「演繹的」、まさに、そんなブログの引っ越し作業の結果、
100を超える記事の画像が表示できなくなり、非公開としました。
記憶を呼び起こしつつ、漸次、復活・再生させるつもりですが、
正直、皆目見当のつかない画像も多々あります。
上記のように、連続性を維持することは、このシリーズの
重要なファクターですので、時間がかかっても復活・再生を
果たさなければならないのですが、漸くこれで38作目です。
さてと、それでは、ここからが、
『ダ・ヴィンチの罠 演繹的(改)』
の記事になります。
(以下、本文)
それを、
古代ヘブライでは「ヤハウェ」(エホバ)
として、「神」と仰ぎ、古(いにしえ)のインド
では釈迦の「空」という概念となり、中国
においては老子の説くところの「道」(タオ)
や東洋思想における「天」(天道)としての
「サムシング・グレート」なるもの
をモデルにしてレオナルド・ダ・ヴィンチが
描いた傑作が『モナ・リザ』であるとする
仮説が『ダ・ヴィンチの罠』における
核心というか肝のひとつなのですが ・・・
「猫」を最高傑作とするダ・ヴィンチ
の思考から演繹すると『モナ・リザ』は
ひょっとするとひょっとするかもしれません。
キリスト教で忌避されていた「猫」が
ルネサンス以降の宗教画に描かれるよう
になったキッカケとして考えられるのが、
メス猫と三匹の子猫 dictionary.petsallright.net
イエスの誕生時に厩(うまや)でメス猫が
子猫を産んだという逸話です。
『受胎告知』 フェデリコ・バロッチ(1592-96年頃)
しかしながら、
同時刻に同じ厩で子猫を出産したという
メス猫の伝承(言い伝え)の根拠は乏しく、
この逸話に関する文献や出典は明らかに
されていませんが、
この逸話(俗説)が人口に膾炙する端緒
のひとつにレオナルド・ダ・ヴィンチの手に
よるプロパガンダを思わせるデッサン画の
存在があったのです。
『猫のいる聖母の素描』 1478-1481年
「猫」を抱きかかえたイエスを膝に
乗せて、優しく微笑む聖母の姿を描写
した『猫のいる聖母の素描』の
他にも聖母子が「猫」とともにいる素描
をダ・ヴィンチは6枚も描いています。
たとえば、
それらの素描の存在が、人伝えに流布
していく中で、その解釈を巡っていつしか
人々の間に広まった話が前述のメス猫に
関する逸話であったとか ・・・
あるいはまた、ダ・ヴィンチが意図して
流した作り話だったのかもしれませんが、
少なくとも聖母子と「猫」を最初に
結び付けた張本人がダ・ヴィンチ自身で
ある可能性を否定することはできません。
なにしろ彼は、
「猫は最高傑作である」
と手記に残しているのですから ・・・
但し、
その場合においても後世の画家たちの
なかで、ダ・ヴィンチが意図した「猫」の
寓意を察知できたと思われるのは、
極々、少数の人たちで、
ダ・ヴィンチのスピリチュアル・パワー
(作意の無意識的な潜在エネルギー)を
敏感に感じ取れたり、受信することが
出来た数少ない画家たちの中でも、
確実に、
ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像
その意図を理解し、その寓意を自己の
作品を通してサポートしていた代表格が
ルーベンスやシャンパーニュであって、
フィリップ・ド・シャンパーニュの肖像
無意識的に受信していたと思われる
のがジョン・コリアやヤコポ・バッサーノ
であり、そのなかに、ベクシンスキーや
カラヴァッジョ、あるいはガロファロなど
も含まれるかもしれませんが、
出典:blogs.yahoo.co.jp
ダ・ヴィンチと連動して、協力していた
と思われるのがルネサンス三大巨匠の
ひとりであるラファエロ・サンティでした。
ラファエロの自画像
イタリア・ルネサンスの三大巨匠
出典:www.el.tufs.ac.jp
ラファエロ・サンティは、聖母の画家と
しての異名を持つことからもわかるよう
に、聖母マリアを数多く描いています。
『システィーナの聖母』 ラファエロ・サンティ
『システィーナの聖母』や
『大公の聖母』なども、その中の
ひとつですが、
『大公の聖母』ラファエロ画
聖母子とともに、幼い洗礼者聖ヨハネ
が一緒に描かれている作品も多くあり、
『小椅子の聖母』 ラファエロ・サンティ
『小椅子の聖母』の他にも
有名な作品がいくつもあります。
『ベルヴェデーレの聖母』ラファエロ画
『美しき女庭師』ラファエロ画
ラファエロは1483年にイタリア中部
にあるマルケ州ウルビーノという小さな村
で生まれました。
父が宮廷画家だったということ以外には
家族についての詳細は伝わっていません
が、彼が8歳の頃に母を亡くしたようです。
父ジョヴァンニはほどなく再婚し、腹違い
の妹エリザベッタが生まれます。
言わば、
私生児で産みの母と育ての母の二人が
いたダ・ヴィンチのケースとは違うものの、
継母に育てられたという複雑な思いは
ダ・ヴィンチの持つそれと同類で実の母
を慕う気持ちが多くの聖母子を描き続け
させたとも言われていますが、
『システィーナの聖母』 部分 ラファエロ・サンティ
どうもそれだけではないようです。
要は、
聖母子と洗礼者聖ヨハネと
の関係性における重大な疑義を
暗示しているようなのですが ・・・
それらについての言及は、この場では
控えさせていただきますので、
ここではダ・ヴィンチの仕組んだ「罠」
の仕掛けにラファエロも協力していたとか
、あるいは、少なからざる関与があったと
いう程度の認識でいてください。
ラファエロについては、その最大の傑作
とされる『アテナイの学堂』の謎
とともに後日あらためて取り上げるとして、
『アテナイの学堂』 ラファエロ・サンティ
そのさわりの部分だけを話すとすれば、
ヴァチカン宮殿の「署名の間」に
描かれたラファエロの有名な壁画である
『アテナイの学堂』の構図には、
ダンテの「神曲」からの影響が
少なからず見られるようで ダ・ヴィンチの
『最後の晩餐』における「罠」の
後付け的な伏線になっているのです。
つまり、
『アテナイの学堂』部分 出典: Wikipedia
ここに描かれる古代ギリシャの哲学者や
女性や子ども、その他の登場人物たちは、
1 5 9
いわゆる辺獄の世界の住人であって、
18、幾何学の講義をするユークリッド
プラトンのモデルやアリストテレスまたは
ヘラクレイトスのモデルであるとされている
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロ、
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あるいはそれとなくカメラ目線で登場
するラファエロもまた辺獄に行く運命で、
19、20、21、(天球儀を手にするゾロアスターと地球儀を持つプトレマイオスに
アペレスに扮したラファエロの姿とプロトゲネスに扮した友人の画家であるソドマ)
言い換えれば、
天国に直行できない何某かの潜在的な
問題を有する人々であるということです。
辺獄とは、
カトリック教会において、「原罪のうちに
(すなわち洗礼の恵みを受けないままに)
死んだか、永遠の地獄行きを定められて
いない人間が死後に行き着く先である」と
伝統的に考えられてきた場所のことで、
ダンテは『神曲』の「地獄篇」の中で、
辺獄をアケローン川の先で、ミーノスの
審判所の前にある地獄の第一層として
描いたわけです。
古代の歴史・神話に登場する徳の高い
異教徒(古代ギリシャの哲人や英雄たち)
が、明るく照らされた美しいけれども憂い
を帯びた城に住んでいるとされています。
これは、
ギリシャ神話での死後の楽園(冥界の
審判官を務めるラダマンテュスが支配を
する世界で、神々に愛された英雄たちの
魂が暮らすとされる)エリュシオン
の中世解釈と思われます。
以上、(Wikipediaより抜粋編集)
さて、
ルーベンスに話を戻せば、
彼の工房においてもラファエロほどでは
ないものの聖母子と幼い洗礼者聖ヨハネ
を描いた作品(聖家族シリーズ)が数多く
制作されました。
そのシリーズのなかの代表的な作品が、
『聖家族シリーズ1615年版』の
『聖家族』 ピーテル・パウル・ルーベンス(1615年)
『聖家族と聖エリザベス、幼児聖ヨハネ』
ですが、この作品は単に人気が高かった
というだけではなく、ある途轍もない秘密
を隠し持っていたのです。
それは、
聖母子と洗礼者聖ヨハネと
の関係性における重大なる疑い
であり、『アテナイの学堂』にて
ラファエロが暗示した疑義とも
通ずる内容を孕んだものだったのです。
この絵を観て、
『聖家族と聖エリザベス、幼児聖ヨハネ』ピーテル・パウル・ルーベンス(1615年)
最初に気になったのは聖母マリアの胸
に抱かれながら、鑑賞者に対し、意味深
なる視線を送る幼いイエスの目です。
『ダ・ヴィンチの罠 舞台裏(改)』
でも仄めかしているように、ルーベンスの
作品には同じようにこちらを見つめる絵
がいくつかあります。
肖像画を除けば、そのほとんどは彼の
家族で母親(妻)に抱かれた子供の姿は
『聖家族シリーズ1615年版』
を彷彿させるものであり、
『エレーヌ・フールマンとその息子』ルーベンス
また、
『小椅子の聖母』 ラファエロ・サンティ
ラファエロの『小椅子の聖母』を
思わせる構図の採用も見逃せません。
『エレーヌと子供たち』 ルーベンス
レオナルド・ダ・ヴィンチやミケランジェロが
ラファエロに多大な影響を及ぼしたように
ラファエロの作品が、ルーベンスにも大きな
インパクトを与えていたわけですね。
ところで、
エレーヌ・フールマンは1626年に先妻の
イザベラ・ブラントがペストで急死したのち
に娶った二番目の妻でルーベンスが53歳
、エレーヌ16歳の時(1630年)の結婚です。
それは、
まるでイエスの母マリアと養父ヨセフほど
の年の差を感じさせる再婚だったのですが
二人の間に息子2人と娘3人が生まれます。
ここで注目して欲しいのは子供の数です。
『ルーベンスとイザベラ・ブラント』(1609年-10年)
ルーベンスが残した子供は全部で8人で、
イザベラとの間には3人の子供がいます。
長女クララ・セレーナ(1616年)
(5~6歳の頃と思われます)
クララは結婚の翌年に誕生しましたが、
『クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像』
彼女は不幸にも12歳でその短い生涯を
終えてしまいます。
亡くなる少し前の頃かもしれませんね。
どこかしら元気がないように感じます。
『息子ニコラス』(1619年)
次いで、長男アルベルトと次男ニコラス
が一歳違いで生まれます。
『二人の息子たち(アルベルトとニコラス)』(1626-27年)
イザベラとの婚姻期間は17年で3人。
『ルーベンスの家族』
ところが、エレーヌとは晩年の9年間で
5人もの子供を授かったわけです
しかも、
末っ子に至ってはルーベンスが亡くなる
時には、生後8カ月の乳児だったのです。
下世話な話ですが、
あっちの方は老いてなお盛んであったと
いうことでしょうか
『エレーヌ・フールマンの肖像』 出典:4travel.jp
(正面からだとルーベンス特有の豊満な
女性像が多いので、斜め横からの画像
を探してみました)
そこで、ハタと思ったかどうかは、直接
ルーベンスに訊ねるしかありませんが、
ピーテル・パウル・ルーベンスの肖像
エレーヌと彼自身の係わりを聖母マリア
とその夫ヨセフに重ねてみたときに、
言わずもがなの結論が導かれます
いよいよもって、カトリック教会の教えや
聖書の記述に、さらなる疑惑が沸騰したと
しても不思議ではありません。
例えて言えば、それ以前からも・・・
『ルカの福音書』1章26-38節では
マリア自身に、『マタイの福音書』
1章18-21節では夫ヨセフのもとに、
『聖告(受胎告知)』 ルーベンス(1609年)
大天使ガブリエルが受胎の告知に降臨し、
聖霊により「神の子」ロゴスである
イエスを身ごもった、であるとか ・・・
『聖母マリアの無原罪懐胎』1625-28年
聖母マリアの無原罪による御宿りや
被昇天するまで純潔のままであったとか、
『聖母被昇天』ルーベンス(1626年)
etc ・・・ etc ・・・
『受胎告知』 ルーベンス(1628年)
だとしても、
もちろん、そんなことはおくびにも出さずに、
『聖告(受胎告知)』 ルーベンス(1609年)
せっせとカトリックの教えを聖書絵巻の如く
に仕上げていたのでしたが ・・・
エレーヌ・フールマンとの再婚後、暫くして
ルーベンスは公の仕事から徐々に身を引き、
家族との時間を大切にするようになります。
1632年、大公妃イザベラに外交官としての
任務の免除を願い出ると、
『城の庭』部分 ルーベンス(1635年頃)
1635年にはアルトウェルペン郊外(30キロ
ほど南の田園)に「ステーンの館」と
呼ばれる別荘(城館)を購入し、多くの時間
をそこで過ごすようになりますが、
『ステーン城館のある風景』
工房での仕事は相変わらず忙(せわ)しく
注文も途絶えることはありませんでした。
この頃のルーベンスはひどい痛風による
手の痺れから、その作品の多くが弟子たち
や助手によって製作されていたのです。
こうして、ステーン城館を本拠地に置いた
家族との静かな生活のなかで、
『野良帰り』 ルーベンス
ルーベンスは風景画に情熱を注ぎます。
制作依頼ではなく、まったく自分の楽しみ
のためだけに描かれた風景画 ・・・
『井戸のある風景』 ルーベンス
そのなかに、
大自然の営みとしての「神」なる存在、
『虹のある風景』 ルーベンス
言わば、
サムシング・グレートが育む
インテリジェント・デザインの
業(わざ)を見ていたのかもしれません。
1640年5月30日 痛風による心臓発作で
ルーベンスは62年の生涯を閉じました。
『聖家族と聖エリザベス、幼児聖ヨハネ』
ピーテル・パウル・ルーベンス(1615年)
はてさて、
幼いイエスの瞳は何を訴えていたのか
『最後の晩餐』 ピーテル・パウル・ルーベンス
『最後の晩餐』においてユダが
伝えたかった真実とは何か ・・・
ただ視線をこちらに向けているという
だけではない秘密のメッセージを
次回、紐解いてみたいと思います
聖書のなかで、ただ1度きりしか登場
しない「猫」をルーベンスは宗教画
のなかに、ただ1度だけ描きました。
『受胎告知』 ルーベンス(1628年)
畢竟するに、
「『風が吹けば桶屋が儲かる』式の
三段論法が演繹法のはずじゃが」
だから、サブタイトルが
「『演繹的』なんでしょ」
「猫科の一番小さな動物、
つまり猫は最高傑作である」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
という、ダ・ヴィンチの言葉の持つ本当の
意味とは何なのでしょう?
演繹法・帰納法 www.direct-commu.com
それは、これなのです
って、おいおい、
… to be continued !!
なんだかなぁ