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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 蓋然性

  危機とは、

 「古い世界と新しい世界の間の空白のことで
  あり、そこでは様々な病的な症状が表れる」

 イタリアの思想家アントニオ・グラムシ
そんな言葉が頭に浮かんできました。

 畢竟するに、

 理性(ことわり)の空白期間は永らく続き、
感性(たましい)の病状は日を追うごとに
進行し、悪化一途辿っています。

 深刻事態終末的状況下
での「断末魔」となって破局を迎えつつ
あるのが現世界での様相のようですが、



 映画 『シン・ゴジラ』大ヒット
そうした世相反映なのかもしれません。

 さて

 ユダが握りしめる巾着袋中身
「エトス」(倫理)の(子孫)であって、



 ペテロが握るとされているナイフ
「パトス」(感情)の(子供)です。

 

 そして、ナイフ本当持ち主



 「エトス」としての「パトス」
であるヨハネであるということを、

 『ダ・ヴィンチの罠 裏付け』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/507.html

 のなかで明示いたしましたが、 

 それは、第一義的には、


『最後の晩餐』のヨハネ 『岩窟の聖母』のマリア

 聖母マリアマグダラのマリア
を指して言っているわけです。

     
       マグダラのマリア

 しかしながら、その論拠となり得る物証
は乏しく、思い付きの域を出ないものです。

     
    (そうだと思うんだけど・・・)

 デビュー作品:『受胎告知』における



 聖母マリアの右腕の長さや書見台の位置、
建物の壁、糸杉の木などに仕組まれていた

 

 アナモルフォーズ(歪像画)的な



 対象を特定の位置や角度から眺めた時に
だけ本来の形(像)をつくるような技法




 すでに実践されていたとする事実や、


      出典:bligs.yahoo.co.jp

 ナイフを持つに至る動機につながる
と思われるイエスメシア(キリスト)の真実
カトリック教会への義憤復讐という
歴史的経緯による推測可能であると
いうだけの趣旨であって、その可能性
否定することはできないとしても、めて
蓋然性に欠ける内容だったわけです。


 要は


    モンキー・D・ルフィ(フィギュア)
      出典:www.tamashii.jp

 『ONE PIECE』ルフィのように、


    モンキー・D・ルフィ(フィギュア)
    出典:glove0523.blog102.fc2.com

 ユダの背後にの如く伸びたヨハネ
右腕手首「待て !とばかりに
ペテロが取り押さえているという決定的な
場面(シチュエーション)であるとするのが、



 時空劇『最後の晩餐』での見立て
であったわけですが、

 言わば、それは、

 思考実験的描写とでも言うべき
チャレンジであって、

 そこには、



 写実性を重んじるはずのダ・ヴィンチが、
そんな漫画的な描写をするわけがないとする
それ相応の意見もさることながら、



 それらの否定的見解が何の障害
にもならないようなグッドアイデアというか
ダ・ヴィンチならではのトリックがあったと
考えているわけなのです。

 つまり、

 常識的に考えれば、デビュー時に使用
したアナモルフォーズに類似する
技法(テクニック)を封印して、二度と使用
しないというのは、いかにも不自然で、


      アナモルフォーズの素描

 ならば何故、このような素描が残されて
いるのか、腑に落ちないわけです

 アナモルフォーズ(歪像画)とは、
対象を斜めの角度から見た場合や特定の
角度から眺めたときに正常なかたち(像)と
なるような、あるいは鏡(円筒の鏡)などに
投影させることで「像」を浮かび上がらせる
技法で、前述したように、



 デビュー作の『受胎告知』で、すでに
それが応用されていたわけです。

 この辺りの事情については、

 『ダ・ヴィンチの罠 新天地』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/458.html

 を参照してください。

 この左右に間延びした落書きのような線は
アナモルフォーズ形式で描いた幼児の顔で、



 下の画像は幼児の顔と眼の素描ですが、
眼の完成形が上に小さく示されています。


 幼児の顔と眼の素描(アナモルフォーズ仕様)

 幼児の顔の完成イメージはテレビ東京の
番組「美の巨人たち」における

  

 レオナルド・ダ・ヴィンチ 『受胎告知』
の中から抜粋・引用しています。


   「美の巨人たち」からの引用画像
   「レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』」


   「美の巨人たち」からの引用画像
   「レオナルド・ダ・ヴィンチ『受胎告知』」

 ダ・ヴィンチは間違いなく、こうした技法
をどこかで応用しているはずなのですが、
他には該当する作品が見当らないのです。

 残る可能性は『最後の晩餐』で、

 それが長く伸びたヨハネの腕だとすれば、
ナイフを持ったヨハネ右腕

  

 『受胎告知』での開かれた聖書
指を止める聖母マリア右腕

     

 そして、

 『最後の晩餐』でのヨハネ
『岩窟の聖母』でのマリア


『最後の晩餐』のヨハネ 『岩窟の聖母』のマリア

 という思わずビンゴと叫んでしまうような
ディープな関係が疑われるわけです。

 しかも、

 ある方から頂戴したコメントがペテロ
が握るとされるナイフの持ち主を特定
するうえでの蓋然的推理に繋がるヒントを
を与えてくれることになったのです。

 それは、

 『最後の晩餐』に登場する人物たちの
手の描写に関するに考察において事実に反する
解釈をしているかもしれないという指摘で、
その成否についての問いでした。

 尤(もっと)も、

 別のコメントでの意見にあるように、

 丸印のある手と断りを入れていますので、
丸印のない手についてはその限りではなく
必ずしも事実に反しているとは、言い難い
ことではあるのですが、

 そうは言っても、

 所詮、それは屁理屈であって、すべての
手と表現した以上は、誤りであったと、

ここにお詫びして訂正いたします🙇

 exclamation これが問題画像です。

 
 すべて回外で描かれている手 hatenablog.com

 頂いたコメントは、大ヤコブの左右の手は
回外でなく、回内ではというものでした。

 『ダ・ヴィンチの罠 裏付け』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/507.html

 のページでも説明したように、

 回内とは、腕を内側に回す向きのことで、
手のひらが下(親指が内側)を向くだけでなく
尺骨と橈骨がクロスします。


    出典:yoshitakaabe.blogspot.jp

 重要なのは骨が交差するか否かがポイント
で手のひらや親指の向きは、二次的な要素と
しての判断材料に過ぎません。



 はてさて、円内の大ヤコブの手をあなたは
どのように判断しますか

     
  大ヤコブの左手と思われるデッサン画

 大ヤコブの左手と思われる素描を見る限り
微妙ではありますが、やはり反回内である
と結論付けるのが妥当であると思われます。

 しかしながら、


   回内(右手)と回外(左手)のイエス 
      出典:hatenablog.com

 一つ二つの例外を盾にとって左右で見事な
までに回内回外に描き分けられている
事実をまったく意味のない単なる偶然
産物結果であるとして排除するのは
早計なうえに危険なことです。

 
 すべて回内で描かれている手 hatenablog.com

 むしろ、わずかな例外にこそ、何らかの目的
目的や意図があると考えることが大事で、

十二分な検討に値する「何か」が見つかるはず
なのです。

 何となれば、 

 ほとんどすべての人物の手がそれぞれに
回内、回外で描かれているのだとしたら、

 そうではない手をした人物やその手の
位置、手にしているモノに、何か特別な
な意味が隠されている公算が高くなるのは
、むしろ当然過ぎるくらいに当然のことで
あって、それは(分かりにくいのですが、


    up_slow
 大ヤコブ左手トマス左手

(わかり難いですが、大ヤコブの左手の斜め 

下のテーブルの上にトマスの左手と思われる

手があるのです)

 そして問題のナイフ持ち主である
ヨハネ右手ということになります。

 理由はもう分かりますよね。

 ペテロヨハネの手首を掴んでいる
とするとナイフを持ったは、回内
のなかで唯一例外となる回外
ということになるからです。

    

 例外ということであれば、



 登場人物のなかで身体が描かれていない
のはトマス(L1)だけなのですが、

      

 このことは、後々になって ・・・

 大きな意味を持ってくることになりますので、
きょうの段階では片隅にでも、そっと
入れておいてください。

 そして、

 左右でのシンメトリーイメージ
されているとするならば、ペテロ(R2)に
手首をつかまれているヨハネ(R1)に
対応する人物となると、

      

 のほかには両手ともに手首から
部分までしか表現されていない
トマス(L1)であるということで、

 以下、 それぞれに、

      

 ペテロ(R2)と大ヤコブ(L2)、

      

 ユダ(R3)とフィリポ(L3) ・・・


      

 アンデレ(R4)とマタイ(L4)、

      

 小ヤコブ(R5)とタダイ(L5)、

      

 そして、

 バルトロマイ(R6)とシモン(L6)、
という相関関係が浮かび上がります。

 それらの関係については、その時々の
折に触れてお話しするとして、

 今回は、

 ナイフが、実はペテロではなく、
ヨハネの手に握られていたとする根拠
をいくつか紹介させていただきましたが、

 symbol2 「例外の手」については、

    

 寄せられたコメントからの発想であって、
「棚ぼた」「ケガの功名」のような
ラッキーパンチでした。

 とは言っても、

 これらはすべて状況証拠でしかなく
物証に足るものではありません。

 そもそも物的証拠など有り様もなく、
すべては推測彼方に息衝く
亡霊の如き「罠」なのですから ・・・

 ですが、

 
     パンドラの箱 wikipedia

 そういってしまうともなくなるので、

    

 蓋然性喪失が確実とならない限り、
パンドラから受け継いだ好奇心(探究心)
のなせるままに妄想タネを膨らませて
みたいと思っています。

 さて、次回では、

 ダ・ヴィンチの仕組んだトリックであると
推理をした歪像画(アナモルフォーズ)
鑑賞ポイント(消失点)の特定と、



 ナイフの持ち主がヨハネとした場合
に起こる二本右腕についての
考察を予定しています。


 順番(時間軸)から言えば、ユダの秘密
 から追究すべきところですが、

 現在進行形の「気まぐれ日記」ですので、

 あしからず ・・・

  ところで、

 

 「穴掘る道具はシャベルのことか」

       
  
    「アナホルドーグって」

 

 「アナモルフォーズのことじゃないのか」

       

 だから、

  「穴掘る道具だよ」

 

 「アナモルフォーズですけど」

   

 「その可能性はゼロじゃ」



 GOD-ZILLA !! (ジラ神)



 「蓋然性の塊でしょうか」



 そんなアホな ・・・


  「ラブカ」OpenCageさん撮影 Wikimedia Commons

  「うわase2



 「わたしは、お前と女の間に、また、お前
 の胤と女の胤との間に敵意を置く。彼は
 お前の頭を砕き、お前は彼の踵を砕く」
      (創世記 3:15)

    
     出典: www.lets-bible.com




    人類進化 grace-church.or.jp



 … to be continue !!

コメント一覧

小吉
そういえばなんでナイフなんか「晩餐」でもっているんだろう。
魚を切るためのナイフなんだろうか。

それに、毎度毎度感じるけれどあの手の捻りは不自然すぎる。
出たとこ勝負
そう言えば、保守の一角を占める外交評論家の加瀬英明氏がアントニオ・グラムシのことを「20世紀のノストラダムス」と言ってたっけ。

予告というより「予言」かもな!
ブラックパンダ
冒頭部の北朝鮮を米国にかえると、まさに現在の大統領選のカオス的な混乱を予告しているような文面になっている。

これぞ、真に蓋然性の問題だけど、タイトルにも『蓋然性』があったとは・・・
透明人間2号
ドイルさんの指摘は鋭くて、時にドキッとさせられることがあります。
ケイシさんは、弟思いのお兄さんですね。
江戸川ケイシ
弟がすいません。くだらないことを言って、
大山鳴動して鼠一匹も出ない4月の北朝鮮情勢でした。
TV報道の本質が見えて、肩透かしを食らったような、
それでいて少しほっとしたような・・・です。

報道をする側もアメリカによる攻撃はないと分かって
いても、伝えるのが使命だからジレンマがあるだろうな。 
多少なりとも割り引いて判断することにします。
透明人間2号
ドイルさん、深読みというか、穿ち過ぎです。

ただ、フェイクとまでは言わないまでも、マスコミの流す情報をそのまま鵜呑みにはしません。

押し並べて言えることはNHKも民放も、その報道内容は一辺倒で情報操作されているような気になるからです。

自分自身で調べ、自分の頭で考え判断をすることですね。
江戸川ドイル
場違いなコメントですが、「相棒」での杉下右京じゃないけど、変なところがやたらと気になってしょうがない性格で、「風雲急を告げるが如き」の「如き」ってことは、緊迫する北朝鮮情勢をフェイクだと見ているってことなのかなあ。
透明人間2号
元はと言えば、みのるさんの指摘がキッカケで無用の用の逆説的な有用の無のような「例外」の効用に気づけたわけです。

「ヨハネの手」については、そういう意見がないのが不思議なくらいで、絵を観た当初からナイフを持っているのはヨハネに違いないと感じていました。
ただ、それにしては腕が長すぎることと両手を組んでいる右手があるわけで、その矛盾をどうクリアするのかが問題です。

ココナンさん、アナモルフォーズは単なる思い付きではないですよ。 ゴジラについては、 ? です。
みのる
ペテロがナイフを持っているのではなく、12使徒以外の何者かのナイフを持った手をつかんでいるといった考えがあるのは知っていましたが、「ヨハネの手」というのは斬新な発想です。とても面白いです。
ココナン
やっぱ、ゴジラが破壊神なんだ。

アナモルフォーズを持ち出すとは、2号さんらしいです。
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