透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 予告版

 下のデッサン を見た時に、いったい何人の人間が、
このモデル男性であると信じるのでしょうか

平時において正常な神経
と通常の感性や平常なる心と精神を持ち合わせていれば、
決して、そのようには思うことなど考えられないのですが …

 
 『フィリポの習作 1495年』(上)とフィリポとされる人物(下)

 同様に、

 聖書の知識のない人間が、イエスの横に座る人物を男性
であると断言することに迷いがないと言うのなら、まずもって
目医者に通うことと精神科への通院を進言するでしょう




 聖書では「イエスの愛しておられた弟子が、み胸近く席に
ついていた」との記述があるのみで人物名が見あたらない
以上、それが誰であるかを特定することはできませんが …

 symbol2 一般的には最年少のヨハネだと解釈されています。
 イエスの愛する弟子のヨハネでしょうか



 ヴィーナスと名付けられたデッサンですが、使徒ヨハネと
される人物とそっくりに見えますよねpeace

 ところで、

 この使徒ヨハネとされる人物の下絵と考えられるデッサン
があるのです。

   

 陰影の影響で男っぽく見えなくもありませんが、やはり
女性です。タイトルは「Head of a Young Woman」
『若い女性の頭部』の習作です。

 反転させたかたちのこちらの「Head of a Woman」
『女性の頭部』の習作の方がイメージ的には近いのかも
しれませんね。



 但し、こちらはイエスのモデルでもあると考えています。

 symbol2 つまり、こういうことです symbol2

 どのようにしたら 「Head of a Woman」
イエスになるのかということですが …

  
   『最後の晩餐』のヨハネ  『岩窟の聖母』のマリア
   
        『若い女性の頭部』の習作
 (ヨハネ&聖母マリア&若い女性 right マグダラのマリア)
         『女性の頭部』のデッサン
 (ヨハネ&聖母マリア&女性としての right イエス・キリスト)  

  
        


 こうした感覚的マヒを起こさせる程に、中性的な表現で
男性を描く嗜好があることを前々から植え付けておいて、
巧妙にすり込んだ先入観をもって、キリスト教圏内の人々
に新約聖書を通じてつくられた虚偽の事実を真(まこと)の
真実として未来に告発しようとするものだったのです。

 しかし、そのことは断じて公になってはならないものです。

 ガリレオ・ガリレイの例を見るまもでなく、宗教裁判での
厳しい糾弾の餌食となることを覚悟しなくてはならなかった
からに他なりませんが …
 

 symbol2 『ダ・ヴィンチ・トラップ』メインテーマは、
すり替えによる錯誤を利用した教会への批判
真実暴露です。

 それは対比 right 対立(敵対)と共存(親交)が複雑
に交差・交錯する関係において発生します。

 symbol2symbol2 ざっと、思いつくものだけでも …

      イエス・キリストと洗礼者ヨハネ
      洗礼者ヨハネと使徒ヨハネ
      使徒ヨハネとマグダラのマリア
      マグダラのマリアとリリス
      リリスとシモン・ペテロ
      シモン・ペテロとイスカリオテのユダ
      イスカリオテのユダとフィリポ
      フィリポと使徒ヨハネ
      使徒ヨハネとシモン・ペテロ
      シモン・ペテロとイエス・キリスト
      イエス・キリストとアダム
      アダムとバルトロマイ
      バルトロマイと大ヤコブ
      大ヤコブとイエス・キリスト
      イエス・キリストとマグダラのマリア
      マグダラのマリアとイヴ
      イヴと聖母マリア
      聖母マリアとイエス・キリスト ・・・


 と、前回 アナウンスしておきましたが、その関連において
が仕掛けられているということではありませんnose7

 入れ替え、すり替え、なりすまし、対立、敵対、友好、親密
、親子、夫婦question2、愛人question2、恋人question2

 つまり、すでに罠に嵌っているのに、そのことに気づかぬ
ままに喜怒哀楽の日常を送っているということです


 『最後の晩餐』として、つとに知られる壁画
は、「主の晩餐」でもあり、磔刑 のあとの復活
アピール する弟子たちとの「再会の場面」でも
あるとしたのが1号さんの推理でした

 それに触発され、閃(ひらめ)いたアイデアの断片を臆面
もなく披瀝しているのが、というものを知らない2号
くちさがない性分ゆえのエントリーなのですが …

 このシーンでの、

 前者は晩餐(夕食) right 夕餉(ゆうげ)であり、後者は
朝食 right 朝餉(あさげ)を想定して描かれ、二元論的に
朝・夕を対比させることで、この絵に隠した対立(敵対)
関係共存(親交)関係を、それとはわからないよう
構図暗示しているのですが、反面では … 

 裏切り者の存在を示すイエスの爆弾発言や復活した後の
イエスの姿を目の当たりにした際の弟子たちの反応を、
それぞれが大袈裟なポーズで表現することでわざと目立つ
ように仕組み、「この絵には何か秘密がある」
ということを、そうした臭すぎるオーバーアクション
言外に知られるように意図した入れ子状の演出が施されて
いるというのが …

 1号さんの推理発展させた2号見解です。

 
 思案に思案を重ね、熟考に熟考を積み重ねた末に到達
した未来の世界での「ダ・ヴィンチ・ワールド」
アナタの知的好奇心を刺激し、満足させるだけのパワーを
秘めているのでしょうか 

 以前の繰り返しになりますが、ダ・ヴィンチがこの壁画に
並々ならぬ思いを込めていたことを窺わせるエピソードが
著述家のマッテオ・バンデッロの記録に残されています。

 バンデッロは当時、サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会
で見習い修道士をしていたわけですが、いつも 朝早くから
レオナルドはやって来て、足場に登り、地面から高いところ
に描かれた壁画に向かう。

 私は何度も見た。 夜明けから日没まで一度も絵筆を置く
ことなく、食べることも飲むことも忘れて休みなく描き続ける
こともあったかと思うと、2日~3日、あるいは4日もの間、
まったく筆を持たずに作品の前で数時間も立ち尽くし、腕を
組み、心のなかで人物像を検討したり、吟味したり、仔細に
判断をしたうえで批判していることもあった。

 また、太陽が一番高い正午頃に、突然の衝動に駆られた
レオナルドがコルテ・ヴェッキアから出てまっすぐにサンタ・
マリア・デッレ・グラツィエ修道院へやって来るのを見かけた
こともある。 そんな時、彼は日差しを避けて歩くことも頭に
なく、そのまま足場によじ登り、絵筆を取って画面にひとつ、
ふたつ筆を入れると、また去っていくのだった。

 他の現場にいてもなにごとか思いつくと仕事を放棄して
駆けつけることも一度や二度ではなかったようなのです。
 

 それに付け加えて、この世界一有名な壁画の解説として、

 当時の事情を知るダ・ヴィンチの友人、ルカ・パチョーリの
著書『神聖比例論』におさめられた1498年12月14日付
の献辞の文章を引用したいと思います。

 「あなた方のうちの一人が私を裏切ろうとしている」と
 いう言葉を絶した真実を告げるキリストの声を耳にした
 時の、これ以上に鋭い使徒達の注視の様子を想像する
 ことが出来ません。

 彼らの身振りや行為を通じて、使徒達は実際に互いに
 語り合っているように見えます。

 ひとりが別の者に、この者がまた別の者に、激しい疑念
 にさいなまれて話しかけているようです。

 我らがレオナルドは、その繊細なる手をもって、このよう
 に見事に壁画を描き上げたのでした。

 パチョーリは、この場面が『最後の晩餐』であると
信じて疑わず、ダ・ヴィンチも否定はしなかったはずです。

 これは“罠”というより“落とし穴”でしょう。

 常日頃から聖書に慣れ親しみすっかり馴染んでいるから
こそ、嵌まってしまう落とし穴です。

 罠を仕掛けて衆人を騙すには、まずは友人を落とし穴に
沈めることから始めよう、ではないですが …

 要は、「敵を欺くにはまず味方から ・・・」
を実践しているわけです。

 そもそも

 誰がどう見たって、不自然違和感がるあるのが
ペテロの異様にひねくれた右腕に握られたナイフでしょう

      
        up_slow question2
 過去500年もの間、誰一人として右手首の不自然
を承知し理解をしながらも問題を指摘し、その解答を用意
してくれない不思議 さは、「なにをかいわんや」です。

 




 挙げればキリがないのですが、とりあえずのとして、

 1 ユダの背中から現れるナイフは誰の手にあったのか
 2 イエスに向けて立てられた人差し指の意味とは何か
 3 イエスの隣りに座る女性らしき人物の正体とは誰か

 以上、3つの ミステリー から『ダ・ヴィンチの罠』
にある封印を解く手がかりを見つけてみたいと思います。
 


 1 に関連する予告として

 前回にも紹介したイタリアのデジタル画像処理会社HAL
9000のデジタル高精彩画像ですが …


      up               up
ユダの手に握られたナイフ  イエスの手がヨハネ(マリア)
をペテロが押さえつけている   の手と重なり合っている


 これもトラップ(罠)のひとつなのです。

 ダヴィンチの本当の意図はどこにあるのか ・・・


 2 に関連する予告として

 「裏切り者は一人なのか」と聞いているわけでも「この指を
磔の傷あとに挿し入れられたら貴方を信じる」と疑っている
のでもありません。

             

 であるならば、立てられた指の意味するところは・・・


 3 に関連する予告として
 
 イエスの系譜を遡るとダビデ、アブラハム、そしてノアを
介してアダムへと辿り着きます。

 ご案内のように

 イエスを中心に向かって左側がBC(紀元前)で、右側が
AD(紀元後)を暗示していると前のページ『謎の迷宮』でも
述べましたが …

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/399.html(参照)

 遠く未来を見通そうと立ち上がった左端がアダムです。

 すなわち、

 バルトロマイ(人類の起点であるアダムから)の時間的な
視線(歴史の流れ)をイエスの前の空っぽの大皿(すべてを
無に帰す偽りの神)に驚きの形相を浮かべながらも両手を
広げた(十字架を暗示する)ポーズで、必死に受け止めよう
としている大ヤコブの姿を凝視しています。




 しかも、

 その十字架は大きく右に傾いているというわけです。


 「それくらいでやめておけ !!」

    

 (それ以上ペラペラとしゃべるな)

 ギラつかせたナイフを手にしたペテロが
 誰かの耳もとでそう言って脅すので


             

  きょうはこの辺にしておきますase2

コメント一覧

ココナン
十字架を暗示するように大きく両手を広げた大ヤコブの体の傾きをさして、「その十字架は大きく右に傾いている」と、わざわざ書き記したうえで「それくらいでやめておけ!!」と制した理由は何だろう?

この予告版で示されている内容のほとんどは、これまでに問題になっているけど、十字架の傾きに関する事柄はなかったように記憶してますが・・・
出たとこ勝負
誰かの耳元って、ヨハネしかおらんやろ!
透明人間2号
ペテロは短気で見境ないところがあったと伝えられていますが …
皮肉のアッコちゃん
ペテロ、怖っ!!
名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「ノンジャンル」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事