尋常ならざる早さで梅雨が明け 「蒙古襲来」 じゃ
なくって 「猛暑襲来」 に 透明人間たち
も 汗 びっしょり なのです
透明人間 でいるときは、素っ裸で、さぞや気持ちが
いいだろうって、とんでもない
速乾性に優れた下着を身に着けている方が、はるかに
涼しく感じるんだそうですよ
お風呂のお湯の30度はぬるいのに、気温の30度が暑く
感じるのは、熱が移動する速さに関係するようなのです。
水は皮膚から熱を奪うスピードが速く、どんどんと熱を
奪う(移動させる)ので、ぬるいと感じ、空気はスピードが
遅く、熱を奪いにくいので、暑く感じるわけです。
逆に体温を大きく超えた温度になると、水も空気も熱い
ことに変わりはないのですが、熱い湯には耐えられずに
ヤケドを負ってしまいますが、熱い空気ならば幾ばくかの
抵抗が可能なわけです。
つまり、摂氏100度のサウナの場合も、室内の湿度は
10~15%と低く乾燥しているのですが、身体からは大量
の汗が噴き出して水分の薄い膜をつくり、皮膚を熱乾燥
から守ってくれます。
この汗が乾燥した空気中に蒸発する時に、1mℓの汗に
対して 約 0.58kcal の熱を奪うために皮膚が冷やされて
ヤケドを防いでいるのだそうです。
熱の伝わる速度が違うと摂氏100度も何するものぞ
というわけです。
まあ、そうした理屈がわかったところで、涼しくなるわけ
じゃないし、仕事明けのビールだけが恋しい季節です。
「夕涼み、よくぞ 男に 生まれけり」 と
川柳に詠われたのも、今は遠い昔(江戸時代)のこと …
いくら クールビズ だと言われてもノーネクタイ じゃ
社会人(ビジネスマン)はつとまりません。
女尊男卑男女逆転の夏物語 なのです。
同じ人間同士なのにどうして男と女でこうも違うの …
同じ温度でも水と空気、液体と気体で感じ方が違うから、
まさか … そんなネッ。 ニュートン先生
ビルの屋上から木の葉を落しても、風や空気の影響で
ニュートン先生の法則通りにストンとは落ちやしませんし、
後世の作家の創作とされる 「ピサの斜塔の実験」で有名
な ガリレオ・ガリレイ の落下する物体の法則にしても …
厳密に言えば、大きさの異なる2つの玉が同時に地面に
落ちることはなかったでしょう。
だからと言って、
万有引力の法則に誤りがあるわけでも自由落下運動
(落体の法則)が間違っているわけでもありませんよね。
同様に、見た目は違って見えたとしても同じものだったり
同じように見えても違うものだったりと、ほんとうの真の姿
を知ることは、実は結構むずかしいのです。
真実 は唯のひとつでも、複数の事実 の存在は
あり得ることですし、見る角度や方位・方角、立ち位置に
よっても違って見えてくるものなのです。
いい例が、(いわゆる)慰安婦問題
なのですが、まずはその前に …
なぜ日本には朝鮮出身の人が多く存在するのか
その理由を訊ねると …
慰安婦の場合と同じく申し合わせたかのように
「強制連行」なる言葉が異口同音に発せられます。
いわく、日韓併合の折に強制的に無理やり連れて
こられたと …
ボクもそう教わりましたし、そのように思ってました。
しかし、満州に渡った多くの日本の民間人が終戦後に
苦労を重ねながらも祖国に戻ってきたように、大多数の
人々は朝鮮半島に帰国したのです。
ここからは1号 さんの受け売りになりますが …
終戦直後(1945年)には、約200万人いた朝鮮人は翌年
(1946年)には60万人にまで減っています。
さらに北朝鮮帰還事業等でおよそ10万人が朝鮮に戻り、
1959年の外務省の調査では、日本に留まっていた朝鮮人
のうち徴用者はたったの245人でした。
徴用者とは労役の従事者としてかり出された人たちで、
国民徴用令は1939年7月から日本人及び台湾人に対し
施行されましたが、免除(優遇)されていた朝鮮人には
1944年9月まで適用されませんでした。
そうした徴用者の残りが、わずか245人だったのですが、
「朝鮮人強制連行」という言葉が定着してしまった理由は、
朴慶植という人物が 『朝鮮人強制連行の記録』 という嘘
の話を本に書き、左翼のジャーナリストや評論家が事実を
確認もせずに引用したために、既定の事実として広まって
しまったわけです。
しかし、
1990年代になって、実証的に強制連行を調査した結果、
疑わしいことが分かり、それを好ましく思わない在日系の
歴史学者が「強制徴用」なる言葉をあらたに創作し
「強制連行とは戦時徴用のことである」
と定義を変更したわけです。
そもそも徴用とは政府が国民や占領地の住民を強制的
に動員して兵役を含まない一般業務につかせることをいう
わけで、もとより強制はつきものでわざわざ「徴用」に強制
を冠するなど日本語としてもおかしいのです。
現在、日本にいる朝鮮半島出身者は99.999%と言っても
差し支えのないほどに、自らの意思で日本に移住してきた
人たちとその子孫であるわけです。
すると、次には必ず朝鮮半島を自国の領土として朝鮮の
人々に苦痛を与えたとする意見が出てきます。
日帝36年といわれる統治時代に恨みを抱いているのは
致し方のないことかもしれません。
朝鮮半島を日本の領土としたことは事実です。
それにしても、ハン(恨)の念の凄まじさには思わず身を
引いてしまいそうになりますが …
1945年以前の世界は、数多(あまた)の国々が隙あらば
他国の領土を自分たちの国の領土とすることに血まなこと
なっていたような時代です。
(表現に問題がありますが大雑把にはそんな状況です)
もちろん日本も例外ではありませんでした。
しかしながら、日本はさまざまな インフラの整備 として、
学校・病院・道路などの公共の施設の建設に当時の国家
予算が赤字になるくらいの大金を注ぎ込み、就業の機会
の提供や技術の習得を積極的に推進していたこともまた
紛れもない事実なのです。
当時、半島は日本領でしたから国内同様に徴兵されても
不思議ではなかったのですが、日本人と全く同等の扱いを
するわけにはいかなかったので志願兵のみ兵役に、他は
終戦間直の7ヶ月間に限り、徴用、つまり労働者として動員
したわけです。
さて、
『ひとり歩きの慰安婦たち』 にもあるように、
嘘の化粧で塗り固められた慰安婦たちをスッピンの状態に
まで戻すのは並大抵の努力では不可能です。
http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/310.html(参照)
実際上も事実上も物理的にも論理的にも、破綻している
のに、不正確で虚偽に塗(まみ)れた情報が流れ、不思議
でオカシな「通説」や「常識」が「世論」という衣を
纏(まと)って広がっているのが現状です。
歴史 に if は禁物であり、タブーでもあるわけですが、
もしも、あの大戦が起きなければ多くの犠牲者は出なくて
済んだのだろうし、広島 や長崎に原爆が落される
こともなかったかもしれません。
ですが、反面において、当時の世界情勢のままに推移
すれば、欧米による植民地支配と争奪の果てに、中国も
韓国も日本も、その餌食となって収奪されていた可能性
も否定はできないのです。
ところで、
当事者間の利害が交錯する間の歴史的事実の判定は
極めて危険であり、実際上の歴史の真実に対する善悪
の判断や是非については、未来の歴史家の手に委ねる
しか方法はないのでしょう
おそらくは、
瓜二つの世界が時間差で存在しているとしても、そこで
繰り広げられる歴史の群像劇は五十歩百歩の物語を紡ぐ
だけのことかもしれませんが …
所詮、この世は悲喜交々(ひきこもごも)に
人間万事塞翁が馬 の世界です
コメント一覧
皮肉のアッコちゃん
透明人間5号
おいら
最新の画像もっと見る
最近の「たわごと」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
バックナンバー
人気記事