透明人間たちのひとりごと

半ば泥みて、半ば泥まず

あてもなくテレビを見ていたら、お宝鑑定番組が始まった。

 チャンネルは“12”ではなく、デジタル“4”チャンネル…
つまり、テレビ東京ではなく、ローカル局での再放送だから
かなり遅れての放映だろう。

 番組開始まもなくだったと思う。 滅多にない事だが、とある
茶碗に(いいな!)と心が動いた。

 作者は、『東の魯山人、西の半泥子』 と言われた陶芸家の
川喜田半泥子のものだった。


 『半泥子(はんでいし)』 という号は、禅の師の命名とかで
その意味するところは、何事も溺れるほどに熱中するのでは
なく、『半ば泥みて、半ば泥まず』 されば、ほどほどに…
との事らしい。

 要は、何事も我を忘れてはダメで、客観的に見つめる目を
常にもっていなくてはいけないと言うことなのだそうで、さらに
その“”にも惹かれ、二度惚れしたような気分でした。

 ちなみに、茶碗には400万円の値段がつき 『半泥子』 の
5本の指に入る傑作だと評価されていました。


さて、この『半ば泥みて、半ば泥まず』は、『中庸』と読め、
気まぐれな透明人間2号の言うところの『好い加減』とも
相通ずる言葉でもあるようです。

おそらく、TN2号は『いい加減』を『中庸』だと捉えて言ったと
理解すれば、うんうんkirakira とうなずいてあげてもいいのかも…


ならば「スモモもモモも…」的な『いい加減』の連打連用も…


いい加減しろ!と言いたくなるくらいにはいい加減ではなく

いい加減に、いい加減であって、決して、いい加減ではない

いい加減、つまり、『半ば泥みて、半ば泥まず』のように

『ちょうど、いい加減』だったのでしょう eqquestion2question2question2

コメント一覧

ハテナくん
なるほど、ちょうどいい感じですか。 
客観的に言えば、「朱に交わりて紅を差すれど朱にあらず。」
要は、「泥みて染まらず」ってことですね。
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