女の一生

銀も金も玉も 何せんに まされる宝 子にしかめやも

あたしのおじいちゃん

2007年01月02日 | 家族
小さい頃、あたしの両親は共働きで忙しくて、
あたしにとって祖父と祖母は親みたいな存在だったの。



昨年28日の朝、祖父が他界しました。
お花見に一緒に行ったおじいちゃんね。
すっごく元気だったの。
亡くなる数日前に会ったときだって元気だったのに。
今年の1月16日はおじいちゃんの90歳の誕生日だから、みんなでお祝いしようね、って計画してたんだ・・・。
会社を飛び出して祖父の家に駆けつけた時には、もう冷たくなっていて。
一生懸命心臓マッサージする父の横で、あたしは手をさすりながら何度も何度も、
「おじいちゃん、おじいちゃん!」
って呼んだけど、皆の呼びかけだけが空をさまようばかりで。
呼ぶ声に答える人はなく・・・。
せめて90歳の誕生日をみなで祝ってあげたかったとか、
もっと戦争の話しとかちゃんと聞けばよかったとか、
また今年も一緒にお花見をしたかったとか、
あたしの花嫁姿を見せてあげたかったとか、
もう考え出したらキリはなくて。
でも、娘も息子も孫もひ孫もいて、
入院して病気を患って苦しむこともなく、
最後も苦しまずに一瞬で亡くなったようで、
89歳、大往生だったと思います。
いつかはこんな日が来る、そんなことはわかっていたけれど、その日はあまりにも突然だったので、まだちょっと現実味がありません。
年内にはみなで送り出してあげようということで、30日にお通夜、大晦日にお葬式でした。
本当だったら30日はみなでお餅つきをしていたんだけどね。
ダリも連れてくよ、って言ったら喜んでいてくれてたのにね。
生きてるうちに紹介できなかったのが残念です。
あたしにはもう、「おじいちゃん」と呼べる存在も、「おばあちゃん」と呼べる存在もいなくなっちゃいました。
寂しいです。
おじいちゃん・おばあちゃんがいる人は、どうか大事にしてあげてね。

写真は祖父と祖母の結婚式の時の写真だそうです。
おばあちゃんが10年前に亡くなってから、雨が降らなければ、毎日お墓参りに行ってたの。
今頃天国でおばあちゃんと再会できてるといいな、って思います。


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4 コメント

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心痛 (ju)
2007-01-02 15:51:50
お悔やみ申し上げます。

相変わらずの名文で読み進むにつれて涙腺が緩んだ次第です。 (失礼! 名文だからではありません。)

今年最初のコメントがこういう事とは・・・
お爺ちゃんは軍人さんだったのかな?
自分の祖父母はとっくにいませんが、別居の義父母がおり、義母を病院に連れて行っています。 会話もままなりませんが話を合わせて付き合っています。

それでは最後にお爺ちゃんのご冥福をお祈りします。 


 
juさんへ (あげは)
2007-01-03 18:17:27
お悔やみのお言葉ありがとうございます。

祖父は徴集され戦争に行ってたようですね。
たまに祖父の家に行くと、戦争時の手柄話や負傷した話しなど聞かされましたよ。
背が高くてガッチリしててカッコよくて、元気だったんですけどね・・・。
あまりに突然のことなのでビックリでした。
ちょっと今でも信じられないのですが、胸にぽっかり穴が開いてしまったような、寂しさを感じます。

juさんの義父母様がお元気でお過ごしになられますように。

どうもありがとうございます。
お悔やみ申し上げます。 (禰里吉)
2007-01-04 13:23:30
年賀状書いて、今から郵便局にと思っていた矢先の、訃報でした。
 最近思うことは、お葬式に参列して、よく「お清めの塩」っていうでしょう、でもそれって宗派によっては、やらないんだよね。だって、人が死ぬと言うことは決して「けがれ」では無いから。その人が今まで生きてきた証を、残された人でしっかり見守って、記憶によくとどめておくこと。誰でもいつかは死を迎えるのだから、それを「けがれ」と思うことは、やっぱり違うと思う。そう思うと、「死」ということに恐怖が無くなってきました。
 おじいさんの事、おばあさんの事をいつまでも、忘れないでください。
禰里吉さんへ (あげは)
2007-01-05 11:47:24
そういえば、「お清めの塩」も何も忘れていました・・・。
確かに人が亡くなることは「けがれ」ではないですよね。
お通夜やお葬式って遠方からの親類も来たりで、なかなか息つく暇もない忙しさですよね。
ゆっくり悲しむ間もない・・・
だけどこうして皆で故人を思い、送り出す儀式って大切ですね。
きっとみんなで集まるたびにおじいちゃんの話が出ると思います。
今までおばあちゃんの話をしていたように。
いつまでも忘れません。