが見えない人が多くなってきているよね。実は、私もこの病気になる直前に、バイトを一人自殺で亡くしたの。いろいろ悩んでいたことも聞いて、こちらからもアドバイスをして、心療科でお薬を飲んで、明るくなっていたから安心していたのに、突然って感じだった。悔やむことがとても多くて、私が病気だともっと早くわかって、彼にその生き様をしっかり見せてあげられたら、もっと彼の中で何かが変わっていたかもしれない、と何度も思ったよ。
でもね、この「人生」ってものは、自分で収支をつけていくしかないよねと思うこともあるの。周りは、そのお手伝いを、的確に出来るように心配りしていくしかないよね。
やっぱり、愛情がいろんなものを突き動かしていくよね。
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keikoさん (せっちゃん)
2008-03-03 22:05:23
私が身内を自殺で亡くした後大勢の人が友だちを親を知人を同じように亡くしている事実を知りました。新聞に年間3万人と書かれていても、毎日「人身事故で止まっています」のテロップを見ても「ふううん・・・」としか感じられなかった鈍感さに嫌になりました。自分も責めて話してくれなかった彼も心のどこかで責めていました。「水くさいじゃん。。。。なんで??どうして??」って。

息子が病気になったのは必然だと思います。死んだ今くらい味方してやろう。あっちで笑われないように必死で生きてやろう。向こうに行ったら「頑張っただろう?!」って威張ってやるんだ。ってそう思った。

大病した人間からしたらましてや、知り合いを見送ったりすれば「死にたい」なんてどうして言えるの?って思うこともある。生きたくても駄目になることもあるのにって。だからたまに「おまえ、ふざけんなよ?」って仏壇に向かって話すこともあるよ。(苦笑)「贅沢だ。罰当たり!でもごめん・・・」って。

彼を亡くして私は少し利口になったよ。この世に自分に関係ない物なんてないって気がついたこと。人により添って生きようって考えるようになったこと。
だから、「ありがとう」って送ったよ。

そうそう、「愛」が全てです(笑)
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