透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 善と悪

 日本国憲法第9条では、

  「陸海空軍その他の戦力は、
  これを保持しない」
と規定しています。


       就役したばかりの護衛艦「いずも」

 国会答弁で自衛隊を「我が軍」と表現した安倍首相
にとっては大叔父にあたる1967年当時の内閣総理大臣、
佐藤栄作は …

 自衛隊を今後とも軍隊と呼称することはない
と答弁し、政府は9条に言うところの、保持する「戦力」
に自衛隊は該当しないとの解釈を貫いてきました。

 以来、今日まで、

 戦力の不保持や交戦権の否認を掲げる憲法第9条の下、
自衛隊は「軍隊」とは異なると位置づけられてきたわけ
ですが、国際法上も常識的に判断しても「軍隊」以外に
何と呼称すれば適切正しい(事実に即した正確な)
表現とされるのでしょうか

 過日、「I am not ABE」のフリップをニュースを
伝える報道番組内で掲げ、個人的な出処進退および人事
問題に絡む内輪のゴタゴタ話を公共の電波を使って披瀝
した元通産官僚がいましたが …

 おそらく、彼の言い分のいくつかは事実に近いものだった
と思われます。

 しかしながら、公共性の高い番組内でそれを暴露した
のは、戦術としては大失敗であり、いかにも個人的な問題
に矮小化してしまうような稚拙(根拠が不明で舌足らず)な
印象が拭えません

 彼の、いや、彼ら、反体制的な立場をとる人々の杞憂
焦燥がわからないではありませんが、今回の騒動で
メディア側が圧力に萎縮して、権力の意向を勝手に忖度
(そんたく)して報道を自粛してしまわないか危ぶまれます。

 
 日本国憲法前文では、

 「政府の行為」によって「戦争の惨禍が再び起こることの
ないようにする」ために「主権在民」とし、「諸国民の公正と
信義に信頼」して「安全と生存」を保持しようとしたわけで、

 しかも、日本人だけでなく「全世界の国民が平和のうちに
生存する権利」を謳い、「専制」と「隷属」、「圧迫と「偏狭」を
なくそうとし、国際社会において「名誉ある地位」を占めたい
との希望までを掲げているわけです。

 そのために、

 9条では「軍隊」を持つことをやめ、「交戦権」
否認し、紛争はあくまで外交で解決する旨を示したのです。

 すべての

 日本人の「好むと好まざる」とにかかわらず …


 さて、誤解を懼(おそ)れずに言えば、

 ふっと思うことに、「戦争とは真に“悪”なのか
という疑問があります。

 前回の『現代考』では、

 草食動物の幸せと肉食動物の幸せとは相容れない関係
にあるとしましたが、押し並べて言えば、人間は草食と肉食
の両面を有していて、そうした人間たちで構成される国家も
また、二面性があるわけです。

exclamation http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/408.html(参照)

 他者に害を及ぼさない草食的な資質を「善」とすれば、
他者の犠牲の上に生存する肉食的な資質は「悪」なる
レッテルが貼られることになります。

 そこで、

 肉食性向は「悪」であり、肉食動物は「悪」だから
絶滅させるべきだとするなら、そのことの良し悪しは別に
しても一応の筋は通るけれど、自然に反する一方的行為
は、生態系や循環システムという地球の生理体系から
手痛いしっぺ返しを食らうことになるはずです。

 ところが、それがそのまま人間の世界でも通用して、

 草食性国家と肉食性国家が相容れないのは自然の摂理
であって、互いに友好的な平和共存を望んでいたとしても、
常に満腹で満足できるような食環境や生活空間は、この星
においては絶無であるがゆえに、「悪」なる肉食性国家
は絶滅させなくてはならないという論理が平然とまかり通る
ことにもなるわけなのです。
 
  絶滅なんて、馬鹿なことを …

 「そんなことは誰も望まない」反論する
かもしれませんが、

 イデオロギーの対立やナショナリズムの摩擦も大同小異
で、一神教の宗教にいたっては己が信奉する「神」以外
悪魔に等しいであるわけです。

 だからと言って、多神教は寛大で、一神教は排他的など
と短絡する二元論を打つわけではありません。

 端的に言えば、肉食系の無差別テロ組織なら絶滅しても
構わないし、むしろ、その方が安心で安全な生活と平和を
維持し享受できると歓迎する者は少なくないはずです。

 こうした草食動物が「善」で、肉食動物は「悪」という
考えは一見すると馬鹿げているようでも、その実、相当数
の信奉者が存在します

 そうした輩に限って、チーターの母子物語や母親ヒョウの
子育て奮闘記やらで必死で狩りをする母親の姿に感動し、
視聴するテレビ番組の面前では完全に肉食獣になりきって
応援しているわけです

 草を食む動物を殺生する肉食獣は、死して土中の有機物
(窒素化合物)となり、草の餌(バクテリアにより植物が吸収
できる化合物)に変えられて、一巡りするわけで、地球上
のサイクルシステムや共生関係、組成の配分の妙からなる
自然の摂理にはムダがありません。
 
 一定数の草食動物の犠牲の上に肉食動物の生存
あるからといって、草食動物だけになればいいのかというと
、決してそうはならないのです。

 いずれは、植物は食べ尽くされて、草原は消え、山腹は
剥がされ、草食動物は餓えて死に絶えます。

 草食動物が姿を消せば、それをエサにする肉食動物も
自ずと消滅の道を辿るわけで、どのみち絶滅の末路を
迎える関係にあります。

 この循環は陸上だけにとどまらず、海の生物にも影響し、
やがてはすべての生態系が滞り、死に絶えるのですase

 一定程度の犠牲を前提にして存立する自然界の
そのまま人間社会に置き換えられるとは思えませんが、

 正義はひとつだという誤った考え方が争いごとを恒久化
させていることは事実です。

 「テロとの戦い」が盛んに語られる昨今、海外での
テロで日本人も犠牲になっていますが、「国際社会と連携を
深めながらテロとの戦いに全力を尽くす」 との言葉が政府
中枢からも聞かれます。

 しかし、ちょっと待ってくださいparpar ase2

 テロに対しては阻止するための手段や防止策を講じなく
てはなりませんが、「テロとの戦い」宣言する
のはお門違いではないでしょうか

 それって、草食動物の正義を振りかざして、肉食動物に
「お前も草を食べろ」さもなければ抹殺するぞ
と言っているようなもので …

 草食動物同士の縄張りの争いや肉食動物同士の獲物の
奪い合いなどの仲裁とは違い、実質的に軍事作戦を支援し
展開することを意味します。

 特定の「悪」を憎んで根絶するという大義や正義感
(道徳的目的)から自分たちは正しく、相手は「悪」である
から抹殺すべきであると正当化するわけです
 
 草食=「善」で、肉食=「悪」であると思い込ませる類
の手法は過去にも何度かありました。

 冷戦時代の旧ソ連(現ロシア)は、レーガン元米大統領
からは「悪の帝国」 と名指しされ、共産主義社会を
「悪の世界」と断言したレーガン・ドクトリン
が思い出されますし …

 3・11 同時多発テロのあったG.W.ブッシュ元米大統領
の時代には、北朝鮮・イラン・イラクを「悪の枢軸」
呼び、対テロ政策を掲げたことは、まだまだ記憶に新しい
はずです

 現在では、IS(イスラム国)が世界の敵=「悪」
であると定義されているわけですが …

 果たして、

 旧ソ連は「悪の帝国」であって、共産主義
社会は「悪の世界」だったのでしょうか

 「悪の枢軸」と名指しされたイラク の旧フセイン
政権の残党がIS中核組織している事実や制裁
の解除をめぐって続けられているイラン核協議
難航中ですし、人権侵害の甚だしい北朝鮮も未だ
健在のままではありますが … nose7

 そんな彼らに対し、一方的に、

 草食的正義である「善」を前面に掲げて、肉食的正義
による「悪」の根絶を目指すことは真に“正しい”こと
だと言えるのでしょうか

 「悪」である悪い人間(国家や組織や集団)を抹殺し、
根絶やしにすることは「善」である ―― そうした「悪」
根絶しようとする考えから実行されるテロも、その反対
テロ根絶しようとする「テロとの戦い」
また、紙一重違いでしかありません …

 前述した、

 「戦争は、“悪”なのかという命題
をなす疑問であるわけです


 たとえば、

 肉食動物も草を食べるべきだと主張されたら
、彼らはどうしたらいいのだろう
・・・


 この場合の彼らをイスラム原理主義を貫く一団であると
仮定してみると、

 彼らには彼らなりの「正義」があって、泥棒ですら3分
(さんぶ)の理があるのですから、彼らにも1分(いちぶ)や
2分(にぶ)の理はあるでしょう。

 もちろん、テロ肯定し、擁護するものでは断じて
ありませんが、ダ・ヴィンチが言いたかったことも通底では
同じ主張だったと思われます。

 キリスト教(ローマ・カトリック)を絶対的
あるとして、他を排斥する暗黒中世への疑問
憤りです。
 
 言っていることが、支離滅裂要領を得ないと
感じるかもしれませんが、至近な例を挙げるとすれば …

 方向感覚を失って浜に打ち上げられた鯨を大勢の人間
が協力して海に帰すニュース映像を時折、見かけますが、
昔から鯨やイルカが浜に打ち上げられるということは間々
見られる現象で、それほど珍しい出来事ではありません。

 無駄になる部位のない鯨は、日本人にとってはそれこそ
天からの恵、プレゼント・フォー・ユーだったのです

 さて、現在において …

 こうしたイルカからの思(おぼ)し召しだの、
「神」からの授かり物としてありがたく頂戴したとしたら
どういうことになるでしょう

 自然保護団体グリーンピースや動物愛護協会の
面々のみならず、日本にとっては悪名高い海賊にも匹敵
するシーシェパード(環境保護団体)などの抗議
と米国を中心とする西欧諸国からの猛烈なバッシング
の嵐が吹き荒れることになるのでしょうか

 但し

 鯨が打ち上げられた浜に暮らす住民たちの食糧事情は
最悪で餓死者も出るくらいに困窮した飢餓状態
あったとしたらどうですか

 それでも

 動物愛護だの自然環境保護とかの
となって、抗議のニュースが報道されるのでしょうか

 それとも、
 
 「これぞ神の贈り物」というキャプション
添えられ、「思わぬ授かり物に喜こぶ住民の姿」
が大々的にニュース配信されることになるのでしょうか

 おそらくは、それでも文句を付けるのがキリスト教世界の
欺瞞体質なのですが …

 ところで

 先般、産み捨てられたばかりと思われる子猫を生き埋め
にした教師の事件がありました
 
 結局、その先の運命は推して知るべしなのですが、彼は
子猫を保健所に持っていけばよかったのでしょうか。

 その場での殺生は、当然、ダメという意見はわかります
が、どうするのがベストだったのでしょう

 そして、

 この事件を知ったほとんどの人間は、「かわいそうに …」
「生き埋めにするなんて悪魔の所業だ」「命の尊さを教える
べき教師が、なんて酷いことをするのか」 … と憤慨した
その口で、夕食時にはステーキやらハンバーグ
などの動物の肉をおいしそうに戴いているわけですase2


 所詮は、「善」「悪」「正」「邪」と言っても、
人間のご都合次第でコロコロと変わるような相対的なもの
で、絶対的「善」「悪」もないのですが …


 およそ、『ダ・ヴィンチの罠』とは関係のない内容
に思えるかもしれませんが、これが、彼が仕掛けた「罠」
であり、肝心要なのです。

 場所や立場や環境などの条件次第でいかようにも変わり
得る曖昧然とした「善」「悪」を無理やり、「神聖」
なるイエス「邪悪」なるサタンルシファー)とに
峻別し、他の宗教や意に反する者(異端者)には徹底
した弾圧を加える聖なる邪教との秘めたる戦い …

 そこに、

 『ダ・ヴィンチの罠』真髄があるのです。

 突き詰めれば、「善」「悪」だといってみても人間の
腹具合に左右され、虫の居所次第では180度も変節する
わけで、ジャングルで猛獣に遭遇した際の人間の運命も、
彼らの腹具合や虫の居所次第で決定されるのですase2

 運悪く腹ペコの猛獣と鉢合わせになってしまったときに、
絶体絶命の危機的状況から身を守るために必要
ことは何でしょう

 話し合いでないことだけは確かです。


 さあ

 ダ・ヴィンチのバックボーンがはっきりと見えてきた
ところで、彼女、こいつは(だ~れ) … nose8




 次回は、この人物の正体に迫ってみたいと思いますpeace

             

 … to be continue !!

    「拙(まず)い展開だなぁ …」

     

    「これも腹具合で決まるのか」

コメント一覧

江戸川ケイシ
「善と悪」とは相対的なもので絶対的ではない以上、いつ入れ替わっても不思議ではない。

つまり、これが「ダ・ヴィンチの罠」のバックボーンにあるもので、肝だということですね!

まさに“温故知新”です!?
インナーチャイルド
結局、話し合いでは、決して雌雄は決しないわけね!
皮肉のアッコちゃん
早まったと言うより、こうしたタイムリーな事件が続けて起こる
ことがスゴイよ!
日曜のダーウィンが来た!では、母ライオンの子育て物語を
やっていて、確かに肉食獣になりきって見てる自分が恐かった
けど、どうしても感情移入しちゃうよね。
餃子ライス
アッコちゃん、早まったね!
今朝の6時ごろ、茨城県の海岸に130~160頭のイルカが打ち上げられて、それを海に戻す救助の様子が報道されていたけど、もしも飢えに苦しんでいたなら、「天の恵み」として食料にされたことは間違いないな。
大多数のイルカは助からないかもしれないけど
海に帰ることができたイルカは人間の腹具合が満たされていたことに感謝しているだろうよ!
皮肉のアッコちゃん
千葉の銚子海岸に傷ついたオットセイが漂着し、首に巻きついていたヒモをはずして保護したというニュースが流れたけど、食糧事情の悪い昔なら食われていたんだろうな。

ただ漂着した浜の名前が海鹿(アシカ)島海水浴場というオチまでついているのが凄いよ。
ココナン
古賀氏の電波ジャック事件の影響でメディア側が権力に迎合する姿勢や恐れがないとは言えないような危惧を感じます。
フランスの風刺画家がテロにあった仏紙襲撃事件後に「表現の自由」が萎縮しているのは事実だし、恐怖の圧力に屈しつつある気配すら感じます。
ただ、日本人的には、自由に表現する権利を認める以上、嫌だ不快だと感じる人たちの拒否権や否定する権利にも耳を傾けるべきで、なんでもかんでも表現する自由があるとする考え方には賛同できません。
半熟マン
テロに対し、擁護はしなくても否定もしないわけですよね。
人間だけでなく、世界遺産や貴重な遺跡を破壊する組織など
一顧だにする必要性をまったく感じませんが・・・
むらさき納言
「善か悪か」を言い始めるとほぼ確実に争いが起きます。
善と悪は確かにあるけど、「あってないもの」だと思う方が
よさそうです。
むらさき納言
「浜に打ち上げられた鯨」の件について、ハーバード白熱教室
のマイケル・サンデル教授に聞いてみたいですね!
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