しんどいことも多いけれど、それでもやっぱり、「生んでくれてありがとう」って感謝だわ。
ダリとの生活を初めてはや1ヵ月半の時が流れる。
今まで一人暮らしの経験もなく、1年のアメリカ留学と5ヶ月の同棲生活以外は実家で過ごしてきたあたし。
こうして離れて、生計を別にして、31歳になって今さらだろうけど実感する。
自分がどれほど親に甘え、ぬくぬくと生きてきたかって。
たぶんアメリカに行った時も、同棲した時も少しはそう思ったんだろうけど、どちらも違うことに必死だったので、今回ほどは身に染みて思わなかった気がする。
まぁ、結婚するってのもあるから余計に思うってのもあるだろうけどね。
実家にいる時、部屋の電気をちょっとつけっ放しにしてると父に怒られた。
文句言われるたびに「はいはい」って答えながらも、チッ、うっせーなー(鼻ほじほじ)くらいに思ってた。
そうやって言う、父の気持ち、すごくわかる。
今まで自分が電気代を払うこともなかったから、そうゆうことに無頓着だったのね。
最近子供の頃のこと、よく思い出す。
小さい頃、たぶんうちは貧乏で、両親は共働きだったから、あたしはカギっ子だった。
赤い毛糸に自宅のカギをぶら下げていた。
学校からお家に帰ると、洗濯物を取りこんでたたむのがあたしの仕事だった。
たぶん妹もいたのだろうけど、なぜか妹が一緒にいたという記憶があまりない。
いつもテレビを見ながら、父と母の帰りを待っていたと思う。
夕方になると西日が部屋を照らして、なんだかひどく寂しい気持ちになったのを覚えている。
間もなくすると、父と母が帰ってくるのだけれど、とうぜん仕事の都合で帰りが遅くなることもあった。
だんだん外は暗くなっていく。
部屋の障子を何度も開けては、まだかまだかと両親の帰りを待った。
このまま帰ってこなかったらどうしよう、っていつも漠然と不安に思ったものだよ。
子供にとって親が家にいないっていうのは、やっぱり寂しいものだと思う。
「ただいま」って家に帰って、「おかえり」って迎え入れてくれる存在、その安心感はすごく大きなものだと思う。
それでも子供心に、父も母も自分たちのために一生懸命働いてくれてたのはわかってたから、寂しいだなんて当然口にしなかった。
今思うと、この頃は父も母も、毎日とても大変だったと思う。
あたしってば、まるで一人で大人になったような顔して、いつも自分のやりたいようにしてきた。
いや、させてもらってきたんだね。
特に両親に相談するようなこともなかったし、いちいちすべて、自分のやりたい道を選んできて、だいたいが『ザ・事後報告』だった。
留学だって勝手に話しを進めて、チケット買ってから報告。
そのくせホームシックになって泣いて電話して、あっという間に楽しくなってろくに連絡もしなくなって、金がなくなってまた電話した(苦笑)
その他にもたくさんたくさん迷惑をかけたよ。
ここには書けないような話ばかりだ(-_-;)
あたしが親だったらあたしみたいな娘、とっくに見捨ててると思う・・・。
勝手に一人で生きやがれ、もしくはどこででも野タレ死んじまえ、って思う(苦笑)
離れて暮らしているとはいえ、隣の隣だから、会社帰りに実家に顔を出す。
いつも毎日、何かくれる。
野菜とか卵とかお米とか、おかず一品とか、何かしらね。
最初の頃、申し訳ないな、って思って、
「いいよ、悪いから。」
って言ったら、
「何も悪いことないよ。生きてる間しかこうしてあげられないんだから。
それにおじいちゃんおばあちゃんにだってこうしてもらったんだから、自分の子供にいつかそうしてあげればいいんだよ。」
って。
あげは、そんな時ばっかすごく素直だから、そっか、って思って相変わらず甘えてる(笑)
すごいよね。
親の愛情ってすごいね。
あたしは自分の親みたいな親になれるのかな・・・。
たぶん一生適わないんだろうな。
もうそろそろ恩返ししてあげたいけど。
少なくともあたしのことでは心配かけないでいたいけど。
それでもまだまだ未熟だから自分のことで手いっぱいで、旅行の一つだって連れて行ってあげられないし、なんだかんだこれからも心配かけちゃうんだろうな。
せめて今度、久しぶりに肩でも揉んであげようと思う。
ダリとの生活を初めてはや1ヵ月半の時が流れる。
今まで一人暮らしの経験もなく、1年のアメリカ留学と5ヶ月の同棲生活以外は実家で過ごしてきたあたし。
こうして離れて、生計を別にして、31歳になって今さらだろうけど実感する。
自分がどれほど親に甘え、ぬくぬくと生きてきたかって。
たぶんアメリカに行った時も、同棲した時も少しはそう思ったんだろうけど、どちらも違うことに必死だったので、今回ほどは身に染みて思わなかった気がする。
まぁ、結婚するってのもあるから余計に思うってのもあるだろうけどね。
実家にいる時、部屋の電気をちょっとつけっ放しにしてると父に怒られた。
文句言われるたびに「はいはい」って答えながらも、チッ、うっせーなー(鼻ほじほじ)くらいに思ってた。
そうやって言う、父の気持ち、すごくわかる。
今まで自分が電気代を払うこともなかったから、そうゆうことに無頓着だったのね。
最近子供の頃のこと、よく思い出す。
小さい頃、たぶんうちは貧乏で、両親は共働きだったから、あたしはカギっ子だった。
赤い毛糸に自宅のカギをぶら下げていた。
学校からお家に帰ると、洗濯物を取りこんでたたむのがあたしの仕事だった。
たぶん妹もいたのだろうけど、なぜか妹が一緒にいたという記憶があまりない。
いつもテレビを見ながら、父と母の帰りを待っていたと思う。
夕方になると西日が部屋を照らして、なんだかひどく寂しい気持ちになったのを覚えている。
間もなくすると、父と母が帰ってくるのだけれど、とうぜん仕事の都合で帰りが遅くなることもあった。
だんだん外は暗くなっていく。
部屋の障子を何度も開けては、まだかまだかと両親の帰りを待った。
このまま帰ってこなかったらどうしよう、っていつも漠然と不安に思ったものだよ。
子供にとって親が家にいないっていうのは、やっぱり寂しいものだと思う。
「ただいま」って家に帰って、「おかえり」って迎え入れてくれる存在、その安心感はすごく大きなものだと思う。
それでも子供心に、父も母も自分たちのために一生懸命働いてくれてたのはわかってたから、寂しいだなんて当然口にしなかった。
今思うと、この頃は父も母も、毎日とても大変だったと思う。
あたしってば、まるで一人で大人になったような顔して、いつも自分のやりたいようにしてきた。
いや、させてもらってきたんだね。
特に両親に相談するようなこともなかったし、いちいちすべて、自分のやりたい道を選んできて、だいたいが『ザ・事後報告』だった。
留学だって勝手に話しを進めて、チケット買ってから報告。
そのくせホームシックになって泣いて電話して、あっという間に楽しくなってろくに連絡もしなくなって、金がなくなってまた電話した(苦笑)
その他にもたくさんたくさん迷惑をかけたよ。
ここには書けないような話ばかりだ(-_-;)
あたしが親だったらあたしみたいな娘、とっくに見捨ててると思う・・・。
勝手に一人で生きやがれ、もしくはどこででも野タレ死んじまえ、って思う(苦笑)
離れて暮らしているとはいえ、隣の隣だから、会社帰りに実家に顔を出す。
いつも毎日、何かくれる。
野菜とか卵とかお米とか、おかず一品とか、何かしらね。
最初の頃、申し訳ないな、って思って、
「いいよ、悪いから。」
って言ったら、
「何も悪いことないよ。生きてる間しかこうしてあげられないんだから。
それにおじいちゃんおばあちゃんにだってこうしてもらったんだから、自分の子供にいつかそうしてあげればいいんだよ。」
って。
あげは、そんな時ばっかすごく素直だから、そっか、って思って相変わらず甘えてる(笑)
すごいよね。
親の愛情ってすごいね。
あたしは自分の親みたいな親になれるのかな・・・。
たぶん一生適わないんだろうな。
もうそろそろ恩返ししてあげたいけど。
少なくともあたしのことでは心配かけないでいたいけど。
それでもまだまだ未熟だから自分のことで手いっぱいで、旅行の一つだって連れて行ってあげられないし、なんだかんだこれからも心配かけちゃうんだろうな。
せめて今度、久しぶりに肩でも揉んであげようと思う。
他の人でもいい
返せる時がくるんだと言われた事があるよ
今は恩を貯めて、あげはがゆとりを持って暮らして欲しいって思うよ
あげはが笑って暮らしているのがあたしも嬉しい
結婚式とか新婦の気持ちじゃなくって親の気持ちになっちゃうんだよ。産んで育てるって相当ガッツが必要なんだよね。親の愛情ってすごいよね。
アタシが息子に思うように、あげはちゃんが元気でいること、それが親孝行だとは思うけど、
たまには感謝の意をあらわさないとね(アタシも)
ホラ、母の日も来るしさ。
コレ手紙にするっていうのは、どう?ww
『恋』と『愛』の違いって、こーゆー事なんだろうなぁって思う。
あげはがあげはらしく、あげはにしか創れない新しい家族に囲まれて、明るく楽しく笑って生活して生きて行く事が、何よりもの恩返しになるんじゃないかなって思うよ。
親って、子供の幸せを願ってたりするじゃん♪
物質的にも精神的にも。
そうだね、今はまずあたしが自身ゆとりを持てるように努めるよ。
笑って暮らしているから安心してね。
子供を持ったら親の気持ち、目線になるだろうね。
親になるって本当にすごいことだよね。
あたしは自分でいろいろやるようになってから、後悔ばかりだよ。
もっといろんなことに「ありがとう」って心を込めて言えばよかったとか、ご飯が「おいしい」ってちゃんと言えばよかったとか。
でも手紙は照れるからなんか贈るよ。
あたしも子供生んだらこんな気持ちになるのかなぁ。
ニコニコ笑って暮らしてくれればいい、ってそういや父が言ってたよ。
そんなふうに暮らせるように頑張るよ。