ご心配をおかけしました、すっかり元気になりました。
たくさんのコメントをいただきとても嬉しくありがたかったです(涙)
本当にありがとうございました!
さて今日の話です。
今日は忘れられない幼少時のエピソードを。
あげはの家は新幹線線路のすぐそばにあります。
私が3歳の頃、家を建て、ずっとそこで暮らしているのですが、とにかく新幹線の音が毎日します。
ずっと住んでるので慣れっこなのですがね。
2年ほど前、妹がムコをもらうのを機に家を新築し、
ガラス窓をペアガラスにしたので今はあまり音が聞こえません。
が、しかし、夏場に窓を開けていると、
ドラマなどを見てる時などちょうど良いシーンで新幹線が通るので聞き取れないこともしばしば。
そんな場所に我が家はあるので、当然新幹線に乗ると、我が家が見えます。
最寄の駅から上り東京方面に向かう時はバッチリ見えます。
そんな場所にある我が家のお話。
これはあげはがまだまだ純粋で可愛い(あ、今もか)小学校6年生の時の話です。
小6といえば、卒業。
そして卒業前には修学旅行というものがあります。
当時我が家は貧乏でしたが、
この時ばかりは両親も新しい洋服を買ってくれたのでかなりうきうきしてました。
行き先は田舎モノにとっては、『花の都大東京』です。
国会議事堂とか、皇居とか、東京タワーとか、原宿とか・・・
それはもうハトバスツアーで巡るようなところ。
もちろんどこも物心ついてから行くのは初めてなのではりきっていました。
しかも、新幹線に乗って行くのです。
その頃のあげはにとっては新幹線は乗るものではなく、毎日見るものでしたから♪
そしてわくわくしながら迎えた当日の朝。
普段は起こされてもなかなか起きないくせに、この時ばかりはしっかり起きます。
そして集合場所の駅へと父親に送ってもらいながら行きました。
前にも書きましたが、当時我が家は貧乏で(今でも裕福ではありませんが)、
家の車はぼろっちぃ軽トラックでした。
というのも家の父は建設業を自営でやっていて、その頃は社用車しか家になかったのです。
ダンプとか、ユンボとか、そんなの。
なんせ私は多感な年頃だったため、
普通のセダン車、普通のネクタイするお父さんに憧れたものです。
今でも、スーツを着てる殿方を見ると、素敵~☆と思うのはこの頃の思いが強かったからかも(笑)
話ずれた、ということで、父に送ってもらい駅へ。
なんせぼろっちぃ軽トラックだから、もちろん駅のちょっと手前で、
「ここでいいよ、お父さん。」
と言って降ろしてもらいました。
もちろんオッサンな父はそんな娘の思いは露ほども知りません。
「新幹線の時間は何時なんだ?」
と聞かれ、いそいそと旅のしおりを見て、
「○時○分の新幹線だよ。行ってきます。」
と答えました。
「行ってらっしゃい。左側の席に座ると家が見えるからな、ちゃんと左側に座れよ。」
そう、この時から水面下で始まっていたんだ、今から思えば・・・。
私はまだこの時、父の恐ろしさを理解してなかったんだと思う。
そうして、ドキドキしながら新幹線へ。
もちろん父の言うとおり素直に左側の席へ、仲良しの女の子と一緒に座った。
「あのね、新幹線からお家が見えるんだよ!」
なんて自慢しながら。
そして、出発、ゆるゆると走り出す新幹線。
見慣れた風景。
ゆっくり進む新幹線。
少しずつ進む度に、それは自宅の近所へと行くので、どれも知っている建物で嬉しい私。
あ、この建物があるってことは・・・
もうすぐ家が見えるはず。
「もうすぐ家が見えるよ!」
そして、
あっ、我が家だ!
と思った瞬間、自分の目を疑った。
えええぇぇぇ!?
何って・・・・・、
そこには・・・・・、
でっけぇニッポン国旗をめぇいっぱい大振りしてる家の父の姿が・・・
あの、祝日とかに家に飾るデカイのですよ!
めちゃくちゃ目立ってますよ!
「やだー、何かヘンなおじさんがいる~。」
と友達は大爆笑
「ほ、ほ、本当、ヘンなおじさん・・・・あははは・・・・」(カラ笑い)
とかなり焦りながらこう言うのが精一杯。
その後の修学旅行、かなりブルーな気分になったのは言うまでもありません。
今でも、修学旅行の思い出は、と聞かれても、
『花の都大東京』よりも、
あのニッポン国旗を意気揚々と振る父の姿が思い出されてなりません。
そして、思う。
いいとこにはお嫁にいけないなぁ。(遠い目)
ちなみに、言っておきますが、父は健全な人でした。(たぶん)
ただ単にちょっとファンキーな人ってだけでした。
そんな父、
思い出すと懐かしいです。(涙)
一生懸命娘2人を育ててくれた父。
今ではキラキラと輝く思い出です
あ、今でもめちゃくちゃ元気に生きてますがね。
今ではすっか~り、いい笑い話のネタにさせてもらってるわ。
いろんな意味でありがとう、お父さん!
多感な年の娘を持つパパは気をつけて下さいね♪
↑ご協力お願いします。
たくさんのコメントをいただきとても嬉しくありがたかったです(涙)
本当にありがとうございました!
さて今日の話です。
今日は忘れられない幼少時のエピソードを。
あげはの家は新幹線線路のすぐそばにあります。
私が3歳の頃、家を建て、ずっとそこで暮らしているのですが、とにかく新幹線の音が毎日します。
ずっと住んでるので慣れっこなのですがね。
2年ほど前、妹がムコをもらうのを機に家を新築し、
ガラス窓をペアガラスにしたので今はあまり音が聞こえません。
が、しかし、夏場に窓を開けていると、
ドラマなどを見てる時などちょうど良いシーンで新幹線が通るので聞き取れないこともしばしば。
そんな場所に我が家はあるので、当然新幹線に乗ると、我が家が見えます。
最寄の駅から上り東京方面に向かう時はバッチリ見えます。
そんな場所にある我が家のお話。
これはあげはがまだまだ純粋で可愛い(あ、今もか)小学校6年生の時の話です。
小6といえば、卒業。
そして卒業前には修学旅行というものがあります。
当時我が家は貧乏でしたが、
この時ばかりは両親も新しい洋服を買ってくれたのでかなりうきうきしてました。
行き先は田舎モノにとっては、『花の都大東京』です。
国会議事堂とか、皇居とか、東京タワーとか、原宿とか・・・
それはもうハトバスツアーで巡るようなところ。
もちろんどこも物心ついてから行くのは初めてなのではりきっていました。
しかも、新幹線に乗って行くのです。
その頃のあげはにとっては新幹線は乗るものではなく、毎日見るものでしたから♪
そしてわくわくしながら迎えた当日の朝。
普段は起こされてもなかなか起きないくせに、この時ばかりはしっかり起きます。
そして集合場所の駅へと父親に送ってもらいながら行きました。
前にも書きましたが、当時我が家は貧乏で(今でも裕福ではありませんが)、
家の車はぼろっちぃ軽トラックでした。
というのも家の父は建設業を自営でやっていて、その頃は社用車しか家になかったのです。
ダンプとか、ユンボとか、そんなの。
なんせ私は多感な年頃だったため、
普通のセダン車、普通のネクタイするお父さんに憧れたものです。
今でも、スーツを着てる殿方を見ると、素敵~☆と思うのはこの頃の思いが強かったからかも(笑)
話ずれた、ということで、父に送ってもらい駅へ。
なんせぼろっちぃ軽トラックだから、もちろん駅のちょっと手前で、
「ここでいいよ、お父さん。」
と言って降ろしてもらいました。
もちろんオッサンな父はそんな娘の思いは露ほども知りません。
「新幹線の時間は何時なんだ?」
と聞かれ、いそいそと旅のしおりを見て、
「○時○分の新幹線だよ。行ってきます。」
と答えました。
「行ってらっしゃい。左側の席に座ると家が見えるからな、ちゃんと左側に座れよ。」
そう、この時から水面下で始まっていたんだ、今から思えば・・・。
私はまだこの時、父の恐ろしさを理解してなかったんだと思う。
そうして、ドキドキしながら新幹線へ。
もちろん父の言うとおり素直に左側の席へ、仲良しの女の子と一緒に座った。
「あのね、新幹線からお家が見えるんだよ!」
なんて自慢しながら。
そして、出発、ゆるゆると走り出す新幹線。
見慣れた風景。
ゆっくり進む新幹線。
少しずつ進む度に、それは自宅の近所へと行くので、どれも知っている建物で嬉しい私。
あ、この建物があるってことは・・・
もうすぐ家が見えるはず。
「もうすぐ家が見えるよ!」
そして、
あっ、我が家だ!
と思った瞬間、自分の目を疑った。
えええぇぇぇ!?
何って・・・・・、
そこには・・・・・、
でっけぇニッポン国旗をめぇいっぱい大振りしてる家の父の姿が・・・
あの、祝日とかに家に飾るデカイのですよ!
めちゃくちゃ目立ってますよ!
「やだー、何かヘンなおじさんがいる~。」
と友達は大爆笑
「ほ、ほ、本当、ヘンなおじさん・・・・あははは・・・・」(カラ笑い)
とかなり焦りながらこう言うのが精一杯。
その後の修学旅行、かなりブルーな気分になったのは言うまでもありません。
今でも、修学旅行の思い出は、と聞かれても、
『花の都大東京』よりも、
あのニッポン国旗を意気揚々と振る父の姿が思い出されてなりません。
そして、思う。
いいとこにはお嫁にいけないなぁ。(遠い目)
ちなみに、言っておきますが、父は健全な人でした。(たぶん)
ただ単にちょっとファンキーな人ってだけでした。
そんな父、
思い出すと懐かしいです。(涙)
一生懸命娘2人を育ててくれた父。
今ではキラキラと輝く思い出です
あ、今でもめちゃくちゃ元気に生きてますがね。
今ではすっか~り、いい笑い話のネタにさせてもらってるわ。
いろんな意味でありがとう、お父さん!
多感な年の娘を持つパパは気をつけて下さいね♪
↑ご協力お願いします。
なんか
うり坊みたいです
私もそんな奴です…
あげは父グッドジョブです
私実弟の結婚式にサルの着ぐるみで出ました
だって、やりたかったんだもん
ψ(-▽-)ψウケケケ
皆さんのオフ会の記事を読んでいると、どうやら父上の血を濃厚に受け継いでおられるみたいですね。
あげはさんの今後の活躍に期待してます!
そして、そして、あげは様のユニーク(?)な性格はパパリン似と見ました。
あの・・・決して悪い意味ではなく良い意味ですよ。
多感な娘にはショックな出来事でしょうが
今では微笑ましいエピソードではありませんか。
きっとあげは様がお嫁に行ってしまう日には
パパリン号泣するとみましたよ
で パパりん。すごいファンキーだねぇ。羨ましい。
ウチのパパりんは堅めの人だったので さくらと衝突する事もしばしば。
この楽しいパパりんだからこそ 今のあげはっちがいる訳ですね~。何だか 納得(おっ?笑)
あげはは、両親の楽しいところをいただいてきているのね~
風邪治ってよかった。
じゃ~飲み会の計画たてますわ~ん
きっとお父さんにとっては遠い外国にでも行ってしまうような気分だったのかな?
カワイイお父さんだね♪
いつまでも仲良くして下さいね♪
あげはさんのお父様かわゆいですね!!!!
って、今だから素敵、なんていえるけど、
しかも他人事だから言えるけど、
お年頃の時にその事件はやっぱりかなり恥ずかしかったでしょうね。
うちの父もかなりハイパーだと思っていましたが、
負けてます。
なるほど、その血は間違いなく受け継いでおられるでしょう。
やっぱり国旗が一番振りやすかったのかな。
でも、身内からすると恥ずかしいんだよね
こういうの
大事にしてあげてください。