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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 変身譚

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 変身譚(改)』です。

 (以下、本文 )

 

 日本列島のほぼほぼ真ん中辺りに位置する
ごくごく標準的な地方の商業都市に生まれて、
北海道は札幌で学び、東京の会社に就職した
のですが、別に東京にあこがれを抱いて上京
(赴任)したわけではありませんでした。

 まあ言ってみれば、成り行きのようなもので
地元に近いし、いつでも親もとに戻れるという
ような安直でモラトリアムな考えだったわけで、
案の定、4年ほどで会社を辞め、引きこもりの
ような自由で気ままな自堕落的フリー・ライフ
(アパート暮らし)をエンジョイするわけです。

 ・・・ おいおい生活費は 

     
    (まさか親がかりかぁ)

 いえいえ、そこはそれ、ちゃんと4年の間に
それなりの蓄えをしていたわけで、その金で
およそ1年半程を食いつないだのですase2

 この時、小生27歳にして無職のフリーター、

 比べるべくもない話ですが、

 14歳でアンドレ―ア・デル・ヴェロッキオの
徒弟として工房に入り、6年にわたるの修業
を終えてフィレンツェの画家組合に加入した
のは、ダ・ヴィンチが20歳の時のことでした。

 デビュー作品とされる『受胎告知』
(1472-1475)を描き始めたダ・ヴィンチは



 翌年には大器の片鱗を見せるべく、師匠
ヴェロッキオの『キリストの洗礼』



 (1470-1476)の創作を手伝い左端の天使
と中央付近の風景の一部を描きます。



 これらの作品に「罠」予行演習

           □


 としての悪戯やアナモルフォーズ
(歪像画)の予備実験を仕組んでいたと
いうことは以前にも何度か触れていますが、


    聖母マリアの長い右腕と謎の肢

 アナモルフォーズに関しては、

 『ダ・ヴインチの罠 無頼漢』

 
 を参照してみてください。



 「十分に終わりのことを考えよ。
 まず初めに終わりを考慮せよ」

       (レオナルド・ダ・ヴィンチ)



 この頃からすでに、

 その言葉通りに、終わりにつながる
一部を企図実行していたのですから、
啓示ともつかない幻視とともに、



 別の能力も授かっていたかのような思い
に駆られてしまいます。

 ダ・ヴィンチは幼少期での記憶として
二つの出来事を綴っています。

       □

 ひとつはハゲワシが空から舞い降りて来て、
ベビーベッドで寝ている彼の口もとを その尾
で何度も何度も打ち据えるというものです。

 もうひとつは山を散策中に洞窟を見つけて、
その中に潜んでいるかもしれない化け物
に怯えながらも洞窟の内部がどうなっている
のか、という好奇心で一杯になったという
記述です。

 ダ・ヴィンチはメモ魔であったと思われる
ほどにたくさんの手稿の類を残していますが、
紛失や分散してしまっているために実際には
現存する約5000枚の手記の倍に相当する量
があったとされています。

 その内容は『絵画論』や科学に関する研究
の成果や解剖の記録といったアカデミックな
ものから人生哲学、物語、日記、手紙、素描
の数々、果ては家計簿の如き日々の細かな
出入金に至るまで、多岐にわたるジャンルで
の記録が残されているのですが、不思議
なことにプライベートなことや人間関係
についてはあまり触れられていません。


       ダ・ヴィンチの手稿類

 父であるセル・ピエロの死に際しての記述
にしても「今日父が死んだ」程度
の実にそっけない事務的な文面です。

 母親と思われるカテリーナに関する記述は
いくつか見られますが、父親と同様に会話の
内容や心の機微については一切触れられて
いません。

 母カテリーナの死に関しても埋葬にかかる
費用の金額が詳細に書き込まれているだけ
なのですが、

 そのなかには両親に対する彼なりの思い
が見て取れると思われる箇所があります。

 「父、7時に ・・・ 7時に死す」
亡くなった時刻を二度繰り返しています。

 母の場合も同じように、

 7月16日カテリーナ来たる
7月16日 ・・・と日にちを二度繰り返して
いるのです。

 ダ・ヴィンチはカテリーナを母とは書かずに
カテリーナとしか記していません。

 なぜでしょうか

 察するに、カテリーナは言わば、父の愛人
としての母親であり、父が正式な結婚をして
からは、生きていくために別の男性と結婚を
しなければならなかった母親です。

 時たま会いにやって来る彼女のことを母親
と呼べずにカテリーナとだけ記していたのは
そうした理由によるものだったのでしょうase


 ところで

 幼少期におけるダ・ヴィンチの記憶ですが、

       

 ハゲワシが彼の口もとを、その尾で何度も
何度も打ち据えるという件(くだり)でピン
来たのがプロメテウスです


  天界の火を人間に与えたプロメテウス

 プロメテウス天界を盗んで
人間に与えたとしてゼウスから受ける
永遠拷問に登場するハゲワシと、


  ハゲワシに内臓を食いちぎられるプロメテウス

 彼の口もとを何度も何度も尾で打ち据える
という行為についての解釈を、

     

 これから先、何度も見ることになる「幻」
の中身を決して言葉にしてはいけないという
大いなる何者からの(いまし)めのように
感じていたのではないでしょうか

 プロメテウスの神話や毎日内臓を喰われる
という永遠に続く拷問については、

 『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/406.html
 『ダ・ヴィンチの罠 リリス』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/407.html
 『ダ・ヴィンチの罠 好奇心』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/504.html

 などを参考にしてみてください。

 洞窟での一件を、好奇心一杯
なったという言葉で誤魔化していますが、

    

 このとき、

 ダ・ヴィンチの好奇心は凍り付きながら
も爆発寸前にまで昂揚していたことは、
 
 『ダ・ヴインチの罠 匙加減』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/515.html

 に書いたとおりです。

 そうです。 そうなのです

 幼き日に、彼は洞窟の中で何者かと
出会ったか、「幻」を見せられたのです。



 それが、

 松果体から分泌された神経伝達物質
DMT(ジメチルトリプタン)による仕業
(幻覚)か、白日夢か、は別にしても ・・・

 それらについては、

 『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/480.html 
 『ダ・ヴィンチの罠 白日夢』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/481.html

 などを参照してみてください。

 幼き日の記憶とともに定期的に訪れる
神秘現象(幻視体験)が幼少の頃より

  

 ダ・ヴィンチの身に起こっていたのです。


      出典:shanti-phuia.net

 それは、まるで、

 『聖書』世界観の別バージョンや


 
 『ヨハネの黙示録』の逆パターン
を見せつけられているような内容でしたので

     


 教会の依頼による仕事の多いダ・ヴィンチ
には、とても厄介問題だったのです。


       出典:shanti-phuia.net

 どうやら、それが「罠」という非常手段
に訴える動機のひとつになっていたことは
否定できないことのようですが ・・・

 
 
 いずれにしても

 それが、

 単なる妄想による「幻覚」とは
到底のことに思えなかったダ・ヴィンチは、

 

 「罠」というトリッキー告白
方法採用したわけです。



 例えて言えば、『キリストの洗礼』
『受胎告知』での場合ですが、


   upup_slow
 キリストの頭上の鳩を連想させる形の雲と
   downdown_slow


 ダ・ヴィンチの描く片膝をつく天使の姿と

    

 跪拝する大天使ガブリエルの姿との類似性、
 
 

 さらには、


 射抜くように見つめる瞳の共通性です。


         

 その視線の先にあるものは ・・・



 イエス・キリストの洗礼の名場面であるのに
ローブを捧げ持つ幼い天使が見つめるのは、



 変な形をした枝先と思わせぶりな鳥の姿か、
洗礼者ヨハネの顔の辺りとしか思えません。



 肝心のキリストは貧相で精悍な顔つきをした
聖ヨハネの引き立て役に思えてしまいます。



 一方の『受胎告知』でのガブリエルが



 見つめる先には処女マリアが座っています。



 このとき、



 ダ・ヴィンチは大天使ガブリエルのなかに
龍(ドラゴン)の化身を見ていました。



 そして、



 やや長めの右腕で聖書のページをめくる
聖母マリアには蛇の影を見ていたのです。


 さて

 ここまでが悪戯や実験の段階で、本格的な
「罠」『東方三博士の礼拝』
から始まるのですが、


 『東方三博士(マギ)の礼拝』 1481-1482年

 それについては、

 『ダ・ヴィンチの罠 松果体』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/480.html 

 を参照してみてください。

 ただ、ここで言いたいことは、

 初めから終わりまでが、すべて考慮されて
いて、キチンと繋がってるということです。

 先の幼い天使の持つローブ(コブラ)が



 下の岩肌の質感から蛇の鱗の紋様を連想
させるだけでなく、背後の植物に蛇の群れを
想起させ、それらのイメージが天使の姿勢を
介して引き継がれているのです。


    down_slow
      
        down_slow
    

 こうして、  down  down



 「罠」が開始されていったのです


     up    


 そして、  down      down_slow



 跪拝する姿勢は『岩窟の聖母』では
大天使ウリエルや大天使ガブリエルへと引き
継がれ、凝視する視線の持ち主は幼いヨハネ
や幼児のイエスが受け継ぎます。

 そこから、さらに、 down

 

 前屈みの姿勢と射るように見つめる視線は、

        

 『最後の晩餐』でのバルトロマイへと
バトンは確実にリレーされていったのです。

 つまり、

 「罠」集大成として計画された
『最後の晩餐』のヨハネ(R1)の両手



 が、このように固く結ばれている場合には、

   

 『復活の朝餉』がイメージされていて


『最後の晩餐』のヨハネ 『岩窟の聖母』のマリア

 聖母マリアマグダラのマリア
使徒ヨハネが兼ねるということになるのです。
 
     
       マグダラのマリア

 もともと

 この壁画復活顕現シーン
を描いたものだったのですが、



 聖書に名高い『最後の晩餐』
場面へと意図して改変・誘導したわけです。

 その解説には、時間も紙幅も必要なので、
ここでは割愛して別の機会に譲りますが、

 とりあえず、

 今はトマス左手とされる素描

  

 真の持ち主に話を移しましょうpeace

    

 それは、後においては『モナ・リザ』
モデルとしても仮託されるのですが、

  

 ここではマグダラのマリアです。



 要するに、これが彼女で、




 その手が強引に引き離された時に彼女の



 右手はナイフを握る選択をするのです。

 


 ところで

 問題のトマス左手ですが、


     up_slow
 ここにあるこれ
 
   ・・・ って、やっぱ、それ、

      
     (トマスの左手じゃね)

 ちょっ、ちょっと待ってください

 素描をよぉ~く見てみてください

    

 ゴツゴツと節くれ立っているような男性の手
とは思えないくらいにしなやかで、華奢な感じ
に見える指先は、小生の欲目でしょうか

 どうみても女性の手です。 

 そもそも

  

 この人差し指を立てている手も、もともとは
トマスのものではありませんでしたnose7

 なぜなら、

 前述したように、『最後の晩餐』では
なく、復活顕現場面だったからで
その時、トマスはその場にいませんでした。

 要するに、この顔出しのトマスは、

       

 付け足しのようなもので、11人の弟子たち
が揃ったガリラヤでの『復活の朝餉』
をモチーフに『最後の晩餐』を装った
というのが隠された真相ですから、

 指を立ててる右手もテーブルに置かれた
左手もトマスのものではありません。

 
        down    down_slow

 大ヤコブの左手とトマスの左手とされる素描

 ならば、それが、

 縦(よ)しんばマグダラのマリア
手だとして、それではこの手は誰でしょう

       

 次回では、それらの「タネあかし」
してみたいと考えてますが、なにせ変わり身
が早いので、どうなるものやら ・・・

 さてさて、  

 カフカ『変身』ならずとも、小生も
27歳の初冬にして、履歴書を認(したた)め
、めでたく就職を果たします。



 結局、

 ここも9年ちょっとで辞めちゃうんだけど

 それじゃあ、ダメじゃん



 そういうのは、

    

  「『変身』とは言わんやろ」

   

 「遍歴よね。ヘ・ン・レ・キ」


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』


 出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net


      出典:mnsatlas.com

      


  【洗礼者聖ヨハネの首とサロメの物語】 


 『音楽家の肖像』『ウィトルウィウス的人体図』『自画像』
   
     『音楽家の肖像』1485年頃

    
   『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 
 



 … to be continue !!

コメント一覧

ガブリアス・マーレン
たぶん、ポヨヨンさんの「キャンキャン!」は怪傑ハマリオさんのコメントに対してのものじゃないでしょうか?

「おお、怖っ!」って感じですね!?

それと、むらさき納言さんの言うように、罠のエッセンスが詰め込まれたページですね。

「変身譚」、要するに、そういうことなわけです!
むらさき納言
半年半ぶりのコメントです。

ダ・ヴィンチの罠のエッセンスを掻い摘んで
披瀝しているのが、このページだと思い、時々読み返しているのですが、今なお、意味不明なのがポヨヨンさんの「キャンキャン!」というつぶやきです。

キャンをCanだとして「為せば成る」と解釈することも可能ですが、やはり、何かに対する悲鳴のような気がします。

そもそも、つぶやきのタイミングも不可解です。

大抵はコメントに対応した形でのつぶやきですが、これは時間的に不自然で、文脈的にも断絶しています。

2号さんは順不同だけど全体ではひとつにつながっていると解釈されているようですが、だとすると、どこにどうつながるのか?

まさかとは思うけど、ひょっとして、まだ実現していない未来での予言的なつぶやきとか・・・?
ポヨヨン
キャンキャン!
怪傑ハマリオ
ちょっとばかし、よそ見してる間に好き勝手に人のことをダシに使って、分かった風に料理してんじゃねえよ!

まな板に乗せるのはダヴィンチの罠だろが・・・

そいつがトマスじゃなければ、誰の手か知らんが、どうせ大した奴じゃないと思うぜ!!
むらさき納言
失礼を承知で言えば、みのるさんはアカデミックな見解が基調にあって、透明人間2号さんはオカルトな部分を前面に出しながらも、古代の歴史の空白の謎をダヴィンチを利用して迫っているみたいな感じだと思います。

天邪鬼の怪傑ハマリオさんはドイルさんの見立てに近いのかもしれません。
江戸川ドイル
ダ・ヴィンチはオールカマーだったから大胆な謎を作品に埋め込めた。

最低でも何かあるぞと思わせるように、

謎があって謎を解こうとする人間が多ければ多いほど色々な解釈が生まれるけど、そうであれば、中にはダ・ヴィンチの意図する解に近いものも見つかるはずで、みのる氏の意見に疑問をぶつけるのも、そのための実践です。

たぶん、怪傑ハマリオ氏もどっかで真実や納得できる答えを求めているのだと思う。

きっと、余計なお世話だと反論されるだろうけど・・・
みのる
江戸川ドイル様

「キリストの洗礼」は、ヴェロッキオ師匠の元で複数の弟子らも加わっています。
その中ですので、天使の視線とちょっとした小物(今回は鳥)を使って、別の意味を付加したことは、ちょっとした試みです。

師匠、他の弟子、絵を見る人々が、”自分の描いたものの意図に気づくか気づかないか?” といった、透明人間2号さんの言葉を借りれば、初期の作品はダヴィンチの”予備実験”ですので、教会に反するような域のものではないです。 

教会に言えない、「表の意味」と「裏の意味」が本格的に結実するのは「岩窟の聖母」「最後の晩餐」からです。

ただし透明人間2号さんの全体の展開がありますし、自分も楽しみにしてますので、その2枚に関しては控えたいと思います。

解釈はその人によって異なるものですし、何が正解となるものでもありません。
自分のコメントも、数多くある仮説の内の一つという、参考程度にみていただければと思います。

読者同士でこういった話ができるのって嬉しいです。ありがとうございました。
江戸川ドイル
表向きの理由やイエスの磔刑の解釈はアリだとしても、新約聖書はまだ描かれてはいない時代での受胎告知ではイエスの言葉は無意味だし、人類の犠牲になる運命を旧約に求めるのも、そもそも無理がある。

よって、みのる氏の見解には疑義アリなのですが、前回書いちゃったからなあ。受け手側の自由な解釈だって・・・

第一、受胎の告知とともに、その子の運命を告げることは裏の秘密でもなんでもないから、表の理由をわざわざ作る必要性もない。

仮に、表の理由を必要とするなら、この鳥が教会にとって不吉の象徴だったり、悪魔的なものだったり、教会が絶対に受け入れられない何かを持ったメタファやメッセージがなければならないはずですが・・・
透明人間2号
聖書に詳しく、精通されていらっしゃるのですね。大変参考になりました。

特にもう一人の天使の目線が「ローブを持つ天使の視線を追うように」補助(誘導)しているというのはいいですね。なるほど納得できます。

「受胎告知」でのマリアの右手が聖書の最後のページまでめくりあげていることはあまり気にしていませんでした。

現代のように新旧が一緒ではなく、旧約しかないはずですので、イザヤ書がどのあたりに収められているのか分かりませんが、救世主の誕生を預言したページ(イザヤ書 7:14)を探しているのかと思っていました。

十字架の杖の先を目指す謎の鳥の部分は非常にインスパイアされました。

謎のトマスの指に絡めた解釈に力強い援護射撃になるかもしれません。

これからも、何か気づいたり、気になる点があありましたらご教授ください。

イエスの磔刑やその運命など、いろいろと示唆に富んだコメントをありがとうございました。
みのる
※文字制限があったので、分割しました。
以下は、さきほどの続きです。
みのる
すみません、お言葉に甘えさせていただきます。

キリストの洗礼に白い鳩を描くのは普通ですが、黒っぽい鳥がいるのは言われてみると不自然ですね。この部分は、これまで気にしていませんでした。

鳩以外の鳥ですが、聖書の福音書のイエスの言葉の中に「空の鳥」として少し出てきます。

「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある」
「一粒のからし種のようなものである。ある人がそれを取って庭にまくと、育って木となり、空の鳥もその枝に宿るようになる」といったものです。

黒っぽい鳥は木に向かっているようにも見えるので、先のイエスの言葉を表現したものと見ることもできます。
以上は、「この鳥は何?」と問われた時の表向きの意味に使えます。


裏の意味は、ダヴィンチの天使の視線がもたらすものです。
ダヴィンチの作品を見る時に”視線”は重要です。「キリストの洗礼」のダヴィンチの天使は、確かにイエスを見ていません。
天使が見ているのは、洗礼者ヨハネ、鳥、木ともみえますが、自分は、鳥と洗礼者ヨハネの持つ杖の先の十字架を見ていると考えます。

白い鳩は真下のイエスに向かいますが、対して黒っぽい鳥は十字架に向かっているとも見えるからです。

ダヴィンチの天使は、黒い鳥の向かう先、数年先に十字架にかかるイエスの未来が見えているのではないでしょうか。

「キリストの洗礼」の場面でありながら、視線と鳥と十字架を使って、「磔刑」への予兆もこめたわけです。

隣のもう一人の天使は「あなた、どこ見てるの?」と、天使を見上げる表情をすることによって、”ダヴィンチの天使の視線を追うように”と、補助しているようです。
この右側の天使はボッティチェリが描いたという説もあります。

鳥さんもダヴィンチかボッティチェリが描いていれば、裏の意味は有りです。
透明人間2号
みのるさん、おはようございます。

「キリストの洗礼」の木や鳥はシグナル的なものなので、何かを知らせようとする、その何かですが、ひとつ前の記事でドイルさんが書いているように受け手側の解釈の問題なので、一向に構いません。
ただ、同じ記事内のココナンさんのコメントにある洗礼者ヨハネに関する、それもサロメやペテロのナイフや彼の身に起こった悲劇と直接的に関係するものだとすると、これからの展開に影響するかもしれません。
いみじくも、怪傑ハマリオさんに肝の一部を突かれてしまいましたが、その事にもつながる内容だとすると、つまり、「東方三博士の礼拝」から始まる天をさす指の謎やその指が受け継ぐ罠」との関係や首から先しか登場しないトマス
がもつ意味などですが ・・・

差し障りのあるなしに拘わらず、みのるさんの判断で構いません。

むしろ、「おいしい」のであれば、是非解説してください。
みのる
この部分、自分にとっては”とってもおいしい”とこです。

人様のブログ内ですので、迷ってますが
この部分と「受胎告知」について、コメント欄使って解説しても構いませんか?

もし、実は隠し種を持っていてまだ記事にしていないだけなのであれば、控えたいと思います。


むらさき納言
はいはい、そのツッパリ、嫌いじゃないですよ。
仮想敵(ライバル)なんですよね。怪傑ハマリオさん!

ほんと、どこ見てんだろ? 右側の天使の目・・・
透明人間2号
こんにちは、

変な木と鳥は思わせぶりに見えるというだけのことかもしれませんので、ダ・ヴィンチ自身の作品でないこともあって、特に考えてはいませんでしたが、補足(傍証)として取り上げることになるかもしれません。
と言うのも、もう一人の天使の目つきもどこか不自然で、視点が定まっていないような、どこを見ているのか、焦点がハッキリしません。
画面の外の左上空にも何かが見えているのかもしれませんよね。

みのるさんはどう思われますか?

怪傑ハマリオさんの意見には一理あります。
先に言われてしまいましたが使わせてもらうかもしれませんので、その節はよろしくお願いします。
怪傑ハマリオ
そりゃそうだよ。 トマスの手じゃない。
彼がトマスじゃなければね。
そういう単純な騙しのレトリックでしょ!
みのる
おはようございます。
以前教えていただいたリンク先の過去記事、まだ全部見れてなくて、すみません。

ところでヴェロッキオの「キリストの洗礼」の変な鳥と変な木、天使の視線のあたりですが、今後の記事で解明されていく予定でしょうか?

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