透明人間たちのひとりごと

アリとセミの物語 <7>

 キリギリス については 2号 が興味深い内容で …、
セミ については 5号 がアカデミックな解説で、それぞれ
<5><6> で考察してくれたので、今回の <7> では アリ
に対してイソップが、どのような寓意を持っていたのか

 『イソップ寓話集』 に登場する アリ の役柄から
推察してみることにしましょう。


       ――― 『アリとハト』 ―――

  アリが喉の渇きを癒そうと川に出かけましたが、ふとした
 はずみに流れにさらわれ溺れかけてしまいました。

  ちょうどその時、川面に突き出た枝に止まっていたハトが
 葉のついた小枝を折ってアリの近くに落としてやりました。

  アリは、それに乗って、無事に土手までたどり着くことが
 できたのでした。

  それからしばらくたったある日、枝に止まっているハトを
 捕まえようと鳥さしが鳥もち竿を近づけるのを見たアリは、
 急いで鳥さしの足に飛びついて、思いっきりきつく咬んで
 やりました。

  鳥さしが痛がって竿を放り出すと、その物音に気づいた
 ハトは飛んで逃げることができたのでした。

 教訓:情けは人の為ならず。アリのような小さなものでも
       恩の返しようはあるのです。


    ――― 『アリと蛹(さなぎ)』 ―――

  軽快に動きまわりながら、アリが食べ物を探していると、
 僅(わず)かに尻尾を動かしながら、脱皮をしようとている
 蛹(さなぎ)に出会いました。

  アリは、「なんて、惨(みじ)めで可哀想な生き物なんだ」
 と叫び、「ぼくたちは、あちこち走り回って、どんなに高い木
 の上にだって登れるというのに、お前は牢屋につながれた
 囚人のように殻の中で横たわっているだけで、できることと
 いったら、尻尾の関節をほんの少しだけ動かすことぐらい
 じゃないかexclamation2」 と軽蔑して言いました。

  蛹(さなぎ)は一部始終を聞いていましたが、黙ったまま
 返事をしようとはしませんでした。

  それからしばらくして、アリがまた同じ道を通るとそこには
 抜け殻だけが残っていました。

  どうなったのか不思議に思っていると、急に大きな影が
 差してきて、美しい羽の羽ばたきを感じました。

  「やあ、惨(みじ)めで可哀想な生き物くん」 そう叫ぶ蝶の
 声が聞こえました。

  「ほら、もっと自慢してみろよ。 この声が聞こえるところ
 まで、どこでも登って行けるってexclamation2 …」

  そう言うと、蝶は大空高くに舞い上がったかと思うまもなく
 アリの視界から消えてしまい、二度とふたたび目にすること
 はありませんでした。

 教訓:見た目だけで判断してはいけません。
       見かけはアテにならないものです。

  アンデルセン童話の 『醜いアヒルの子』 で言えば、蝶は
白鳥にあたります。

 そして、

 白鳥などの鴻(おおとり)なら、『史記』 のなかで農民王
陳勝 の発した 「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」
という気宇壮大な意識にも、一脈通じる話です。

 だからと言って、決して、アリアヒルツバメスズメ
軽んずるものではありませんが …


  ― 『賢者とアリたちとマーキュリー』

  ある日のことです。 船が沈没して乗客乗員のすべてが
 溺れて死ぬさまを岸辺から見ていた賢者は、一人の罪人
 が乗り合わせていたからといって罪のない大勢の人々にも
 死の審判をくだした、神の不条理を罵(ののし)りました。

  こうして、しばらくの間、憤(いきどお)りに心を奪われて
 いた賢者の足に、なんと一匹のアリが這い上がってきて
 咬みつきました。

  アリの巣のすぐ近くに賢者が立っていたからです。

  すると、賢者はすぐさま、アリというアリを、すべて踏み
 潰して殺してしまいました。

  そこにマーキュリーが現れて、杖で賢者を打ち据えながら
 こう言ったのです。

  「おまえに神の審判を任せたなら、この哀れなアリたちに
 したことと同じ仕打ちをするのではないかeq

  … … この話の系統はバブリオスで、イソップの原典では
ありませんが 『アリとハト』 の場合と同様に人間の足を咬む
という同一行為でも、片方では、恩返しとなり、もう一方では、
無惨にも殺されてしまうという悲劇の結果を招くとは、日光に
ある華厳の滝に身を投げた東大哲学科の学生、藤村 操の
残した言葉通りに、「人生不可解なり」 なのです。

 恩に報いたい気持を返そうとした行為も純粋に巣を守ろう
とした行為も、そのどちらにも悪意はありません。

 何が起こるかわかりません。 殺されたアリたちにすれば、
「ただ、巣を守りたかっただけ」 だったのにネ …nose3asease  

 良いも悪いもないのです。 それが人生なのですから …。

 だとすれば、イソップの アリ に対する寓意はどのように
考えればいいのでしょう。

 『アリとセミ(キリギリス)』 や 『アリと蛹(さなぎ)』 の話では
セミ(キリギリス)や蛹(さなぎ)をどこか侮蔑するような不遜さ
が垣間見られますが、前者ではイソップたち奴隷や労働者を
アリ が代弁していて セミ(キリギリス)は雇い主や支配者
階級を暗示しています。

 後者では逆に、足かせで拘束されているような奴隷の身で
ある自分自身を蛹(さなぎ)に託しているようにも感じます。

 この場合のアリは世間一般にいる自由な市民たちです。

 結果、セミ(キリギリス)には、「冬には踊っていればいい」
とその結末を読者に委ね、蛹(さなぎ)には見事なまでに蝶へ
と変身させるエンディングを用意しています。

 『アリとハト』 では、弱者同士が相身互いながら助け合う
さまを …

 そして、『賢者とアリたちとマーキュリー』 では、世の中の
不条理や命の儚(はかな)さを訴えかけているようです。

 つまりは、諸行無常の世界ですね。

 総じて言えば、人間の所業のすべて …、

 善も悪も、清も濁も、強も弱も、酸いも甘いも、一切合切を
アリとセミキリギリス)に包含・投影させているようにも
思われます。

 おそらくイソップは、
 
 アリの勤勉さを必ずしも、《善》 あるいは、《良》 としては
いないのではないかと判断されるのです。


     ――― 『アリとミツバチ』 ―――

  どちらが思慮深くて勤勉かについて、アリとミツバチが
 互いに譲らず言い争いになりました。

  そこで、太陽神(アポロ)に、その審判を仰いだところ、
 アポロは、アリの先見性や用心深さ、そして他者に頼らず
 自立している姿勢などを誉める一方で、こう言いました。

  「おまえは自分のためだけに恩恵をもたらしている。他の
 生き物たちがおまえの貯めた富や食糧から恩恵を受けた
 ことはない。 だが、ミツバチは工夫に富んだ賞賛に値する
 働きによって、世界に恵をもたらす」 と … 。

  … この話は、イソップの原作ではありませんが、十分に
その意思を受け継ぐ内容だと思われます。

 1 アリの勤勉さは常に肯定されるべきものなのか
 2 夏に歌い冬に踊る生き方は否定されるものなのか
 3 セミ(キリギリス)が冬を生きることは不可能なのか

 ところで、2号 が、『アリとセミの物語<2>』
提唱した、この物語の真実を左右する上の3つの疑問のうち
、少なくとも キリギリスにおいては <5><6> を通じて
2 は肯定され、3 は可能という結論に至ったわけですが …

 1 についても否定的な考察が有力なようです。

 倹約家で働き者の アリ のような人々は、何よりも安心と
安定を望みますが、将来を夢見て懸命に働くあまりに、今を
楽しむ術を知りません。
 
 アリは未来のために今を生きるけど、その未来が到来して
も、その未来は現実の今の時点だから、結局は、何をしたら
いいのか分からずにそのまま働きつづけることになります。

 勤勉で自立はしていても、自分や家族のためだけに働いて
他人や社会へ恩恵をもたらすものではありません。
 
 (一般的にはそれだけで十分だと思うけどね …)

 セミ(キリギリス)は怠惰の象徴のように描かれているけど
決して未来を犠牲にして今だけに生きているわけではないと
思うのです。
 
 人生には目的や使命があります。 遊びや楽しみのない
アリの人生に対する反面教師的な存在がセミ(キリギリス)
なのかも知れません。

 結論から言えば、ミツバチはアリのように一生懸命に働き
ますが、セミ(キリギリス)のように楽しむことも忘れません。

 他者に役立ち(花粉を運び植物を受粉させたり)、人間にも
恩恵をもたらすハチミツやプロポリスを作ります。

 その意味からは、人々の役に立つような意義のある仕事に
恵まれた幸福な人生を象徴しているのが ミツバチ なのかも
しれませんね。

 さて

 大雑把ながらも3つの疑問のそれぞれに一応の答えが
得られたようなので、後は問題を提起した 2号 から順次
イソップの深層の真相に迫ることとしましょう。

 そういえば、巷では、タイガーマスク(伊達直人)の話題で
持ち切りですね。

 直人と言えば、もうひとりの直人である、菅総理ですが …

 なんと本日、民主党の本部に、

 差出人名 「豹変マスクこと酔狂直人」 から 「菅由人」 宛に
弾丸のようなものが送りつけられたそうなのです。

 菅総理だって伊達直人やってませんもんね。

 仙谷由人さんと合体させて、二人まとめて、

  よしてってことなのでしょうか

 でも、酔狂では、済まなおと(直人)です。

 アリ えないダジャレで、キリギリッスね。

 どうも、セミ ませんでした。

コメント一覧

むらさき納言
ダジャレの出来はともかくも、
愚かしい人間の不遜で傲慢な様子がアリを介して語られているようです。
6年前は民主党政権だったのですね。
この記事からひと月半ちょっとで、あの忌まわしい3.11の悲劇が襲ってくるとは・・・
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