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透明人間たちのひとりごと

ダ・ヴィンチの罠 隠し絵

 このページの画像は、故あって表示されませんが、

連続性を担保する意味合いからも、そのままで公開し、

別途、新しく作り直すことにしました。

 同じ内容ですが、画像はその限りではありません。

  新たなページは、

 『ダ・ヴィンチの罠 隠し絵(改)』です。

 (以下、本文)

 

 この世の中には、

 「見える者にしか見えない世界があるらしい」

 ピュア無垢な子どもたちには見えても、
大人には容易には見えない世界が ・・・



 この瓶に描かれている絵をみてください。

 何が描かれているのか

 言うまでもないですよね。 そうです。

 絡み合う男女姿 heartです。

 ところが

 それはある意味でアナタの心が不純だから、
そう見えるのであって、純真な子どもたちの目
には違う世界が映っているのです。

 では、一体、子どもたちには何が見えている
のかと言うと「イルカ」なのです。

 しかも、9頭も泳いでいるのです。

 もう一度、見直してみてください。

 どうです。 見えましたか

 っ、まだ見えない

 どうやって見ても、何度見直しても、

 愛し合う男と女にしか見えないですかぁnose5

 そうですか。 実に、アナタは正常です。

 立派過ぎるくらいに正常な大人です

  これは騙し絵のひとつなのですが、



 黒い影の部分に注目して見てください。

 っ、見えたでしょ    

 赤で囲った影の部分 ・・・



 おーい

 「イルカはいるか」 なんちゃって、

     
     (しょうもな ・・・)

 その理由(わけ)は、


 子どもたちには愛し合う男女の映像イメージ
(概念)がないからなのだそうですが、

 そうかと思えば、

 『ダ・ヴインチの罠 匙加減』
 url http://sun.ap.teacup.com/japan-aid/515.html

 での『裸の王様』のように


 
 見えなくても見えているフリをする世界とか、
見えていても見えないままで済ましてる世界、
というのもあるようですが ・・・ ase2



 これじゃ、どっちが王様なのか

 ついでに、他の「騙し絵」を紹介すると、



 階段が立体的に浮き出て見えるものとか、



 同じ大きさの図形の配置を変えると1マス分
が消えてしまうとか、

 顔なのか、壺なのか、 といった
オーソドックスなものまで、いろいろなタイプが
ありますが、これらは基本的には人間の視覚
をダマすことを目的にしているわけです。

 しかし



 ダ・ヴィンチが用いる「隠し絵」



 メタファ(暗喩)なる意匠




 ミラーイメージングなどは、



 容易に気づかれることのないように



 その意図を秘密裏のうちに解る者たち
だけに伝えるための手段であって、



 ある種の符合や暗号のようなものです。



 たとえば、下の絵は、


    安野光雅 『もりのえほん』より

 何種類もの動物たちを森の木々のなかに
潜ませている「隠し絵」ですが、

 

 こちらは見つけてもらう(探し出す)ことに



 その価値意味を持たせた作品です。

 

 但し、

 同じ「隠し絵」とはいっても、



 ダ・ヴィンチのものはあからさまにそれだと
分かるようには描かれてはいません。



 言い逃れのできない表現だと異端審問
(宗教裁判)にかけられて処刑の憂き目
遇うことは火を見るよりも明らかだからです。




 さて

 そうした手法とは一線を画すイリュージョンが
『最後の晩餐』でのトマスの顔出しと
人差し指を立てる右手です。

 一般的には、最後の晩餐の席上での

 

 「この中に私を裏切ろうする者がいる」という
イエスの言葉に対し、「裏切者は一人ですか」
と訊ねている場面だと解釈されていますが、

  

 手の甲をイエスに向ける不可解なポーズを
してまで問い質すべき質問内容でしょうか

      

  甚だ疑問です。

 イエスが「裏切ろうとする者たち」という具合
に複数形での表現をしたのならばともかくも、
聖書( ヨハネの福音書13:21)によれば、

 「あなたがたのうちの一人
   わたしを裏切るでしょう」

 と言っているわけですから、そこでわざわざ
「裏切者は一人ですか」と繰り返して訊くのは
どうでしょうか

 さらには、他の人物とは違って顔と手だけの
登場であるというのも奇妙千万です。

        

 そもそもを言えば、トマスの登場は、

 この壁画が、最後の晩餐での名場面を装う
場合のマジック(トリック)的な演出のひとつで
あって、端からダ・ヴィンチの脳裏では復活の
顕現を描写する構想がなされていたのです。

 なんとなれば、裏切者の話よりも復活
をするイエスの話の真偽の方が科学者
としての彼の興味を断然に刺激するから
に他なりません。

 聖書の記録の多くは矛盾に満ちていて、
その記述のなかでも最も信頼に足らない
ものがイエスの復活顕現です。

 「解剖して分かったことだが、
人間は死ぬように出来ているのだ」


     (レオナルド・ダ・ヴィンチ)

 と彼自身も言っているように、

 この復活劇こそがダ・ヴィンチにとっての
アルファであり、オメガなのです。 

 

 ちょ、ちょっと、待ってくださいparpar



 ダ・ヴィンチの手稿に『最後の晩餐』
の習作と思しきものが残されていますよね



 確かに存在しますが、それが ダ・ヴィンチの
自筆とは限りませんし、アイデアを募るものや
練習で描かせた弟子の素描かもしれません。



 仮に、それらが彼の筆によるものだとしたら、
それは、十分に計算されたうえでの撒き餌
伏線としての準備でしょう。

 本来の意味での習作や素描なら、旧態依然
(テーブルの反対側にユダを配置するなど)
の古い伝統を踏襲するような人物の配置では
なく、登場人物を横一列に並べたデッサン画
があって然るべきなのです。

 イエスユダ大ヤコブの他にも

    
        イエスの習作
    
        ユダの習作
    
       大ヤコブの習作

 フィリポマタイ相当する習作や

    
       フィリポの習作
    
        マタイの習作

 アンデレペテロらを連想させる
各個人の習作があるのですから、

    
    アンデレまたはペテロの習作❓

 全体の構図をイメージさせる横一列に配置
された素描がない方が不自然でしょう。

 それこそ教会や依頼主からの意向や注文を
無視するのは彼の得意技ですからね

 そこで、

 伝統的な構図で描かれている素描をもとに
下段の4人を左上に移動させ、



 ユダはそのままの位置(反対側のまま)で
使徒たちを横一列に並べ、向かって左から順
に番号を割り振ってみたのがの図です。



 『最後の晩餐』にしろ、この習作の図
にしても、描かれている使徒たち全員の名は
すでに知られるところのものとなっています。   

 つまり、

 より正確に言えば、明らかになっていること
にされているということなのですが、それぞれ
の使徒のスケッチの上に各人の名前が記入
されていますのでそれをにて紹介します。


     鏡文字で書かれた使徒名

 ① Bartholomew バルトロマイ(Bartlomeo)
 ② Andrew アンデレ(Andrea)
 ③ Thaddeus タダイ(Tadeo)
 ④ 無記名〔小ヤコブ❓ Jacob the Less〕
 ⑤ 無記名〔ユダ Judas〕
 ⑥ Peter ペテロ(Pietro)
 ⑦ 無記名〔イエス Jesus〕
 ⑧ 無記名〔ヨハネ John〕
 ⑨ Jacob the Great 大ヤコブ(Iacobs Maggiore)
 ⑩ Thomas トマス(Tomaso)
 ⑪ Matthew マタイ(Matteo)
 ⑫ Simon シモン(Simone)
 ⑬ Philip フィリポ(Filippo)

 ( )内は判読されたイタリア語表記の使徒名
 〔 〕内は推定される使徒名です。

 exclamation 少し分かりにくいのでこちらで説明します。

④   ⑥  ⑦  ⑧  ⑨   ⑩   ⑪ ⑫ ⑬

  ⑤         ①   ②    ③  ④

 使徒名が鏡文字になっているからといっても
ダ・ヴィンチの直筆だと考えるのは早計です。

 この素描は彼の真筆ではなく、ダ・ヴィンチが
描いたのちに失われた原図を誰かが模写した
ものであると現在では考えられているのですが
、その根拠としては現存する壁画との不一致と
矛盾点の多さです。

 現存する多くのデッサンやスケッチと同様に、
過去の「最後の晩餐」を研究する
過程で描いた習作や弟子の手習いの可能性
を完全に排除することができないからです。

 ただ現段階でダ・ヴィンチの真筆ではないと
判断された決め手は定かではありませんが、

 素描に記された使徒名の筆跡が、従来から
知られる筆跡とは違うものであったとか、

 初期、複製画のひとつとされるの装飾帯
(下段)に附記された現在知られている使徒と
同じ名前や席順との比較において ・・・



 つまり、

 における番号は頭部の位置ではなく、
席の順に割り振られており、それぞれに

 ①バルトロマイ、②小ヤコブ、③アンデレ、
 ④ペテロ、⑤ユダ、⑥ヨハネ、⑦イエス、
 ⑧大ヤコブ、⑨トマス、⑩フィリポ、
 ⑪マタイ、⑫タダイ、⑬シモン、となります。

 これは現在知られている使徒の名前と同じ
ですが席順設定のため、ユダとペテロおよび
トマスと大ヤコブが逆に表記されています。

 結果として、

 そのほとんどが合致を見ずに、席順、動作、
姿勢などが一致するのは左端のバルトロマイ
だけという散々な事実から、

 これが『最後の晩餐』の初期の構想
ではなく、誰の筆かは別にしても単なる習作
であるとの結論に達したものと推察されます。

④   ⑥  ⑦  ⑧  ⑨   ⑩   ⑪ ⑫ ⑬

  ⑤         ①   ②    ③  ④

 もちろんに記入されている名前の方に
誤りがある可能性を否定はできませんが、

 いずれにしても、当初よりのダ・ヴィンチの
構想復活顕現にあったので、

 この素描に関して、美術評論家や研究者
や専門家の先生方が何と言おうと、

 その描き手が誰であろうとも大差はなく、
その価値を値踏みするとすれば「罠」
伏線としての値打ちがも高いものと
言わざるを得ないのです。

 
 なぜなら



 件(くだん)の素描やでのの人物は



 でのの人物と同じく両手をイエスに
向けて横に流す姿勢で描かれていますが、



 それが現在、マタイ(L4)として知られる
人物ですよね。

 ところが、

 によるとトマスと書かれていて、
マタイなのですが、そにには最初は、
トマスと書かれていたものを棒線で消して
マタイ訂正した跡が見られます。


     鏡文字で書かれた使徒名

 これをどのように解釈すべきか

 本来はマタイとされる人物がトマス
あって、複製画のマタイとされた
は、うっかりミスで間違ったままに記入されて
、現在に伝わっているということでしょうか

 さらには、

 シモンフィリポですが、
同じ姿勢や配置ではタダイシモン
いうことになります。

 これだけきちんと名前を揮っておきながら
、だけに名前が付されて
いないのも解せませんし、これはもう、誰が
見ても伏線(撒き餌)だと考えるのが最も
理に適った結論かと思われるのですが ・・・
 
 要するに、

 これらがエサ撒き(コマセ)であって、
「罠」だとする理由でもあるのですが、

        

 天に向ける人差し指の持ち主
大ヤコブであることも含めて、

        

  ダ・ヴィンチが見つけ出して欲しいだろう
ところの『隠し絵』の中身を …

       

      


 

 symbol2 次回以降で探ってみたいと思っています。



       !!

   
   『洗礼者聖ヨハネ』 1513-1516年

      ふん。

    

  「どうせペテンじゃ」



  「なーに『騙し絵』じゃよ」ase2

  

 「そそうなの ・・・

   

    ぎゃ !!

 



『聖アンナと聖母子』『モナリザ』『洗礼者聖ヨハネ』

 … to be continue !!

  

 「十分に終わりのことを考えよ。
 まず初めに終わりを考慮せよ」


      (レオナルド・ダ・ヴィンチ)



   ・・・ って、おいおい、

コメント一覧

おじゃま虫
先の米国大統領選挙では、結果的にトランプ前大統領は敗れたわけですが、これまで裏に隠されていた大いなる存在を目に見えるかたちで表の世界に知らしめました。

要は、闇の存在をディスクローズ(暴露)してくれたようなものなんですが、

『隠し絵』がDisguise的な「D」なら、明らかにする方もDiscloseで「D」ですね。
むらさき納言
「隠れトランプ探し」って、まさかこれが「Ⅾ」の秘密じゃじゃないでしょうね?

 Donald John Trump 大統領!
おじゃま虫
「隠し絵」には秘密が「騙し絵」には欺きの目的が見え隠れしていますが、アメリカの大統領選挙における隠れトランプ探しには、隠れキリシタンつぶしのような有効的な踏み絵があるのでしょうか?

結局のところは選挙結果でしか、その存在を確認することができないのでしょうね!
やぶにらみ
むむ。以来、シリーズが始まってもその事に触れている箇所は知る限りにおいてありませんな。

ひょっとして、おじゃま虫さんの言うように聖ディスマスに絡む謎だったが、左右の違いに気づいて保留中になっておるのかもしれんし、最後の最後に意味を持って来るように仕組んでいるのかもしれませんな!

何しろ、ダ・ヴィンチは

  「十分に終わりのことを考えよ。
   まず初めに終わりを考慮せよ」

と言っているし、ペテロには、「どうせペテンじゃ」
「なーに、『騙し絵』じゃよ」などと言わせておるが、
ココナンくんと同じく『予告版』だけに気になりますな。

あと、おじゃま虫さんの2019/9/12のコメントの最後にあるトマスと大ヤコブにも再考の余地がありそうですな!
おじゃま虫
その件に関してのインフォメーションですが、イエスが磔になる時に一緒に十字架にかけれた二人の犯罪者のうちの一人で、イエスから直に「今日あなたは私とともに天国にいる」と約束された男の名前がディスマス(Dismas)といって、彼はイエスの右側で処刑されました。

彼は聖人となって、「聖ディスマス」と呼ばれていますが、このことと関係するのでしょうか?

ただ、大ヤコブは、こちらから見て右側に傾いているので、
実際の傾きは左下に傾いているというこになりますが!?
ココナン
最近になって、最後のオチなどに使われるペテロとヨハネのやり取りなどに重要なヒントやメッセージが隠されているのかもしれないということがわかってきました。

そうであるなら、最初の最初である『予告版』における最後のやり取りは、両手を広げて驚く様子の大ヤコブに対して、その姿かたちが十字に見えることから「その十字架は大きく右に傾いている」と綴っていますが、それに対してペテロがすかさず「それくらいでやめておけ!!」とばかりにヨハネに(それ以上ペラペラとしゃべるな!)とプレッシャーをかけています。

「十字架が傾いている」で十分に意味は通じるのに、わざわざ「大きく右に」と付け加えている点が妙に引っ掛かります。

シリーズが始まる直前の『予告版』だけに気になりますよね。
むらさき納言
「ダブル・ピクチャー・イルージョン」は現代アートだけど、ココナンくんのコメント(2019/6/15付け)にあるようにドルフィン・ナインが「D」の秘密のワン・ピースになるのならば、『最後の晩餐』において、ほとんど注目されない9人の使徒を9頭のイルカに見立てているのかもしれないとふっと思ったのです。

つまり、イエスとペテロとユダとヨハネを除いた9人ですが、彼らは見えないイルカたちのように、話題性には乏しいですが厳然と存在しているわけで、もっと注目されていし、関心を寄せるべきだと思うのですが・・・
親不知
それはつまり、ナニに興味を失うということですか!

それとも、LGBTや性的弱者などの増大を危惧してる?

あるいは ......
ラファエロ
端からイルカが見えるというヤツラが増えると確実に人類は滅びる。

これは間違いないことだ!
ダメな便利屋
俗世間の闇に目が慣れた人々が自覚できる世界だな!

浮世離れした人間だけが見える世界も、きっと存在するが、残念ながら俺には見えない。
あまんじゃく
「見えない者にだけ見える世界」ってのもあるぜよ!
おじゃま虫
「見つけようと必死になってる鬼には、見つけ出せないのがイルカ」というのは言い得て妙ですね!

大人にはイルカが見えない。常識や色眼鏡で染まった世界に馴染んでしまっているから・・・

この絵は現代のアートだからポントルモの「DN」のサインとは無関係だけど、「DN」=ドルフィン9とは、偶然にしても面白いし、「DN」=「ダニエル書9章」もミステリアスで興味深いです。

記事にある⑨は大ヤコブですが、席順表記では⑨がトマスになるというのも、「DN」のサインのある絵に大ヤコブがいるのも、なんだか意味深に思えるのですが・・・
きくらげ
今更ながら思うに、ポヨヨンさんじゃないけど、イルカ
の「かくれんぼ」って言えば「かくれんぼ」だよね!

「指に止まる、止まらない」は別にして、謎とか秘密って
「かくれんぼ」している当事者だし、見つけようと必死に
なってる鬼には、見つけ出せないのがイルカなのかもね!
江戸川ドイル
『隠し絵』ダブルイメージが[Dの秘密]の一つという点ではココナン君と同意見のようだけど、このイルカの隠し絵は現代のアートだよ。

アナグラムの解析からこのページが浮かんだんだろうけど、それと500年近くも昔のポントルモの絵と結びつけるのはどうなのかな?

『陰謀論』のページでは、Dolphin-Nine から派生した「DN」の文字を巡って、むらさきさんと盛り上がってるようだけど、ポントルモってイタリアの人だよ!

ここで言っても仕方ないので『陰謀論』のページでコメントするけど、英語でOKなのは、現在進行中の謎や秘密であって「DN」の意味は当然イタリア語か、ラテン語で考えなくちゃおかしいことになるよ!!
ココナン
いずれ、そのうちにと『陰謀論』のコメントで予告して
おいたアナグラムを紹介します。

まだ、確証が得られていないのですが、ケイシさんの言う
ように、ひょっとして、これ待ちでブログの更新が遅れて
いるなら申し訳ないので、見切り発車ですが説明します。

[LA P LAP JAR SPOON]
愛し合う人々(絵)を貼りつけたビンからすくいとれ!

何を掬(すく)い取るのかと言うと9頭のイルカです。

記事の冒頭にある隠し絵(騙し絵)を見てください。

[LA]= Love Action (Love one another)
[P]= People or Picture [LAP]=貼り付ける
[JAR]=瓶(ビン) [SPOON]=掬い取る

つまり、イルカは瓶の中にいて愛し合う男女の絵は表面に
張り付いているわけです。

この絵の題名は ダブル・ピクチャー・イリュージョン
(Duble Picture Illusion)で[Dの秘密]そのものです。

要するに、『隠し絵』ダブル・イメージ(double image)
ということですね。

9頭のイルカの意図は不明ですが、Dolphinー9
とすれば、これもまた[D]の謎かもしれません。
むらさき納言
土台から崩すって意味でのハンドルネームなのかな?

それとも、縁の下の力持ちに掛けたジョーク的な比喩なのか?

詐欺師やペテン師の要素があるようですね。

縁の下の力持ちならぬシロアリさんって・・・
縁の下のシロアリ
この瓶の絵の場合、イルカが隠し絵なのか? 男女の姿が隠されているのか? それとも何も隠されていないのか? すべてが隠されているのか?

みんなが指に止まったのか? かくれんぼが嫌いで姿を見せたのか?

どうとでも言えるよね!

みんな裸の王様なんだし、詐欺師だけが悪いわけじゃない。

もちろん、ダヴィンチの絵だって同じことさ。
ポヨヨン
みんな「この指、止~まれ」だよ!

でも、止まってくれないこともあるよ。

かくれんぼ、嫌いなのかも・・・
江戸川ケイシ
そうだと思いますよ、ココナンさん!

考えがまとまったなら、『ピエタ』のコメント欄などで説明をするつもりですが、この7匹はそれぞれに他の6匹とは違う「仲間はずれ」の要素を持っています。

そこで、仲間はずれにならないように、皆な「この指、とまれ」なのか、指に止まることができない、あるいは止まることが許されない何者かをあぶり出そうとしているのかは不明ですが、いずれにしても、意味のないつぶやきだとは思われません。
ココナン
あたりまえのこと聞くようで悪いんだけど、
「かくれんぼするもの、この指、止まれ」は隠し絵の中に描かれた人物や生き物たちに、「この指、止まれ」って・・・

出て来て正体を明かしてよ!って意味だよね。

たとえばだけど、ポヨヨンさんがこの先で、つぶやくことになるスヌーピーやプルートやヨーゼフやパトラッシュたちに対しても言っているのかな?
飛び石連休
モナリザをはじめ、ダビンチの作品に隠し絵が仕込まれているとしたなら、並みの隠し絵とはレベルが違うね。

ただ、その場合の目的が何だか、よく分からないのだが、超絶テクなのは確か。

描く方も見つける方も …
ゴスペル999
うーん。 鋭い! ポヨヨンさんには驚かされるよ。

こうなるともう偶然じゃないな!

仲立ちや触媒などと面倒なことを言わずに「この指、止まれ」の方が直接的で、よりベターかもしれない。
ポヨヨン
「かくれんぼするもの、この指、止~まれ!」
でしょ!?
江戸川ドイル
ゴスペル999氏へ、触媒というからには、ヘルメス思想がグノーシスとネオプラトニズムとの間での化学反応の結果、、このようになる。またはなるだろうという位のことは言ってくれなくちゃ、看破したことにはならないのでは・・・
ゴスペル999
江戸川ドイル君、あくまでも仲立ち、仲介であって、触媒だからね! ヘルメスの役目は。
むらさき納言
問題はそんな難しい話じゃなくて、罠の本質ですよ。
本質、つまり、イデアとかロゴスでしょ。
これが厄介なんだけど・・・
江戸川ドイル
ヘルメス思想がヨーロッパの知識人によって、萌え萌えに萌えた時代がルネサンスだったから、ゴスペル999氏の意見にはナルホドと頷けるけど、ヘルメス思想は必ずしもキリスト教と矛盾しないわけで、その点はどうなんだろうか?
ゴスペル999
ダ・ヴィンチの罠は、プラトンの両性具有的なデミウルゴスの観念をベースに、ネオプラトニズムとグノーシス主義とをカップリングさせたシナリオで、その仲立ちをしているのがヘルメス思想であると看破しました。
透明人間2号
ネスティング(入れ子構造)は場面展開や人物対比、兼務・兼任、入れ替えに応用されているような気がします。

ゼベタイの子ヤコブ(大ヤコブ)に対して、アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)として区別されますが、イエスと似ていたことから主の兄弟と呼ばれたり、イエスの兄弟あるいは従兄弟などの伝承もありますが、言行の記録もなくよくわかりません。

無記名のひとりがペテロではなく、消去法から小ヤコブだろうと推測されたのは、確かに引っ掛かりますね。

「おいおい」はプラトンも、イエスも、その前の脱皮する蛇にも、かかっています。

江戸川ドイル
この「おいおい」は、『アテナイの学堂』の
プラトンに対するもの、それとも悪魔のような顔をしたキリストのミラーイメージ?
ココナン
結局、推定された無記名の人物の特定は消去法によるものだろうけど、その中にペテロではなく、小ヤコブがいるのが引っ掛かるんです。

ユダ、ペテロ、ヨハネ、イエスなら、No name でもいいような感じですが、ペテロには名前がふられていて、小ヤコブにはないのが気になります。

小ヤコブがイエスにそっくりだったとも言われることと何か関係があるのでしょうか?
むらさき納言
ドンドン、ドンドンと謎が広がって、玉ねぎの皮を剥き続けるかのような、はたまた、マトリョーシカの入れ子の人形ようで・・・

ダ・ヴィンチ、恐るべしです。
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