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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 目論見

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 目論見(改)』です。

 (以下、本文)

 

 ダ・ヴィンチはメモ魔であったと思われる
ほどにたくさんの手稿類を残していますが、


       ダ・ヴィンチの手稿類

 大半が紛失や分散してしまっているために
実際には現存する約5000枚の手記の倍以上
に相当する量があったとされています。

 そのなかで、ダ・ヴィンチは、

 

 幼少期における忘れ難い記憶として、

        

 ハゲワシが空から舞い降りて来て、ベッドで
寝ている彼の口もとを その尾で何度も何度も
打ち据えるという話と、

  

 山野を散策中に洞穴(洞窟)を見つけて、
その中に潜んでいるかもしれない化け物
に怯えながらも穴の中がどうなっているのか
という好奇心一杯になってしまった。

  

 とする出来事手記に綴っています。

 プライベートな事柄には無関心でほとんど
触れることのない個人的問題をダ・ヴィンチ
がわざわざ記録に残しているということは、

 余程のインパクトや強烈な印象を受けた
出来事が起こったからに他なりません。

 symbol2 「ハゲワシ」(手記ではハゲタカ)
記憶について、もう少し詳しく記すと、

 

 「このようにハゲタカについて克明に書き
 記すことは、私に定められた運命のよう
 に思われる。 というのは、私の幼少期の
 最初の思い出によれば、私が揺り籠の中
 にいた時、一羽のハゲタカが 私のところ
 に飛んで来て、尾で私の口を開かせ私の
 唇の内部を何度も何度もその尾で打った
 ように思われたからである」  (1505年)

  (アトランティコ手稿186v[紙葉65v])


  この件に関して、ダ・ヴィンチのことを

 「人がまだ寝ている暗いうちに、一人だけ
先に目を覚ましたような男」と評していた。

 精神分析学者のジークムント・フロイトは、

 彼の思い出を分析し、母親の乳首を口に
含んでいた頃の記憶に由来しているとして、



 古代エジプト人は、ハゲワシにはメスしか
存在せず風によって受精をして 卵を産むと
考えられており、ヒエログリフではハゲワシ
が母親を意味することからも、

  
    

 自説には根拠があると主張しました。

 さらに、

 フロイトは自らの説を裏付けるものとして
『聖アンナと聖母子』にハゲワシが
隠されていことを補強の材料としています。

    

 聖母マリアの衣服に横向きのハゲワシの
姿がイメージされているというわけですね。

  

 しかしながら、    

 『アトランティコ手稿』に書かれていた
「ハゲワシ」はこの手稿を翻訳したドイツ人
による誤訳であって、実際には腐肉食を主
とする「ハゲワシ」ではなく、捕食者としての
鷹やトビのことだったのだそうです。

 その事実に慌てたフロイト学派の研究者
の中には、このフロイトの説を鷹やトビにも
当てはまるようにと、その修正作業に躍起
となっていたそうですase2

 また、

 ダ・ヴィンチが聖アンナと聖母子を一緒に
描くことを好んだことについても

  フロイトの仮説があるのです

 私生児(庶子)として生まれたダ・ヴィンチ
は父親と義母によって育てられる前までは
実母のカテリーナに育てられていました。



 イエスの母であるマリアとマリアの母親の
アンナを親密な様子で作品に描くことは、



 ダ・ヴィンチの愛情の表れで、ある意味で
「2人の母」を持っていたという体験に
根ざしているとしています。

  

 こちらの仮説は 『聖アンナと聖母子』
『聖アンナと聖母子と幼児聖ヨハネ』
ともに、親子であるはずのアンナとマリアが
同年代に描かれているという観点において
注目に値するとされますが ・・・

  
 聖アンナの頭部の習作 聖母マリアの頭部の習作

 個人的には、いまさらフロイトを持ち出す
までもないものと考えます。




 ただ、天下のフロイトが自説補強
小生と大差のないような「隠し絵」
を利用するとは ・・・  



 あながち、

 この『ダ・ヴィンチの罠』の仮説も
捨てたもんじゃないのかも、「なんちゃって」



 そんな気にもなってしまいそうですが ・・・



 はてさて、実は、

 ハゲワシが彼の口もとを、その尾で何度も
何度も打ち据えるという件(くだり)でピン
と来たのがプロメテウスです。 


  天界の火を人間に与えたプロメテウス

 そのプロメテウスが受ける永遠の罰と

     
  ハゲワシに内臓を食いちぎられるプロメテウス

 口もとを尾で打ち続けるというハゲワシ
の行為についての解釈を、



 これから先、何度も見ることになる「幻」
の中身を決して言葉にしてはいけないという
大いなる何者からの(いまし)めのように
感じていたのではないか、と

 『ダ・ヴインチの罠 変身譚』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/516.html

 に書きましたが、



 それが人類誕生の秘密とイエスの出生に
纏(まつ)わる(処女懐胎の真偽)などと
ともに未来の様子やその顛末を何らか
方法(テレパシーやホログラムなど)で
知らせるものであったとしたならば、



 ダ・ヴィンチの作品に見え隠れする不可解
が一気に氷解するのですがpeace



 プロメテウスのことやゼウスから
永遠に続く拷問については、

 『ダ・ヴィンチの罠 堕天使』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/406.html
 『ダ・ヴィンチの罠 リリス』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/407.html
 『ダ・ヴィンチの罠 好奇心』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/504.html

 などを参考にしてみてください。


 ダ・ヴィンチは

 洞窟での一件を、好奇心一杯
なったという言葉で誤魔化していますが、

    

 このとき、

 ダ・ヴィンチの好奇心は凍り付きながら
も爆発寸前にまで昂揚していたことは、
 
 『ダ・ヴインチの罠 匙加減』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/515.html

 に書いたとおりで、

 要するに、

 幼き日に、彼は洞窟の中で何者かと
出会ったか、「幻」を見せられたのです。



 そして、それを、

 人類未来に託すべき救済のため
「罠」にアレンジしたのが、



 レオナルド・ダ・ヴィンチであるとする旨が、
本稿趣旨であり、論旨なのです。



  うわ何だこいつ !?

 

 いやはや、

 脱皮じゃなかった突飛すぎて、正直

 これは、

     
    (飛躍し過ぎじゃね)

 まあまあ、お気持ちはわかりますが ・・・

 たとえば、

 先の「ハゲワシ」一件ですが、



 実際は鷹やトビの意味で「ハゲワシ」
ではなかったとしても、そんなことは然したる
問題ではありません

 物心がつくかつかないかの時期における
拙(つたな)い最初の思い出です。

 そこにどれだけの正確性が必要でしょう

 要は、鷲や鷹やトビのような猛禽類
あったというだけで十分なのです。



 そいつが尾で彼の口もとを何度も何度も

  

 打ち据えたという思い出運命
あると感じたことの方が余程重大であり、
重要ポイントなのです。



 それが、自分に定められた「運命」
であるとダ・ヴィンチが思い込んだ以上は、

 そのことが、後々の彼の作品に何らかの
影響を及ぼさないわけがないのです。


 『モナリザ』と『レダと白鳥』の模写デッサン(ラファエロ)
            up_slow  

        up 『レダと白鳥』模写チェーザレ・ダ・セスト
        down       up_slow
 やけに首の短い白鳥と異様に長い首をした
ダ・ヴィンチの弟子のチェーザレ・ダ・セストに
よる『レダと白鳥』の模写のイメージは、
        down       down_slow

 ラファエロのデッサンとダ・セストの模写の加工

   

 ダ・ヴィンチが自ら廃棄処分にしたとされる



 『レダと白鳥』におけるダ・ヴィンチ
メタファ(暗喩)的なモチーフの双方が
ダ・ヴィンチの目論見の通りにそれらの
デッサンや模写に生かされているようです。

 同様に



 失われたヴェッキオ宮殿の巨大壁画



 『アンギアーリの戦い』の絵の




 白塗りの部分と白枠で囲った部分に爬虫類



 (レプティリアン)系の姿が見て取れます。




  『レダと白鳥』については、

 『ダ・ヴィンチの罠 確信犯』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/472.html
 

  『アンギアーリの戦い』は、

 『ダ・ヴィンチの罠 誤作動』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/487.html
 『ダ・ヴィンチの罠 黙示画』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/488.html 
 『ダ・ヴィンチの罠 無意識』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/489.html

 などを参照してみてください。


 さて、時間を巻き戻してみれば、
 
 師匠であるヴェロッキオの創作を手伝った

 

 『キリストの洗礼』では、



 「罠」予行演習をしていますし、

           


 デビュー作品の『受胎告知』では、



 アナモルフォーズ(歪像画)への
挑戦「罠」思考実験として、




 跪拝する大天使ガブリエルに龍(ドラゴン)
の化身を見い出し、

 


 やや長めの右腕で聖書のページをめくる



 
 聖母マリアに蛇の影を想定しています。

 そして、

 「罠」重要サインとしての
天に向かって指をさすポーズ
スタートの合図に、


 このようにして、
 

     up      

     down      


 いよいよ、

 『東方三博士(マギ)の礼拝』
から本格的な「罠」の仕込みが始まる
わけなのですが、


 『東方三博士(マギ)の礼拝』 1481-1482年

 最近になって実施された修復作業
よって、『最後の晩餐』における
トマス本来持ち主
かもしれない人物の姿が捉えられました。


  フィレンツェ観光局より情報提供

 やや縦長の画像に違和感を覚えたので



 横幅を10%程伸ばして眺めていたら



 白枠内の人物に目が止まりました。



 天を指さす人物が二人いることは分かって
いたのですが、木の影から天を指し示す人物

      

 (壮年のダ・ヴィンチおよび洗礼者ヨハネ)に
比べて、さほどの注目をしていなかったことは
確かで迂闊としか言いようがありません

 修復前にはまったく気づきませんでしたが、
この人物の顔に見覚えがありませんか

 てか
      
     (誰かに似てるやん)



 これですよ。 これ ・・・ peace

   
     大ヤコブの顔の習作

 そうです。 大ヤコブの顔です

 つまり、それは、



 こういうことです。 down_slow



 トマスのものだと思われていた右手は、

        

 もともとは大ヤコブだったのです。

        

 ということで
 
 次回はこのつづきから始めます

 
 世の中には見える人にしか見えないものと

 見えない人にだけ見えるものがあるのかも
 
 しれませんが ・・・



 前述した『アンギアーリの戦い』
で、盾で馬を避ける左下の兵士(白枠内)に、

 
 こんな輩たちや、 

 

 このような顔をした連中が見えるのですが、



 やはり、見える人にしか見ることができない
(存在のない)ものなのでしょうか


      出典:shanti-phuia.net


       出典:shanti-phuia.net

   「こ、怖っ~」ase2




  「ワシじゃ、わし ・・・

  

  「お面じゃないぞぃ」





 果たして

    

 ダ・ヴィンチの「目論見」通りの
展開になっているのでしょうか


『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 「十分に終わりのことを考えよ。
 まず初めに終わりを考慮せよ」


       (レオナルド・ダ・ヴィンチ)



   っ、
     


   「は、はい !!」

   
   『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

 
 
     


 … to be continue !!



 出典:www.lets-bible.com 出典:shanti-phuia.net

コメント一覧

やぶにらみ
うーん、分かりませんな!?

推測による想定ほど当てにならぬものもないですからのぉ?
むらさき納言
レオナルド・ダ・ヴィンチが、「万能の天才」であることは否定しませんが、毀誉褒貶の激しい人であったことも事実です。

彼を妬んで、陥れるために、同性愛者だと告訴されたり、デマを飛ばす者たちがいたのは、確かです。

結婚はしませんでしたが、女遊びや、恋愛は人並み以上にしてたようですね。

ただ、同性愛的傾向が皆無かと言うと、 プラトニックな女性的同性愛者ということが想定されるそうです。

『モナ・リザ』が女装した自画像と言う説にもつながりますが、レオナルド・ダ・ヴィンチは、 男性とは、能力才能を通じた評価と交際しかできなかったのに対し、女性だけの場では無邪気な女子のように振舞ったと言われ、 女性好きの女性的性格と分析する学者もいるそうです。
リンゴとバナナ
返信、感謝します。

お薦めにしたがい、『濡れ衣』を探して読んでみようと思います。
江戸川ドイル
兄貴に訊いてるんだろうけど、ガチで真面目な性格だから、長々と懇切丁寧に説明することになるので、オレが返答すると、このページのように割と最近まで、to be continue には最後に「d」がついていないので、正しい意味で「つづく」にならなかったが、今は(… to be continue !!)が下に付けてある。

ぶっちゃけ、大雑把には、これが「Ⅾ」の秘密の始まりだけど、説明が大変だから、だいぶ先になるけど『濡れ衣』辺りから読み漁ってみるべし。

以上。
リンゴとバナナ
早速のレスポンスありがとうございます。

争う意思はないので、裏切り者かどうかの話は止めますが、コメント欄によくある「D」とは何ですか?
江戸川ケイシ
晩年をフランスで暮らしたダ・ヴィンチに対して、裏切者と見られて当然というのは少し違うと思います。

リンゴとバナナさんの言う「逃亡した亡命者」というのも?ですね!

ミケランジェロやラファエロなどの台頭によって、制作依頼が滞るようになってしまった晩年の彼をフランスに招いたのはフランス国王「フランソワ一世」です。

アンボワーズのクルーの館でダ・ヴィンチは、最後の作品となる『洗礼者ヨハネ』を完成させるべく、震える指で絵筆を走らせていたようですよ!
リンゴとバナナ
目論見の中身はともかく、江戸川ケイシ氏の言うように、

イタリアにすれば、晩年のダ・ビンチはフランスに逃亡した亡命者であり、裏切り者と見られても当然かもしれません。
江戸川ドイル
「罠とはそうしたもの」「信じるも信じないもアナタ次第」とか、やっぱ、やぶにらみさんの言うように『謎の人』から「D」の仕込みに入った可能性が高いかもね。

「D」と「ダブルD」の最初のタイトルである『裏切者』の直前でもあり、記事の中にも、嘘とまことを知るために重要なのは「最後の最後」にあるとして、

   「十分に終わりのことを考えよ。
    まず初めに終わりを考慮せよ」

の言葉があって、一連の罠の封印を解く鍵のありかは終わりにあることを示唆している。とあることからも、かなり濃厚だね!

それと拍手ランキングに『謎の人』があるのが気になるんだけど、これも、むらさきさんが指摘する、更新を保留して、それとなく誘導してるということかもしれないしね!?
やぶにらみ
ディープ+ダブルでのデザインということかもしれんな。

要するに、「D&D&D」のシナリオで2通りか、それ以上の目論見があるのかもしれんが、

このページでも、ダ・ヴィンチの

  「十分に終わりのことを考えよ。
   まず初めに終わりを考慮せよ」

という言葉で締められ、続く『隠し絵』でも同じく使用しているということはダブルで訴えていることになりますな!
刑事プリオ
いやあ、888! 実に見事な推理というか、構成力の凄さに感心しました。

「D」のページを連ねて、ディープ・デザインの全貌の一端を明かしてくれたわけだけど、「反逆的」や「挑戦的」に見合うページが見つからない。

多分、2つ併せてということで『挑戦状』の意味かもね。

出来れば、『隠し絵』や『偽善者』も入れて欲しかったけど、とにかく素晴らしい思うよ。
江戸川ケイシ
「D」であり、且つ、Double(ダブル)で始まる最初のページが『裏切者』であることからも、「D」の秘密の鍵を握るのが裏切り者にあることは間違いありません。

しかも、その裏切り者は一人とは限らずに、ユダ、ペテロ、イエス、パウロ、そして、ダ・ヴィンチ自身も、その対象かもしれません。

1号さんがここにコメントを寄せたのは、「D」のページに、何らかのつながりがあり、それが Deep Design になっていることをアナウンスしてくれたのだと思います。

ダ・ヴィンチで例えれば、「妄想癖」が高じて、幼少時に洞窟で「白日夢」を体験するとか、「天邪鬼」な性格や「反逆的」で「挑戦的」な態度を見せる一方で「眠り猫」のようだったり、パトロンたちには「犬と猫」のようにそれぞれ相反する態度で接するなど、「矛盾点」に溢れているわけです。

彼には「中性美」に絡むバイセクシャルの疑いがあるとされていて、作品には「黄金比」が多用されているとも言われます。

「舞台裏」を覗いて見れば、その「化け物」のような才能も、「影法師」なる「破壊神」の「裏工作」よるものなのかもしれませんが、それが彼の作品の「醍醐味」なわけです。 

etc・・・

あ、そうそう、彼の晩年はフランスでの「外交官」のような生活でしたが、それが祖国イタリアからは「裏切者」のように見えたのでした。
透明人間1号
今、わたしたちは“コロナ禍”という事態に直面し、見たくもない現実を見せつけられていますが、

もし、わたしたちに、その全貌がすべて見通せるものなら、ミネルヴァの象徴(フクロウ)は不用でしょうし、パニック(ギリシャ神話の半獣神パンが語源)にもなりません。

つまり「神の計画」があるとして、それが予定通りに進行しているなら、ディテールはともかくも、“コロナ禍”もプロットのひとつだということになります。

前述のコメントのように、わたしたちは後付けでしか物事を説明できませんが、深謀遠慮(Deep Design)を謀れるだけの知恵は授かりました。

但し、それは『聖書』によれば、神からの恵みによるものではなく、その敵対者からの贈り物であり、ギリシャ神話による贈り物は「パンドラの箱」ということです。

このページでの『目論見』は単なるDesignではなく、「Deep Design」であり、ここに「D」の秘密と『罠』の本質が隠されているものと思われますが、

わたしの手を離れてから、急速な進化を遂げているだけに、期待外れの目論見違い(Damp squib)とならないことを祈念して投稿を終了します。
きくらげ
物理学者で随筆家でもあった寺田寅彦は「ものをこわがらなすぎたり、こわがりすぎたりするのはやさしいが、正当にこわがることはなかなかむつかしいことだ」と自然が起こす災害について語っています。

その言にしたがえば、未来が見えない以上、結果的に「スペイン風邪」以上の惨劇となる恐れは誰にも否定できないわけで、正しく恐れるべきです。

そのためにも経験の弟子として「スペイン風邪」から学ぶべきことは多々あると思います。
透明人間1号
不謹慎を承知で、あえて言えば、ダ・ヴィンチの目論見通りなら、彼はいま、草葉の影から、この世界を垣間見て、ほくそ笑んでいることでしょう。

兎角、その道の専門家や重鎮とされる人の言説に左右されてはならないということです。

もしも未来が見えているなら、喫緊の大問題である新型コロナウイルスの終息時期や世界全体の被害状況がわかっているので、慌てる必要はありませんが、我々の最高頭脳を持ってしても、ミネルヴァのフクロウに過ぎないわけです。

全てが終わった後に、分析し解説するのが精々で、先を見通すことは出来ません。

ならば、余計にダ・ヴィンチの目論見通りならばと驚嘆し、また驚愕を覚えるわけですが、ダ・ヴィンチが「経験の弟子」なら、我らもまた「経験の弟子」たらんとなるべきで、その意味からは、スペイン風邪に学べである。

恐れて怯えるも、恐れずに立ち向かうもあなた次第ですが、「轍鮒の急」には何を措いても救いの手を・・・
ココナン
「見えない人にだけ見えるもの」とは、次の『隠し絵』への伏線で、ダメな便利屋さんやあまんじゃくさんがそちらの記事へのコメントで言っているようなものとはちょっと違うような気がします。

だって、「見えない人にだけ見える」モノが見えない人には見えてるわけで、それは「見える人にしか見えない」モノと同じモノかは別にしても、見えてることに変わりはなく、普遍的な事象について言っているのかも?

たとえば、サムシンググレートの存在とか・・・
ろくでなし
世の中には、「見える人にしか見えないものがある」のは、意味として分かるけど、「見えない人にだけ見えるものがある」って、どういうこっちゃ・・・???
ゴスペル999
なかなか練られたシナリオやね。
ダ・ヴィンチの目論見、暴いてみたいと思います。
透明人間2号
聖母マリアの衣服にハゲワシが隠されているという説を採用するとしたならば、とっくの昔に紹介しているはずですので、『ダ・ヴィンチの罠』にはありません。

「罠」の有無の最大のサインは手の表情(表現)です。

『聖アンナと聖母子』では、ほとんど皆無なほどに手の表情がありません。

そこには別の意図が秘められているのですが、この作品が他の絵画と比べて大きいことと無関係ではありません。

そのひとつが「罠」の探知機としてのベース基盤なのですが、長くなりそうなのでやめておきます。
ココナン
白鳥はムリでしょ。 首が短いし、それならペンギンの方が似てる気がする。

これがフロイトの言う隠し絵だとして、ダ・ヴィンチの罠では、どう解釈しているんだろうか?
むらさき納言
確かに、足のようにも見えますが、尾羽の可能性もあるし、ココナンさんの言う右の翼かもしれません。

「聖アンナと聖母子」の修復後を見ると、青い白鳥のようにも見えて、「レダと白鳥」がイメージされてきます。

そうなると、卵から産まれてくる子どもは誰を指しているのでしょうか?

なんだか、複雑に絡み合う曼荼羅の中に迷い込んでしまったような妙な感覚です。
皮肉のアッコちゃん
見えた。見えたぜ!
レプってる奴って、タートルズみたいな奴だよね!
江戸川ドイル
というわけで、大ヤコブを調べてみました。

ヨハネの兄なんですよね。それにペトロやヨハネと並ぶ最側近で、イエスの奇跡など重要な場面に立ち会うことが多いし、12使徒の中で最初に殉教したのも大ヤコブだとか・・・

謎が謎を呼び、そのまた謎が謎を生む。
まさしく、これがダヴィンチの罠ですね!
怪傑ハマリオ
フロイトのそれ、羽根じゃなくて、足じゃねえの!
それと、例の手、トマスじゃなければ、どうせ大した奴じゃないとは思ってたけど、悔しいかな大が付いてやがった。
汚えぞ大ヤコブ!じゃなかった透明人間。
デッキブラシ
フロイトには一時期ハマったなあ。

何でもアッチ、コッチ、ソッチじゃねえや、エッチ系でまとめてたからねえ。

まあ、スピリチュアル系の奴ならユングだろうけど。
ココナン
そうはいっても、フロイトの「聖アンナと聖母子」の仮説だけど、
ハゲワシの右の翼がイエスの口もとに触れているように見えるのは、どう考えればいいのだろうか?
江戸川ドイル
学者のそれらしい「こじつけ」にはヘドが出るよね。
それにしても、あの手が大ヤコブだとは・・・

むむっ、こんな手があったのか!? って、展開です。
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