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韓国プロパガンダ戦略に負けた日本、こう立て直せ…

2014-02-17 12:14:01 | 国際経済
特にフランスの場合、パリ以外でも各地の観光客誘致運動は極めて巧妙です。ワインのボルドー、ブルゴーニュやリゾートのニース、カンヌといった有名地以外にも、世界的にはほとんど知名度のない農漁村や、人口が千人前後と言った小さな山村などでも、何か訴える特産物(チーズなどの農産物、刺繍など繊維、染色、織物、工芸品など)や、あらゆる文化活動、イベント・展示ショーなどをフィーチャーして、外国人が訪ねてみたくなるような巧みな仕掛けを振りまいています。そうした努力を継続していることが、自国の人口の150%もの観光客を呼び入れる成果につながっている訳です。

 アングレームの漫画祭も、こうした狙いの一つであり、その目指すところは、カンヌ映画祭に肩を並べようとの思いから発したものなのです。


文化外交“われ関せず”


 日仏の文化交流に関しては、近世、パリの印象派画家たちに大きな啓示を与えた浮世絵や、陶磁器・伝統工芸品をはじめとして、藤田嗣治や岡本太郎たちの足跡から、カンヌを通じた黒沢、小津、稲垣ら映画監督たちの名作、そしてファッションならケンゾー、コシノ姉妹、社交界でも岸恵子、デビ夫人といった知名度のある文化人がいます。

 しかし、こうした文化人たちを支えた政財界・民間人の諸活動がどれほどだったかといえば、総じて“われ関せず”に推移して来たのが実情ではないでしょうか。彼らの実績を通じた文化外交を幅広く、各界へ広げ蓄積していたなら、おそらく今回のような誤解や無知に基づく事件も発生しなかっただろうし、かりにもめた場合でも、もっと日本贔屓(びいき)のサポートが得られたはずです。
まして昨今は、和食に始まり、漫画やアニメ、先端工業技術力などでも世界的評価を得ている日本が、点や線でなく、面と体で、コンスタントにフランスの諸団体との交流を積み重ねていたなら、今回のような、韓国の横暴な企画や実行を未然に防ぎ得たはずなのです。


必死だった韓国


 その反対に、日本に追いつけとばかりに執念を燃やし続けてきた韓国の場合、政府、財界のバックアップはもとより、文化外交にいたる総合的努力は、必死だったことと推察されます。「慰安婦」問題の世界へ向けた発信は、韓国女性家庭省が先頭に立って、大統領、外務官僚、スポンサーシップを一手に引き受ける財界や海外在留者、移民者らと束になって、中央から地方政治や諸文化団体にまで及ぶロビー活動を徹底しました。これが韓国の文化外交、ジャーナリズムをも押し立ててきました。

 これに対し、日本は国全体で、果たしてどこまで真剣に対応してきたでしょうか。アメリカ、中国で、これまですでに起こっていることが、ますます過激化している現象が、欧州でも起こっていたと考えれば、その対応の落差が明らかでしょう。これが、まず根源的な問題点だったと考えます。


PRパワーで韓国に劣る事実


 日本の場合、まず政治主導の国家外交がきわめて軟弱であり、それをカバーすべきパブリックディプロマシーもほとんど皆無といえましょう。民間外交に至っては、おざなりの微小な点を細い線で狭く浅く結ぶだけがやっと、というような微弱なものに過ぎず、面や体で、二次元・三次元・多元外交を進める米英中仏独などとは天と地の大差というか、比較の対象にさえなりません。

一方、韓国は、わが国より国力も文化力もはるかに劣りながらも、自国出身の国連事務総長を押し立て、政官民が団結して対外活動を強化してきただけに、PRパワーは大差で日本をしのいでいるでしょう。今回のケースは、そうした背景が生んだ悲劇ではなかろうかと思います。

 さらには、外交交渉上の語学力や表現力、根回し、対象を吟味した寄付献金の積み上げ、リーダーと組織力、どこと誰を味方につけるか、マスメディアへのアプローチなどに及ぶ“周到な準備”など、日本人が改善すべきポイントが数多くあります。


なぜ日本は「排除」されたのか


 今般のケースで致命的だったのは、唐突に表舞台へ登場して、韓国展示内容に抗議した私的団体(漫画文化とは無関係と思われる市民団体?)が、なぜか右翼政治活動団体と断定され排除されたことです。そんな結末となったのには、いろいろな不幸が重なったとも考えられます。

 当然のこと、主催者団体や管轄地方議会への事前の根回しが不足していたようですし、文化行事現場でのルール違反もあったかもしれません。さらに記者会見に関していえば、ジャーナリズムに対するパブリックコミュニケーションの戦略面で、特に警戒すべき左派系の新聞記者対応戦略などに、初歩的なミスがあったのではなかろうかと畏れます。また、そのTPOといいますか、タイミングも私有施設を選んだ場所の選択も、問題があったのかもしれません。

 韓国側の展示内容には明らかな行き過ぎがあり、少なくとも「芸術ではなくプロパガンダ」だったようですから、日本側が激さず、冷静に「文化的」に、TPOを選んで、妥当なメディアに、ソフトに訴えれば、別の効果が得られたのではなかったでしょうか。それと、わが国政官の、フランス大使館、外務省、文科省などのサポートにも反省点があったはずです。
金太郎」ではなく「桃太郎」たれ


 ビジネスの視座からこの問題を見てみましょう。マーケティング戦略に「金太郎でなく、桃太郎であれ」という教えがあります。すなわち、「強い金太郎が、熊にまたがりマサカリ担いで、一匹狼で戦いを挑む」ようでは一敗地にまみえやすいが、「天空を支配するキジの視座、犬の嗅覚と地上の凝視、サルの知恵、そしてそれらを、先駆けして森を探る先見・洞察力を備えた桃太郎が統括する」というチームプレーを心がければ、勝てる確率も高くなる-というわけです。やはり団結力と周到な観察・洞察力と智謀、リーダーシップなどが、外交でも、文化交流でも、最も重要なるポイントになると断言してよさそうです。

 幸いにも、今回の事件は全世界に広く報道されたようでもなく、限られた範囲で比較的短期にとどまったようであることと、フランス国内にも、あまりにも一方的で過激な対応に関しても「実際は日本側のみを排除したが、けんか両成敗で韓国も同時に裁くべきでなかったか」などと反省の声が上がっているようです。それと併せ、韓国の展示内容が結果的に文化の粋にとどまらず、政治プロパガンダだったのではという冷静な論調も出始めていることから、やや溜飲が下がる思いも致します。

 この際、日本政府、外務省を筆頭に関連の官・各省と漫画団体を含む民間、そしてスポンサーを務めるべき実業界が相携え、地道に“静かながらも執拗なる意見具申”を末長く続けるべきだと思量致します


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