透明人間たちのひとりごと

頭と心は別人なのか!

     「人生とは取捨選択の連続である。
      何かを手放し、何かを手にする」

とは、人生をたとえて、よく使われる言い回しですね。

「“あれかこれか”の決定が人生だ!」とキェルケゴールも
言っているが、程度の差こそあれ、毎日なにかを選択して
いるのは事実です。

「急いては事を仕損じる」とばかりに泰然自若を決め込むと

「下手の考え休むに似たり!」という心の声にハッとする。

されど、「慌てる乞食は貰いが少ない」から、よくよく考えろ
と頭が心を説得する。

「先んずれば人を制す」しかして、「急がばまわれ」の喩えも
ある。


頭で出来ると考えても、心はしたくないとダダをこね、
心でしたいと思っても、頭が出来ないと拒絶する。


そういえば、格言に…

「生活はすべて次の二つから成り立っている。
したいけれど出来ない。出来るけれどしたくない」

と言うゲーテの言葉がありました。


即断即決、即行動なのか 沈思黙考、熟慮断行すべきか


頭と心が別人の如くにまみえては対峙するような場面も
日々の生活や人生のはざ間ではしばしば起きます。


いま、まさに、そんな時なのかも…


「窮すれば通ず」るものなのか! 「貧すれば鈍する」に
ならないのか!

 「棄てる神あれば拾う神あり」 ならば…、

千路に乱れる頭と心をひとつにして、心頭滅却の心意気で
事に立ち向かおう。


足るを知れば、そこそこでいいのだからゆっくりと構えて
「慌てない、慌てない。 ひと休み、ひと休み」…

ポン、ポン。 と、アニメ『一休さん』の姿が目に浮かぶ。


せめてもの欲を張るとして、はらりはらりと散る葉によせて…


 「一葉落ちて天下の秋を知る」 そんな感性を磨きたい
 ものです。

コメント一覧

ブラックパンダ
「あれか、これか」ではなく、「あれも、これも」だし、
「窮しても通じず」「捨てる神あれば、叩く神あり」で、
「一葉落ちて天下の秋を知る」間もなく、冬に突入する
時代をどう生きればいいのだろう?
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