新・ここだけ日記

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悲劇の人・長屋王

2006年06月18日 | 地元ネタ
2000年、奈良そごうが閉鎖したとき、
「長屋王のたたりや」とウワサする人もいました。
それと言うのも奈良そごうが建っていたところは、長屋王の邸宅跡だったからです。
悲劇の主人公長屋王・・・  
かならず「悲劇の・・」ってつくんだけど、
なんで悲劇なんや、、、
高校時代日本史の成績10(こればっか。
でも他に自慢することがないんでこらえてな)だったのにもかかわらず、
ほとんど記憶にのこっていないニワトリ脳のあげは・・・
けさの新聞の地方版で取り上げられていたので、ちょっとわかった。

長屋王(684?年~729年)
高市皇子の子で、天武天皇(大海人皇子)の孫。
政界トップの左大臣にまで出世したけど、邪魔に思った藤原氏に
「のろいで国を滅ぼそうとしてる」と密告され、家族全員自害に
おいこまれる。どうやら冤罪らしいとのこと。

ドロドロの政治的争いに陥れられ、自殺においこまれてしまった人物。
彼が平城宮に隣接する3万平方メートルもの敷地に邸宅を構えて
いたということは、そごう建設予定地となっていた1988年の発掘で
大量に出土した木簡により判明した。かなり豪華な貴族的生活をしていたものと思われる。ついさっきまで普通に生活していたのに、急に藤原の兵に取り囲まれ、弁解する間もあったかどうかわからないくらいの状態で、一家全員自害にいたったと言う事件だったらしい。。

奈良県平群町では今でも長屋王の墓前際を行っているそうです。
長屋王邸を守っていた衛兵が平群の人たちで、
事件のときは地方に派遣されており、
その留守をつかれて、兵が攻めてきたということで、
平郡の人たちは泣きながら遺体を抱いて平群に葬ったとのことです。

あの土地が長屋王の邸宅跡だと判明したとき
歴史関係の人たちからは、もう始まっていた建設工事を止めてほしいと
懇願する声もあがったらしいけど、
計画通り、そごうは建てられてしまうのです。
だからそごうが破綻したとき「たたりだ」と思われるのも無理はないですね。
駐車場に今でも祠が建っているとのことだけど、見たことなかった。
こんど探してみよう。

現在奈良そごうの建物そのまま居ぬきでイトーヨーカドーが
入っています。
大阪方面から奈良公園に向かうときに必ず通る
奈良のメインストリート「大宮通り」左側に建っている
どっしりとした白亜の建物だからすぐわかります。
もし、そこを通ることがあったら、
1300年くらい前、栄華を誇っていた貴族の邸宅が
そこにあったことに思いを馳せてみてください


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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
歴史 (たかひろママ)
2006-06-20 09:08:39
やっぱり、奈良は歴史の町って感じですね~。一家全員自害なんて・・・残酷すぎる。



あげはさんは、日本史が得意だったんですね。尊敬します。

高校時代は、日本の歴史に興味を持てなかった私。テストも、もちろん丸暗記だったので終わってしまうときれいに忘れてしまって・・。世界史に至っては、何とか皇帝とどっかの国の王女が不倫して逃げたとか、どうでもいい話しか覚えていない始末。

今や、テレビのクイズ番組なんかで歴史の話が出てくると、「聞いたことはあるんだけど、この人誰だっけ?何した人だっけ?」・・とお恥ずかしい限りです。

修学旅行で聞いた、奈良のお坊さんのありがたいお話も記憶の遥か彼方へ・・。



先日実家へ帰ったら、高校時代の教科書やノートがわんさか出てきました。日本史の教科書も健在だったので、持って帰ってきたんですが、今になって読むと意外に面白い!

京都や奈良も、この年になると「歴史を訪ねる旅」なぁんていうのも行ってみたいものです。

              
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こわいよ~~ (あげは)
2006-06-21 00:32:58
歴史が古いってことは、恐ろしい言い伝えなんかも残ってて、結構怖いかも~



日本史の先生が熱い人だったんで、

当時はなんか日本史一生懸命勉強してたなあ。その割には全然頭に入っていない。。。



「お勉強」としておぼえるより、

大人になってテレビ番組(大河ドラマとか?

「その時歴史が動いた」とか?)で

感動した方が余程覚えてるよね。



歴史を訪ねる旅、

いいですねー
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